中国「スパイ気球を飛ばす意図は」
2023.02.08


中国の「スパイ気球」はいったい何を狙っていたのか? 画像撮影なら衛星からの高解像度画像がある、それでも気球を飛ばす意図は

 結局、気球はアメリカを横断して、4日にF-22戦闘機により、サウスカロライナ州沖で撃墜された。回収された気球に搭載されていた機器などは、バージニア州クアンティコにあるFBI(米連邦捜査局)の研究所で精査されることになる。

■本当に「気象研究用」なのか

 中国側はこの気球が「気象研究用の民間の飛行機」であり、「不可抗力によってアメリカに迷い込んだ」ものであると主張し、アメリカの対応に激しく反発した。ただ、民間の飛行機であっても、アメリカの領空に勝手に入ったら、相応の対応が行われるのは当たり前である。まして無人の気球だ。撃ち落されても文句を言える立場にはない。逆に中国で同じことがあったら、同様の措置を取ることになるだろう。

 つまり、今回の件が不都合な事態だからこそ、中国側は過敏に反応していると見られる。今回の騒動は、単に気球がミスでアメリカに迷い込んだというような話では済まない。

■洋上に出るのを待って撃墜

 まず簡単に、ことの顛末をおさらいしたい。

 最初に気球がアメリカ領空に入ったのが確認されたのは1月28日で、アラスカ州のアリューシャン列島の上空だった。国防総省はそれを確認しているが発表することはなかった。というのも、トランプ政権時も3度、中国の気球がアメリカ上空を飛んでおり、当時は安全保障の脅威だとみなしていなかった。

 30日には気球はカナダに入ったが、翌31日にはまたアメリカのアイダホ州上空に入ったのを確認された。この時点で国防総省は撃墜も検討したが、残骸の落下により地上で被害が出ることを恐れて、そのまま飛行させた。

 2月1日になると、気球はモンタナ州上空に入る。すると、何人かの市民がその「飛行物体」を発見。この時点で、バイデン大統領は撃墜命令を発しているが、やはり地上の状況を鑑みて、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)が追跡を続けた。

 そして2日には政府高官らが「中国のスパイ気球」が飛来していると発表。モンタナ州には、150発のICBM(大陸間弾道ミサイル)を保管し、発射施設も設置されているマルムストロム空軍基地があったので、2日にはメディアなどでも大騒ぎになった。基地周辺の情報を集める意図があったのではないかと、専門家らも指摘し始めた。

 3日になると、気球は中部で目撃される。この事態を受けて、アンソニー・ブリンケン国務長官は、予定されていた訪中の延期を発表した。そして4日には、サウスカロライナ州沖で撃墜されたのである。

■気球の目的は何か

 この偵察機級について何よりも気になるのは、その目的だ。米政府高官らは早い段階で、この気球は、中国の偵察気球で「情報収集をしている」と指摘している。

 というのも、そのサイズが気象観測のための気球よりも大きいことが挙げられる。幅は27メートルほどあり、気球に付けられている機器が通常の観測機器とは別のものである可能性があるということだ。また、これまでになく長時間、アメリカ上空を飛行していたことも特筆すべきだろう。

 一方で、中国は世界で600機以上の軍事衛星を打ち上げ、監視衛星も大量に使っているので、「わざわざ気球で情報収集する必要はない」との見方もある。気球で地上の画像の収集をしていたのではないかとも指摘されているが、現在は衛星からもかなり高解像度で撮影ができるようになっているため、気球を使う必要性はそれほどないとも思われる。

 ただ少なくとも、気球ならば飛行ルートや撮影危機の角度などある程度のコントロールはできるので、上下に動いて小型化された機器で何らかの撮影を行うことが考えられ、衛星では難しいゆっくりとした動きで情報収集も可能かも知れない。

 加えて、気球にはセンサーなども取り付けられていると見られており、地上の通信データや無線トラフィック、電磁波、放射線などを拾っている可能性もあると見る専門家もいる。これは衛星ではできない“任務”であり、もしもこのようなことが実際に行われたとなれば、安全保障上の大きな脅威となる。

 気球の“任務”の詳細は、回収された気球の機器やセンサーなど解析を行うことで今後、明らかになっていくだろう。

 だがそれ以上に懸念されることがある。それは、気球が容易く米本土の上空に入ることができ、長い時間飛行した事実である。

■核物質や生物化学兵器の運搬・攻撃も不可能ではない

 今回は、気球にセンサーなどが付いていたと見られているが、何らかの攻撃のための機器を、米軍に悟られずに運ぶこともできた可能性がある。例えば、電磁波による攻撃が考えられるし、小型化された核物質や生物化学兵器などとともに気球が上空に現れる可能性すら否定できない。

