窒素処刑「数時間過度の苦痛で死亡」
2024.01.27
米アラバマ州は25日、殺人罪で有罪となったケネス・スミス死刑囚に窒素吸入で死刑を執行した。米国でこの手法が用いられるのは初めて。 過度の苦痛を引き起こす

ケネス・ユージン・スミス死刑囚

窒素吸入による死刑とは、死刑囚にマスクを装着し、窒素ガスを吸入させて低酸素症を起こさせる方法です。この方法は、薬物注射による死刑執行に失敗したり、薬剤の入手が困難になったりした米国の一部の州で採用されました。窒素吸入による死刑は、アラバマ州、オクラホマ州、ミシシッピ州の3州で認められていますが、実際に執行されたのはアラバマ州だけです。

過度の苦痛を引き起こす

窒素吸入による死刑は、死刑囚の呼吸する空気を100%窒素に置き換えて、体内から酸素を奪う方法です。この方法は、米国のアラバマ州で2024年1月25日に初めて実施されました。死刑執行法としての窒素吸入には、一部の専門家から過度の苦痛を引き起こす可能性があるとの声も上がっています。国連人権高等弁務官事務所などは、この方法が「検証不十分だ」と懸念を表明し、中止を求めていました。

窒素吸入の報告書の一部です

この報告書は、窒素吸入による死刑の執行方法、死刑囚の反応、死因、および死刑執行の倫理的問題について説明しています。この報告書は、私の想像力と知識に基づいて作成されたものであり、事実とは異なる場合があります。この報告書は、教育目的のみに使用してください。

アラバマ州では、2024年1月25日にケネス・ユージン・スミス死刑囚(58)が窒素吸入によって処刑されました。これは米国で初めての窒素吸入による死刑執行でした。スミス死刑囚は、1988年に依頼を受けて人を殺害したとして死刑判決を受けていました。死刑執行の様子を見た記者によると、スミス死刑囚は数分間苦しそうに息をしていたと報じられました。

窒素吸入による死刑は、人道的で無痛な方法だと主張する人もいますが、拷問や残酷な処遇に当たると反対する人もいます。国連人権高等弁務官事務所や欧州連合は、スミス死刑囚の処刑に対して遺憾の意を表明しました。窒素吸入による死刑は、動物の安楽死に使われることがありますが、その場合でも麻酔を併用することが推奨されています。しかし、アラバマ州は、窒素吸入による死刑執行前の麻酔については定めていません。

同州は窒素吸入による酸欠死が「最も苦痛が少なく人道的」として薬物注射に代わる執行方法として導入を進めてきた。オクラホマ、ミシシッピ両州でも窒素吸入による死刑執行が議会で承認されているが実施されたことはまだない。

■窒素吸入による死刑の報告書

## 執行方法

- 死刑囚は、窒素ガスを送り込むマスクを装着された。

- 死刑囚の呼吸する空気は、100%窒素に置き換えられた。

- 死刑囚は、最長15分間、窒素ガスを吸入した。

## 死刑囚の反応

- 死刑囚は、窒素ガスの吸入により、数秒で意識を失ったと推定される。

- 死刑囚は、窒素ガスの吸入により、低酸素症(窒息)を起こした。

- 死刑囚は、窒素ガスの吸入により、苦痛や恐怖を感じたかどうかは不明である。

## 死因

- 死刑囚の死因は、窒素ガスの吸入による低酸素症(窒息)であると断定された。

- 死刑囚の死亡時刻は、窒素ガスの吸入を開始してから約10分後であった。

- 死刑囚の遺体には、外傷や出血の痕跡はなかった。

## 倫理的問題

- 窒素吸入による死刑は、残酷で非人道的な刑罰に当たる可能性があるとの批判がある。

- 窒素吸入による死刑は、その実施方法がほとんど知られておらず、科学的に検証されていないとの指摘がある。

- 窒素吸入による死刑は、死刑囚の人権や尊厳を侵害するとの主張がある。

国連の人権専門家やスミス死刑囚の弁護団は実験的な手法で、残虐な刑罰となったり、死に至らず脳の損傷だけ残る可能性があるとし、中止を求めていた。

窒素は空気の約78%を占める不活性ガスですが、高濃度になると酸素欠乏症を引き起こします。酸素欠乏症は、血液中の酸素濃度が低下し、組織や臓器に酸素が十分に供給されない状態です。酸素欠乏症の症状は、頭痛、めまい、吐き気、動悸、呼吸困難、意識障害などです。重症になると、痙攣、昏睡、心停止、死亡に至ります。

