地獄を見た地下芸人
2023.02.08


知名度ゼロからの大逆転――断酒から5年、地獄を見た地下芸人がつかんだ「チャンス」

「あのときの息子の顔が今も忘れられないんです」――。下を向いて、ひとことひとことを噛み締めるように語りだした芸人・チャンス大城(48)。朴訥とした見た目と、ユーモアあふれるトークで周囲を笑顔にさせてきたチャンスだが、酒について話しだすと、それまでの笑いまじりのトークが一気に重たい空気に。地下芸人だった男が苦しんだ、酒への依存とその脱却とは。

中3で吉本養成所の門をたたく

売れたきっかけは2018年の『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)だろうか。不良に山に埋められ、命からがら逃げ出すエピソードは、ディテールの凄惨さとマイペースな話術とのギャップで、スタジオの爆笑をかっさらった。「あいつは誰だ」とSNSもざわついた。

兵庫県尼崎市出身で、幼い頃から人を笑わせることが好きだった。

「3人きょうだいの一番下でかわいがってもらってましたよね。末っ子ってのは何かできなくても『まあ、しょうがないな』みたいに許されてしまうんです」

家族に愛されてのんびりと育ったが、勉強はからきしダメ。「今でも2桁の足し算は怪しいです」というほど、特に算数が苦手で九九も言えなかった。気も弱く、いつしかいじめっ子に目をつけられていた。学校に通うのが嫌で、建物の陰で一日を過ごしたこともある。

中学生になっても状況は大して変わらない。暗く沈む14歳の心に光を当てたのは、「お笑い」だった。

「テレビの素人参加番組に出演が決まって。ネタづくりが楽しくて、いじめられていることなんて気にならなかったですね。憧れのダウンタウンさんにも会えましたし」

放送翌日の学校では、まるでヒーローのような扱いを受けた。すぐに悪いやつらに呼び出され、番組の賞品「セガ・マスターシステム」は奪われたが。

中3で吉本総合芸能学院(NSC)に入ったのは、お笑いに人生の活路を見いだしたからだ。同期には、千原兄弟やFUJIWARAなどがいた。
だが、数カ月で通わなくなった。

「自信がなくなったことは覚えてます。プロになることも想像できなかった」

お笑いの道にはいったん背を向け、進学を選んだ。

「高校に行くから吉本に行けないっていう言い訳が欲しかっただけ。ビビッてたんですよ」

定時制高校に通いながら、土木作業や飲食店のアルバイトで日当を稼ぐ日々。だが、相変わらずどこでもすぐに目をつけられ、稼いだ金も巻きあげられた。電話が鳴るとビクッとする。毎日が地獄のようだった。いじめの主犯格に、山に埋められたのもこの頃だ。

「大好きなインディーズのバンドライブを見に行ったり、単車で毎週のように海や山に行ったり、楽しいこともあったんですよ。でもつらいことばっか覚えてるんです。なんででしょうね」

稼いだ金は全部、酒に使っていた

卒業間近に「お笑いやろうや」と同級生に誘われ、再びNSCへ。しかし芽は出ず、コンビを解散。一人になって東京へ向かい、小さな事務所に入って、改めて芸人として走りだした。先輩たちと一緒に過ごす時間は楽しかったが、生活費を借り入れるうちに借金は300万円まで膨らんだ。

「とにかくお金はなかったですね。家賃が払えず、アパートを追い出されて。土下座をしていろんな人に居候させてもらってました」

当時の活動場所は主に「地下ライブ」。名もなき芸人ばかりの、メジャーシーンからは程遠いライブだ。そこでは不謹慎なネタ、下ネタ、過激な政治ネタなどなんでもあり。刺激的で楽しかった。

「どうせテレビに出られないんだからと過激になっていくんです。プロレスラーが蛍光灯を使ったデスマッチをやるみたいに、普通のライブでは聞けないネタばかり考えていました」

