藤井の一手「王将戦」
2023.02.09


藤井の一手「人間には指せない」検討陣驚嘆 王将戦、1日目から激戦

 第72期ALSOK杯王将戦七番勝負第4局(毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社主催)は9日、挑戦者の羽生善治九段(52)が▲4五桂(51手目)と決断の一手で攻勢をかけ、1日目午前から激しい戦いに入った。羽生九段の▲7三角(61手目)に対し、藤井聡太王将(20)は57分の長考の末に△6一銀と守った。この手を見て、解説の佐々木大地七段は「人間には指せない一手」と驚嘆した。

 ▲7三角は▲6二歩成の攻めを狙った手で、通常であれば価値の高い銀を温存し、△6一歩と打つのが第一感だが、「▲2四歩△同歩▲同飛から攻める手順があり、羽生九段の攻めが続く」と佐々木七段。△6一銀は実はAI(人工知能)推奨の一手で、「先手に攻めさせて持ち駒を増やし、△6五歩などから反撃を狙っている。羽生九段もゆっくりできない」という油断ならない一手だという。

 立会の森内俊之九段は「先手が8八玉・7八金型なら、藤井王将に有効な攻め手がないので△6一銀は考えるが、7八玉・6八金型だと銀を使ってしまう手は浮かびづらい」と、“人間離れの一手”の見方に同調した。
2023.02.09 18:22 | 固定リンク | 囲碁将棋
ヒグマを日本刀で成敗
2023.02.09
「胃袋には膝から下の少年の左足が…」


「胃袋には膝から下の少年の左足が…」14歳の少年を惨殺したヒグマを日本刀で成敗したハンター…三毛別事件の20日前に発生した凄惨な人喰い熊事件の全貌

 歴史に埋もれた北海道のヒグマによる凶殺事件を掘り起こした話題騒然の書『神々の復讐』の著者・中山茂大氏が、かの三毛別事件直前に起きた惨劇をリポートする。

兄が聞いた弟の体が「ボキーン」と折れる音
 7名(一説に8名)が犠牲となった、日本史上最悪の獣害事件「苫前三毛別事件」。大正4年12月9日に発生し、14日に射殺されるまで女子供ばかりを喰い殺し、妊婦の腹を引き裂くなど、その凶暴さゆえに、いまだに語り継がれる事件である。

 しかしこの大惨事の、わずか20日前に、三毛別から60キロ南の浜益村山中で、一少年が巨大なヒグマに襲われ、頭部、左足などわずかな部位を残して完全に喰い尽くされるという陰惨な事件が起きていたことは、ほとんど知られていない。

 事件の経過を、当時の新聞記事、地元伝承などから追ってみよう。

 大正四年十一月十九日、浜益郡浜益村実田村の吉本六蔵(14)は、実兄の栄造とともに馬を引き、瀧川山道に薪拾いに行った。午後1時ころ、山中から巨大なヒグマが出現し、荷馬車に向かって突進してきたので、馬は狂奔して逃げ去ってしまった。ヒグマは逃げようとする六蔵に襲いかかった。

 この時の様子を、『はまますむかしばなし』(こだま会)は次のように語っている。

 「雪が降り始めたころ、清水峠へ馬そりで薪を取りに出かけた兄弟がいた。すると突然、熊が現れて馬に飛びかかってきた。驚いた馬は弟のほうを振り落として逃げてしまった。獲物を逃がした熊は弟に襲いかかった。弟は『あんちゃ、あんちゃ』と叫んだが、兄にはどうすることもできなかった。熊は弟の体を二つに折り、『ボキーン』という音がした。それきり弟は声をあげることもできず、熊は弟を担いで藪に隠れてしまった」

何百頭のヒグマを仕留めた名ハンター

 一方で『北海道夜話 石狩編』(木村司 昭和五十四年)では、兄の名は与助で、ネマガリタケを採取しに行ったことになっている。

 「どんよりした空模様で、今にも雪の降って来そうな天気であったが、今日で竹取りも終わると思い一生懸命竹取りを続けた。すると突然、『兄貴!! 』という六蔵の声がした。何事かと声のするほうに竹の根を分けて近づくと、そこには熊と六蔵がじっとにらみ合っている姿を見た。(中略)起き上がろうとする六蔵を黒い大きな手で一撃、たちまちそこに打ちのめされてしまった。気を失っている六蔵をこんどは、側にあったがんび(白樺)の大木にたたきつけた。もう六蔵は口から血をはいて動かなくなってしまった」

 兄の栄造は、一目散に集落に逃げ帰り、村人に急を知らせた。

 「マサカリ貸してくれ!」

 泣き叫ぶ栄造を、村人は必死に押しとどめ、名人として知られる天川恵三郎に、熊狩りを依頼した。

 天川は、『あいぬ人物伝』(村上久吉 昭和十七年)にも「熊取りの名人」として紹介されており、「その取った熊は何百頭にのぼるか、あまり沢山なので百二十頭までは覚えているが、その後は数が分らなくなってしまったという」ほどの猛者で、同時に人望の厚い人であったと伝えられる。

腹部を銃撃し日本刀で仕留めた
 部落の青年等60名あまりが清水峠に向かうと、40間ほど距たった竹藪の中に六蔵の遺体を発見した。

 「全身きれぎれになり、頭部、肋骨六本、両手、左足の一部残留しあるのみにて、その身体大部分は猛熊の餌になり」(『北海タイムス』大正四年十一月二十四日)という壮絶なものであった。そして遺骸の発見場所からわずか数間の笹藪に巨大なヒグマが寝ているのを発見した。

 「一同恐怖して前進をためらう中、天川恵三郎ほか六名は、猟銃の口を揃えて前進し、轟然響く三発の狙撃は見事に巨熊の腹部に命中したので、熊は猛然と憤怒の凄まじい勢いに立ちあがり、天川の顔面めがけて飛びかかろうとしたところを、恵三郎は「おのれ」と日本刀を引き抜き斬りつけ」(『北海タイムス』前掲)、難なく捕獲することができた。

 身長一丈一尺(約3.3メートル)、赤毛の稀有の巨大なヒグマであった。その腹を割いてみると、「被害者の肉骨いまだ消化せず、足部のごとき、膝より下部一尺(約30センチ)の長さ、骨とともに存在せり」(『北海タイムス』大正四年十一月二十八日)とのことで、見る者は、みな涙を流したという。
2023.02.09 13:00 | 固定リンク | 事件/事故

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