札幌ススキノ「首狩り族・逮捕」
2023.07.24
■速報 ススキノのホテルで頭部ない男性殺人、札幌市の29歳の女と医師の父親を逮捕…捜査本部が会見、父娘で死体遺棄などの疑い
札幌市の繁華街ススキノのホテルで、62歳の男性が殺害され、2日午後、首を切断された状態で見つかった事件で、捜査本部は24日午前、札幌市の29歳の女と、医師の父親の2人を死体遺棄などの疑いで逮捕しました。
死体損壊、死体領得、死体遺棄の疑いで逮捕されたのは、札幌市厚別区の職業不詳、田村瑠奈(るな)容疑者29歳と、同居する父親で、医師の田村修(おさむ)容疑者59歳の2人です。
2人は共謀し、1日深夜から2日未明にかけて、札幌市のススキノにあるホテル2階の客室の浴室で、刃物のような凶器で恵庭市の62歳の会社員の男性の首を切断した上、頭部を持ち去るなどした疑いが持たれています。
捜査本部によりますと、現場のホテル客室に男性と一緒に入ったのは、田村瑠奈容疑者で、父親の修容疑者は入っていないとみられています。
田村瑠奈容疑者は、父親の修容疑者、それに母親と3人暮らしで、捜査本部は、24日朝から札幌市厚別区の自宅に家宅捜索に入りました。
現場から無くなった男性の頭部、所持品、凶器などは捜索中としています。
事件は2日午後、札幌市のススキノのホテル2階の客室の浴室で、頭部がない全裸状態の男性の遺体が見つかり、発覚。
男性は司法解剖の結果、体に刃物で刺された致命傷があり、死因は出血性ショック、殺害された後に首を切断されていました。
捜査本部によりますと、遺体発見の前日、男性と同行する人物が2人で現場の客室に入った後、入室時とは違う服装の人物が1人でホテルを出て、大きなスーツケースを引きながら歩く姿などが防犯カメラで確認されていました。
その後、捜査本部は、防犯カメラの映像、男性の交友関係などから2人を割り出し、24日午前、死体遺棄などの疑いで逮捕しました。
捜査本部は、2人の逮捕容疑についての認否を明らかにせず、引き続き男性を殺害した疑いでも調べをすすめています。
■札幌ホテル首切断遺体 29歳の女とその父親を逮捕 死体遺棄などの疑い
札幌市すすきののホテルで今月2日、首が切断された男性の遺体が見つかった事件で警察は札幌市厚別区に住む29歳の女とその父親を死体遺棄などの疑いで逮捕しました。
死体遺棄などの疑いで逮捕されたのは札幌市厚別区の田村瑠奈容疑者29歳と父親で医師の田村修容疑者59歳です。
田村瑠奈容疑者らは、今月1日深夜から2日未明にかけ札幌市中央区すすきのにあるホテル客室の浴室で恵庭市に住む62歳の男性の首を切断し頭部を持ち去った疑いが持たれています。
男性の遺体は首が切断された状態で発見され体には致命傷とみられる刺し傷がありました。
警察は、男性と2人でホテルに入った人物が男性を殺害したとみて捜査を進めていて、防犯カメラの映像などから若い女であるとの見方を強めていました。
■20代女と父親の医師、死体遺棄容疑などで逮捕 札幌の切断遺体事件
札幌市の繁華街・すすきののホテルの一室で2日、頭部を切断された北海道内の男性(62)の遺体が見つかった事件で、道警は24日、いずれも札幌市厚別区南2丁目、職業不詳の田村瑠奈容疑者(29)、父親で医師の修容疑者(59)を死体損壊、死体領得、死体遺棄の疑いで逮捕し、発表した。両容疑者の認否は明らかにしていない。道警は、瑠奈容疑者と被害男性は知人とみている。
道警によると、両容疑者は共謀し、7月1日深夜から2日未明にかけ、札幌市中央区のホテルで、被害男性の首を刃物のようなもので切断し、頭部を不詳の場所まで運んだ疑いがある。
捜査関係者によると、男性の致命傷は体への刺し傷で、死後に首を切断されたとみられる。抵抗した際にできる傷がなく、室内は争った形跡がなかった。室内には男性の頭部がなく、衣服や携帯電話、財布など所持品がまったく残っていなかった。
