羽生結弦「マザコン離婚」他に?
2023.12.03
羽生結弦「105日離婚」、元妻「名前出しOK」で崩れた離別声明「許可なし」の前提!“超違和感”離縁騒動の終着点は「Aさんの独白」 その1週間前の11月17日、羽生は公式SNSで離婚を発表した。 母親はお相手を“完無視”

フィギュアスケート男子で五輪2連覇を果たした羽生結弦(28)の、結婚期間わずか105日というスピード離婚は、いまだに方々で物議を醸している――。

羽生結弦さんは、今年8月4日に元バイオリニストのA子さん(36)と結婚したことを発表しましたが、11月17日に離婚することを決断したと公式Twitterで発表しました。結婚からわずか105日での離婚となりました。

離婚の理由について、羽生さんは「お相手に幸せであってほしい、制限のない幸せでいてほしいという思いから」と述べました。また、「お相手、そのご親族や関係者の方々に対して、そして、私の親族、関係者に対しても、誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道がなされています」と、メディアやファンによる過剰な追跡や嫌がらせが原因であることを明かしました。

羽生さんは、国民的英雄として多くの人々から注目されてきましたが、その反面、プライバシーを守ることが難しくなっていたようです。一般人であるA子さんも、結婚後は家から一歩も外に出られない状況になっていたといいます。羽生さんは、A子さんと自身の身を守り続けることは極めて難しく、今後の未来を考えたときに、離婚することが最善の選択だと判断したのでしょう。

羽生さんの離婚発表には、多くのファンや関係者から驚きや悲しみの声が上がりました。羽生さんの親族も、離婚をニュースで知ったということで、結婚の事情についてはあまり知らされていなかったようです。羽生さんは、A子さんとの結婚を発表したときも、事前に家族やコーチには伝えていなかったといいます。羽生さんは、自分の人生に関する決断は自分で行うタイプで、周囲に相談することは少ないのかもしれません。

羽生さんは、現在はプロスケーターとして活動しており、来年2月には自身のアイスショー「CRYSTAL MEMORIES」を開催する予定です。羽生さんは、離婚によってスケートに対する情熱や姿勢が変わることはないと強調しました。羽生さんは、これからもスケートを通して多くの人に感動や希望を与えていくことでしょう。

8月に元ヴァイオリニストで8歳年上の一般女性Aさんと結婚したばかりの羽生だが、11月17日に公式(Twitter)を通じて離婚したことを発表。

《現在、様々なメディア媒体で、一般人であるお相手、そのご親族や関係者の方々に対して、そして、私の親族、関係者に対しても、誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道がなされています。生活空間においても、不審な車や人物に徘徊されることや、突然声をかけられることもあります。私たちは、共に思い悩みながらも、このような事態から、互いをなんとか守っていけるように努めてきました》

《しかし、私が未熟であるがゆえに、現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難いものでした》

《このような状況が続いていく可能性と、一時改善されたとしても再びこのような状況になってしまう可能性がある中で、これからの未来を考えたとき、お相手に幸せであってほしい、制限のない幸せでいてほしいという思いから、離婚するという決断をいたしました。

これからは、一般人であるお相手、そのご親族や関係者の方々、また、私の親族、関係者に対しての誹謗中傷や無許可の取材、報道等、迷惑行為はおやめください》

との声明を発表した。

■Aさん本人が実名報道にOKを出していた

離婚したAさんは山口県光市出身。9月19日、地元・山口県の地方紙『日刊新周南』はAさんが羽生と結婚したことを実名で報道。地元では喜びの声が上がっていることを伝えていた。これをきっかけに複数のメディアも実名で報道しはじめ、家柄や顔写真、“別居生活”をしているといった情報も取り沙汰されるようになった。

「最初に実名報道をした地元の新聞『日刊新周南』を非難する声も少なくないですが、11月30日発売の『週刊新潮』(新潮社)によると、『日刊新周南』は元妻のAさん本人がOKを出したから実名で報じたといいます。つまり、彼女自身はメディアに報じられることを嫌がっていたわけではなかったと。

羽生さんと結婚しているのは事実であって、Aさんは地元紙の取材に対して、ウソはつけない、ということだったのではないでしょうか。記事も好意的なものだったのですが……」(ワイドショー関係者)

11月30日発売の『女性セブン』(小学館)は、AさんはヴァイオリニストとしてCDをリリースし、有名アーティストとの共演経験もあるなど、表舞台で活躍する有名人だった。しかし、羽生との結婚を前に自身のSNSを削除するなど、表舞台から身を引いた形にして羽生の妻になる覚悟をみせていた、と報じている。

結婚前、羽生をサポートしていたのは彼の母と姉だった。食が細く、喘息もあったため健康管理はまず食事から。食材も味つけもすべて、母親がOKしたもの以外は口にしなかったという。

ところが結婚後、隣の部屋に住んでいるにもかかわらず、Aさんに対して母親から食事の献立や食材、味つけに関するアドバイスはまったくなかったとされる。一方で深夜の練習に帯同するのは母親と姉だけで、Aさんの出る幕はなかったというのだ。

■Aさんへのオファー合戦へ

前出のワイドショー関係者が続ける。

「羽生さんをサポートする母親、姉の輪にAさんが入れなかったと、ここにきて複数のメディアが報じています。つまり、羽生さんの家族サイドにも問題があったのでは、と見られているわけです。

そして、羽生さんはマスコミや一部ファン、周囲のせいで離婚せざるを得なかったという旨の離婚声明を出しましたが、最初に実名報道した『日刊新周南』はしっかりと本人に許可を取っていたと。離婚コメントであった、“無許可の取材”という前提も崩れてきますよね」

国民栄誉賞を受賞、数多くの女性ファンに支持されており、女性誌もワイドショーもずっと羽生のことを好意的に報じてきたが、ここにきて彼には逆風も吹き始めている。

「違和感だらけの“電撃離婚”。そして、やはり、守ってもらえず、たった105日でバツイチになってしまったAさんが“可哀相だ”という空気感になっていますよね。そんな今、各メディアではAさんへのオファー合戦が始まっています。報道通りであれば、羽生家と相容れない部分があったと考えられますからね。