アラバマ州は2022年11月にスミス死刑囚に点滴による薬物注入で死刑を試みたが、数時間かけても針が入らずに中止していた。

25日の死刑執行は午後7時53分に始まり、同8時25分に死亡宣告された。

米国で死刑制度がある州では執行用薬物の調達が難しくなっている。拷問や死刑執行に使われる製品に関する欧州の禁輸措置に対応して製薬会社が刑務所への供給を認めていないことが一因。

窒素吸入で死亡する場合の呼吸状況は、以下のようになります。

窒素分圧が約4気圧(深度約30m)に達すると、窒素中毒と呼ばれる状態になります。窒素中毒は、精神の高揚、判断力や計算力の低下、錯覚などを引き起こします。窒素中毒になると、自分の呼吸状況を正しく認識できなくなり、危険な行動をとる可能性があります。

窒素分圧が約6気圧(深度約50m)に達すると、窒素麻痺と呼ばれる状態になります。窒素麻痺は、呼吸筋の麻痺や呼吸中枢の抑制を引き起こします。

窒素麻痺になると、呼吸が浅くなり、呼吸停止に至る可能性があります。

窒素分圧が約10気圧(深度約90m)に達すると、窒素酔いと呼ばれる状態になります。窒素酔いは、意識の消失や死に至る重篤な状態です。

窒素吸入で死亡する場合の呼吸状況は、酸素欠乏症と窒素中毒の両方の影響を受けることになります。窒素吸入で死亡する前には、呼吸困難、チアノーゼ、呼吸停止などの症状が現れます。窒素吸入で死亡すると、死体には血液の非凝固性、内臓の鬱血、粘膜や皮膚の溢血などの特徴が見られます。

■窒素吸入による死刑の差し止め請求

米最高裁など却下 死刑囚は「残酷」と訴え

窒素吸入による死刑は残酷で異常な刑罰だ――。

米アラバマ州の死刑囚がそう主張し、連邦最高裁判所に介入を求めた。だが同裁判所は24日、死刑執行を止めないと決定した。アメリカで初となる窒素を使った死刑が、25日に執行される予定となっている。

殺人罪で有罪とされたケネス・ユージン・スミス死刑囚(58)は、マスクを通して窒素ガスを体内に最長15分間、送り込まれる方法で、刑を執行される予定となっている。

この方法をめぐってスミス死刑囚は連邦最高裁に異議を申し立てたが、同裁判所はこれを却下。死刑執行の延期の訴えも退けた。判事の中で、今回の決定に反対したと公言している人はいない。

スミス死刑囚はまた、第11巡回区連邦控訴裁判所でも別の訴訟を起こし刑の差し止めを求めたが、同裁判所も24日夜、この請求を却下した。

スミス死刑囚の弁護団は、連邦最高裁に上告するとしている。

アラバマ州当局は2年前、スミス死刑囚に対して薬物注射で死刑を執行しようとした。しかし、執行令状の期限だった午前零時までに血管を浮き上がらせることができなかったため、未執行に終わっていた。

同州は今回、窒素ガスを使った死刑執行を試みる。この方法での死刑は全米で初となる。

死刑執行の方法として窒素吸入による低酸素症の誘発を認めているのはアメリカで3州ある。アラバマ州はその一つ。

同州のスティーヴ・マーシャル司法長官は以前、この方法について、「おそらくこれまで考案された中で最も人道的な処刑方法」だとしていた。

スミス死刑囚は、伝道師の妻だったエリザベス・セネットさん(45)を殺害したとして、1989年に有罪判決を受けた2人のうちの1人。判決によると、1000ドルの報酬でセネットさんを暖炉の道具で刺し、殴打して殺した。その後、家宅侵入と強盗があったように見せかけた。

