イラン「反政府デモ開始から100日」
2023.01.02

「もう元には戻れない」 反政府デモ開始から100日、イランで今起きていること

イランで反政府デモが始まって100日が経過した。1979年のイスラム革命以来、最も長い抗議行動は、イラン政府を揺るがしているが、多くの人が犠牲となっている。

人権活動家通信(HRANA)によると、これまでに69人の子供を含む500人以上の抗議参加者が殺された。人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルが「見せかけ」と呼んだ裁判を経て、2人が死刑を執行され、少なくとも26人が同じ運命に直面している。

抗議行動がイラン全土に広がったことはこれまでもあった。2017年に始まったデモは2018年初めまで続いた。2019年11月の抗議も同様だ。しかし現在のデモは社会全体を巻き込み、「女性、命、自由」のスローガンを掲げた女性たちが先導しているという点で、全く異なっている。

一部の著名人たちが抗議を支持すると発表し、逮捕されたり、国外へ逃げたりしているのも特徴の一つだ。

2017年2月に米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「セールスマン」に主演した俳優のタラネ・アリドゥスティさんは、若い抗議参加者の死刑を批判した後、悪名高いエヴィン刑務所に入れられた。アリドゥスティさんはそれ以前にも、着用が義務付けられている頭髪を覆うスカーフを取り、スローガンを書いた紙を持った写真を公表していた。

「セールスマン」のアスガル・ファルハディ監督はインスタグラムに、「私はタラネと4本の映画で一緒に仕事をした。彼女は同胞を正しく支持し、不当な判決に反対したために獄中にいる」と書いた。

「こうした支持を示すことが犯罪なら、この国の数千万人が犯罪者だということになる」

「殺害予告」
イランを離れた俳優のペガフ・アハンガラニさんはBBCペルシャ語の取材に対し、「体制側の取り締まりと映画関係者の対応、双方が過激化している」と語った。

「イランはマサ・アミニさん以前の時代には戻れない」

現在のデモは、マサ・アミニさん(22)が9月16日、頭髪を覆うヒジャブを「不適切に」着用していたとして道徳警察に逮捕され、その後死亡したことがきっかけになっている。

12月初めにアメリカにわたった俳優のハミド・ファッロクネザドさんは、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師を「独裁者」と呼び、スペインのフランシスコ・フランコや旧ソ連のヨシフ・スターリン、イタリアのベニート・ムッソリーニになぞらえた。

元サッカー選手でドバイに住んでいたアリ・カリミさんも、抗議を支持している。カリミさんは、イランの情報機関職員から殺害の脅しをかけられたため、アメリカに移動したと話した。

インスタグラムに1400万人以上のフォロワーを持つカリミさんは現在、イラン政府批判の急先鋒となっている。

同じく元サッカー選手のアリ・ダエイさんは、全国的なストライキへの支持を表明したところ、司法当局から、経営している宝石店とレストランの閉鎖を命じられた。

今回の抗議が他と違うもう1つの点は、抗議者が火炎瓶を使用し始めたことだ。

これらは、準軍事組織バシジの拠点やハウザ(シーア派聖職者の宗教学校)に対して使用されている。

「ターバン落とし」
抗議の最前線に立っているのはイランのZ世代(1997年以降に生まれた世代)たちだ。厳しい宗教的な規則に反抗し、スカーフに火をつけるなどの新しいトレンドを作り出している。

若者たちの間に生まれた別のトレンドに、「ターバン落とし」がある。シーア派の聖職者の後ろに回り込み、ターバンを落として逃げ出すというものだ。

ジャーナリストのオミド・メマリアン氏はツイッターに動画を投稿し、「テヘランでスカーフを被っていない女生徒が聖職者のターバンを落として逃げ出した。ターバン落としは体制とのつながりや特権、汚職、抑圧の象徴に抗議する活動だ」と説明している。

16歳の少年アルシア・エマムゴリザデフさんは北西部タブリーズで11月、この「ターバン落とし」をした容疑で逮捕された。

エマムゴリザデフさんは10日間拘束され、釈放された2日後に自殺した。遺族は刑務所での扱いに原因があると非難している。遺族に近しい関係者はBBCペルシャ語に対し、拘束中にエマムゴリザデフさんは棒で殴られたほか、謎の錠剤を飲まされたと話した。

