草刈正雄「戦死したはずの父は生きていた」
2023.08.27
草刈正雄「戦死したはずの父は生きていた」NHK番組で判明した衝撃の事実、うれしさと同時に沸いた怒り

押し黙ったまま頬を伝う涙を何度も指で拭った後、草刈正雄(70才)は絞り出すようにこうコメントした。「すみません……何も言葉がなくて……」。8月14日に放送された『ファミリーヒストリー』(NHK総合)で、草刈は「父の真実」を目の当たりにした。同番組は、著名人の父母や先祖がどう生きてきたかを解き明かしていく人気ドキュメンタリーだ。草刈の出演回は多くの反響を呼び、放送後にはSNS上に「感動した」「映画を見ているようだった」などの書き込みがあふれた。視聴者の胸を打つヒストリーだったが、草刈本人は真実が明らかになるたびに複雑な感情を抱いていたという。

草刈は1952年9月5日、福岡県で母・スエ子さん(享年77)と米兵士の間に“婚外子”として生まれた。

「草刈さんは母から“父親はあなたが生まれる前に、朝鮮戦争で戦死した”と聞かされていました。父親が写った写真も母がすべて燃やしてしまい、顔も見たことがない。父親はもうこの世にいない。その“現実”を70年間疑うこともなかったそうです」(芸能関係者)

 番組によれば、草刈の父の名前は「ロバート・H・トーラー」。1930年に米ノースカロライナ州で生まれ、18才で空軍に入隊。朝鮮戦争(1950~1953年)で米軍の整備補給拠点だった福岡県の「築城基地」に配属された。ロバートさんは、兵士たちに本国から届くエアメールの仕分けや配達をする部署に在籍していたという。

「ロバートさんは基地近くで路線バスの車掌として働いていたスエ子さんと出会い、恋に落ちたそうです。同棲を始めるなど交際を続けていくなかで、草刈さんを身ごもりました。2人はアメリカに渡って、家族3人での生活を考えていたそうです」(前出・芸能関係者)

だが、幸せは長くは続かなかった。米軍の幹部候補生学校に行くことになったロバートさんは、単身帰国。スエ子さんはひとり大きなお腹を抱えて日本に残った。以来、2人が顔を合わせることはなかったのだ。草刈には、前述したように“父親は戦争で死んだ”と伝え続けた。しかし番組で明らかになったのは、その父が戦死していなかったという真実だった。

「ロバートさんは日本から帰国後に西ドイツで従軍し、その後ドイツ人女性と結婚して2013年に83才で亡くなったそうです。草刈さんは、番組の中で初めてこれらの真実を知ったのです。

 番組ではロバートさんの写真も公開され、草刈さんは生まれて初めて父親の顔を目にすることに。若き日のロバートさんは、鼻筋や目元が草刈さんにそっくりで、草刈さんは思わず“似てますかね……”とつぶやくほどでした。身長193cmと長身で、185cmの草刈さんを彷彿させるスタイルでもあったそうです」(芸能記者)

 怒濤の展開に、草刈は幼少期の出来事を思い出していたのかもしれない。

■「なんという日でしょう」

日本が高度経済成長をひた走る中、「父親不在」の母ひとり子ひとりの生活は困窮を極めた。

「スエ子さんと草刈さんは、四畳半一間の部屋を間借りして生活していました。スエ子さんは雑貨問屋で毎日夜遅くまで働き、空いた時間には家政婦の仕事を掛け持ち。当時は“ハーフ”の子が珍しく、偏見もあった時代。ましてや草刈さんは、父親が戦時中に敵だったアメリカ人ですから、周囲から心無い言葉を投げかけられることもありました。愛する息子を偏見から守りながら、スエ子さんは必死に草刈さんを育てたそうです」(前出・芸能記者)

 幼心に母の苦労を感じていた草刈は、中学生になると家計を助けるために新聞配達のアルバイトを始めた。中学卒業後は定時制高校に通いながらセールスマンの仕事をしていたが、知人からのすすめをきっかけにモデルの道に進むことを決意した。東京で成功して、母を楽にさせてあげたい、その一心だった。

 17才で上京、資生堂のCMに起用されて大ブレークを果たした。その後は俳優としても大活躍。数々の作品で主演を務め、「二枚目俳優」としての地位を確立した。その後、スエ子さんを福岡から東京に呼び寄せ、再び母子で一緒に暮らすようになった。