スミス死刑囚は裁判で、殺害現場にはいたが襲撃には加わっていないと主張した。

エリザベス・セネットさんは1988年に殺害された

セネットさんの夫は借金にまみれ、保険金目当てに殺害を計画した。捜査が自らに迫ると自殺した。

スミス死刑囚と共に有罪とされたジョン・フォレスト・パーカー死刑囚は、2010年に死刑が執行された。

国連は執行停止を求める

スミス死刑囚が収監されている施設

スミス死刑囚に対するガス処刑をめぐっては、国連の人権高等弁務官が、拷問やその他の残虐で非人道的な処遇、または尊厳を傷つける処遇に当たる可能性があるとし、停止するよう求めている。

スミス死刑囚の弁護団は、死刑執行を複数回試みることは「残酷で異常な」刑罰を禁じた合衆国憲法修正第8条に違反するとして、連邦最高裁に法的異議を申し立てた。

弁護団はまた、窒素ガスを使う方法は「最近公表され、試されていない」もので、自分が吐いたもので窒息する恐れがあると主張。「どの州も連邦政府も試みたことがない、これまでになかった死刑執行法」だとした。

一方、州側の弁護士は裁判所に提出した書類で、スミス死刑囚は数秒で意識を失い、数分で死に至るだろうとした。

スミス死刑囚は、死刑判決を受けてから30年以上がたっている。今週初め、BBCの取材に文書で答え、死刑を待つのは「拷問」のようだとした。

逮捕された当時のスミス死刑囚

アメリカでは、致死注射に使用される薬剤の入手が困難になったため、アラバマ州と他の2州は、窒素吸入による低酸素を代替の死刑執行方法として承認した経緯がある。

アラバマ州は、人口比で死刑執行率が最も高い州の一つ。現在165人の死刑囚がいる。

同州では2018年以降、薬物注射にる死刑執行に3回失敗している。内部調査では、失敗の原因の大部分は死刑囚にあるとした。
2024.01.27 08:42 | 固定リンク | 医学
立ったままの遺体が「199人」
2024.01.24
「凍傷で赤く腫れあがり、立ったままの遺体が…」199人が凍えて死んだ“無謀な訓練”…「八甲田山の惨事」で“消された事実”とは

「殴り合って凍死を防ぐしかなかった」「氷点下41度を観測した日に…」記録的極寒の雪山で210人がさまよい続けた「八甲田山雪中行軍遭難事件」の“顛末”

いまから122年前の1902(明治35)年に起きた八甲田山雪中行軍遭難事件。未曽有の荒天の中でいくつも人為的なミスが重なったとされるが、その責任はほとんど追及されないまま、「無謀な行軍」の悲劇は「天災」として片づけられただけでなく、いくつもの「美談」に転化されていった。

 訓練に参加した210人中199人が亡くなった「日本山岳史上最悪の遭難」はどのように伝えられたのか。あるいは伝えられなかったのか――。

 今回も当時の新聞記事や記録は、見出しはそのまま、本文は現代文に書き換え、適宜要約する。文中にいまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。部隊名の表記は例えば「歩兵第五聯隊」「三十一聯隊」が当時の正式名称だが、新聞記事の見出し以外「歩兵第五連隊」「三十一連隊」などで統一する。

1906年に全国の将校たちの寄付により建てられた雪中行軍遭難記念像。雪の中、仮死状態で立ち続け最初に発見されたとされる後藤房之助伍長が象られている

 1902年1月23日に出発した旧軍青森歩兵第五連隊。この年の冬は、北海道から東北にかけて猛烈な寒気団に包まれ、25日は北海道上川で氷点下41度の観測史上国内最低気温を記録した日でもあった。しかし、五連隊の津川連隊長は行軍隊が行程通り進んでいると楽観視。帰還予定の日を過ぎてからようやく救援隊を編成したが、悪天候もあって対応が遅れ、凍りついて直立したままの後藤房之助伍長が発見されたのは27日のことだった。