男性は1日午後10時50分ごろ、小柄な人物と2人でホテルに入る姿が防犯カメラに映っていた。約3時間後の2日午前2時ごろ、フロントに「先に出る」と女性のような声で連絡があり、同行者が1人で出ていった。同行者はホテルに入る際、白っぽい服装をして大型のスーツケースを引いていた。ホテルを出る際は、上下黒っぽい服に着替え、リュックのようなものを背負い、同じスーツケースを持っていた。
首狩り犯人は「女装のオカマ」
2023.07.07
■遺体は"うずくまった状態"で発見 犯人は「女装のオカマ」か
一緒にいた人物の性別は…「女装のオカマ」か 犯人は未だに行方分からず 事件の背景に「2つの謎」 ススキノ殺人事件
衝撃的な事件の背景には何があったのでしょうか。
札幌市ススキノのホテルで首を切断された男性の遺体が見つかった事件で、遺体は浴室でうずくまった状態で見つかったことが新たに分かりました。
札幌市の歓楽街、ススキノで7月2日、ホテルの部屋の浴室で首が切断された遺体が見つかりました。
遺体は浴室でうずくまった状態で見つかり、身元は恵庭市の62歳の会社員の男性と確認されました。
現場に男性の身元につながる遺留品は一切、残されていませんでしたが、身元発覚のきっかけは男性の妻が出した行方不明届けでした。
客室内に争った形跡はなく、男性は浴室で抵抗する間もなく、いきなり刺された可能性もあります。
ホテルの防犯カメラには、男性と一緒に部屋に入りその後、1人で立ち去った人物が映っていました。
男性が巻き込まれた衝撃的な事件に職場の元同僚も困惑を隠せません。
元同僚:「全然信じられないです、私たちもね。普通の人さ。人に嫌われたり、恨まれるとかしない」
男性の死因は出血性ショックで体の一部には致命傷となる刃物のようなもので刺された傷がありました。
男性の体に身を守る時にできる傷はありませんでした。
警察の調べで自宅にあった男性の指紋が一致したということです。
犯罪心理の専門家は現場の状況から、今回の事件は周到に準備されたものだとみています。
犯罪心理に詳しい品田 一郎 さん:「殺人は計画的なものではないか。短時間で行われ、衣類も持ち去ってる、ススキノという歓楽街のホテルで、最初から殺害計画を立てていたので、別の服を持っていた可能性もあるし、血痕が自分の衣類に付いたから着替えたということもあり得る」
室内に男性の頭部や所持品はなく警察はこの人物が持ち去ったとみて殺人死体遺棄事件として捜査しています。
頭部を持ち去ったとみられる人物の行方も分かっておらず、2人の接点も分かっていません。
遺体で発見された男性は、ホテルの浴室で頭がない状態で発見されたんですが、その時、"うずくまった状態"で発見されたということが新たに分かりました。
死因は出血性ショック。首が切断されたこと以外に、体に致命傷となる刺し傷があり、抵抗した時にできる傷、防御創がなかったということです。
男性は家族に行き先を告げずに自宅を出ていて、車で札幌まで移動していたということです。
7月3日の夜に、妻が警察に行方不明届を提出し、自宅で採取された指紋と、遺体の指紋が一致したため、身元が確認されました。
行方が分からなくなっている、男性と一緒にいた人物について、これまでに分かっていることは、体格は小柄で、女性のような服装でした。
入室時と退出時で違う服装で、つばが大きい帽子を目深にかぶっていたということです。
黒っぽい大型のスーツケースを持っていたということなんです。
犯罪心理に詳しい品田一郎さんはこの事件について、2つの疑問があると指摘します。
まずは、なぜ頭部を持ち去ったのかという点については、遺体を切断する事例の9割が「証拠隠滅」を目的にしたものだということです。
さらに、愛憎のもつれ、という可能性もあるといいます。
もう1つの疑問が、加害者の性別です。
防犯カメラの映像では「女性」のようにも見えていたんですが、男性がカモフラージュをしていた可能性もあるということで、ますます、不可解な事件となっています。
■知り合いの相手と入室
札幌市の歓楽街、ススキノのホテルで首を切断された男性の遺体が見つかった事件。