 実は、今回の気球は、日本上空も通過してきた可能性が指摘されている。また2020年には仙台でも同様の気球が確認されており、当時は脅威ではないとしてやり過ごしたことがあった。今回のアメリカでの騒動は、決して他人事ではない。

 そもそもバイデン政権は、その発足後から中国を「戦略的な競争相手」と位置付けており、議会から「中国に甘い」と批判されてきた。だが実際は、中国を最大の脅威であると明確にし、中国に対する締め付けは続けてきた。それはCIAのウィリアム・バーンズ長官が2021年に「中国政府は21世紀最大の地政学的脅威である」と語った言葉からも明らかで、CIAは2021年10月に対中スパイ工作に特化した専門チームの立ち上げを発表している。

 また国務省も「チャイナ・ハウス」という組織を立ち上げ、対中政策に力を入れている。

気球の分析でどのような結果が出るか
 一方で、ロシアのウクライナ侵攻の余波や、アメリカによる中国IT企業への規制強化、半導体サプライチェーンからの中国締め出しなど、国際社会の中で追い詰められた中国が台湾侵攻を強行するのではないかと懸念する声も高まっている。そうしたことから、バイデン政権は、2022年11月の米中首脳会談から、中国との対話のチャンネルを維持するよう働きかけを行なってきた。

 その流れで、ブリンケン国務長官は、新しく中国の外交部長(外相)になった秦剛(チンガン)氏と会談するために訪中することになっていた。これが今回の気球騒動で延期になった。

 実は、情報機関や米軍の中には、「アメリカも中国も、衛星からの監視やサイバー工作なども含むありとあらゆる手で情報収集をしている。気球一つくらいで大騒ぎするのはいかがなものか」という議論もある。中国が、アメリカ側の気球撃ち落しや外相会談延期などに対して、強く抗議しているのも、そうした思いが影響しているのかも知れない。

 ただ、電子機器が小型化や軽量化し、通信も可能で、しかも人工衛星に比べはるかにローコストで製造・運用できる気球は、十分安全保障上の脅威になる。上述のように、気球を利用した核物質や生物化学兵器による攻撃も可能だ。これまで何度か確認されてきた中国の気球が、直接的な安全保障の脅威になってはいなかったからといって、今回の気球が安全ということにはならない。バイデン大統領としては「いい加減にしろ」という意思表示だったのかも知れない。あるいは米国内の反中感情に配慮したのかも知れない。

 いずれにせよ、近づきつつあった米中の距離は、今回の一件で再び遠のき始めた。おそらくバイデン大統領は、基本的には中国と対話を続ける意思があり、この件でいつまでもやり合う意図はないだろう。ただ、撃墜した気球を分析して出てきた結果次第では、緊張がいっそう高まる可能性もある。
2023.02.08 20:35 | 固定リンク | 国際
東部バフムート「難攻不落」
2023.02.08
煙が上がるバフムート上空=1月25日

東部バフムート、天然の防御で「難攻不落の」要塞に ウクライナ軍司令官

ウクライナ陸軍の司令官は6日、同国東部の都市バフムートについて、天然の防御により「難攻不落の要塞(ようさい)」になっているとの見方を示した。

陸軍のオレクサンドル・シルスキー司令官は、SNSのテレグラムで「この地域ならではの地理的な特徴がある。当該の都市は圧倒的な高台や丘に囲まれ、街自体が敵にとって罠(わな)になっている」と述べた。

シルスキー氏によると、ウクライナ軍は天然の地形に沿って障害物を設置。それが現場の地域を難攻不落の要塞にし、数千人の敵が死亡する状況になっているという。

「我々はあらゆる選択肢を用いる。技術的な能力のみならず自然の機能も活用して、敵の最もすぐれた部隊を撃滅する。戦闘は続いている」(シルスキー氏)

ウクライナのゼレンスキー大統領は3日、「バフムートで降伏する者は1人もいない。我々は可能な限り戦うだろう」と述べていた。

ロシア民間軍事会社「ワグネル」のトップ、エフゲニー・プリゴジン氏は5日、バフムートでは戦闘が続いており、ウクライナ軍に退却の兆候は見られないとテレグラムで明らかにした。
2023.02.08 20:11 | 固定リンク | 戦争
地獄を見た地下芸人
2023.02.08


知名度ゼロからの大逆転――断酒から5年、地獄を見た地下芸人がつかんだ「チャンス」

「あのときの息子の顔が今も忘れられないんです」――。下を向いて、ひとことひとことを噛み締めるように語りだした芸人・チャンス大城(48)。朴訥とした見た目と、ユーモアあふれるトークで周囲を笑顔にさせてきたチャンスだが、酒について話しだすと、それまでの笑いまじりのトークが一気に重たい空気に。地下芸人だった男が苦しんだ、酒への依存とその脱却とは。