イラン当局は抗議参加者を抑圧するだけでなく、拘束中に亡くなったり殺されたりした人の遺体を取引材料にし、犠牲者の遺族を黙らせている。

ある情報筋はBBCペルシャ語に対し、こうした圧力を恐れるあまり、殺された抗議者の兄弟が遺体を安置所から盗み出し、数時間にわたって市内を車で逃げまわる事例もあったと話した。

メフラン・サマクさん(27)は11月29日、北部バンダル・アンザリで、イランがサッカー・ワールドカップ(W杯)で負けたことを喜んで車のクラクションを鳴らしたところ、頭を銃で撃たれて亡くなった。イランでは多くの人が、政府を代表しているチームだとして、W杯でイランを応援しなかった。

また、拘束中に亡くなったハメド・サラフショールさん(23)の遺体は、家から30キロ離れた場所に強制的に埋葬された。サラフシュールさんの遺族は、のちに遺体を掘り起こした際に、ひどい拷問の痕跡を見つけたと話した。

処刑と拷問
12月25日までに、2人の男性が抗議に絡むあいまいな治安妨害罪で有罪とされ、死刑に処せられた。人権団体は、重大な誤審だと非難している。

死刑執行を待つ多くの人が、拷問されたと証言している。

非政府組織(NGO)のクルディスタン人権ネットワークは、クルド系イラン人ラッパーで死刑を宣告されたサマン・ヤシンさんが、20日に自殺を図ったと発表した。同団体は先にも、ヤシンさんが拘束中に拷問を受けたと述べている。

BBCペルシャ語が入手した音声では、アマチュア・ボディービルダーのアハンド・ヌールモハマドザデフさん(26)が刑務所内で数回、拷問の一種である模擬的な死刑執行を受けたと訴えている。

ヌールモハマドザデフさんは11月、テヘランでの抗議でガードレールを倒し、交通妨害をした容疑で拘束され、「神への敵意(イランの法律で武器による治安妨害を指す)」の罪で死刑判決を受けた。ヌールモハマドザデフさんは罪状を否認している。

BBCペルシャ語はさらに、投獄されているハミド・ガレ=ハサンロウ医師のレントゲン写真を入手。肋骨3本が折れ、肺に刺さっていることが確認できた。ガレ=ハサンロウ医師は、「地上に腐敗を広めた罪」で死刑判決を受けている。

アムネスティ・インターナショナルは情報筋の話として、同医師は「自白」を強要され、そのために拷問や不当な扱いを受けたとしている。
2023.01.02 15:12 | 固定リンク | 戦争
WHO「中国はコロナ第1波・データ開示を」
2023.01.02

WHO「中国は新型コロナウイルスのデータ開示を」 各国は渡航制限へ

世界保健機関(WHO)は30日、新型コロナウイルスの感染が急拡大する中国について、当局は感染の即時データをもっと公開するべきだとの見解を示した。

中国ではここ数週間、新型ウイルス政策の多くが停止された結果、感染が急拡大している。こうした中、中国当局は新型ウイルスに関するデータの公開を停止しており、1日当たりの実際の感染者数や死者数は不明だ。

WHOは今回、入院患者数や集中治療室(ICU)に入っている患者、死者数といったデータに加え、ワクチン接種についてのデータも必要だと指摘している。

中国での感染拡大を受け、すでにアメリカやインド、イタリア、日本、台湾などが中国からの渡航者に対し、陰性証明の提示などを義務付ける措置を取っている。また週末にかけ、新たにイギリス、フランス、スペイン、韓国、イスラエルも制限導入を発表した。

WHOはこの日、中国高官との協議後に声明を発表。「WHOは、疫学的状況に関する具体的かつリアルタイムのデータ、特に感染リスクの高い人々や60歳以上の人々におけるワクチン接種の実施と接種状況に関するデータを定期的に共有するよう、再度要請した」と述べた。

また、これらの領域や、ワクチン忌避問題の解決に向けた支援を提供する用意があることを明らかにした。

その上で、「中国と国際社会が正確なリスク評価を行い、効果的な対応を行うためのモニタリングとデータのタイムリーな公開の重要性」を強調した。

WHOでCOVID-19の感染状況を監視している技術諮問グループは、来年3日にも会議を開く予定。この会議には中国の科学者らも招かれ、詳細なデータを提供するという。