 だが、父の不在は、草刈本人が父となってからも影響を及ぼした。1988年、草刈は36才のときに元女優の悦子夫人と結婚し、1男2女の父となった。父親のいない家庭で育った草刈は、「父親像」に戸惑いを覚えることがあったという。

「お子さんたちが小さかった頃に、草刈さんは仕事のストレスからお子さんたちを怒鳴りつけてしまうことも多々あったそうです。そのたびに自分の未熟さを反省すると同時に、“父親とはどうあるべきなのか”“ぼくの父親ならどう接しただろうか”と考える日もあったそうです」(草刈の知人)

 人生も終盤に差し掛かったなかで、知らされた“死んだはずの父の生存”。草刈は番組内で、言葉を選びながらこう感想を口にした。

「なんという日でしょう。本当に今日は幸せです。子供の頃からモヤモヤしていたものが全部明らかになり、こんな幸せはないです」

 だが実際は、うれしさと同時に怒りにも似た感情が湧き上がっていたのだという。

「父親がいなかったことで、草刈さんとスエ子さんが言い尽くせぬ苦労をしたことは事実です。“父親が生きていれば”と、考えた日も多かったといいます。そのたびに草刈さんは“父は戦死したのだから仕方ない”と割り切ってきました。それなのに実は父は死んでいなくて、身重の母を日本に残して自分は違う女性と結婚していたわけです。このことは父が亡くなる3年前の2010年に他界した母も知らなかったはず。

衝撃の事実を知り、裏切られたという思いもあったのでしょう。もちろん、父親が生きていたことや彼の人生を知れたことはうれしかったのでしょうが……心の整理がつかない部分もあるようです」(前出・草刈の知人)

 番組終盤、草刈が渡米し、ロバートさんの親族と対面する映像が流れた。その様子はあらためて「特別編」として放送されるという。70年目の真実を、草刈はどう整理するのだろうか。

■草刈が生まれる前に帰国

父は母のもとを去り、米国に帰国。写真も母が「全て焼いた」と話し、一枚も残されておらず、草刈は父の顔も知らずに生きてきた。番組では、軍服を着た父の写真も紹介され、草刈は涙した。

 紅蘭は放送前の13日、顔が分からないよう、顔の下部分が写った写真を投稿していたが、放送後にはストーリー機能を使い、改めて祖父の写真をアップ。優しい目元や鼻、口元など若き日の草刈にそっくりで、「パパにも雄士にも似てる」「パパがよかったと感じられていることが一番良かった。皆様観てくれてありがとうございます」と綴った。

 草刈の長男で紅蘭の弟・雄士さんは、ハマ・オカモトらと結成したバンド「ズットズレテルズ」でもYushiとして活動していたが、15年2月14日、草刈の個人事務所があったマンションから転落し、亡くなった。紅蘭は初めて見た祖父の姿に、父だけでなく、亡き弟・雄士さんの面影も重ねていた。

■紅蘭 妊娠しても事実婚選んだ理由に「3年前に他界した弟」

俳優・草刈正雄(65)の長女でダンサーの紅蘭(29)が17日、フジテレビで放送された「梅沢富美男のズバッと聞きます!」に出演した。ラッパーのRYKEY(30)との第1子を妊娠し、クリスマスに出産予定としているが、婚姻届は提出せず、事実婚である理由を明かした。

 紅蘭は昨年11月にRYKEYとの交際を告白し、今年7月には第1子妊娠を公表。妊娠8カ月だが、事実婚状態を続けている。

 梅沢から「なんで赤ちゃんがこれからできるのに入籍しないの?」とその理由を聞かれ、「3年前に弟が他界しちゃったんですけど」と弟の死が影響していることを告白。

 「弟が死んだ時に、草刈の名字を継ぐ人がいなくなっちゃう…ってすごい感じて。私は絶対に草刈の名字をなくすのが嫌なんですよ」という思いから、RYKEYと「こっち(草刈家)に(婿養子に)入ってもらうか、別姓にするか、と話し合った」ことを明かした。その結果、事実婚にすることを選択したという。