男性は事件前、イベントに1人で参加後、別の人物とホテル周辺で待ち合わせをしていた可能性があることがわかりました。
カラフルなライトが交差するフロアで、軽快なリズムに乗り体を揺らす男女。
7月1日の夜、札幌市ススキノ近くで行われたイベントの映像です。
ススキノのホテルで、恵庭市の62歳の男性が殺害され、首を切断された事件。
関係者によりますと、事件前、男性は1人でススキノのホテルの近くで行われたイベントに参加。
別の人物とホテル周辺で待ち合わせをし、その後、事件に巻き込まれました。
男性の体の一部には、刃物のようなもので刺された傷があったということで、これが致命傷となりました。
浴室内には争った形跡や男性の体に身を守る時にできる傷はなく、うずくまった状態で見つかりました。
また、室内には男性の頭部や車の鍵などの所持品や衣服は残されていませんでした。
関係者によりますと、男性と一緒にいた人物は小柄な体格で、女性のような衣服を身に着けていました。
つばが大きい帽子を目深にかぶり、部屋を出る時には服装を変えていたということです。
また、大型の黒っぽいスーツケースを持っていました。
男性と一緒にいた人物は、ホテルに入ってから約3時間後の2日午前2時すぎに「先に出る」とフロントに伝え、1人で退室し、立ち去ったとみられています。
■犯人は「女性、医療関係者」の可能性
札幌の首切断事件、精神科医「古代から『戦利品』極端なサディズムの傾向」
札幌市中央区のホテルで首が切断された男性の遺体が見つかった事件で、男性の車が区内の有料駐車場で発見された。車は施錠されていたが、鍵が見つかっておらず、札幌・中央署捜査本部は、男性と一緒に入室した人物が持ち去った可能性があるとみて調べている。
男性は北海道恵庭市の会社員、浦仁志さん(62)。1日に家族と顔を合わせた後、行き先を告げずに車で自宅から札幌へ移動。同行した人物とはホテルの近くで待ち合わせをしていたという。
遺体には抵抗した際にできる防御創がなかった。死因は刺し傷による出血性ショックで、ほかにも傷があった。
首を切って持ち去った動機について、ヒガノクリニック院長で精神科医の日向野春総氏は「首は古代から『勝利の象徴』『戦利品』という意味があり、切断は『その人間の存在を消す』という意味になる。金銭や恋愛などの強い怨恨で殺害するよりも異なるレベルの行動だ。極端なサディズムの傾向もある」と話す。
2人は1日午後10時50分ごろ一緒に入室し、2日午前2時ごろに同行者が1人で退出する姿がホテルの防犯カメラに写っていた。男性はこの間に殺害されたとみられる。
約3時間という短時間の凶行だが、日向野氏は「高齢ならば1時間程度で失血死することもある。医療関係者らプロならメス1本でも人体を切断できる。殺害後は心理的に通常以上の力が出ることもあり、仮に加害者が女性でも、男性の遺体を浴室に運んで首を切断することは可能ではないか」との見方を示した。
■ディスコイベント参加か
被害男性、ホテル入室直前までディスコイベント参加か その後、防犯カメラに映った別の人物と2人で入室
近くで開かれたディスコイベントに1人で参加していたとみられることが、関係者への取材で分かった。札幌・中央署捜査本部は、その後一緒に入室した人物と合流し、殺害されたとみて、詳しい足取りを調べている。
男性は北海道恵庭市の会社員、浦仁志さん(62)で、1日午後、車で自宅から札幌へ向かった。関係者によると、イベントが開かれたのは現場から約250メートルのホールで、時間は午後4時から10時ごろまでだった。
ホテルの防犯カメラには、男性が午後10時50分ごろに別の人物と2人で入室し、2日午前2時ごろにはこの人物がスーツケースを引いて1人で退出する様子が写っていた。
潜水艇タイタン事故「潜水艇の耐圧室が大破」全員死亡
2023.06.23
潜水艇「タイタン」の破片発見 乗組員5人全員死亡か 「潜水艇の耐圧室が大破」