WHOは一方で、中国からの渡航者に対して一部の国が新たな制限を課しているのは「理解できる」と述べた。

中国政府は11月まで、ゼロコロナ政策を推進。感染者が数名見つかっただけで厳しいロックダウンが敷かれ、感染者は政府施設での隔離が義務付けられていた。

しかし、各地で政府のゼロコロナ政策に対する抗議運動が起きたため、ロックダウンや隔離といった規制は緩和され、海外渡航も解禁された。

それ以降、中国国内では感染者が急増しており、政府は1日5000人の新規感染があるとしている。しかし実際には、1日の新規感染者は100万人近くに上るとみられている。

公式発表では、12月の新型ウイルスによる死者数は13人だが、イギリス拠点を置く保健データ企業「エアフィニティー」は29日、毎日9000人ほどがCOVID-19で亡くなっているとみられるとの見解を示している。

イギリスやフランスも渡航者に制限、EUは反対姿勢
イギリスの保健省は31日、中国からイングランドの空港への直行便の乗客に対し、来年1月5日から出発前の検査を義務付けると発表した。

同8日からは健康安全庁(UKHSA)も監視を開始し、中国からの渡航者の一部に検査サンプルの提出を要請するという。

スコットランドとウェールズ、北アイルランドには中国との直行便がないが、政府はイギリス全体でこの施策が守られるよう各地域と連携していくとしている。

フランスは今後、中国からの渡航者に、出発までの48時間以内に取得した陰性証明書の提示を求める。

一方、スペインのカロリーナ・ダリアス保健相は、「全国レベルでは空港で入国管理を行い、中国からの渡航者には陰性証明書の提示かワクチン接種完了を求める」と説明した。

スペインは、一部の中国製ワクチンを渡航に必要なワクチンとして承認としている。

両国とも、これらの措置の開始時期は明らかにしていない。

だがフランスの保健省と運輸省は、政令を発布するとともに欧州連合(EU)加盟各国にも内容を通知すると話した。

EUの欧州疾病予防管理センター(ECDC)は29日、欧州はCOVID-19への免疫レベルが高く、中国で流行中の変異型もすでに欧州に存在しているため、このような措置は正当化されないとの見解を示している。

ドイツやオーストリア、ポルトガルは新たなルールは設置しないとしている。

このほか韓国は、中国からの渡航者について、韓国への飛行機に乗る前にPCR検査か抗原検査での陰性証明を義務付ける。韓悳洙(ハン・ドクス)首相によると、到着1日目にもPCR検査を受ける必要があるという。

イスラエル当局は各国の航空会社に対し、陰性証明がない限り、中国からの渡航者を受け入れないよう要請した。また自国民には、不要な中国渡航を避けるよう呼びかけている。
2023.01.02 14:51 | 固定リンク | コロナ
プーチン大統領の隣に立つ女性の秘密
2023.01.02

女性兵か、船員か、プーチン大統領の隣に立つ金髪女性のミステリー

ロシアのプーチン大統領が登場する写真でプーチン大統領の隣にいる女性に関心が集まっている。この女性は写真に登場するたびに異なる職業群の服を着ていて、ロシア情報機関が雇用した俳優、警護員などいくつかの推測が出ている。

ニューズウィークが先月31日(現地時間)に報じた内容によると、ベラルーシ出身のあるジャーナリストは自身のツイッターにプーチン大統領が他の人たちと撮った写真3枚を掲示した。プーチン大統領が軍人、船員、信徒と共に取った写真だ。

これら写真に共通するのは、金髪の女性がプーチン大統領のすぐ隣にいるという点だ。この女性はある写真では軍服を着ていて女性兵のように見えるが、別の写真ではオレンジ色の船員服を着た船員のように見える。もう一つの写真では女児を保護する平凡な母親のように見える。

これについて一部では「女性がロシア政府が雇用した俳優、またはプーチン大統領を最も近い距離で保護する警護員」という推測が出ている。

CNNのクレリサ・ワード特派員は「単純にイメージ的に利用される俳優なのか、それともプーチンの近くにいなければならない別の理由があるのか気になる」とし「この女性ほど目立っていないが、2枚の写真に同時に登場する別の人も見える」と指摘した。