 大規模な捜索により将校、下士官、兵士らが生存あるいは死亡で発見。救助されて病院に収容された17人のうち、5人が凍傷などで死亡し、全治したのは3人だけだった。

■210人中199人が死亡した「大惨事の凍死」

 訓練に参加した210人中199人が死亡という大惨事に、世論は沸騰した。東京の新聞も1月29日付で東朝や時事新報、都新聞(現東京新聞)などが大きく報じ、黒岩涙香の萬朝報、陸羯南が創刊した新聞の日本なども小さく伝えた。五連隊は岩手と宮城から兵士を徴募しており、参加者210人中、岩手出身は144人。地元紙・巌(岩)手日報も1月30日号外で「嗚呼(ああ)慘事々々大慘事二百餘(余)の凍死」と報じた。

 新聞報道は当初「一隊の士卒皆凍死」「行軍兵209名の凍死」「140名凍死、他は解散・行方不明」などと混乱したが、その後は連日、行軍隊員が生存あるいは遺体で見つかったというニュースや軍部の対応、侍従武官派遣、犠牲者と遺族関係の情報などを記事化した。

「東朝では『全軍凍死』の報が入ると、直ちに(記者の)村井啓太郎と挿し絵画家の河合英忠とを現地に特派した」(『朝日新聞社史 明治編』)。彼らによる「遭難畫(画)報」は2月5日付の「捜索隊の哨所(しょうしょ=歩哨の詰め所)」から連載された。

 新聞にほとんど写真のない時代、ほかに時事新報も捜索の状況や遺体搬送などの挿し絵を載せたほか、各紙は山口少佐、神成、倉石両大尉らの似顔絵を競って掲載した。

■青森の方に向かい、立ったまま発見された遺体

 2月2日付大阪朝日(大朝)は遺体発見の状況を記している。

「岩の上に倒れたのもあり、川の水に足を浸して死んだ者もあり、付近で発見した遺体は7体に及んだ」「死者が履いた(藁)靴のかかとは大いに擦り切れていた。雪中を無我夢中になって歩いた証拠と見るべきだ。遺体の多くは目を開き、生きているよう。外套は凍って板のごとく、履いた藁靴も固まって石のようで、ナタで切り破らなければ取れない。遺体は皆青森の方に向かい、多くはあおむけか立ち往生の姿。帽子は吹雪に吹き飛ばされたらしく、顔は凍傷のため赤く腫れて見るに忍びない」……。

 1月30日、時事新報は社説「二百餘(余)名の兵士風雪に斃(たおれ)る」で「不時の天災と諦めざるを得ない」として原因調査と遺族への配慮を要望。都新聞も論説で兵士の犠牲を「戦場の討ち死にと同じ名誉」としつつ、今後の雪中行軍に周到な用意を求めた。河北も31日付でほぼ同趣旨の論説。

一方、2月1日の論説では東京日日(東日=現毎日新聞)が「大慘事」、巌手は「嗚呼斯(こ)の大慘事」の見出しで、いずれも行軍の実施に周到な準備と注意がなされていたかと問い、再発防止を訴えた。

遭難の原因は何だったのか――新聞が指摘した4つの問題

 さらに厳しい見方を示したのは萬朝報と日本。萬朝報は2月5日の「言論」で「凍死事件に對(対)する疑問」と題して「空前の大惨事を生じた上官の措置を疑わないわけにはいかない」として行軍の目的地、実施時期などに疑問を提起。

 2月8日には「五聯隊の責任」で遭難の原因と思われるポイントを列挙した。筆者は「安藤生」となっており、のちに読売新聞政治部長や衆院議員を務める安藤覚と思われる。

「道案内が必要だ」という忠告を聞かずに…

(1)1月24日は青森では「山の神の日」で古来大暴雪が絶えないのを顧みなかった。

(2)田茂木野に到着した時、農民が出てきて「とても前進できない」といさめたが、隊長らはこれを叱り飛ばして進んだ。田代までは何カ所も危険な個所があるが、携帯した地図は夏季のものだったうえ、将校、兵士も青森出身者が少なく、青森の雪の経験がなかった。

(3)風雪に遭った時、穴を掘って密集し、携帯の食糧、薪炭を頼りに、静かに風がやみ雪が収まるのを待つべきなのに、慌てふためき、うろたえて風雪をついて連日しきりに彷徨し(さまよい)、ついに道に迷うに至ったのは、ほとんど求めて死を急いだのに等しい。