大西洋で消息を絶った潜水艇「タイタン」を捜索していたアメリカ沿岸警備隊が先ほど記者会見し、乗員5人全員が亡くなったとみられると明らかにしました。
22日の捜索で沈没した「タイタニック号」の近くで一面に散らばっている破片を発見しましたが、消息を絶った潜水艇が大破したことによる破片と判断し、遺族に弔意を伝えたとしています。
また、潜水艇の運営会社「オーシャンゲート」社も先ほど、「乗員5人が亡くなったと考えている」とのコメントを発表しました。
■米沿岸警備隊のジョン・マウガー氏は22日の記者会見で、見つかった「タイタン」の破片について報告した=ロイター
米沿岸警備隊は22日、1912年に沈没した英豪華客船タイタニック号の残骸を見学する観光ツアーで行方不明となっていた米潜水艇「タイタン」について、海底で破片を発見したと発表した。潜水艇は「壊滅的な破壊」に見舞われ、乗船していた5人の生存は絶望的だという。
米沿岸警備隊幹部のジョン・マウガー氏は同日の記者会見で、タイタンの破片はタイタニック号の残骸から1600フィート(約488メートル)の地点で発見されたと語った。潜水艇の後ろの部分など大きな破片を5つみつけたという。深海の水圧によって壊滅的に破壊されたとみられる。
索活動を通じて3日以上にわたり水中での聴音を続けたが、その間に大きな爆発音のようなものは感知しなかったという。破片の回収や事故原因の分析は今後も続ける。マウガー氏は、乗組員の遺体を回収できる見通しは立っていないとコメントした。
潜水艇の運営会社オーシャンゲートは22日、乗組員5人が死亡したようだと明らかにした。同社は声明文で「彼らは確固たる冒険精神と世界の海洋を探検し保護することへの深い情熱を共有する真の探検家だった。この悲劇のなかで、私たちの心はこの5人の魂とその家族全員とともにある」と記した。
潜水艇にはオーシャンゲート創業者で最高経営責任者(CEO)のストックトン・ラッシュ氏やフランスの探査専門家ポールアンリ・ナルジョレ氏、英富豪のハミッシュ・ハーディング氏、パキスタン出身で英国籍の実業家シャーザダ・ダウード氏とその息子の計5人が乗っていたとされる。
つい先ほどアメリカの沿岸警備隊は、北大西洋に沈没した豪華客船、「タイタニック号」の近くで今月18日から消息不明になっていた潜水艇の一部を発見したと発表しました。乗っていた5人は全員死亡したとみられています。中継です。
潜水艇「タイタン」が消息を絶ってから丸4日、乗っていた5人の生還はかないませんでした。
捜索を指揮してきた沿岸警備隊の幹部は、見つかった破片の状況などから海中で「大惨事が起きた」と語りました。
「タイタニック号」の残骸を探索する潜水艇「タイタン」は、アメリカのマサチューセッツ州から東におよそ1500キロ離れた北大西洋で18日から消息不明になっていました。
捜索を続けてきた沿岸警備隊は、つい先ほど会見を開き、22日の捜索で、無人探査機が「タイタニック号」の残骸からおよそ500メートル離れた地点で破片を発見し「タイタン」の一部と断定したと発表しました。
米沿岸警備隊「破片は(潜水艇の)耐圧室が大破したものと一致している」
「タイタン」には、イギリスの富豪やフランスの探検家ら5人が乗っていましたが、全員が亡くなったとみられています。
沿岸警備隊は、現場の状況などから本格的な捜索が始まる前にすでに潜水艇が大破していたとの認識を示しました。
■去年もツアー中にトラブルが…書類には“命を失うリスク” 「タイタニック号」探索潜水艇
「タイタニック号」の残骸を探索する潜水艇が、消息不明になって約4日が経過しました。時間との戦いとなっていたその捜索は、日本時間22日午後8時にタイムリミットを迎え、酸素はもう残っていないという見方も出ています。
メキシコ人のあるユーチューバーは去年、「タイタニック号」の残骸を見るツアーに参加していました。そして、この時もトラブルが起きていたのです。今回のツアーでも同様のトラブルが起きたのでしょうか?
首なし死体の謎?