ウクライナ現地メディアのキーウポストの記者は「女性は俳優であり、ロシアの情報機関に雇用された」とし「プーチンの新年前夜祭の演説は実際、軍人でなく俳優の前で行われた」と主張した。
2023.01.02 14:24 | 固定リンク | 戦争
「27歳年下の妻」純歌さん 遺体を撮影し、加藤茶は激怒
2023.01.02

加藤茶激怒「お前のせいだ!」 遺体を撮影、犬にも焼香…仲本工事“モンスター妻”の異様な行動にいかりや長介さんの娘らは涙【スクープその後】 

 10月19日、交通事故による急性硬膜下血腫のため亡くなった「ザ・ドリフターズ」の仲本工事さん。週刊新潮は、その妻・純歌が通夜、告別式に犬を連れてきたり、遺体の写真を繰り返し撮影したりしたことで、故・いかりや長介さんや高木ブーさんの娘らとトラブルになっていたことを報じた。波紋を呼んだ仲本さんの晩年について改めて振り返る。

 手元に一枚の写真がある。

 病院のICUのベッドに横たわっているのは、痛々しい姿の仲本工事さんだ。気管挿管のためか、肌色のテープで固定された口元からは透明のチューブが伸びており、手術後と思しき頭部もテープで覆われている。仲本さんの背後にある生体情報モニターに並ぶいくつもの数字が、その場の緊迫した雰囲気を伝えている。

 その写真はまた、命が途切れる最後の最後まで、仲本さんが異様な環境に置かれていたことも物語っている。仲本さんの左側には、内縁妻の純歌(じゅんか)(54)が写っているのだ。化粧をばっちり施した純歌は仲本さんの右手を握り、何かを訴えるような視線をカメラの方に向けている。そばで容態を見守る献身ぶりをアピールしたいのだろうか。しかし、真に夫の身を案じる妻は、カメラ目線で写真に納まったりはしまい。

病院に呼ばれた取り巻きの中には、愛人疑惑のある男性も

 横浜市内の交差点を歩いて横断中にワゴン車にはねられ、頭を強く打った仲本さんが市内の病院に救急搬送されたのは10月18日午前のことだった。すぐさま手術を受けるも意識が回復することはなく、翌19日午後10時22分、急性硬膜下血腫のため亡くなった。享年81。現場近くには別居中の純歌の自宅があり、そこに向かう途中で事故に遭ったとみられている。

「仲本さんが亡くなるまでの間、純歌は自分の取り巻き連中を次々と病院に呼んでいました。その中には純歌の愛人ではないかとうわさされている男もいました」

 そう話すのは、仲本さんが東京・目黒で経営していた居酒屋「仲本家 JUNKAの台所」の関係者だ。

「病室で、純歌は意識のない仲本さんの写真をパシャパシャ撮り、取り巻きたちには自分と仲本さんのツーショット写真を撮らせていました。“仲本さん、仲本さん!”と呼びかける自分の動画を撮影したりもしていたのです。苦しんで亡くなりかけている人の写真や動画を撮るなんて非常識だ、と取り巻き以外の人は皆眉をひそめていました」

“ダメかなあ”と肩を落とした加藤茶

 本誌は10月13日発売号に「娘が悲憤の訴え ドリフ「仲本工事」を虐げる27歳下『モンスター妻』」という記事を掲載した。

 そこでは、身勝手な理由で純歌が家を出て横浜で暮らし始め、ゴミ屋敷同然の自宅に取り残された仲本さんが複数の犬や猫と共に不衛生な環境で生活していること。純歌が出ていった背景に“彼氏”の存在を指摘する声があること。純歌の荷物を運ぶため、自宅兼店のある目黒と横浜の間を、仲本さんが車で頻繁に行き来していることなどをお伝えした。記事では“いつか大事故を起こすのではないかと周りは心配しています”との関係者の声も紹介したが、あまりにも早くその懸念が現実のものとなってしまったわけである。

 仲本さんが生死の境をさまよっている間、病院にはドリフメンバーの加藤茶(79)と高木ブー(89)もかけつけた。

「加藤さんはICUから出てきた時“ダメかなぁ”と肩を落としていました。加藤さんも高木さんも仲本さんの姿を自分の目で確認し、死を覚悟していたように見えました」(仲本さんの知人)