当時の楽しみは酒。どれだけスベっても、打ち上げで飲んだら忘れられた。うれしいことがあったらもっと楽しくなれた。

「稼いだ金は、全部、酒に使ってました」

夜通し飲んで収録に遅刻するのはまだマシで、冬に路上で寝て何度も凍死しかけたり、酔った勢いで財布を川に投げ捨てたり。運転免許証を27回再発行し、偽造グループと疑われたこともある。

いっこうに仕事は増えなかった。既に結婚して子どももいたが、家庭からも逃げていた。
酒を飲めば、そんな現実から目を背けられた。

忘れられない息子の泣き顔

いまだに忘れられない思い出がある。

「その日は僕が息子を保育園に送る係で。『明日は自分が送るから』と妻にも言って。だけど、芸人たちと夜通しカラオケで盛り上がって、朝10時ぐらいに帰ったんです」

「もう出るから早く帰ってきて」というメールが、妻から何通も入っていた。
すぐに夫が帰るからと子どもを置いて、急いで仕事に出かけたらしい。

部屋に入るなり目に飛び込んできたのは、大便まみれで大泣きする当時3歳の息子だった。慌ててオムツを交換して保育園に送ったが、酒臭さをその場で叱られた。妻も当然、激怒。なによりも自分が情けなかった。

「約束していたのに僕は奥さんが保育園に届けたと思い込んでいたんです。だからビックリしてね。いまだに夢に出てくるんですよ、息子のグシャグシャの泣き顔が。ずっと忘れられないんです。いまだに申し訳なく思っています」

稼がず子の世話もせず、飲み歩く夫を妻が見限るのは時間の問題だった。ある日、妻子とともに家から荷物が消えていた。実家の父が、離婚届を持った妻の訪問を電話で知らせてきた。捨てられたことに気づいた。

それでも酒はやめられなかった。

地獄から天国のはずが、一気に地獄の底へ

離婚から1年半を経て、知人の紹介で千原兄弟の兄・せいじがオーナーの居酒屋で働き始めた。NSC同期のチャンスを、せいじはよく覚えていた。せいじにも「お前の酒の飲み方は頭がいかれている」とよくあきれられた。

2017年、千原兄弟のトークイベント「チハラトーク」に出演する。前述の山へ埋められた話に、千原兄弟は腹を抱え床に倒れるくらい笑った。

「あんなにうけたことなかったですよ。その後、ジュニアさんの計らいでテレビ番組(『人志松本のすべらない話』)が決まって文字通り跳び上がりました」

人気番組に出たことでお茶の間の視聴者にチャンス大城という名は広く刻まれた。
だが、収録後の打ち上げで、またも失敗を犯す。

「憧れのダウンタウン・松本さんをはじめ、大先輩たちとご一緒するのがうれしくて、たくさん酒を飲んでしまってね。失礼を繰り返したんです」

翌朝、目覚めた瞬間、「あ、やらかしたな」と思った。

「とにかくあちこちから怒られました。番組はジュニアさんがつないでくれたわけだから、恩人の顔にも泥を塗ったんです」

その数日後に出た、「チハラトーク」のライブ。前回の大爆笑とは打って変わり、千原兄弟に最後までステージ上で叱られた。愛ゆえの強烈なムチだったが、現場はお通夜みたいな空気になっていたという。

ライブの帰り道のことをいまだに覚えている。

「自分に踏まれている地面にも申し訳なくなったんです。芸人だったら誰もが憧れる『すべらない話』に出て、その4日前には『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』でも優勝して。僕のようなクソみたいな芸人にとってこんな輝かしい一週間はないじゃないですか。それが一気にドーン!と真っ逆さまに落ちたんです」

もう芸人を辞めよう。感謝してもしきれない千原兄弟に「お世話になりました」と言おう。だが、電話をかけた恩人の口から出たのは、「来月、『にけつッ!!』(読売テレビ)に出てくれへんか」という言葉だった。