2023.06.20
閲覧注意…祭りに浮かれた村人らが阿鼻叫喚となった最悪の「人喰いヒグマ事件」
1■不気味な首なし死体
史上最悪の人喰いヒグマによる「三毛別事件」発生から107年が経った。歴史に埋もれた北海道のヒグマ事件をたどる。数々の事件の中でも「三毛別」とならぶ衝撃を受けたものがある。
その「三毛別事件」から7年半後の大正12年5月、三毛別のある苫前村から40キロ西の温根別村で「首なし死体」が発見された。
「上川郡温根別模範林及び北線方面では、去月下旬より巨熊が出没し付近農家を驚かす等危険甚だしく、(中略)同地、石川信治(四三)は二日午前七時頃、三番山に行ったまま三日朝に至るも帰宅しないため、付近に住む大平善一、矢野利作の両名現場に赴くと、信治は自宅を距たる約二百間の箇所で、見るも無惨な有様で咬み殺され、雪中には血痕点々とし、膝蓋骨の一部露出している騒ぎに一同驚き、(中略)駐在巡査に報じて発掘検屍すると、わずかに胴を残すのみにて、内臓全部を喰い尽くされ、あたかも蝉の空殻のごとく惨状目も当てられず(『北海タイムス』大正十二年五月六日)
事件の一報は上記の通りであったが、実際にはさらに凄惨なものだったらしい。
『士別よもやま話 第三集』(士別市郷土史研究会)に、三宅裕良の聞き取りによる『熊と首なし死体』の挿話が掲載されている。
「死体は木の株にでも腰をかけた様な格好をして坐っていた。発見するのにそう時間はかからなかったが、驚いたことに首がない。みんなで四方八方捜したが見当らなかった。とうとう諦めて死体の移動にかかったところ、尻の下から首が出てきた。自分の首の上に腰をかけていたんだ
2■ヒグマ五大事件に数えられる
西森正一によれば、「その日、被害者の石川は山に行く途中、住職の寺沢皆遵と行き会い、寺沢が熊の足跡があったから気をつけるように伝えると、石川は「出てきたら反対にこっちからブチ殺してやるさ」と笑い飛ばした。
翌朝、まだ暗いうちに石川の奥さんが西森家を訪ねてきて、「昨夜から石川が帰ってこない」という。西森の父親が山に行ってみると、トーキビ(トウモロコシ)弁当が散乱し、鋸は木に刺さったままで、そこら中熊の足跡だらけであったそうである。
「当時の農家は貧乏で米の飯を食べられる人は少なかった。石川さんもそうで、トーキビを弁当にしていた。それでも腹の中は油が一ぱい浮んでギラギラしていた。(中略)熊は臓物(はらわた)が好きなようで、石川さんの時は首を引きぬいて、そこから手を入れて、はらわたを食べたらしい」(西森正一談)
襲われたのは杣夫(林業従事者)であった。そして加害熊を捕獲したという続報はない。
さらに、同事件のわずか3ヶ月後に、南に90キロの沼田村で、4名が喰い殺され、4名が重傷を負う重大事件が起きた。
「五大事件」のひとつとして知られる「沼田幌新事件」である。
3■闇の中に浮かぶ恐ろしきヒグマの顔
この事件は大正12年8月21日、雨竜郡沼田村字幌新の太刀別御料地農家、村田三太郎(54)一家らがヒグマに襲われ、妻のウメ(52)、次男幸四郎(15)、雨竜村の熊撃ち長江政太郎(56)、近隣の農家、上野由松(57)の4名が死亡、4名が負傷した事件である。
昭和29年刊行の『熊に斃れた人々』(犬飼哲夫)と『北海タイムス』(大正12年8月24日、25日)を主に参照しながら、事件の経過を追ってみよう。
この日、幌新地区恵比島では太子祭が盛大に行われていた。人気の演目であった浪花節が終わったのは深夜11時過ぎで、村田一家は近所の青年ら8人と提灯、ろうそくを手に、揃って家路についた(後出の林謙三郎は、一行は隣の支線沢集落の人々を含めて22、3名だったと証言している)。
幌新通りに面した沢にさしかかったときであった。小用を足したせいで、皆より50mほど遅れて歩いていた林謙三郎(19)は、突然、暗やみから異様なうなり声とともに襲いかかった巨熊に帯を引きちぎられた。体力に自信のあった林は、背中に傷を負いながらも、ヒグマを振り切って駆け出した。彼が「クマだ!」と叫んだときには、村田家の次男、幸四郎は一撃のもとに倒されていた。母ウメは、子供が襲われたことに動転したのか、その場で躊躇していたところ、ヒグマが飛びかかり、ウメを押さえつけた。これを見た長男の与四郎は咄嗟にマッチを擦った。闇の中にヒグマの顔が浮かび上がり、次の瞬間、ヒグマは与四郎に襲いかかった。