「お前のせいだからな! とんでもない女だ!」
 しかし病院で待機する間、加藤はずっと暗い顔でうつむいていたわけではない。

「仲本がこうなったのはお前のせいだからな! とんでもない女だ!」

 純歌に対し、加藤がそう怒鳴って詰め寄る場面があったというのである。

「怒鳴られた純歌さんは泣き崩れるような感じで、高木ブーさんの近くにしゃがみ込んでいました。涙は出ていなかったので、ウソ泣きだと思いますが……」

 そのシーンを目撃した芸能関係者が明かす。

「加藤さんと奥さんの綾菜さんは元々、純歌が出て行ったのは釣り仲間の彼氏ができたからではないか、と強く疑っていました。それで不信感を持っていたところに週刊新潮の記事が出て、それを読み、純歌さんへの怒りが爆発して“許せない!”となっていたのです。そして、純歌のことがなければ行く必要のない横浜で事故に遭ったので、“お前のせいだ”と激高したのです」

犬にも焼香させ…
 加藤に面罵された純歌はしかし、仲本さんの死去後も態度を改めることはなかった。

「女性自身」によると、仲本さんの死去翌日に純歌が取り巻きと共に姿を現したのは、遺体が運び込まれた都内の斎場近くの焼肉屋。そこで彼女は、事務所から預かった戒名料60万円の一部をネコババするための密談を交わしていたというから驚く他ない。さらに、その後行われた通夜、告別式には、

「自分がかわいがっているラッキーという犬を連れてきていて“なぜこういう場に犬を連れてくるのか”と不審がられていました」

 先の「仲本家」の関係者はそう話す。

「スポーツ紙の記事では“仲本さんが可愛がっていたラッキーにも最後のお別れを”などと美談として報じられていましたが、目黒で飼っていたペットのうち、ラッキーは純歌が溺愛して横浜に連れて行った犬。仲本さんはいなくなったラッキーより、一緒に置き去りにされた子たちを大事にしてかわいがっていました」

 通夜の際、純歌はラッキーが入ったペット用のバッグを取り巻きの一人に持たせていたという。

「焼香をあげる時、純歌はラッキーの入ったバッグも一緒にご遺体の前に持っていき、ひょこっと顔を出させてラッキーにも焼香をさせるような仕草をしていたそうです」(同)

“なんで奥さんの歌を?”
 通夜の席での純歌の非常識な行動を難詰する人物はいなかったようだが、翌日の告別式は違った。ドリフメンバーの家族などが不満を爆発させ、一触即発の状況だったというのだ。

「告別式の会場では最初、仲本さんと純歌のデュエット曲『この街で』などが流されていたのですが……」

 と、先の仲本さんの知人。

「いかりや長介さんの娘さんが“なんでこの音楽なの? 仲本さんはドリフターズだよ。なんで奥さんの歌を流さなきゃいけないの?”と言い、不穏な空気が漂いました。結局、参列者の中にドリフのCDを持っている人がいたので急遽そちらに変えてもらい、出棺の時には『ドリフのズンドコ節』などが大音量で流されていました」

 ドリフメンバーの家族と純歌との間に生じた溝。それは会場の音楽だけが原因ではなく、

「お花入れの時、純歌さんはずっと仲本さんの頭のところにいて、なぜか覆いかぶさるようにして頭を揺らしたりしていたのですが、それと同時にご遺体の写真をパシャパシャ撮っていたのです。それに高木ブーさんの娘さんが怒って、“なんで撮るの? 撮るのやめなよ!”とキツい口調で純歌さんに言っていました」(先の芸能関係者)

“ご遺体は記憶の中にとどめておくものだ”と高木の娘が重ねて注意しても純歌は聞く耳を持たず、

「ずっと撮り続けているので、いかりやさんの娘さんも“いい加減にしなさいよ”と怒って。すると、純歌さんの取り巻きの一人が棺に近づいてきてご遺体を撮り始め……。いかりやさんの娘さんに“なんで撮るの!”と怒られても、“なんで撮っちゃいけないんですか?”と言い返し、悪びれることなく撮り続けていました」

会場は「カオス」に
 家族と一部関係者のみが参列を許された閉ざされた告別式は、「カオス」とでもいうべき状況だったのだ。

「いかりやさんの娘さんは純歌に向けて、“何で仲本さんは何も悪くないのに死ななきゃいけないのよ?”と言っていましたが、純歌は聞こえないフリをしてご遺体の写真を撮り続けていました。そうした状況にいかりやさんの娘、高木さんの娘が泣いてしまい、加藤さんの奥さんの綾菜さんが二人の肩を抱き、三人で泣き崩れているような状況でした」(先の仲本さんの知人)