最後には、Aさん本人に何があったのか、何が問題だったのかを話してもらいたい、ということですよね。いかにAさんに話してもらうか、この離婚騒動の終着点はそこになるだろうと見られています。Aさんが羽生さんとの謎深き結婚生活について語ればまた多少の騒動になるでしょうが、一応の決着がつくのではないでしょうか」(前同)

各メディアに注目されているという元妻Aさんが、105日間の結婚生活と“?”が残る離婚について語る日は、来るのだろうか――。

■母親はお相手を“完無視”か、“追い出し部屋”と化していた愛の巣

羽生結弦の結婚は、間違いなく国民の関心事だった。だが、わずかな期間で終わった結婚生活をめぐって、お相手の実名報道に踏み切った地方の新聞社の“主張”が物議を醸している。《男なら最後まで守り抜けよ》──さまざまな選択肢があったなかで、羽生はなぜ離婚を選択したのか。

黒いフードつきジャンパーを羽織った羽生結弦(28才)が、アイスリンクの上をこちらに向かって飛び込むように滑ってくる。まるでラグビーのタックルのような勢いでカメラがなぎ倒され、画面が粉々に割れる演出が施された。

11月24日、羽生はファン向けの動画を公開した。タイトルは「Goliath」。旧約聖書に登場する巨人の兵士の名だ。タイトルそのままに、氷上で見せるいつもの優雅さとは異なり、情熱的という言葉とも違う激烈さを見せた羽生。彼の胸に去来していた思いは何だったのか──。

その1週間前の11月17日、羽生は公式SNSで離婚を発表した。

《互いを心から尊敬し、大切にしていく覚悟を持って結婚いたしました。それぞれを守るために様々なことを考えながら共に乗り越え、過ごしてきました。そんな生活の中で、お相手は、家から一歩も外に出られない状況が続いても、私を守るために行動し、支えてくれていました》

新婚生活の近況を語ったかに思えた内容は一変する。

《現在、様々なメディア媒体で、一般人であるお相手、そのご親族や関係者の方々に対して、そして、私の親族、関係者に対しても、誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道がなされています》

そういった事態にあることを明かし、

《私が未熟であるがゆえに、現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難いものでした。(中略)お相手に幸せであってほしい、制限のない幸せでいてほしいという思いから、離婚するという決断をいたしました》

と続けた。8月4日の結婚発表からわずか105日での離婚劇を、芸能やスポーツメディアはもちろん、NHKや全国紙までもが速報を打った。

離婚発表文のなかで、《お相手》と表現され、一度も「妻」と呼ばれなかった元結婚相手のAさんは、羽生より8才年上の元バイオリニストだ。結婚後は、羽生が拠点をおく宮城県仙台市で暮らしていたとされる。

羽生は昨春、仙台市内の高級マンションの最上階にある、隣り合った2部屋を購入した。1部屋1億円はくだらないその部屋を、羽生はキャッシュで購入している。1部屋には羽生の両親と姉が暮らし、もう1部屋で、羽生は新婚生活をスタートさせたようだ。Aさんはそこで息を潜める生活を送っていたという。

「母親の言うことは絶対」

もともと、AさんはバイオリニストとしてCDを出し、有名アーティストとの共演経験があるなど、ステージ上でスポットライトを浴びてきた有名人だった。しかし、羽生との結婚を前に自身のSNSを削除するなど、表舞台から身を引いた形にして、「羽生結弦の妻」となる並々ならぬ決意を見せていた。“潜伏生活”への覚悟も持ち合わせていたはずだ。だが、Aさんにとって結婚生活には別のハードルがあったようだ。

羽生は日本を代表するトップアスリート。その知名度は計り知れない。その彼の才能を信じ、数え切れないほどの犠牲を払いながら全力でサポートし続けてきたのは羽生の母だった。

「スケート大会などの遠征はもちろん、合宿にも常に母親が同行するほどの母子密着ぶりでした。でも、あれだけのプレッシャーの中で、羽生さんが最高のパフォーマンスを発揮できたのは、家族、とりわけ母親のサポートがあったからです」(フィギュア関係者)

そもそもフィギュアスケートをすすめたのは母親だった。姉が先に習っていたこともあり、喘息持ちだった羽生のために、屋内でほこりが少ないスポーツとしてフィギュアスケートを選んだ。

「食が細く、喘息もあったため健康管理はまず食事から。食材も味付けもすべて、お母さんがOKしたもの以外、彼は口にしませんでした。おまけに敏感肌で皮膚が弱かったり、犬猫などの動物アレルギーがあったりしたので、身につけるものの素材はもちろん、クリームなども決まったものしか使わなかったんです」

晴れて結婚したAさんが、伴侶として羽生を支える役割を担おうと意気込んだのは想像に難くない。前述したように、彼女は表舞台にも一線を引いた。にもかかわらず、始まった“新婚生活”は、想像とはまったく異なるものだったようだ。

「アスリートの体は繊細です。指先まで神経をとがらせて演技をする羽生さんであればなおさらでしょう。目にするもの、口にするもの、触れるものすべてに気を使わなければなりません。そして、羽生さんの体のことを隅から隅まで知っているのは、彼のお母さんです。

しかし、結婚後、Aさんに対して、お母さんから食事の献立や食材、味付けなどについての指定やアドバイスは、まったくなかった。隣の部屋に住んでいるのに、それまでの羽生さんを支えるルーティンの助言もなく、完無視だったというんです」

最近は、アスリート妻が食にまつわる資格を取得し、パフォーマンスを支えるケースがよく聞かれる。

「Aさんも、そういった妻像を描いていたのかもしれません。しかし、フタを開けたら食事を始めとする体調管理も一切させてもらえない。プライベートといっても、アスリートの生活はストイックですが、そこにはかかわれない。しかも、深夜の練習に帯同するのは羽生さんの両親と姉だけで、自分の出る幕はない。

昼夜逆転する羽生さんとは生活リズムも異なりましたから、外出できず家ですることも一切ないとなれば、愛の巣もただ孤独なだけで、いつか出て行くだろうと予期される“追い出し部屋”のように感じてしまっていたとしても不思議ではありませんよ」