中3で吉本養成所の門をたたく

売れたきっかけは2018年の『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)だろうか。不良に山に埋められ、命からがら逃げ出すエピソードは、ディテールの凄惨さとマイペースな話術とのギャップで、スタジオの爆笑をかっさらった。「あいつは誰だ」とSNSもざわついた。

兵庫県尼崎市出身で、幼い頃から人を笑わせることが好きだった。

「3人きょうだいの一番下でかわいがってもらってましたよね。末っ子ってのは何かできなくても『まあ、しょうがないな』みたいに許されてしまうんです」

家族に愛されてのんびりと育ったが、勉強はからきしダメ。「今でも2桁の足し算は怪しいです」というほど、特に算数が苦手で九九も言えなかった。気も弱く、いつしかいじめっ子に目をつけられていた。学校に通うのが嫌で、建物の陰で一日を過ごしたこともある。

中学生になっても状況は大して変わらない。暗く沈む14歳の心に光を当てたのは、「お笑い」だった。

「テレビの素人参加番組に出演が決まって。ネタづくりが楽しくて、いじめられていることなんて気にならなかったですね。憧れのダウンタウンさんにも会えましたし」

放送翌日の学校では、まるでヒーローのような扱いを受けた。すぐに悪いやつらに呼び出され、番組の賞品「セガ・マスターシステム」は奪われたが。

中3で吉本総合芸能学院(NSC)に入ったのは、お笑いに人生の活路を見いだしたからだ。同期には、千原兄弟やFUJIWARAなどがいた。
だが、数カ月で通わなくなった。

「自信がなくなったことは覚えてます。プロになることも想像できなかった」

お笑いの道にはいったん背を向け、進学を選んだ。

「高校に行くから吉本に行けないっていう言い訳が欲しかっただけ。ビビッてたんですよ」

定時制高校に通いながら、土木作業や飲食店のアルバイトで日当を稼ぐ日々。だが、相変わらずどこでもすぐに目をつけられ、稼いだ金も巻きあげられた。電話が鳴るとビクッとする。毎日が地獄のようだった。いじめの主犯格に、山に埋められたのもこの頃だ。

「大好きなインディーズのバンドライブを見に行ったり、単車で毎週のように海や山に行ったり、楽しいこともあったんですよ。でもつらいことばっか覚えてるんです。なんででしょうね」

稼いだ金は全部、酒に使っていた

卒業間近に「お笑いやろうや」と同級生に誘われ、再びNSCへ。しかし芽は出ず、コンビを解散。一人になって東京へ向かい、小さな事務所に入って、改めて芸人として走りだした。先輩たちと一緒に過ごす時間は楽しかったが、生活費を借り入れるうちに借金は300万円まで膨らんだ。

「とにかくお金はなかったですね。家賃が払えず、アパートを追い出されて。土下座をしていろんな人に居候させてもらってました」

当時の活動場所は主に「地下ライブ」。名もなき芸人ばかりの、メジャーシーンからは程遠いライブだ。そこでは不謹慎なネタ、下ネタ、過激な政治ネタなどなんでもあり。刺激的で楽しかった。

「どうせテレビに出られないんだからと過激になっていくんです。プロレスラーが蛍光灯を使ったデスマッチをやるみたいに、普通のライブでは聞けないネタばかり考えていました」

当時の楽しみは酒。どれだけスベっても、打ち上げで飲んだら忘れられた。うれしいことがあったらもっと楽しくなれた。

「稼いだ金は、全部、酒に使ってました」

夜通し飲んで収録に遅刻するのはまだマシで、冬に路上で寝て何度も凍死しかけたり、酔った勢いで財布を川に投げ捨てたり。運転免許証を27回再発行し、偽造グループと疑われたこともある。

いっこうに仕事は増えなかった。既に結婚して子どももいたが、家庭からも逃げていた。
酒を飲めば、そんな現実から目を背けられた。

忘れられない息子の泣き顔

いまだに忘れられない思い出がある。

「その日は僕が息子を保育園に送る係で。『明日は自分が送るから』と妻にも言って。だけど、芸人たちと夜通しカラオケで盛り上がって、朝10時ぐらいに帰ったんです」

「もう出るから早く帰ってきて」というメールが、妻から何通も入っていた。
すぐに夫が帰るからと子どもを置いて、急いで仕事に出かけたらしい。

部屋に入るなり目に飛び込んできたのは、大便まみれで大泣きする当時3歳の息子だった。慌ててオムツを交換して保育園に送ったが、酒臭さをその場で叱られた。妻も当然、激怒。なによりも自分が情けなかった。