「もう涙が止まらなかったです。ジュニアさん、せいじさんはこんな俺にまだチャンスくれるんかと思って。チャンス大城という芸名なのでちょっとややこしいんですけど」

その瞬間、あの日の息子の泣き顔が浮かんだ。酒で多くの人を傷つけ、失ってきた。

「その時に、もう二度と飲まんとこって誓ったんです。死ぬまで飲まないぞと。2018年の1月24日でした」

生きているというのは、全部誰かに見られている

断酒当初はつらいことも多かった。

「居酒屋で『自分はコーラで』と言うのが嫌でしたね。でもしゃあない。今となるとあそこで我慢できてよかった」

一度芸人として死んだつもりだからこそ、少しでも世間の役に立ちたいと、道に落ちている「たばこの吸い殻」掃除を始めた。ふと、誰かに見られているような気がした。その瞬間、「自分は試されているのだ」と思ったという。

「不思議ちゃんに思われるかもしれないけど、本当に神様に見られている気がして。生きてるというのは、全部誰かに見られているんだと気がついたんです」

断酒と吸い殻掃除を続けるうちに、大きな仕事がどんどん決まった。酒とたばこさえあればホームレスになっても生きていけると思っていた自分はもういない。お笑いを頑張ることで生を実感できるようになった。

「中学のときに『うめだ花月』で初めて見た間寛平さんや、明石家さんま師匠やダウンタウンさんに力をもらったんです。いじめられたり、ちょっとつらい気持ちを抱えたりしている子どもたちがいたら、僕に何かできたらええなって思っています」

あなたはもっとお笑いを頑張りなさい。チャンス大城を見守るチャンスの神様はきっとそう言うことだろう。

※チャンス大城

芸人。1975年、兵庫県尼崎市生まれ。中学3年で大阪NSCに入るが退所し、定時制高校に通う。その後、再びNSCに入り芸人を志す。上京後は地下芸人を経て、現在は吉本興業所属。昨年7月に半生をまとめた『僕の心臓は右にある』を上梓。
2023.02.08 10:05 | 固定リンク | エンタメ
グラミー賞「宅見将典」受賞
2023.02.06



【グラミー賞】作編曲家・宅見将典 EXILEなどに楽曲提供も 日本人ノミネート 受賞

世界的に注目されるアメリカの音楽賞『第65回グラミー賞』が、日本時間2月6日に開催されます。日本からノミネートされた宅見将典(たくみ・まさのり)さん(44)を紹介します。 5日受賞しました。

■ノミネート作は「生活のあらゆる瞬間にも咲いていて欲しいという願い」

グラミー賞の“最優秀グローバル・ミュージック・アルバム”にノミネートされた作品『Sakura』は、宅見さんが海外名義であるMASA TAKUMIとして2022年9月にリリースされたアルバム。

この作品について、宅見さんは「毎年春になると、桜の花は私たちに優雅なひとときを与えてくれます。ですが、その美しさは儚くもあり、栄華を極めた者も必ずや衰えるという仏教の教えも思い起こさせます。この作品を通して、そんな桜の花に、春だけでなく一年中咲き誇る力を与え、私たちの生活のあらゆる瞬間にも咲いていて欲しいという願いを表現しました」とコメントしています。

■宅見将典 EXILEやDA PUMPなどに楽曲提供
作編曲家・宅見将典さん(写真:下條祐美)

EXILE、DA PUMP、AAA、私立恵比寿中学、モーニング娘。など数多くのアーティストに楽曲提供プロデュースを行っている宅見さん。

小学生の頃にブラスバンドでトランペットを始めたことをきっかけに音楽に目覚め、13歳の時にX JAPANのYOSHIKIさんの音楽に影響を受け、バンドを組みながら作曲をスタート。その後、独学でドラム、ギター、ベース、ピアノなどの楽器を始めました。

2000年には、3人組ロックバンド・sirenでメジャーデビューし、ドラマー・作編曲家として活動。バンド脱退後は作編曲家、マルチ・インストゥルメンタル・アーティストとして活動し、数々のプロデュースや映像音楽などを手掛けてきました。

2011年に行われた第53回日本レコード大賞では、作曲したAAAの『CALL』が優秀作品賞を受賞。また、2019年の第61回日本レコード大賞では作曲・編曲したDA PUMPの『 P.A.R.T.Y.~ユニバース・フェスティバル~』も優秀作品賞を受賞するなど、プロデューサーとして参加した楽曲が高く評価されています。