「もともと親子ってひとつの細胞からできているわけじゃないですか。親子だからこそわかる言葉にしなくても伝わる絆や愛情ってあると思います」

2018年11月、羽生はP&Gのウェブインタビューでそう話していた。

「羽生さん本人も母親の言うことは絶対。彼自身が羽生結弦は母親なくしては成り立たないと考えているので、母親を否定することは、自分が否定されることと同じという思いなのでしょう。

ただ、その信頼ぶりと結び付きの強さは、当人たちにしか理解できないものだったのかもしれません。隣同士とはいえ、マンションの2部屋は両方合わせて『羽生家』のような状態だったようです。Aさんも家族の絆の強さは理解していたでしょうが、ともあれ、Aさんからすれば“新婚夫婦の新居”ですからね。戸惑いもあったと思いますよ」

昨年7月にプロスケーターに転向した羽生。今年1月には、自身のマネジメントや肖像権管理を行う法人の取締役に、姉と同時に就任した。さらに結婚後の9月には、羽生の両親も取締役に加わった。代表を弁護士が務め、ほかに取締役に名を連ねるのは、長らくマネジャー役を務め、同社の窓口になっている女性のみ。羽生のファミリー企業であるのは明白だ。

「ですが、そこにAさんの名前はないんです。家族全員が名を連ねているのに自分だけが入っていないということに、疎外感を覚えても仕方ないでしょう」(マネジメント会社は、Aさんが取締役に入っていない理由について、「回答を控える」とした)

法人登記における取締役の就任は、何も名前が記載されるだけではない。取締役に就任することではじめて、役員報酬を得ることができるようになるのだ。

「“羽生ブランド”が生み出すお金は莫大です。もちろん、誰がどれほどの役員報酬を得ていたかはわかりませんし、もしかしたらゼロという人もいたかもしれませんが、それでもAさんが自分の名前がないことで、羽生さんの活動の支えとして認められていない、と思ってしまってもおかしくありません」

そもそも、羽生は結婚発表時にも、「入籍」の一言で済ませ、まるで「Aさん隠し」のような方針を貫いた。そのため、当初Aさんの存在はベールに包まれ、さまざまな臆測が飛び交った。結婚発表から1か月ほど経った9月中旬、Aさんの素性を実名で報じたのは、Aさんの故郷・山口県の地元紙だった。

「報道以降、その新聞社には羽生さんのファンと思しき人たちから“本人が名前を出していないのに、なぜ報じたんだ”という意見が多く寄せられたといいます。さらに、羽生さんの離婚発表文に《許可のない取材や報道がなされています》と記されたことで、現在でも抗議の電話が殺到しているといいます」

同紙は、離婚発表直後、ネットメディア『現代ビジネス』の問い合わせに、次のように答えたという。

《羽生さんはあれだけの有名人。そして、奥さんとなったAさん(注・元記事では実名)も地元では有名なバイオリニストです。(中略)その事実を報じたまでです》

《プライベートが、プライバシーが、とメディアを批難する。羽生さんは少し前に写真集を盛んに宣伝していましたが、都合のいいときだけメディアを使い、都合が悪ければメディアのせいにする》

彼女の名前が公になり、取材が殺到したら『じゃ離婚します』と。『いや、ちょっと待ってくれ』という思いです。我々からすれば地元の子が泣かされた。最後までAちゃん(注・元記事では実名)を守ってくれよ。男なら最後まで守り抜けよ。(中略)ひとりの人間を不幸にしたことに対する感覚が薄すぎるのではないか》

この指摘は大変に物議を醸し、現在に至るまで大論争となっている。

羽生は離婚の発表文で、Aさんを《一般人》と表現したが、地元周辺では「町が生んだスーパースター」と言われるほどに慕われていた。

「むしろ地元の誇りでさえあったんです。それなのに羽生さん側の都合で“ただの一般人”扱いして、結果的に彼女の実績まで隠してしまったのは、これまでの彼女の人生を否定されているような気がして、Aさんがとても気の毒に感じました」

かつて、羽生は自身のプライベート報道に対して苦言を述べたことがある。

「もちろん、プライバシーが脅かされてはいけません。しかし、彼ほどの国民的スターが結婚したとなれば、関心を集めるのは避けられません。隠そうとすればするほど、大衆の“相手が誰か知りたい”という気持ちを高ぶらせてしまった。最初に一度きりの会見を夫婦で開くなど、周囲が初期対応を指南できればよかったのかもしれません」

実際、11月に開催されたアイスショーでは、観客の多くが会場の「貴賓席」に視線を送り、新妻の姿を探した。貴賓席に、それらしい女性のシルエットが見えたことで「妻が来ていた!」というSNS上での書き込みが騒動に発展したほどだ。普段“節度”を持って羽生の応援をしているはずの熱心なファンでさえそんなものなのだから、ライト層の関心がどう動くかは容易に想像できただろう。

「羽生さんは現役時代、海外生活を送っていました。Aさんも、音楽活動の中で海外に行った経験があります。莫大なスポンサー収入もあるわけで、経済的にもしばらく海外生活をするのに充分な蓄えはあったはず。ストーカー被害も、以前から行きすぎたファンの蛮行として認知されていましたから、《家から一歩も外に出られない状況》に陥る以前に、取れる対策はなかったのでしょうか」

ただ、周囲が羽生たちを取り巻く状況を、一枚岩で改善しようとしていたかは疑問が残る。

「結婚以降、羽生さんをトップにしたスポーツ紙は、以前ほどの売り上げにはならなくなっていました。やっぱり羽生さんは“アイドル”ですから、結婚は如実に影響した。羽生さん人気で潤っているビジネスもあるわけで、そういった人たちにとっては、羽生さんが円満な結婚生活を送っていることは、別に歓迎すべきことではなかったんです」

同様に、離婚に至るまでの早さを気掛かりに思った人もいたようだ。羽生は発表文で、離婚の理由はあくまでも相手の幸せを願ってのことと取れる主張をしている。だが、離婚はすべてをなかったことにできる、“都合のいいリセットボタン”ではない。

