ジェイン・バーキンさん死去(エルメス)
2023.07.18


ロンドン生まれのバーキンさんは、フランスの音楽家セルジュ・ゲンズブールさんと共に世界的な名声を得た(エルメス)

ジェイン・バーキンさん死去 「フランス象徴」する英出身の俳優で歌手

「フランス象徴」英出身の俳優で歌手歌手、そしてファッション・アイコンとして世界的に知られたジェイン・バーキンさんが16日、パリで亡くなった。76歳だった。

フランスのエマニュエル・マクロン大統領はバーキンさんを「フランスを象徴する存在」と呼び、「永遠に忘れられない音楽や映像を残してくれた」「完璧な芸術家」だとたたえた。エリザベット・ボルヌ仏首相は、バーキンさんが「世代を超越」した存在だったと振り返った。

イギリスの駐フランス大使、メナ・ローリングスさんはツイッターで、バーキンさんの死去を悲しみ、「最もフランス的なイギリスのアーティスト」と呼んでたたえた。

ロンドンで生まれ育ち、1970年代にフランスの映画や音楽でスターとなったバーキンさんは、フランスの音楽家セルジュ・ゲンズブールさんと公私にわたるパートナーとなり、ヒット曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」で世界的な名声を得た。この曲はその性的な歌詞から複数の国で放送禁止となり、ローマ教皇庁に非難されたものの、逆に2人の世界的知名度を上げる結果となった。

さらに、フランスの高級ファッションブランド、エルメスの当時のCEOとの偶然の出会いから、バーキンさんの名前を冠したバッグが作られ、今も世界的に有名なファッション・アイテムとなっている。

バーキンさんとゲンズブールさんは12年間の結婚生活が終わった後も、友人であり続け、ゲンズブールさんはバーキンさんに曲を提供し続けた。2人の娘、シャルロット・ゲンズブールさんも歌手と俳優として活躍している。

バーキンさんは「バビロンの妖精」、「いつわりの愛」など数々のヒット曲を発表。俳優としては、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望」(1966年)、アガサ・クリスティー原作の「ナイル殺人事件」(1978年)、同「地中海殺人事件」(1982年)などに出演した。

モデルとしても活躍したバーキンさんの名前を冠したエルメスの「バーキン」バッグは、1984年に製造開始となった。エールフランスのフライトでたまたま、当時のエルメスCEO、ジャン=ルイ・デュマさんと隣り合わせの席になったバーキンさんが、持っていたバッグの中身をこぼしてしまったのがきっかけだったという。

女性用の大きいバッグ、特に母親用の大きいバッグが見つからないのだとバーキンさんが不満を漏らすと、デュマCEOは「すぐさま、アスティカージュによる縁仕上げのフラップとサドルステッチが施された、しなやかで収納力があり長方形のフォルムの特別なバッグをスケッチしたのです。しかもそのバッグには、哺乳瓶のためのスペースもきちんと用意されていました」と、エルメスは自社サイトで説明している。

こうして誕生した「バーキン」は今や、ものによっては数百万円から数千万円の値段が付き、手に入るまでに何カ月あるいは何年も待たなくてはならないアイテムとなっている。

バーキンさん自身は2006年に英紙ガーディアンに対して、「大好きだけど、あまりになんでも詰め込んでどこにでも持っていくので、腱鞘炎(けんしょうえん)の一因になっていると思う」と話していた。

バーキンさんは様々な社会的課題のために活動を続け、2015年には動物愛護の観点から、ワニ革のバッグから自分の名前を外すようエルメスに求めるなどした。

バーキンさんは約60年の俳優人生で約70本の映画に出演した

バーキンさんは1990年代後半、白血病の治療を受けた。2021年9月には、脳卒中のためアメリカの映画祭出演を中止したと報道されていた。

2023.07.18 12:46 | 固定リンク | 訃報
扇千景さん死去「元参議院議長」
2023.03.13


扇千景さん 死去 中村鴈治郎さん、中村扇雀さん 2人の息子が追悼「母らしく、最期まで気丈な姿でした」 元女優・元参議院議長

【 中村鴈治郎さん コメント 】

母らしく、最期まで気丈な姿でした。
かつては女優もしておりましたが議員生活が長かったので、息子ながら、母親というよりも議員としての顔を強く感じていました。
また、議員を引退してからは父の面倒をずっと見ており、父にかかりっきりでしたが、父が亡くなってからのこの2年以上は母ひとりでしたので、一緒に食事をするなど同じ時間を過ごすことも増えてきました。そんな折に、母親だと改めて実感したものです。
最期は私たちの母として、苦しまず、穏やかに旅立っていきました。
今頃は大好きな父のもとにいて、きっと喜んでいると思います。

皆さまには、生前賜りましたご厚情に深く御礼申し上げると共に、どうぞ私どもにも変わらぬご指導、ご鞭撻をいただけますようお願い申し上げます。

中村鴈治郎

【 中村扇雀さん コメント 】

この度、母が 89 歳で身罷りました。入院して一ヶ月ほどでしたのでスッと安らかに永眠いたしました。
悔いのない人生であったと思います。銀行員の娘として生を受け宝塚の生徒として舞台を踏み、映画で父と知り合い兄と私を産み女優から参議院議員に転身し参議院議長まで務め上げ、歌舞伎俳優である父の 231 年振りに復活した坂田藤十郎襲名を支え内容の濃い人生だったと思います。
私は母に似ていると言われることが多く血液型も同じで性格も似ていたと思います。親子として共に過ごす時間は少なかったのですが多くのことを教えられました。
今は母の子であったことをただただ感謝しています。