そして、第56回グラミー賞ではギタリストとキーボーディストとして参加したSly & Robbie and The Jam Mastersの『REGGAE CONNECTION』が“ベストレゲエアルバム部門”にノミネート。今回ソロ名義として初めてグラミー賞にノミネートされ、注目されています。
2023.02.06 08:03 | 固定リンク | エンタメ
「シンエヴァ」ポスター盗用
2023.01.15

「シンエヴァ」中国向けポスター盗用問題で現地制作会社がコメント 「あってはならない行為があった」「元絵作者に謝罪し損失を補償する」

 2023年1月14日に公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」(以下「シンエヴァ」)の中国向けポスターで起きた盗用問題について、ポスターを作成した現地制作会社である北京竹也文化スタジオがコメントを発表しました。訳文を日本のエヴァンゲリオン公式が掲載しており、盗用を認めて謝罪しています。

 このポスターは、中国でのシンエヴァ配信開始に伴い発表されたもの。グレースケールで大きく夜空が描かれたデザインですが、フランスのイラストレーターであるNico Deiort氏の作品の盗作ではないかとSNS上で指摘されました。

 北京竹也文化スタジオはコメントで、盗用元になったイラストの作者であるNico氏と関係パートナーに謝罪。許可を得ずに不適切に素材を使用し、チーム内でのチェックの欠如などあってはならない行為があったと認めています。

 現在Nico氏に連絡を取っており、謝罪と損失の補償を望んでいるとのこと。また、「エヴァンゲリオン」ファンにも謝罪し、自分たちの行為が原因でファンへの愛情を傷つくことが内容願っているとしています。

 なお、当該イラストは発表された媒体からすでに削除されているとのこと。
2023.01.15 23:35 | 固定リンク | エンタメ
「27歳年下の妻」純歌さん 遺体を撮影し、加藤茶は激怒
2023.01.02

加藤茶激怒「お前のせいだ!」 遺体を撮影、犬にも焼香…仲本工事“モンスター妻”の異様な行動にいかりや長介さんの娘らは涙【スクープその後】 

 10月19日、交通事故による急性硬膜下血腫のため亡くなった「ザ・ドリフターズ」の仲本工事さん。週刊新潮は、その妻・純歌が通夜、告別式に犬を連れてきたり、遺体の写真を繰り返し撮影したりしたことで、故・いかりや長介さんや高木ブーさんの娘らとトラブルになっていたことを報じた。波紋を呼んだ仲本さんの晩年について改めて振り返る。

 手元に一枚の写真がある。

 病院のICUのベッドに横たわっているのは、痛々しい姿の仲本工事さんだ。気管挿管のためか、肌色のテープで固定された口元からは透明のチューブが伸びており、手術後と思しき頭部もテープで覆われている。仲本さんの背後にある生体情報モニターに並ぶいくつもの数字が、その場の緊迫した雰囲気を伝えている。

 その写真はまた、命が途切れる最後の最後まで、仲本さんが異様な環境に置かれていたことも物語っている。仲本さんの左側には、内縁妻の純歌(じゅんか)(54)が写っているのだ。化粧をばっちり施した純歌は仲本さんの右手を握り、何かを訴えるような視線をカメラの方に向けている。そばで容態を見守る献身ぶりをアピールしたいのだろうか。しかし、真に夫の身を案じる妻は、カメラ目線で写真に納まったりはしまい。

病院に呼ばれた取り巻きの中には、愛人疑惑のある男性も

 横浜市内の交差点を歩いて横断中にワゴン車にはねられ、頭を強く打った仲本さんが市内の病院に救急搬送されたのは10月18日午前のことだった。すぐさま手術を受けるも意識が回復することはなく、翌19日午後10時22分、急性硬膜下血腫のため亡くなった。享年81。現場近くには別居中の純歌の自宅があり、そこに向かう途中で事故に遭ったとみられている。