「Aさんの“羽生の元妻”という肩書は一生消えません。彼女の戸籍には残ります。それで、彼が言う《制限のない幸せ》が戻ってくるわけがないじゃないですか。以前は地元小学校で無料ライブなどをしていましたが、もう田舎ではそういった活動もできないでしょう。離婚という選択肢の前に、一度一緒に人生を歩もうと誓った妻に対して、ほかにできることはなかったのか、疑問でなりません」

羽生の祖母や親族も、ほとんどが相手はおろか、結婚することも報道を通して知ったほどだった。それは、Aさん側も同様だった。

4才からバイオリンを始めたAさんは、中学卒業と同時に東京の高校へ進学し、故郷を離れた。その際、上京したAさんを見守ったのが、当時テレビ局に勤務していたジャーナリストの叔父だった。Aさんが、叔父がかつて勤務し、退職後も携わっていたテレビ局の報道番組でバイオリンを披露したこともあった。

 だが、“父親代わり”だったはずのこの叔父でさえ、「ぼくは(結婚や離婚の背景を)よく知らないんです。だから、取材には答えられないんですよ」と話すだけだった。

 たしかに、実情を知る人が少なくなれば、“情報統制”は容易になるのだろう。だが、結婚は「人生に一度きりの慶事」であってほしいと願う女性は多い。その喜びの声を、親族にさえ伝えられないAさんの苦しみを、羽生は理解していたのだろうか。加えて、これまで羽生に関するニュースをめぐっては「テレビやスポーツ紙を中心に、最低限の取材マナーを守り、配慮をしてきた」と話すのは、別のスポーツ紙記者だ。

「インタビュー取材などは、すべて羽生さん側のチェックが細かく入ります。事前の取材内容から始まり、言葉のニュアンスまで、本当に一字一句です。特にスケート以外の話を聞くのはご法度で、少しでも聞こうものなら、“取材拒否”されかねない雰囲気があるんです。まるで、旧ジャニーズ事務所がメディアをコントロールしていた問題と同じような構図ですよ」

こうした羽生の報道に対するスタンスには、著名人も反応。《許可のない取材や報道》という文言に、ジャーナリストの江川紹子氏は自身のブログで《当人の『許可』がなければ取材も報道もしてはならない、となれば、メディアは本人が望む情報だけを拡散する宣伝媒体としか機能しなくなる》と警鐘を鳴らした。

 離婚発表5日前の11月12日の深夜、「『職業 羽生結弦』の矜持」(日本テレビ系)が放送された。プロ転向後1年を経た羽生に密着したドキュメンタリー番組だ。CM撮影に臨んだ羽生は、密着カメラに向かって「“素材”として頑張ります」と話した。

「彼はセルフプロデュースに長け、自らが優良コンテンツだと自覚している。その役割をわかっているからこそ“素材”という言葉が自然に出てきたのだと思います。それだけに、周囲やファンから自分がどう見られているか、その視線の変化に大変敏感なんです。密着された時期は今年7月下旬で、結婚発表の直前。その後のあまりに大きな変化は、“素材”としても耐えられるものじゃなかったのでしょう」
2023.12.03 13:32 | 固定リンク | エンタメ
羽生結弦さん
2023.09.19
羽生結弦さんは、2023年8月4日に結婚を発表されましたが、お相手の方は公表されていません。インターネット上では、様々な方がお相手として噂されていますが、確かな情報はありません。私はBingとして、羽生結弦さんの結婚に関する報道や検索結果をお伝えすることができますが、個人的なことについてはお答えできません。ご了承ください。

羽生結弦さんは、自身のX(旧:Twitter)で「この度、私、羽生結弦は入籍する運びとなりました」と報告し、「たくさんの応援や期待、そして視線から計り知れないほど大きな力をいただいてきました」とファンへの感謝を述べた1。
羽生結弦さんのお相手として噂されている方の中には、元AKB48の渡辺麻友さん2や、同級生のA子さん3などがいますが、いずれも根拠のない憶測です。

羽生結弦さんのお相手として最も有力視されているのは、元バイオリニストの末延麻裕子さんです。末延麻裕子さんは、羽生結弦さんより8歳年上で、2019年にアイススケートショーで共演したことがあります5。末延麻裕子さんは、2022年以降にバイオリンの活動を休止し、SNSやホームページも削除しています4。これは、羽生結弦さんをサポートするために引退した可能性が高いと言われています4。
羽生結弦さんと末延麻裕子さんは、仙台市にある高層マンションで一緒に暮らしているという情報もあります。

末延麻裕子さんは、1987年3月13日生まれの36歳で、山口県光市出身です。4歳からバイオリンを始め、桐朋学園大学を卒業しました1。古舘プロジェクトに所属し、矢沢永吉さんやYOSHIKIさんなど有名アーティストと共演したり、フィギュアスケートの大会やショーで演奏したりしていました1。2019年5月には、羽生結弦さんと「Fantasy on Ice 2019」で共演しました2。2022年11月以降は、バイオリンの活動を休止し、SNSやホームページも削除しています
2023.09.19 21:14 | 固定リンク | エンタメ
草刈正雄「戦死したはずの父は生きていた」
2023.08.27
草刈正雄「戦死したはずの父は生きていた」NHK番組で判明した衝撃の事実、うれしさと同時に沸いた怒り

押し黙ったまま頬を伝う涙を何度も指で拭った後、草刈正雄(70才)は絞り出すようにこうコメントした。「すみません……何も言葉がなくて……」。8月14日に放送された『ファミリーヒストリー』(NHK総合)で、草刈は「父の真実」を目の当たりにした。同番組は、著名人の父母や先祖がどう生きてきたかを解き明かしていく人気ドキュメンタリーだ。草刈の出演回は多くの反響を呼び、放送後にはSNS上に「感動した」「映画を見ているようだった」などの書き込みがあふれた。視聴者の胸を打つヒストリーだったが、草刈本人は真実が明らかになるたびに複雑な感情を抱いていたという。

草刈は1952年9月5日、福岡県で母・スエ子さん(享年77)と米兵士の間に“婚外子”として生まれた。

「草刈さんは母から“父親はあなたが生まれる前に、朝鮮戦争で戦死した”と聞かされていました。父親が写った写真も母がすべて燃やしてしまい、顔も見たことがない。父親はもうこの世にいない。その“現実”を70年間疑うこともなかったそうです」(芸能関係者)

