「知られざる天皇家の「闇」、ある「女官の手記」
2023.02.23


天皇家の「内側の奥深く」を生々しく描いた「女官の手記」、その「驚きの中身」をご存知ですか?

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「知られざる天皇家の「闇」、ある女官の手記

 2月23日は,天皇誕生日です。

 現在の皇室は、政府の,有識者会議が,安定的な皇位の継承について,議論を重ねるなど、さまざまな点において,注目を集めています。

見方によっては,皇室が岐路を迎えているとも,言えそうな現在は、天皇、そして皇室について、多くの人が,知識を深めていくのに,適した,タイミングなのかもしれません。

 一方で、皇室の「内側」で,起きたことについては、それが,たとえ歴史上の出来事であっても、知るのが,なかなか難しいのも事実です。世間とは,隔絶された人々の,生活のうえでの,細かなやりとりや、ちょっとした事件などが,記録に残りにくいのは,世の常というもの。

 しかし、なかには例外もあります。過去の,皇室の「内側」について、生々しく,証言した記録が存在しているのです。

 それが、山川三千子『女官, 明治宮中出仕の記』,です。

 著者の山川,(旧姓:久世)三千子は、1909,(明治42)年に,宮中に出仕し、明治天皇の妻である,皇后,美子=昭憲,皇太后、1849~1914)に仕えました。いわゆる,「皇后宮職」の女官です。正式な役職名は、権掌侍御雇。

 そんな山川が,つぶさに,御所の,内部の様子を振り返った,同書は、1960年に,実業之日本社から公刊され、世間に,衝撃を与えたとされます。

■皇后を,「天狗さん」と呼ぶ

 山川は、明治天皇や,昭憲皇太后の知られざる一面を、同書で描き出しています。

 たとえば、明治天皇は、周囲の人たちに,ニックネームをつけるのを好んだそうです。妻の,昭憲皇太后のことは,「天狗さん」と,呼んでいたといいます。

 〈……(明治天皇は「お上」と呼ばれる。なかなか,お茶目さんのところも,おありになって,皇后宮様の「天狗さん」を,始めとして、女官に,いちいちあだ名を,おつけになりましたのも、そのあらわれで面白うございます。

 どれも皆,ユーモアと,機知に富んでおりますが、小さい体を二ツ折りにして、ちょこちょこ歩いていた,柳内侍,(小池道子)の,「くくり猿」などは,第一の傑作で、今でも私の目前に,浮かんで来るようでございます。

 女官中で一番の美貌の持主だった、撫子内侍,(吉田かた子は「弁天」、またの名を,「ほおずき」とも,おつけになりました。これは生一本な性格で、お上の仰せでも,得心できぬ内は,「それはどういうわけでございますか」と,ばかり、かんかんに怒って,真っ赤になるところから...

 明治天皇が,つけた数々のあだ名についての,記述はさらにつづきます。

 山茶花内侍,(日野西薫子の,「にゃん」は、もののいい方が,甘えたようで,猫を思わせるところから。白萩権典侍,(今園文子の,「丁稚」,などに至っては、どうしてそんな言葉を,ご存じかと不思議に思いました。

 私の「雀」は、無口がお気に入ったというのですから、世話親の,早蕨典侍より,世話子の,私の方が大きいので、雀は子供の方が,大きく見えるところからでございましょうか。

 命婦〔みょうぶ〕の人にも、「青目玉」、それは目が少しくぼんで,いてぎろりとしていた人、「うど」は,色白の大柄ですが、ちょっと人のよすぎるような,感じがあったからでしょう。

 あだ名についての記述は、いっけん瑣末な,記録のようにも見えます。しかし、実際に,天皇や皇后に,仕えた女官による,こうした記述を読むと、おもに,歴史の教科書を通して,イメージしていた,明治天皇の姿が,これまでとは,少し違って見えてきます。

 また、現代ビジネスに,以前掲載された、放送大学教授で,日本政治思想史が専門の,原武史さんによる,「知られざる天皇家の,「闇」を,あぶり出した、ある女官の手記」と,いう記事によれば、同書には、天皇家の「闇」を,あぶり出した側面もあるそうです。

 ともかくも、同書が皇室について考えを深めるためのヒントを与えてくれることは間違いなさそうです。
2023.02.23 08:52 | 固定リンク | 皇室

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