4■念仏を唱える声が途切れ途切れに
与四郎が襲われている間に、一同は現場から300mほど離れた持地音松宅に走った。持地家では、すでに寝支度をしていたが、彼らのただならぬ様子に驚き、炉に樺皮(ガンビ)を盛んにくべた。30分ほどして、ヒグマは窓から顔を覗かせたが、人々が声を限りに騒ぎ立てたので、いったん引っ込めた。しかし今度は表に回って、ガラス戸を押し倒し、内側から必死に押さえていた三太郎を踏みつけて持地家に侵入した。この時、ヒグマの口から喰い殺した幸四郎のものと思われる内臓がぶら下がっていたという。
「危険を知ると家の中に居た者はそれぞれ梁に登る者、押入れに入って隠れる者、便所に逃げ込む者、蒲団の間に潜る者等、散らすごとく姿を消した。人を見失った熊は炉に燃えている火を掻き散らし、踏みにじったりして暴れたが、村田の妻ウメだけは子供のことで心配のあまり、この騒ぎの中にフラフラと一人戸外に抜け出て表にウロウロしていると、熊が気付いて、再び外に躍り出てウメに猛然と襲ひかかり抱き込んでしまった」
夫の三太郎は重傷の身にもかかわらず、スコップを手に外に飛び出し、「畜生畜生」と連呼しながら、妻を引きずっていく熊を幾度も打ち据えた。しかし熊は悠然と笹藪の中に消えてしまった。ウメは初め「助けてくれ」と叫んでいたが、そのうち念仏を唱える声が切れ切れに聞こえ、やがて消えてしまった。翌朝になって様子を見に行った一同は、腰から下を全部食われた無残な姿のウメを発見した。
一方、畑に倒れていた長男の与四郎は、助け出されて持地家に運び込まれた。犬飼の著書では、「瀕死の興四郎(与四郎)を沼田病院に送ったが、遂に生命を取り止め得なかった」となっている。また25日付の地元紙でも「興四郎は沼田病院に入院中なるも生命覚束なく」となっている。
5■死の床から一命をとりとめる
真実はどうだったのか。
昭和52年に採録された村田与四郎本人(72歳)の口述筆記『沼田の熊事件』(沼田町教育委員会)が残されている。これによれば、持地家に運び込まれた与四郎は、2時間かけて沼田の病院まで馬で運ばれた。着いたのは朝の4時頃で、あたりはうっすらと明るくなっていた。医者が肺の傷を縫い合わせたので呼吸は楽になったが、応急処置もそこまでで「治療もなにもできない。もうだめだ」と匙を投げた。熱はどんどん上がって42度に達し、出血もひどくて毛布がベタベタになった。3日間放置された後、寝台車で札幌の北大病院に運ばれ、2時間に及ぶ大手術を受け、一命を取り留めた。退院したのは4ヶ月後の12月のことだったという。
「熊に叩かれてその家(持地家)に入って寝かされたとき、隣の人ら『この人はもう助からんのではないか』ってしゃべってるのが聞こえるんだから。腹立って『俺はそんなにひどいのかな』って思ってね。自分ではそう思ってるんだ。だけど見てる人はね、また…あの血見たら助かるとは思わないんだ。(中略)『あの人は死んだ』と部落の人も噂を立ててたから無理もない」
「沼田町郷土資料館」の展示ですら与四郎が死亡したことになっているのは、このような噂のためだろう。
与四郎の口述によれば、ウメが食われている間に、幾人かは脱出したようである。
翌22日になって知らせを受けた消防団、青年団などが集まり始めた。しかしこの日は熊は姿を見せなかった。
6■胃袋には大量の未消化の指が
23日になって、雨竜村の熊撃ち名人といわれる砂沢友太郎、長江政蔵らが駆けつけた。長江は身の丈五尺八寸(174センチ)の偉丈夫で、「そんな凶悪な熊は必ず自分が仕留める」と豪語して単身、山に入った。十一時頃に銃声が聞こえたが、日が暮れても戻ることはなく、人々は長江がヒグマにやられたものと確信した。