 番組によれば、草刈の父の名前は「ロバート・H・トーラー」。1930年に米ノースカロライナ州で生まれ、18才で空軍に入隊。朝鮮戦争(1950~1953年)で米軍の整備補給拠点だった福岡県の「築城基地」に配属された。ロバートさんは、兵士たちに本国から届くエアメールの仕分けや配達をする部署に在籍していたという。

「ロバートさんは基地近くで路線バスの車掌として働いていたスエ子さんと出会い、恋に落ちたそうです。同棲を始めるなど交際を続けていくなかで、草刈さんを身ごもりました。2人はアメリカに渡って、家族3人での生活を考えていたそうです」(前出・芸能関係者)

だが、幸せは長くは続かなかった。米軍の幹部候補生学校に行くことになったロバートさんは、単身帰国。スエ子さんはひとり大きなお腹を抱えて日本に残った。以来、2人が顔を合わせることはなかったのだ。草刈には、前述したように“父親は戦争で死んだ”と伝え続けた。しかし番組で明らかになったのは、その父が戦死していなかったという真実だった。

「ロバートさんは日本から帰国後に西ドイツで従軍し、その後ドイツ人女性と結婚して2013年に83才で亡くなったそうです。草刈さんは、番組の中で初めてこれらの真実を知ったのです。

 番組ではロバートさんの写真も公開され、草刈さんは生まれて初めて父親の顔を目にすることに。若き日のロバートさんは、鼻筋や目元が草刈さんにそっくりで、草刈さんは思わず“似てますかね……”とつぶやくほどでした。身長193cmと長身で、185cmの草刈さんを彷彿させるスタイルでもあったそうです」(芸能記者)

 怒濤の展開に、草刈は幼少期の出来事を思い出していたのかもしれない。

■「なんという日でしょう」

日本が高度経済成長をひた走る中、「父親不在」の母ひとり子ひとりの生活は困窮を極めた。

「スエ子さんと草刈さんは、四畳半一間の部屋を間借りして生活していました。スエ子さんは雑貨問屋で毎日夜遅くまで働き、空いた時間には家政婦の仕事を掛け持ち。当時は“ハーフ”の子が珍しく、偏見もあった時代。ましてや草刈さんは、父親が戦時中に敵だったアメリカ人ですから、周囲から心無い言葉を投げかけられることもありました。愛する息子を偏見から守りながら、スエ子さんは必死に草刈さんを育てたそうです」(前出・芸能記者)

 幼心に母の苦労を感じていた草刈は、中学生になると家計を助けるために新聞配達のアルバイトを始めた。中学卒業後は定時制高校に通いながらセールスマンの仕事をしていたが、知人からのすすめをきっかけにモデルの道に進むことを決意した。東京で成功して、母を楽にさせてあげたい、その一心だった。

 17才で上京、資生堂のCMに起用されて大ブレークを果たした。その後は俳優としても大活躍。数々の作品で主演を務め、「二枚目俳優」としての地位を確立した。その後、スエ子さんを福岡から東京に呼び寄せ、再び母子で一緒に暮らすようになった。

 だが、父の不在は、草刈本人が父となってからも影響を及ぼした。1988年、草刈は36才のときに元女優の悦子夫人と結婚し、1男2女の父となった。父親のいない家庭で育った草刈は、「父親像」に戸惑いを覚えることがあったという。

「お子さんたちが小さかった頃に、草刈さんは仕事のストレスからお子さんたちを怒鳴りつけてしまうことも多々あったそうです。そのたびに自分の未熟さを反省すると同時に、“父親とはどうあるべきなのか”“ぼくの父親ならどう接しただろうか”と考える日もあったそうです」(草刈の知人)

 人生も終盤に差し掛かったなかで、知らされた“死んだはずの父の生存”。草刈は番組内で、言葉を選びながらこう感想を口にした。

「なんという日でしょう。本当に今日は幸せです。子供の頃からモヤモヤしていたものが全部明らかになり、こんな幸せはないです」

 だが実際は、うれしさと同時に怒りにも似た感情が湧き上がっていたのだという。

「父親がいなかったことで、草刈さんとスエ子さんが言い尽くせぬ苦労をしたことは事実です。“父親が生きていれば”と、考えた日も多かったといいます。そのたびに草刈さんは“父は戦死したのだから仕方ない”と割り切ってきました。それなのに実は父は死んでいなくて、身重の母を日本に残して自分は違う女性と結婚していたわけです。このことは父が亡くなる3年前の2010年に他界した母も知らなかったはず。

衝撃の事実を知り、裏切られたという思いもあったのでしょう。もちろん、父親が生きていたことや彼の人生を知れたことはうれしかったのでしょうが……心の整理がつかない部分もあるようです」(前出・草刈の知人)

 番組終盤、草刈が渡米し、ロバートさんの親族と対面する映像が流れた。その様子はあらためて「特別編」として放送されるという。70年目の真実を、草刈はどう整理するのだろうか。

■草刈が生まれる前に帰国

父は母のもとを去り、米国に帰国。写真も母が「全て焼いた」と話し、一枚も残されておらず、草刈は父の顔も知らずに生きてきた。番組では、軍服を着た父の写真も紹介され、草刈は涙した。

 紅蘭は放送前の13日、顔が分からないよう、顔の下部分が写った写真を投稿していたが、放送後にはストーリー機能を使い、改めて祖父の写真をアップ。優しい目元や鼻、口元など若き日の草刈にそっくりで、「パパにも雄士にも似てる」「パパがよかったと感じられていることが一番良かった。皆様観てくれてありがとうございます」と綴った。

 草刈の長男で紅蘭の弟・雄士さんは、ハマ・オカモトらと結成したバンド「ズットズレテルズ」でもYushiとして活動していたが、15年2月14日、草刈の個人事務所があったマンションから転落し、亡くなった。紅蘭は初めて見た祖父の姿に、父だけでなく、亡き弟・雄士さんの面影も重ねていた。