「仲本さんが亡くなるまでの間、純歌は自分の取り巻き連中を次々と病院に呼んでいました。その中には純歌の愛人ではないかとうわさされている男もいました」

 そう話すのは、仲本さんが東京・目黒で経営していた居酒屋「仲本家 JUNKAの台所」の関係者だ。

「病室で、純歌は意識のない仲本さんの写真をパシャパシャ撮り、取り巻きたちには自分と仲本さんのツーショット写真を撮らせていました。“仲本さん、仲本さん!”と呼びかける自分の動画を撮影したりもしていたのです。苦しんで亡くなりかけている人の写真や動画を撮るなんて非常識だ、と取り巻き以外の人は皆眉をひそめていました」

“ダメかなあ”と肩を落とした加藤茶

 本誌は10月13日発売号に「娘が悲憤の訴え ドリフ「仲本工事」を虐げる27歳下『モンスター妻』」という記事を掲載した。

 そこでは、身勝手な理由で純歌が家を出て横浜で暮らし始め、ゴミ屋敷同然の自宅に取り残された仲本さんが複数の犬や猫と共に不衛生な環境で生活していること。純歌が出ていった背景に“彼氏”の存在を指摘する声があること。純歌の荷物を運ぶため、自宅兼店のある目黒と横浜の間を、仲本さんが車で頻繁に行き来していることなどをお伝えした。記事では“いつか大事故を起こすのではないかと周りは心配しています”との関係者の声も紹介したが、あまりにも早くその懸念が現実のものとなってしまったわけである。

 仲本さんが生死の境をさまよっている間、病院にはドリフメンバーの加藤茶(79)と高木ブー(89)もかけつけた。

「加藤さんはICUから出てきた時“ダメかなぁ”と肩を落としていました。加藤さんも高木さんも仲本さんの姿を自分の目で確認し、死を覚悟していたように見えました」(仲本さんの知人)

「お前のせいだからな! とんでもない女だ!」
 しかし病院で待機する間、加藤はずっと暗い顔でうつむいていたわけではない。

「仲本がこうなったのはお前のせいだからな! とんでもない女だ!」

 純歌に対し、加藤がそう怒鳴って詰め寄る場面があったというのである。

「怒鳴られた純歌さんは泣き崩れるような感じで、高木ブーさんの近くにしゃがみ込んでいました。涙は出ていなかったので、ウソ泣きだと思いますが……」

 そのシーンを目撃した芸能関係者が明かす。

「加藤さんと奥さんの綾菜さんは元々、純歌が出て行ったのは釣り仲間の彼氏ができたからではないか、と強く疑っていました。それで不信感を持っていたところに週刊新潮の記事が出て、それを読み、純歌さんへの怒りが爆発して“許せない!”となっていたのです。そして、純歌のことがなければ行く必要のない横浜で事故に遭ったので、“お前のせいだ”と激高したのです」

犬にも焼香させ…
 加藤に面罵された純歌はしかし、仲本さんの死去後も態度を改めることはなかった。

「女性自身」によると、仲本さんの死去翌日に純歌が取り巻きと共に姿を現したのは、遺体が運び込まれた都内の斎場近くの焼肉屋。そこで彼女は、事務所から預かった戒名料60万円の一部をネコババするための密談を交わしていたというから驚く他ない。さらに、その後行われた通夜、告別式には、

「自分がかわいがっているラッキーという犬を連れてきていて“なぜこういう場に犬を連れてくるのか”と不審がられていました」

 先の「仲本家」の関係者はそう話す。

「スポーツ紙の記事では“仲本さんが可愛がっていたラッキーにも最後のお別れを”などと美談として報じられていましたが、目黒で飼っていたペットのうち、ラッキーは純歌が溺愛して横浜に連れて行った犬。仲本さんはいなくなったラッキーより、一緒に置き去りにされた子たちを大事にしてかわいがっていました」

 通夜の際、純歌はラッキーが入ったペット用のバッグを取り巻きの一人に持たせていたという。

「焼香をあげる時、純歌はラッキーの入ったバッグも一緒にご遺体の前に持っていき、ひょこっと顔を出させてラッキーにも焼香をさせるような仕草をしていたそうです」(同)