24日午前9時より、警察を始めとした220名による大規模な山狩りが開始された。午前11時頃、十五町ばかり山に入ったところで(後述の藤崎廣幸によれば、加害熊と出会したのはマドイ沢で、射止めたのは二十号の沢(たけの沢)の上流の嶺であったという)突然、大熊が飛び出してきて、隊列の中間に襲いかかり、折笠徳治(57)の頭部に一撃を加えた。折笠が悲鳴を上げて昏倒すると、次に上野に一撃を加えてこれも斃した。さらに次の者にのしかかろうとした時、ようやく戦闘態勢の整った銃士ら3名が、ほとんど同時に撃ち放った。手応えがあり、ヒグマはその場に斃れて動かなくなった。
犬飼の著書によれば、「上野は頭部その他から血を吹いてよろよろと廻りながら倒れ」とあり、重傷を負いながらも生き延びたことになっているが、実際には絶命したようである。一方の折笠は一命を取り止めた。
行方不明であった長江の遺体は、熊が斃れた地点からほど近い沢奥で発見された。残されていたのは頭部と革帯、そして三つに折れた鉄砲だけであった。長江はこの場所で熊に遭遇し、一発を発射したものの致命傷には至らず、ついには格闘となり、力尽きたものと思われた。別の資料によれば弾は不発で、現場には左足首だけが転がっていたともいう。
討ち取られたヒグマは体長2メートル、体重340キロの雄であった。遺骸は林謙三郎の家に運ばれ解剖されたが、胃袋からは大ザルに一杯の人骨と未消化の指が出てきたとか。
7■首なし死体が永遠に残した謎
この事件で特異なのは、十数名の人間が群れ歩いているところにヒグマがちん入したという点である。
事件から44年後、63歳となった林謙三郎の聞き書きが、林業雑誌『寒林帯』(百十八号「私の山官記 その8」藤崎廣幸 旭川営林局)に残されている。記事中に事件の「被害足取図」があるので転載するが、現場は現在の沼田町化石館の付近と思われる。
加害熊は「事件のあった四,五日前に馬が崖から落ちて死んだので、土に埋めたのでその肉を熊が嗅いで、それを喰べて道路へ出て来たのが、お祭り帰りの一同に合ったのであろうといわれている」(前掲『寒帯林』)ということで、エサを横取りされることを恐れて人間を排除したのが原因ではないかという。
しかし筆者が注目したいのは、加害熊が北東から襲来したことである。
沼田村の北東には、首なし死体が見つかった温根別村が位置するのである。
今となっては証明しようもないことではあるが、3ヶ月という短期間に、天塩山地の限られた地域で凶悪事件が続発したという事実は、同一個体であった可能性を十分に示していると筆者は考える。
川崎商店街「高級時計店強盗」1人逮捕
2023.06.13
川崎市幸区の腕時計販売店に押し入り従業員にけがを負わせたとして強盗致傷容疑で逮捕された職業不詳の八木貴寛容疑者(26)=大阪府高槻市=が「交流サイト(SNS)の募集を見て応じた」と供述していることが12日、捜査関係者への取材で分かった。神奈川県警は、事件の実行役として「闇バイト」に応募した可能性があるとみて、背景を調べる。
県警によると、八木容疑者ら2人は11日午後1時ごろ、店に押し入ってショーケースをたたき割った上、逃走し、従業員にけがをさせた疑いがある。
捜査関係者によると、容疑者は直後に確保されたが、1人は行方が分からず、別の人物が車で逃走を手助けした疑いがある。
また、犯人は逃げる際、コードを足に絡ませ、転んだ隙に捕まった。コードは通行人のもので、逃げてくる犯人の足に絡ませ転がした。
時計店に2人が強盗に入った事件で、現行犯逮捕された男が「SNSの募集を見て応募した」と供述していることが分かりました。
大阪府高槻市に住む八木貴寛容疑者(26)は11日午後1時ごろ、川崎市幸区にある時計店に押し入り、逃走する際、店員にけがをさせた疑いが持たれています。
その後の捜査関係者への取材で、八木容疑者が「SNSの募集を見て応募した」と供述していることが分かりました。
警察は、八木容疑者が「闇バイト」などで事件に加わった可能性があるとみています。