 父・草刈は「喜んでましたよ。そこまで考えてくれてたのか、って」と話した。

 草刈の長男で、紅蘭の弟は15年2月、渋谷区のマンションの7階から転落し、23歳の若さで亡くなった。

■23歳で転落死した弟の命日に「愛してる」

紅蘭 23歳で転落死した弟の命日に「愛してる」 父・草刈正雄似の憂いある表情ショットも

13日、インスタグラムを更新。2015年に転落死した1歳年下の弟・雄士さん(享年23)への想いをつづった。

 草刈の長男で、ハマ・オカモトらと結成したバンド「ズットズレテルズ」でもYushiとして活動していた雄士さんは、15年2月14日、草刈の個人事務所があった渋谷区のマンションから転落し、亡くなった。

 紅蘭は「2月14日、明日は弟の命日。もう7年になるのか!」と時の流れをつづり、「1つ下のあなたは兄弟でもあったしベストフレンドだ!一緒にNY行ったり クラブで馬鹿騒ぎしたり 2人でステージジャックしたり 学校でも何かあればすぐにケアしあった。私の青春にあなたはいつもいた。正直、なんでいないのよ。と泣きたくなる日もある。」とかけがえのない最愛の弟で、親友だった雄士さんを失った悲しみを吐露。

 「ただ一言だけ、、 愛してる雄士 あなたがとてもとても恋しい」とつづった。

 インスタには、父・草刈をさらにワイルドにした風貌の雄士さんの憂いのある表情、おどけた写真、ステージで歌う姿など、モノクロの写真が4枚添えられている。
2023.08.27 11:35 | 固定リンク | エンタメ
変な中国「普通じゃないな~!」
2023.08.27


恐ろしい…政府要人が「突然消える」中国。現地駐在員が思わず「この国、おかしくない?」と感じた出来事 「独裁国家では茶飯事」 ゼロコロナ解除後「2カ月間で187万人が死亡」

日本では考えられないことが日常茶飯事の国、中国。東洋証券上海駐在員事務所の奥山要一郎所長は「日本がこうだから中国も同じはず」という妄想や勘違いを捨て去るのが賢明だといいます。しかし、その奥山氏でさえ、最近「中国、おかしくない?」と感じることが増えてきたそうです。いったいなにがあったのか、詳しくみていきましょう。

“外交の顔”失踪も…中国当局「提供できる情報はない」
要人が表舞台から突如として消える。そんなことが中国ではままある。

しかし、「外交の顔」の長期不在は異例の事態だった。当局は「提供できる情報はない」の一点張りで、真偽不明の噂や観測が浮上。新型コロナウイルス感染説、不倫関係のこじれ説、権力闘争に巻き込まれた説……。現地メディアは不在の事態や理由は一切取り上げず、ほとんどの市民は何も知らない(そもそも関心がないのかもしれないが)。

果たして7月25日、秦剛外相の解任が発表された。動静が途絶えてからちょうど1カ月後のことである。

現地駐在員の筆者が肌で感じる「中国の異変」

最近、「中国、おかしくない?」と感じることが増えてきた。自分の主張だけを強烈に押し出し、相容れない意見には罵るかの如くヒステリックに反応する。相変わらずと言えば相変わらずだが、ここに来てその度合いが大きくなった気がする。

ゴールドマン・サックス(GS)は7月4日付のレポートで、中国の一部銀行に対して弱気判断を示した。地方政府債務に対するエクスポージャーなどを懸念材料とし、「収益の悪化を受け、配当目標を達成できない可能性がある」という。この内容が悪材料視され、香港市場では銀行株が軒並み安となった。

一方、これに噛み付いたのは中国国営メディアの証券時報。「市場は悲観的な想定に基づいて中国の銀行について弱気な見解を示すべきではなく、否定的な論拠は事実を誤って解釈したものだ」と、半ば上から目線で反論した。

また、国家金融監督管理総局は複数の大手行に対し、同レポートに適切に対応するよう求めたという。招商銀行は早速、「(GSの見解は)一部の投資家に誤解を与え、資産の質について懸念を生じさせた」と批判。目には目を、レポートにはレポートを。「戦狼外交」ならぬ「戦狼レポート」で対抗とでも言えようか。