 仲本さんが死去する直前、病院で純歌に「お前のせいだ」と迫った加藤は、高木と共に会場内の椅子に座り、純歌には近寄ろうともしなかったという。

「純歌の方も“最後に顔を見てやって下さい”などと声をかけることもなく、ずっとご遺体の頭の辺りに陣取っていました。ちなみに棺の中には純歌と仲本さんの写真やCDばかり入っていたので、高木さんの娘さんがその上にドリフの写真を置いていました」(同)

 加藤を始めとするドリフ関係者との溝について、純歌本人は何と言うか。

 葬儀の数日後、店から出てきた彼女に声をかけたが、

「話すことは何もない」

 などと言うのみ。加藤茶に「お前のせい」と激高されたことについては、

「言われません。絶対に、そんなこと」

 そう否定するのだった。

文春の記事に加藤茶は“とんでもないウソだ”
 しかし、前回の本誌記事でも指摘した通り、純歌の発言にはウソが付きまとう。

 例えば仲本さんの死去後、「週刊文春」の取材に応じた純歌は、

〈(本誌の報道後)「もうお店も閉じて、芸能活動も辞めて、庭付きの一軒家でも探して新しい生活を二人でしよう」なんて話し合っていた〉

 そう明かしているが、

「完全なウソですよ。仲本さんは仕事を辞める気は全くなかったですし、生活もギリギリで、庭付きの一戸建てに引っ越す余裕もありませんでしたから」

 と、仲本さんの別の知人。

「芸能界を辞める仲本さんに事務所が一軒家を買ってあげるはずもない。純歌の言い分を垂れ流すだけの文春の記事が出た後、加藤さんは“とんでもないウソだ”と激怒していました」

仲本さんが語っていた「小さな夢」
 この知人は仲本さんから「小さな夢」の話をされたことがある、と明かす。

「私の命がある限り、(居酒屋の)仲本家を閉めずにやっていきたいんだよ」

 仲本さんはそう語っていたという。

「仲本家がなくなったらそこで働く仲間の収入がなくなっちゃうからね。見捨てるようなことは絶対にできないんだよ。動物たちがいて、仲本家に来てくれるファンやお客さんがいてさ、それだけで十分幸せじゃないかなって。そりゃぜいたくはできないけれど、切り詰めればなんとかみんなの生活をつなげると思っています。私の小さな夢です……」

 そんな仲本さんの夢に思いをはせることもなく、身勝手な理由で別居生活を始めた純歌。それでも、まるで洗脳されたかのように彼女を信じ続けた仲本さんは、自宅兼店のある目黒と、彼女が暮らす横浜を行き来する中で命を落とした。

「お前のせい」――加藤が彼女に放った一言は、仲本さんの死を本心から悼む全ての人の心の声であろう。

(以上、「週刊新潮」2022年11月10日号再掲)

 ***

 昨年12月15日にはフジテレビで追悼特番「ドリフ大感謝祭 ありがとう仲本工事さんスペシャル」が放送され、時代を彩った懐かしの爆笑コントの数々がお茶の間を楽しませた。また、元日にも同じくフジテレビで「ドリフに大挑戦スペシャル」が放送される。

 ドリフ世代、そしてリアルタイムでドリフを見ていない若い世代からも愛される仲本さん。今後もドリフ伝説は語り継がれていくのだろう。
2023.01.02 10:32 | 固定リンク | エンタメ
開園前から40年働き続ける
2023.01.02

【ディズニー】開園前から40年働き続ける社員が語る秘話  今では意外な“お叱り”も…

1983年4月15日にグランドオープンした東京ディズニーランド。今年40周年のアニバーサリーイヤーを迎えます。グランドオープン直前の83年4月1日に、パークの運営会社・オリエンタルランドに入社し、約40年働き続けている地曵睦さん(59)を取材。地曵さんだからこそ知っているパークの変化や、アトラクションオープン当時の秘話を聞きました。