“なんで奥さんの歌を?”
 通夜の席での純歌の非常識な行動を難詰する人物はいなかったようだが、翌日の告別式は違った。ドリフメンバーの家族などが不満を爆発させ、一触即発の状況だったというのだ。

「告別式の会場では最初、仲本さんと純歌のデュエット曲『この街で』などが流されていたのですが……」

 と、先の仲本さんの知人。

「いかりや長介さんの娘さんが“なんでこの音楽なの? 仲本さんはドリフターズだよ。なんで奥さんの歌を流さなきゃいけないの?”と言い、不穏な空気が漂いました。結局、参列者の中にドリフのCDを持っている人がいたので急遽そちらに変えてもらい、出棺の時には『ドリフのズンドコ節』などが大音量で流されていました」

 ドリフメンバーの家族と純歌との間に生じた溝。それは会場の音楽だけが原因ではなく、

「お花入れの時、純歌さんはずっと仲本さんの頭のところにいて、なぜか覆いかぶさるようにして頭を揺らしたりしていたのですが、それと同時にご遺体の写真をパシャパシャ撮っていたのです。それに高木ブーさんの娘さんが怒って、“なんで撮るの? 撮るのやめなよ!”とキツい口調で純歌さんに言っていました」(先の芸能関係者)

“ご遺体は記憶の中にとどめておくものだ”と高木の娘が重ねて注意しても純歌は聞く耳を持たず、

「ずっと撮り続けているので、いかりやさんの娘さんも“いい加減にしなさいよ”と怒って。すると、純歌さんの取り巻きの一人が棺に近づいてきてご遺体を撮り始め……。いかりやさんの娘さんに“なんで撮るの!”と怒られても、“なんで撮っちゃいけないんですか?”と言い返し、悪びれることなく撮り続けていました」

会場は「カオス」に
 家族と一部関係者のみが参列を許された閉ざされた告別式は、「カオス」とでもいうべき状況だったのだ。

「いかりやさんの娘さんは純歌に向けて、“何で仲本さんは何も悪くないのに死ななきゃいけないのよ?”と言っていましたが、純歌は聞こえないフリをしてご遺体の写真を撮り続けていました。そうした状況にいかりやさんの娘、高木さんの娘が泣いてしまい、加藤さんの奥さんの綾菜さんが二人の肩を抱き、三人で泣き崩れているような状況でした」(先の仲本さんの知人)

 仲本さんが死去する直前、病院で純歌に「お前のせいだ」と迫った加藤は、高木と共に会場内の椅子に座り、純歌には近寄ろうともしなかったという。

「純歌の方も“最後に顔を見てやって下さい”などと声をかけることもなく、ずっとご遺体の頭の辺りに陣取っていました。ちなみに棺の中には純歌と仲本さんの写真やCDばかり入っていたので、高木さんの娘さんがその上にドリフの写真を置いていました」(同)

 加藤を始めとするドリフ関係者との溝について、純歌本人は何と言うか。

 葬儀の数日後、店から出てきた彼女に声をかけたが、

「話すことは何もない」

 などと言うのみ。加藤茶に「お前のせい」と激高されたことについては、

「言われません。絶対に、そんなこと」

 そう否定するのだった。

文春の記事に加藤茶は“とんでもないウソだ”
 しかし、前回の本誌記事でも指摘した通り、純歌の発言にはウソが付きまとう。

 例えば仲本さんの死去後、「週刊文春」の取材に応じた純歌は、

〈(本誌の報道後)「もうお店も閉じて、芸能活動も辞めて、庭付きの一軒家でも探して新しい生活を二人でしよう」なんて話し合っていた〉

 そう明かしているが、

「完全なウソですよ。仲本さんは仕事を辞める気は全くなかったですし、生活もギリギリで、庭付きの一戸建てに引っ越す余裕もありませんでしたから」

 と、仲本さんの別の知人。

「芸能界を辞める仲本さんに事務所が一軒家を買ってあげるはずもない。純歌の言い分を垂れ流すだけの文春の記事が出た後、加藤さんは“とんでもないウソだ”と激怒していました」