いずれにせよ、中国当局がネガティブな市場コメントに神経をとがらせていることが図らずも示された。

■中国原潜大爆発事故「核爆発」か

中国原潜大爆発事故とは、2019年11月22日に中国の海南島沖で発生したとされる原子力潜水艦の爆発事故です。

この事故は、中国政府やメディアによって公表されていませんが、インターネット上には爆発の映像や音声が流出し、多くの議論を呼びました。

この事故は中国の新型原潜「094A型」が核兵器を搭載して試験航海中に起きたもので、核爆発が起こった可能性があります。

爆心地付近では、高い放射線量によって生物や環境に深刻なダメージを与えます。また、水中で起こった場合は、水蒸気や水滴を含むキノコ雲が形成され、降下物として放射性物質を広範囲に拡散させます。

遠隔地では、風向きや海流によって放射性物質が運ばれます。特にヨウ素131やセシウム137などの長寿命の放射性物質は、食物連鎖や土壌・水質汚染を通じて人間や動植物に影響を及ぼします。

放射能汚染による健康被害は、急性放射線障害や白血病・甲状腺がんなどの癌リスクの増加などがあります。また、遺伝的影響や心理的影響も考えられます。

中国はこの事故で放射性物質拡散の懸念から、何れ知れ渡ると見ており、その前に原発処理水放出を強烈に批判、雲散霧消を謀った。

■ゼロコロナ解除後「2カ月間で187万人が死亡」

米研究報告書「中国のゼロコロナ解除後、2カ月間で187万人が死亡」

昨年末、中国防疫当局が「ゼロコロナ」政策を突然解除した後、2カ月間約200万人の超過死亡者が発生したという米国の研究結果が発表された。

米国シアトルのフレッドハッチンソンがん研究センター研究チームが中国の大学病院とインターネット検索サイトの死亡関連検索キーワードを基にチベットを除く中国30省・市で2022年12月と2023年1月の2カ月間発生した30歳以上の超過死亡者を187万人と推算したとロイター通信が25日、報じた。

昨年12月、中国当局が3年間集団核酸検査と厳格な封鎖と隔離に代表される「ゼロコロナ」政策を解除し、新型コロナに感染した患者が大勢病院を訪れ、政府が発表していない数多くの死亡者が発生した。

24日、米国医学協会ジャーナル(Journal of American Medical Association)に掲載された「ゼロコロナ政策終了後、中国の超過死亡」研究によると、中国当局が昨年12月から2月23日まで病院で新型コロナで死亡したと発表した8万3255人より22倍多い187万人が死亡した。研究者たちは北京と黒竜江省の大学病院が公開した訃報資料と中国検索サイト「百度」で「葬儀場」「火葬場」「埋葬」などの検索キーワード10億件以上を参考にして死亡者データを推定した。

研究者は「中国でゼロコロナの終了に関連した超過死亡者研究はベンチマーク推定を通じて実証的に行われた」として「このような発見は人口全体で新型コロナの突然の感染が全体死亡率にどのような影響を及ぼすかを理解するのに重要だ」と話した。中国の国家衛生健康委員会はロイターの関連質問に答えなかった。

国際保健専門家は、新しい変異ウイルスの脅威が懸念され、中国に入院と死亡に関するより多くの資料を公開することを繰り返し促した。中国は2022年末、一日死亡者数の発表を中止した。世界保健機関(WHO)は12万1628人が新型コロナによって中国で死亡した場合、これを含めて全世界で約700万人が死亡したと集計した。

中国浙江省政府は7月、今年1-3月期の火葬件数が前年同期比73%増の17万1000件だったと発表した。ただ、この数値が報じられると、浙江省政府は昨年10-12月期の火葬件数とともに関連データを削除した。中国の最高指導者は2月、新型コロナに決定的な勝利を収めたと宣言した。しかし、新型コロナウイルスの変異株は依然として中国で広がっている。ギリシャ神話で紛争の女神「エリス(Eris)」と呼ばれる変異EG・5の割合が4月0.6%から8月71.6%に増加したとし、このような傾向が続く可能性が大きいと中国国家疾病管理庁が21日、発表した。

■中国当局の呆れた言い分「自国リスク記述は抑制せよ」「独裁国家では茶飯事」

7月下旬には、中国証券当局が法律事務所などに対し、企業の上場目論見書に中国の政策やビジネス、法的環境について否定的な記述を含めないように求めたという。金融業界ではリスク提示は当たり前。ただ、当局の言い分は「自国リスク記述は抑制せよ」。どうやらディスクロージャーの概念がかなり異なるらしい。