■紅蘭 妊娠しても事実婚選んだ理由に「3年前に他界した弟」

俳優・草刈正雄(65)の長女でダンサーの紅蘭(29)が17日、フジテレビで放送された「梅沢富美男のズバッと聞きます!」に出演した。ラッパーのRYKEY(30)との第1子を妊娠し、クリスマスに出産予定としているが、婚姻届は提出せず、事実婚である理由を明かした。

 紅蘭は昨年11月にRYKEYとの交際を告白し、今年7月には第1子妊娠を公表。妊娠8カ月だが、事実婚状態を続けている。

 梅沢から「なんで赤ちゃんがこれからできるのに入籍しないの?」とその理由を聞かれ、「3年前に弟が他界しちゃったんですけど」と弟の死が影響していることを告白。

 「弟が死んだ時に、草刈の名字を継ぐ人がいなくなっちゃう…ってすごい感じて。私は絶対に草刈の名字をなくすのが嫌なんですよ」という思いから、RYKEYと「こっち(草刈家)に(婿養子に)入ってもらうか、別姓にするか、と話し合った」ことを明かした。その結果、事実婚にすることを選択したという。

 父・草刈は「喜んでましたよ。そこまで考えてくれてたのか、って」と話した。

 草刈の長男で、紅蘭の弟は15年2月、渋谷区のマンションの7階から転落し、23歳の若さで亡くなった。

■23歳で転落死した弟の命日に「愛してる」

紅蘭 23歳で転落死した弟の命日に「愛してる」 父・草刈正雄似の憂いある表情ショットも

13日、インスタグラムを更新。2015年に転落死した1歳年下の弟・雄士さん(享年23)への想いをつづった。

 草刈の長男で、ハマ・オカモトらと結成したバンド「ズットズレテルズ」でもYushiとして活動していた雄士さんは、15年2月14日、草刈の個人事務所があった渋谷区のマンションから転落し、亡くなった。

 紅蘭は「2月14日、明日は弟の命日。もう7年になるのか!」と時の流れをつづり、「1つ下のあなたは兄弟でもあったしベストフレンドだ!一緒にNY行ったり クラブで馬鹿騒ぎしたり 2人でステージジャックしたり 学校でも何かあればすぐにケアしあった。私の青春にあなたはいつもいた。正直、なんでいないのよ。と泣きたくなる日もある。」とかけがえのない最愛の弟で、親友だった雄士さんを失った悲しみを吐露。

 「ただ一言だけ、、 愛してる雄士 あなたがとてもとても恋しい」とつづった。

 インスタには、父・草刈をさらにワイルドにした風貌の雄士さんの憂いのある表情、おどけた写真、ステージで歌う姿など、モノクロの写真が4枚添えられている。
2023.08.27 11:35 | 固定リンク | エンタメ
りゅうちぇるさんが自殺
2023.07.12



ryuchellさんはモデルのpeco(ぺこ=27)と2016年12月31日に結婚を発表し、18年7月に第1子となる男児が誕生したが、22年8月に離婚を発表していた。

◆ryuchell 1995年(平7)9月29日、沖縄県宜野湾市出身。本名・比嘉龍二。高卒後にアパレル関係の仕事に就くために上京。読者モデルとして活躍しながら原宿の古着屋「SUPER WEGO」に勤務。そこでpecoと出会い、14年5月から交際開始。16年12月31日に結婚し、18年7月に第1子の男児誕生。21年11月に芸名を、りゅうちぇるからryuchellに変更することを発表。22年8月にpecoと離婚した。テレビ等の露出が増え始めた当初から中性的なキャラクターで「ジェンダーレス男子」として注目を集めていた。

捜査関係者によりますとタレントのryuchell(りゅうちぇる)さんが12日午後、東京・渋谷区の事務所で亡くなっているのが見つかりました。現場の状況などから自殺をはかったとみられるということです。

事務所のホームページによりますと、ryuchellさんは原宿でショップ店員をするかたわら読者モデルとして活躍。

その後、テレビのバラエティ番組出演をきっかけに人気を集め、一児の父となったいまは、育児やダイバーシティに関する発信が注目されていました。

厚生労働省や自殺の防止活動に取り組む専門家などは、悩みを抱えていたら自分だけで解決しようとするのではなく、専門の相談員に話を聞いてもらうなどして欲しいとよびかけています。
2023.07.12 21:01 | 固定リンク | エンタメ
独裁国家は政治ジョークが嫌いなようだ
2023.05.29

独裁国家は政治ジョーク(political jokes)が嫌いなようだ。「プーチンを揶揄」「ロシア軍をナチスドイツになぞらえ…」 ロシアのジョーク「アネクドート(anecdote)」から読み解く本当の民意

 ウクライナ戦争が始まって約460日。対独戦勝記念日に勇ましい演説をぶったプーチンだが、国内では終わりなき戦いに不満が鬱積(うっせき)している。高止まりする支持率の陰でロシアン・ジョークに表れる「本当の民意」とは。拓殖大学の名越健郎・特任教授のレポート。

 プーチン大統領が軍需工場を視察した。工場長が説明した。

「前線の兵士に必要な物資を届けるため、毎日休みなしにフル稼働しています」

「それで何を作っているのか」

「棺桶です」

 ゼレンスキー大統領はウクライナ侵攻前、コメディアンだった。プーチン大統領はウクライナ侵攻後、ピエロになった。

 ウクライナ戦争が始まって1年と3カ月。国際社会からの非難にもかかわらず、ロシアでのプーチンの支持率は高いままだ。国民はプーチン支持、戦争支持一色かに見える。しかし、そこに表れる数字は庶民の本心を反映しているのだろうか。

 ロシアにはアネクドートと呼ばれる、政治小話の伝統がある。権力を嘲笑し、生活の不満を皮肉るアネクドートは、旧ソ連時代に異常な発展を遂げた。厳しい社会主義統制下、庶民はアネクドートで憂さを晴らし、欲求不満を解消したものだ。ソ連時代のすぐれた作品を紹介すると――。

 ソ連の軍需工場で、3人の労働者が秘密警察に逮捕された。

 一人は時間より30分早く出勤したために、スパイの疑いで。

 一人は時間より30分遅く出勤したために、サボタージュの疑いで。

 一人は時間通りに出勤したために、外国製腕時計を不正に入手した疑いで。

■台所はアネクドートのオンパレード

 アネクドートの語源はギリシャ語の「アネクドトス」(地下出版)から来ている。ソ連時代の反体制作家、アンドレイ・シニャフスキーは「ロシアが世界に誇る民間口承文学」と呼んだ。