仲本さんが語っていた「小さな夢」
 この知人は仲本さんから「小さな夢」の話をされたことがある、と明かす。

「私の命がある限り、(居酒屋の)仲本家を閉めずにやっていきたいんだよ」

 仲本さんはそう語っていたという。

「仲本家がなくなったらそこで働く仲間の収入がなくなっちゃうからね。見捨てるようなことは絶対にできないんだよ。動物たちがいて、仲本家に来てくれるファンやお客さんがいてさ、それだけで十分幸せじゃないかなって。そりゃぜいたくはできないけれど、切り詰めればなんとかみんなの生活をつなげると思っています。私の小さな夢です……」

 そんな仲本さんの夢に思いをはせることもなく、身勝手な理由で別居生活を始めた純歌。それでも、まるで洗脳されたかのように彼女を信じ続けた仲本さんは、自宅兼店のある目黒と、彼女が暮らす横浜を行き来する中で命を落とした。

「お前のせい」――加藤が彼女に放った一言は、仲本さんの死を本心から悼む全ての人の心の声であろう。

(以上、「週刊新潮」2022年11月10日号再掲)

 ***

 昨年12月15日にはフジテレビで追悼特番「ドリフ大感謝祭 ありがとう仲本工事さんスペシャル」が放送され、時代を彩った懐かしの爆笑コントの数々がお茶の間を楽しませた。また、元日にも同じくフジテレビで「ドリフに大挑戦スペシャル」が放送される。

 ドリフ世代、そしてリアルタイムでドリフを見ていない若い世代からも愛される仲本さん。今後もドリフ伝説は語り継がれていくのだろう。
2023.01.02 10:32 | 固定リンク | エンタメ
日本レコード大賞」SEKAI NO OWARI
2022.12.31
SEKAI NO OWARIが「Habit」で初のレコード大賞受賞、“クセ強”ダンスで若者とりこに

 「第64回 輝く!日本レコード大賞」(日本作曲家協会主催)の授賞式が30日、東京・初台の新国立劇場で行われた。4人組バンドのSEKAI NO OWARIが「Habit」で初の大賞を受賞。新型コロナの影響で無観客で実施されていたが、19年以来3年ぶりに有観客開催となった。

 惜しみない拍手が注がれた。デビューから12年のSEKAI NO OWARIが栄冠を手にした。

 優秀作品賞7回目で初の大賞。花道でダブルピースしたボーカルのFukase(37)は「本当にデビュー当時から出させていただいて。長い年月をかけてやっといただけたなと思います」と感慨深げ。ギターのNakajin(37)も「とてもうれしいです。この曲を作っていた時は時間がなくて。僕らの色がそのまま入ってる曲。こういう形で賞をいただけたのは、自分たちが肯定されたような気持ち」と喜びをかみ締めた。

 4月に先行配信された「Habit」のテーマは「自分で自分を分類してしまう悪い習性(=Habit)を壊せ」。中毒性のあるアップテンポのメロディーに、4人が踊る“クセ強”ダンスがシンクロし、10代を中心に若い世代から人気に火が付いた。サブスクリプション(定額音楽配信サービス)では、ヒットの目安となる1億回超え。ストリーミングの総再生回数は2億回以上、ミュージックビデオ(MV)の再生回数も1・2億回を記録した。

 3人組グループ・パワーパフボーイズが振付を担当したダンスMVでは、学校を舞台にバンド史上最高難度のダンスに挑戦。長期間のレッスンを受け、完成度の高さを追求した。SNSには多数の「踊ってみた」動画が投稿され、TikTokの総再生回数は驚異の25億回以上を数える。

 コロナ禍で度重なる全国ツアー、ライブイベントの延期を経験。2年間の“空白期間”を乗り越え、今年は充実の1年を迎えた。20年春のデビュー10年記念ライブイベント「THE PARADE」、21年夏開催だったバンドの歴史をたどる大型展覧会「THE SECRET HOUSE」が、4月になって実現。8月には初の4大ドームツアー(全5公演、20万人動員)を成功させた。
2022.12.31 12:38 | 固定リンク | エンタメ

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