■勤続約40年 地曵睦さんの主な経歴
・1983年4月1日入社 管理部計算課 配属
・1987年7月 管理部購買課へ異動
・1989年10月 運営部運営課へ異動 トムソーヤ島いかだ、スプラッシュ・マウンテンなどを担当
・1999年 カントリーベア・シアター ユニットマネージャー
・2003年4月 スプラッシュ・マウンテン ユニットマネージャー
・2007年11月 ファンタジーランド、トゥモローランドマネージャー
・2010年7月 ウエストグループ・マネージャー
・2012年10月~現在 時間帯運営責任者(パークで各時間帯の運営を統括/管理する責任者)

■当時日本になかったディズニーランド なぜ入社を決意したのか

数多くのアトラクションを担当

東京にパークが誕生する前は、世界でもアメリカのカリフォルニアとフロリダだけにあったディズニーリゾート。地曵さんは就職先を探していた当時を「ディズニーランドというものをやるっていうのは、どこかで本当かはすごくドキドキはしていたものの、せっかくだから受けに行ってみようかなと。安定している企業とは思えなかったですけど、一緒にチャレンジしてみようかな、面白そうだなっていう軽い感覚でした」と笑顔で振り返ります。

■時代が違った…今では想像できない“お叱り”のワケ

時代の“変化”を見てきた地曵さん

開園当時は“テーマパーク”という言葉もなく、お客さんはテーマパークに来たことがない人ばかり。慣れていないお客さんを楽しませることに、苦労したこともあったそうです。1992年、落差16mの滝を下る『スプラッシュ・マウンテン』の立ち上げた時には「ゲスト(お客さん)が水にぬれるということに耐性がなかったので、“ぬれ方に対するお叱り”はずいぶん受けましたね」という地曵さん。降り場にドライヤーを持っていって対応し、誠意を見せたこともあったそうで「水にぬれるということが、人によって感覚がこんなに違うんだな、と。当時はまだそういう時代でしたね」と、懐かしそうに明かしました。

また、2000年に『プーさんのハニーハント』をオープンした初日には、当時最先端の技術を使っていて操作が難しかったため「動いている時間の方が短いくらい、システム調整の時間が多くなってしまった」といいます。多くのお客さんからの苦情に対応していたそうですが「そのうちのお一人からお手紙をいただいて、謝罪の仕方に対するお褒めの言葉をいただいた。誠意を持って対応すれば理解していただける方がいると感じたし、それはその後の仕事の糧になりましたね。ここまで長く続いた理由の一つです」と、感慨深そうに語りました。

■40年見てきたからこそわかる「一番変わったもの」「変わらないもの」

40年働き続けてきた地曵さんが感じる“40年で一番変わったこと”を聞くと「ゲストの楽しみ方」だといいます。開園当時はテーマパーク自体を知らない人が多かった中、だんだんと“生まれた時からディズニーランドがある”世代が増えていき「昔はパレードもただ走っていれば喜んでいただけて、アトラクションも乗ればそれでご満足いただけたんですが、今は “参加しに行く”という意識が強い。当時は(振り付けなどを)一緒にやってくださいって言っても、日本はシャイな人が多くて、やらなかった。今はどんどんノッてくれるので、ゲスト自身がショーやアトラクションを盛り上げてくれたり、“参加感”がすごく大きくなった」と分析。

一方、“40年変わらないもの”は「キャスト(従業員)のホスピタリティー」。キャストとただ話すことを目的に来るお客さんも多いそうで「キャストにいい対応をしてもらったゲストが、キャストに憧れて、キャストとして戻ってきてくれたりして。ゲストに寄り添っていく対応が好きで入ってくるキャストが増える、その繰り返しが(パークが)長く続いていく秘けつなんじゃないかなと思います」と、見守り続けてきたからこその考えを明かしました。

■アニバーサリーイヤーへ 「みなさんと一緒に楽しみたい」

今年4月に40周年を迎える東京ディズニーリゾート。今の思いを聞いてみると「まさか40年も続くとは、入った時は考えてなかった」と意外な本音を漏らしつつ「私自身もここで40年勤務してこられたのは、ゲスト・キャスト含めて人と人とのふれあいが大きかったと思います。今後もそれを求めてくるゲストの期待に応えられるパークとして、40周年をみなさんと一緒に楽しみたいと思っています」と抱負を語りました。
2023.01.02 09:29 | 固定リンク | 経済

- -