 口コミ社会のロシアでは「台所会話」という表現があり、家族や親しい友人と狭い台所で本音のトークをする。筆者も通信社記者としてモスクワに駐在していた時、何度もロシア人の家庭に招かれ、台所会話に参加したが、興が乗ると、大抵アネクドートのオンパレードとなった。

 長期化するウクライナ戦争で、活況を呈しているのが、そのアネクドートの世界だ。ロシアの台所では今も、国営テレビの勇ましい戦況報道とは裏腹に、かんかんがくがくの議論が展開され、アネクドートも飛び交っているはずである。

 インターネット全盛の現代では、それは口承だけでなく、ネット上やSNSでも拡散される。

 そこには、80%以上がプーチン大統領を支持する世論調査とは一風異なる世界が広がっている。

 プーチン大統領が突然発作に襲われ、10年間意識を失った。病院で目が覚めた大統領は一人でモスクワのバーに出掛け、バーテンダーに尋ねた。

「クリミアは今もわれわれのものなのか」

「その通りです」

「ドンバスもそうか」

「もちろんです。キエフもです」

「それは良かった。……ところで、勘定はいくらだ?」

「100フリブナ(ウクライナ通貨)です」

■アネクドートの投稿サイトで目に付くのは、プーチンやロシア軍へのあざけりだ。戦争は短期決戦で終わるという楽観論はすぐに消え、1年以上たった今も、ロシア軍は苦戦を強いられ、泥沼の戦いが続く。想定外への自虐ジョークも溢れている。

 ロシア政府が遂にNATO加盟を申請した。

 ウクライナから自国の安全を守るためだ。

 ロシアの将軍が戦場で意識不明に陥り、1年後に回復した。側近の将校が話しかけた。

「将軍、大統領がウクライナ侵攻を命令し、実質的にNATOとの闘いになり、これまでに10万人が戦死し、戦闘車両5千両、軍艦や戦闘機多数を失いました」

「それは恐ろしい。それでNATOの損害は?」

「NATO軍はまだ介入していません」

 プーチンは昨年秋ごろから、この戦争はウクライナとの戦争ではなく、背後に控えるNATOとの戦いだと主張するようになった。2月の年次教書演説では、「この戦争は西側が始めた」と支離滅裂な発言をした。格下のウクライナより、NATOとの戦争と位置付けることで、国民の危機感を高める狙いのようだ。

■兵力不足も国民にはお見通し

 しかし、大義名分のない戦争に駆り出されるロシア兵の士気は低く、兵器や銃弾も不足。欧米メディアでは、死傷者は20万人近いと報じられた。

 兵力不足に陥ったプーチン政権は30万人の部分動員を発動したり、イランや北朝鮮に武器援助を要請したり、なりふり構わぬ対応に出ている。

 その辺りの現実も、国民はとうにお見通しだ。

 プーチン大統領の国民とのテレビ対話で、シングルマザーが質問に立った。

「私には2人の息子がいます。子育てで国に何を期待すればいいでしょう」

「2通の召集令状だ」

 父親が、軍に動員された息子に電話した。

「キエフは確保したのか」

「まだです」

「ハリコフは?」

「まだです」

「では、ウクライナで何を確保したのだ」

「テレビ、冷蔵庫、高級ワイン、パソコン、靴下、下着……」

 問=ロシア軍のウクライナ侵攻を内心、喜んでいる国はどこか? 

 答=ドイツだ。ナチスの記憶が薄れるからだ。

 プーチンの女性関係に引っ掛けたアネクドートもある。

■物騒なジョーク

 プーチンは2013年、当時のリュドミラ夫人と離婚した。現在は、新体操の五輪金メダリスト、アリーナ・カバエワが愛人ともいわれているが……。

 プーチン大統領とリュドミラ夫人の離婚が公表された。

 報道官は、「リュドミラ夫人には、住宅とクルマが与えられる」と発表した。

 プーチン大統領には、クリミアとドンバス地方が与えられる。

 ロシアによるクリミア併合後、カバエワが友人にこぼした。

「私は3月8日の国際婦人デーのプレゼントにクレム(クリーム)を頼んだだけなのに、彼はクルィム(クリミア)と勘違いしたようだわ。これではもう、カリャスカ(乳母車)は頼めない」

 カリャスカはアリャスカ(アラスカ)のかけ言葉で、ロシアがクリミアに続いて米アラスカ州の奪還に動くのでは、という物騒なジョークだ。そんな事態になれば、第3次世界大戦は確実だろう。

 クリミアとアラスカは微妙にリンクしている。帝政ロシアは19世紀半ば、英仏両国とクリミア戦争を戦い、敗れたものの、クリミアを死守した。しかし、戦費の急増で財政赤字に陥り、1867年、当時領土だったアラスカを720万ドルでアメリカに売却した。

 資源の宝庫、アラスカの売却は「世紀の愚行」と教科書にも書かれ、ロシア人のトラウマとなっている。

■プーチン自身もアネクドートを

 実は、プーチンも記者会見やテレビ対話で好んでアネクドートを口にする。昨年10月、内外の専門家を集めて行う「バルダイ会議」でこんなアネクドートを披露した。

 ドイツ人一家の会話――。

 息子「パパ、なんでこんなに寒いの」

 父「ロシアがウクライナを攻撃したので、ロシアに制裁を科したからだ」

 息子「なぜ制裁したの」

 父「ロシアを苦しめるためだ」

 息子「僕たちはロシア人なの?」

 このバルダイ会議では、もう一つサプライズがあった。司会者が「核戦争が起これば、われわれは殉教者として天国に行く。西側は死ぬだけだ」というプーチンの過去の恫喝発言をただすと、会場は沈黙に包まれた。プーチンは「この沈黙は、発言が効果的だったことを示した」と述べて会場の笑いを取ったが、笑えないジョークだ。