統計面でも不思議なことがあった。浙江省が発表した今年1~3月の火葬遺体数が、公開後すぐに削除されてしまったという。その内容は「火葬遺体数が前年同期の約2倍となった」というもの。「新型コロナの感染爆発が要因ではないか」「死者数が最多になったから公開できないのではないか」などの見方も広まっていた。

事実は事実。それを直視できない何か都合が悪いことでもあったのだろうか。民政部が3ヵ月に一度発表していた火葬遺体数も、昨年10月以降は更新が止まっている。

これらを受け、「だから中国は……」と短絡的な結論を出すつもりは毛頭ない。言いたいのは、「ところ変われば事情も変わる」ということ。

事の良し悪しは別にして、一筋縄では行かないのが中国。現状では「中国はこういうものだ」と大局的に捉えていくしかないだろう。

「日本がこうだから中国も同じはず」という妄想や勘違いも捨て去るのが賢明。みんな違って、みんないい。もちろん好き嫌いはあるけれど。

くだんの外相の解任発表後、ネットのコメント欄やSNSは「国と党を支持します!」「新外相ガンバレ!」的な正能量(ポジティブエネルギー)系の投稿で埋め尽くされた。

一方、NHK海外放送のニュース番組は、解任を報じる際に画面が切り替わり、カラーバーのみとなった。お約束の当局検閲。報じてほしくない一件らしい。実に分かりやすい。

■ほぼ「脱出」に近い形の帰国だった。「改正反スパイ法」

ウイグル書いた北京特派員の帰国記 8月上旬、3年間の西日本新聞中国総局長(北京特派員)の任期を終えて日本に戻った。

中国で7月、スパイ行為の定義を拡大し、摘発機関の権限を強める改正反スパイ法が施行された。3月に北京で日系企業幹部がスパイ容疑で拘束されたばかり。理不尽な取り締まりの強化を恐れ、今夏に帰任予定の日系企業社員には法施行前に帰国した人が少なくなかった。

 スパイ行為や機密の定義が曖昧で、どんな取材が違法とされるか不明。統計資料を入手して新疆ウイグル自治区の強制不妊疑惑に迫った調査報道などで当局から批判され、圧力をかけられてきた私も狙われかねないと、日中両国の関係者から助言を受けた。実際、中国政府の役人に「どんな記事を書くかで、後任にビザ(査証)が下りるか、あなたが無事に帰国できるか、中国を再訪できるかが決まる」と警告されてきた。

 近年の邦人拘束事案を踏まえると帰国日が最も危険で、単独行動は避けるべきだとの見方があり、同僚と私の家族が北京まで迎えに来た。帰国日は、北京に駐在する日本メディアの仲間たち十数人が見送りと警護を兼ねて私の自宅前や北京の空港に集まり、当局をけん制するために動画撮影もしてくれた。

 私が乗る車の前後を挟み、車列を組んで空港に到着。車寄せから保安検査場まで私を取り囲んでガードしてくれた。日本行きの飛行機に乗る際、客室乗務員から日本語で「お帰りなさい」と言われた時はグッときた。

3年で、外国人記者の立ち入りが制限されたチベット自治区以外の30省・自治区・直轄市を全て訪れ、100都市以上を踏破した。公安当局に幾度も取材を妨害されたが、中国が嫌いになったかといえばその逆だ。

 中国共産党、役人、人民を分けて考える必要があると知った。大半の分野で日本を追い越した中国の発展ぶり、歴史や文化の奥深さと多様性、民間の熱と力、大陸で生きる人々のたくましさやおおらかさ、温かさに魅せられ、ファンになった。

 中国で先日、日本への団体旅行が解禁された。引っ越しできない隣人として是々非々で向き合う対中関係では、中国の市井の人々に日本のファンを増やすことが大きな意味を持つ。

 共産党の集団指導体制から習近平国家主席(党総書記)の個人独裁に移行し、さまざまな統制と忖度が強まる中、富裕層や知識人が日本に「脱出」する動きもある。清朝末期、日本に身を寄せた孫文を九州の先人たちが支え続けたことが、中国に変革をもたらす追い風となった。
2023.08.27 11:19 | 固定リンク | 国際

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