「約束していたのに僕は奥さんが保育園に届けたと思い込んでいたんです。だからビックリしてね。いまだに夢に出てくるんですよ、息子のグシャグシャの泣き顔が。ずっと忘れられないんです。いまだに申し訳なく思っています」

稼がず子の世話もせず、飲み歩く夫を妻が見限るのは時間の問題だった。ある日、妻子とともに家から荷物が消えていた。実家の父が、離婚届を持った妻の訪問を電話で知らせてきた。捨てられたことに気づいた。

それでも酒はやめられなかった。

地獄から天国のはずが、一気に地獄の底へ

離婚から1年半を経て、知人の紹介で千原兄弟の兄・せいじがオーナーの居酒屋で働き始めた。NSC同期のチャンスを、せいじはよく覚えていた。せいじにも「お前の酒の飲み方は頭がいかれている」とよくあきれられた。

2017年、千原兄弟のトークイベント「チハラトーク」に出演する。前述の山へ埋められた話に、千原兄弟は腹を抱え床に倒れるくらい笑った。

「あんなにうけたことなかったですよ。その後、ジュニアさんの計らいでテレビ番組(『人志松本のすべらない話』)が決まって文字通り跳び上がりました」

人気番組に出たことでお茶の間の視聴者にチャンス大城という名は広く刻まれた。
だが、収録後の打ち上げで、またも失敗を犯す。

「憧れのダウンタウン・松本さんをはじめ、大先輩たちとご一緒するのがうれしくて、たくさん酒を飲んでしまってね。失礼を繰り返したんです」

翌朝、目覚めた瞬間、「あ、やらかしたな」と思った。

「とにかくあちこちから怒られました。番組はジュニアさんがつないでくれたわけだから、恩人の顔にも泥を塗ったんです」

その数日後に出た、「チハラトーク」のライブ。前回の大爆笑とは打って変わり、千原兄弟に最後までステージ上で叱られた。愛ゆえの強烈なムチだったが、現場はお通夜みたいな空気になっていたという。

ライブの帰り道のことをいまだに覚えている。

「自分に踏まれている地面にも申し訳なくなったんです。芸人だったら誰もが憧れる『すべらない話』に出て、その4日前には『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』でも優勝して。僕のようなクソみたいな芸人にとってこんな輝かしい一週間はないじゃないですか。それが一気にドーン!と真っ逆さまに落ちたんです」

もう芸人を辞めよう。感謝してもしきれない千原兄弟に「お世話になりました」と言おう。だが、電話をかけた恩人の口から出たのは、「来月、『にけつッ!!』(読売テレビ)に出てくれへんか」という言葉だった。

「もう涙が止まらなかったです。ジュニアさん、せいじさんはこんな俺にまだチャンスくれるんかと思って。チャンス大城という芸名なのでちょっとややこしいんですけど」

その瞬間、あの日の息子の泣き顔が浮かんだ。酒で多くの人を傷つけ、失ってきた。

「その時に、もう二度と飲まんとこって誓ったんです。死ぬまで飲まないぞと。2018年の1月24日でした」

生きているというのは、全部誰かに見られている

断酒当初はつらいことも多かった。

「居酒屋で『自分はコーラで』と言うのが嫌でしたね。でもしゃあない。今となるとあそこで我慢できてよかった」

一度芸人として死んだつもりだからこそ、少しでも世間の役に立ちたいと、道に落ちている「たばこの吸い殻」掃除を始めた。ふと、誰かに見られているような気がした。その瞬間、「自分は試されているのだ」と思ったという。

「不思議ちゃんに思われるかもしれないけど、本当に神様に見られている気がして。生きてるというのは、全部誰かに見られているんだと気がついたんです」

断酒と吸い殻掃除を続けるうちに、大きな仕事がどんどん決まった。酒とたばこさえあればホームレスになっても生きていけると思っていた自分はもういない。お笑いを頑張ることで生を実感できるようになった。

「中学のときに『うめだ花月』で初めて見た間寛平さんや、明石家さんま師匠やダウンタウンさんに力をもらったんです。いじめられたり、ちょっとつらい気持ちを抱えたりしている子どもたちがいたら、僕に何かできたらええなって思っています」

あなたはもっとお笑いを頑張りなさい。チャンス大城を見守るチャンスの神様はきっとそう言うことだろう。

※チャンス大城

芸人。1975年、兵庫県尼崎市生まれ。中学3年で大阪NSCに入るが退所し、定時制高校に通う。その後、再びNSCに入り芸人を志す。上京後は地下芸人を経て、現在は吉本興業所属。昨年7月に半生をまとめた『僕の心臓は右にある』を上梓。
2023.02.08 10:05 | 固定リンク | エンタメ

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