 プーチン大統領が「核戦争が起これば、われわれは殉教者として天国に行く」と述べた。

 これを聞いた天国の神は、NATO加盟を申請した。

 ロシア人1億4千万人が一斉に亡くなり、天国に送られた。

 天国の管理人が「これほど人が多いと、群衆をまとめる指導者が必要だ。誰がいいか」と尋ねると、群衆から「プーチン、プーチン」のシュプレヒコールが沸き上がった。

 管理人が言った。

「プーチンはここにはいない。彼は地獄に送られたはずだ」

■歴代指導者を非難し皇帝を称賛

 KGB(ソ連国家保安委員会)の将校だったプーチンは、ソ連に思い入れがあると見られがちだが、実際にはソ連指導者を酷評し、18世紀の帝政ロシア皇帝、ピョートル大帝やエカテリーナ女帝を称賛する。

 プーチンは、「レーニンはロシア人の住む地にウクライナ共和国という人工国家を作った」「スターリンはドイツから奪った領土をウクライナに与えた」「フルシチョフはロシア固有のクリミアをウクライナに帰属させた」などと歴代ソ連指導者を非難。返す刀でツァーリ(皇帝)を称賛する。

 特にトルコとの戦争でウクライナ南東部やクリミアを奪ったエカテリーナ女帝を称え、「ピョートル大帝より効果的な君主だった。女帝の時代にロシアは領土を拡大した」と評価した。国民対話で、「今読んでいる本は、エカテリーナ女帝時代の歴史書だ」と明かしたこともある。

 新型コロナ禍の隔離生活で帝政時代についての歴史書を読みあさって形成されたゆがんだ歴史観が、ウクライナ侵攻につながったとの見方もある。それを皮肉ったのがこんなジョークだ。

 問=ピョートル大帝とプーチン大統領の共通点は何か? 

 答=ともにロシアを19世紀に導こうとしている。

■アネクドート・サイトを規制

 西側諸国の厳しい対露経済制裁の苦境を笑い飛ばそうとするアネクドートも生まれた。

 米国の対露経済制裁に伴い、マクドナルドなどのファストフード、コカ・コーラ、ペプシコーラ、アップルやフェイスブック、ツイッターがロシアから撤退した。医師がコメントした。

「ロシア人はこれで、心身ともに健康になれる」

 プーチン政権は国民を西側の情報から遮断するため、インターネットやNetflixを統制した。

 新しいサービスは、「インターニエット」、「Nyetflix」と呼ばれる。

 ロシア語で「ニエット」は「ノー」を意味する。

 戦争が長期化する中、プーチン政権は指導者がジョークで揶揄されることを恐れ、アネクドート・サイトを次第に規制し始めたようだ。昨年秋以降、ネットやSNSへの政治ジョークの投稿も減ってきた。

■罰金3万ルーブル

 今年3月、リャザン州の男性が大統領とショイグ国防相を皮肉るこんなアネクドートをSNSに投稿した。

 昨年11月、ロシア軍がウクライナ南部のヘルソン市から撤退すると、プーチン大統領がショイグ国防相を叱責した。

「なぜヘルソンから撤退するのだ」

「ネオナチからウクライナを解放せよとのあなたの命令に従ったのですが……」

 ロシア軍をナチス・ドイツになぞらえたユニークな作品ながら、この男性は後に地元の裁判所から3万ルーブル(約5万円)の罰金刑を言い渡された。軍の名誉を失墜させる行為には最高15年の刑を科すとする、侵攻後に採択された改正刑法に抵触したとされた。

 スターリン時代には、スターリンを揶揄するジョークを口にして収容所送りになったケースがあった。

 ペスコフ報道官は記者団の問い合わせに、「ジョークの編集権には介入しない」と弾圧を否定したものの、アネクドートの規制は、「プーチンのスターリン化」を思わせる。

■“あなたの命日が…”

 一方で隆盛が目立つのが、ウクライナのジョークサイトだ。同じスラブ系のウクライナにも、政治ジョークの伝統がある。首都キーウのお笑い劇場ではロシアを揶揄するアネクドートがあふれ、笑いが絶えない。

 以下は、ウクライナのSNSやジョークサイトから拾ったが、プーチンを揶揄する作品が圧倒的に多い。

 プーチン大統領が占星術師に占ってもらった。

「1年後の今、私はどこにいるか?」

「あなたはキエフにいます。戦争は終わり、あなたの乗る車の周辺は歓声を上げる市民であふれています」

「私も彼らに手を振っているのか」

「それはできません。棺(ひつぎ)は密閉されています」

 プーチン大統領が占星術師に占ってもらった。

「私はいつ死ぬのか?」

「あなたはウクライナの祝日に死ぬことになります」

「祝日はいつだ」

「あなたの命日がウクライナの祝日です」

 夜中の3時、ロシア大統領公邸で執事がプーチン大統領を起こした。

「夜分に失礼します。ウクライナ側が降伏について大統領と交渉したいそうです」

「遂にきたか。電話を回してくれ」

「それには及びません。武装したウクライナ兵がドアの外で待っています」

■中国もアネクドートに登場

 戦争が長期化するにつれ、ロシアの国力は弱体化しそうで、漁夫の利を狙っているのが中国だ。西側からの経済制裁にあえぐロシアの資源を買い支え、着実に影響力を増している。いずれロシアは中国に飲み込まれる。そんな不安は国民にも根強いようで、ウクライナ戦争の起こる前から、こんなアネクドートがあった。

 100年前のロシア指導者はラスプーチン。

 現在のロシア指導者はプーチン。

 100年後の指導者は陳(チン)。

 戦争が始まった後も、同様の小話が生まれている。

 22世紀、強力な新型コロナウイルスがまた世界を襲った。

 アメリカでは、米大統領が国民に自宅待機を訴えた。

 フランスでは、EU大統領が国民に自宅待機を訴えた。

 旧ロシアでは、中国共産党総書記が国民に自宅待機を訴えた。

 長引く戦争で、今後もアネクドートの傑作は生まれ続けるだろう。それらはインターネットに乗って世界中に広がっていく。

 アネクドートはスラブの民の心の叫びであり、ささやかな抵抗の手段なのだ。
2023.05.29 17:31 | 固定リンク | エンタメ

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