改めて生前賜りましたご厚情に対し、厚くお礼申し上げますと共に今後私ども遺族に、変わりなきご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

中村扇雀

扇千景さんは1954年に宝塚歌劇団に入団し、同年映画「怪傑鷹」でデビュー。東宝専属となり「琴の爪」「ちゃっきり金太」などに出演。1973年から4年間、ワイドショー番組の司会をつとめました。
その後、1977年7月参議院議員に初当選し、建設大臣、国土庁長官、国土交通大臣などを歴任。参議院議長もつとめました。

2003年には旭日大綬章、2010年には桐花大綬章を受章しています。
2023.03.13 21:05 | 固定リンク | 訃報
「数学の大家」佐藤幹夫氏死去(94歳)
2023.01.16

数学の大家、佐藤幹夫さん死去 94歳 「佐藤超関数」など理論示す

 「数学の大家」として知られ、関数を極限まで一般化した「佐藤超関数」などの理論を示した京都大名誉教授の佐藤幹夫(さとう・みきお)さんが9日、老衰のため死去した。94歳だった。葬儀は近親者で営まれた。喪主は長男信夫さん。

 1928年、東京に生まれた。東京大卒業後、大阪大教授、東京大教授、京大数理解析研究所教授、同所長などを歴任した。

 ノーベル物理学賞を受けた朝永振一郎に学んだが、数学の道を選んだ。「佐藤超関数」のほか、微分・積分などの解析をきっちりと代数的に調べる「代数解析学」、特殊な波の物理方程式の解析などを開拓し、数学や物理学に大きな影響を与えた。

 69年度朝日賞、76年日本学士院賞、84年文化功労者、97年ショック賞。2003年には、ウルフ賞を受けた。
2023.01.16 19:54 | 固定リンク | 訃報
高見知佳さんが死去
2022.12.21

タレントの高見知佳さんが死去、60歳…がんで入院中

 歌手や女優などとして活躍したタレントの高見知佳(たかみ・ちか、本名・高橋房代=たかはし・ふさよ)さんが21日、愛媛県新居浜市内の病院で死去した。60歳だった。関係者によると、がんが見つかり、入院していたという。高見さんは新居浜市出身で、1978年に芸能界デビュー。2018年に新居浜市に戻り、今年7月の参院選愛媛選挙区に無所属(立憲民主党推薦)で立候補し、落選していた。
2022.12.21 19:06 | 固定リンク | 訃報
あき竹城さん、75歳大腸がんで死去
2022.12.21

あき竹城さん、75歳大腸がんで死去…2年前から闘病も「元気なあき竹城でご挨拶したい」と本人希望で公表せず

 山形弁の語り口で親しまれた女優のあき竹城(あき・たけじょう、本名・竹田明子=たけだ・あきこ)さんが15日、死去した。75歳だった。所属事務所が20日、発表した。約2年前に大腸がんを患い闘病中だったが、本人の希望を尊重し、公表せずに治療を続けていた。通夜、葬儀は、すでに近親者のみで執り行った。お別れ会の開催予定はない。

 山形弁の明るいキャラクターで知られるあきさんが、ひっそりと逝った。

 所属事務所によると、あきさんは約2年前から大腸がんを患い闘病中だったが、「元気なあき竹城でご挨拶(あいさつ)したい」という本人の希望を尊重し、公表せずに治療を続けていた。今年の秋頃になって病状が悪化したという。

 同事務所は「応援してくださった皆様、お世話になった関係者の皆様に、このようなご報告を差し上げることは大変残念でなりませんが、本人は全ての皆様へ感謝の気持ちでいっぱいです。誠にありがとうございました」とコメントした。

 あきさんは高校中退後、姉に誘われ、大阪のクラブで初舞台を踏んだ。フロアダンサーとして各地で踊った後、74年に日劇ミュージックホールに初出演した。

 親しみやすい山形弁を舞台で使ったことがウケて人気者になりコメディエンヌとして活躍の場を広げた。76年に東京12チャンネル(現テレビ東京)「独占!男の時間」(山城新伍司会)でテレビ初出演。同年「河内のオッサンの唄 よう来たのワレ」(川谷拓三主演)で映画にも初出演。77年には映画「トラック野郎・度胸一番星」で婦人警官役を演じ、トップレス姿も披露した。

 1983年、今村昌平監督の映画「楢山節考」で主人公の妻役を演じたことが転機に。高い演技力が認められ、女優としての地位を確立した。その後は映画「男はつらいよ」シリーズや「夜叉」「マルタイの女」、テレビドラマ「裸の大将」シリーズなどに出演。ユーモラスで親しみやすい役柄からシリアスな人物まで演じ、名脇役として作品に花を添えた。

 近年は女優業にとどまらず、バラエティー番組にも多く出演。TBS系「炎の体育会TV」、日本テレビ系「秘密のケンミンSHOW」などで活躍したが、2020年秋以降はコロナ禍の影響もあってレギュラー番組を降板していた。

 ◆あき 竹城(あき・たけじょう、本名・竹田明子=たけだ・あきこ)1947年4月4日、山形県生まれ。米沢の女子高を中退後、フロアダンサーとして働く。主な出演作にNHK連続テレビ小説「春よ、来い」「私の青空」「どんど晴れ」、NHK大河「八代将軍吉宗」「天地人」、舞台「雪まろげ」「ねぶたの女」など。日本テレビ系「家なき子2」では、主人公をいじめる家政婦を憎らしげに演じた。
2022.12.21 10:58 | 固定リンク | 訃報

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