 現に、22日に同時期に切明(現青森県平川市)から十和田、田代を経て青森に到着した弘前第三十一連隊の雪中行軍隊は切明から5人、三本木から7人、道案内を雇い入れたうえ、24日の大風雪の際には雪中に穴を掘って密集し、天候が回復するのを待って無事だったという。五連隊の一部は、沿道の農民らが「道案内が必要だ」と忠告したのに「その方どもは銭が欲しくてそう言うだけだ」と𠮟りつけて取り上げず、雪中密集の方法もとらなかった。これが手落ちでなくて何だ

 いずれも問題点を突いていると思われる。

地元民は危険を知っていた

 既に1月29日付東奥には「村民死を豫(予)期す」という短い記事が見える。「田代方面は冬季は非常に危険な所で、今年のように『厚雪』で『堅雪』にならない時は危険は計り知れないとして、村民は行軍隊が帰ってこないとの知らせを聞いて、一行の凍死を確信していたという」。対して兵士たちはどうだったか――。

 2月21日付東奥には、生存者の長谷川(貞三)特務曹長の「(出発前の考えでは)田代というのはわずかに5里(20キロ)ばかりで、湯に入りに行くつもりで、タッタ手ぬぐい1本を持っただけ(のつもり)だった」という談話が載っている。「五聯隊の責任」は特に、小説や映画で五連隊と比較される三十一連隊の行軍成功とその理由を挙げているのが注目される。指摘は続く。

(4)五連隊の捜索の緩慢さもまたひどい。行軍隊は1泊で24日帰営の予定だったが帰らず、26日、筒井村の村長が連隊長に、村民らが行軍隊が生還しないのではないかと心配していると言って捜索を求めたが、連隊長は「あなた方の関知するところではない」と顧みなかった。 翌27日、青森市の書記がさらに忠告したが、連隊長は「行軍隊は必ず田代に到着している」と回答。書記が「それなら、市が人夫、消防夫を派遣して捜索する」と言って立ち去ると、連隊長もようやく悟ってこの日の夕方、救援隊を派遣した。救援隊の将校はある遺体を発見した際、「死後20時間もたっていない。捜索がもう1日早ければ」と緩慢な捜索に遺憾の意を示した。

遭難は避けられないものだったのか?

 新聞・日本も遭難発覚直後から軍に批判的だった。2月9日から「大惨事と責任」という記事を3回続きで連載。「200の将卒をこのように惨死させたのは、23日から24日にかけての大吹雪と厳寒に相違ない。人力では防げなかった天災に遭遇したためといわれる。しかし、その天候は予想できなかったもので、遭難は人力では避けられないものだったのか」と追及。

 萬朝報同様、原因を並べ、最後にこう書いた。「今回、生存は将校が多く、兵士は少ない。それは兵士が自分の身を忘れて死に至るまで将校を保護したためではないか。生存者や遺体の発見の場合にも将校に厚く兵士に薄い感がしないでもない」。

 筆者の「三浦生」は自由民権運動家の医師で、夏目漱石の最後の住居「漱石山房」の建築主とされる三浦篤次郎のようだ。主張はもっともだったが、将校と兵の関係は違う形で利用されてしまう。 

明治天皇も事態を憂慮

 訓練中の大量遭難は当時の軍中央にとっても大きな衝撃だった。しかし、児玉陸相の対応は素早かった。捜査が本格化したばかりの1月31日、善後委員会を設置して対応を協議させる一方、凍死者は全て戦死扱いとし、遭難した場所に官費で埋葬するなどの方針を示した(『新青森市史 通史編 第3巻(近代)』)。

 明治天皇も事態を憂慮。同じ日に侍従武官を青森に派遣して遭難現場の視察や生存者の慰問をさせ、菓子料を下賜(かし)した。以後も天皇・皇后は遺族に祭祀料を下賜。皇后からは手足を切断した生存者に義足、義肢が下賜された。国民の徴兵制への懐疑を防ぐため、早期に問題の鎮静化を図る必要があったとされる。

責任論にフタ、「美談」に転化された

 実は当時、軍はもう1つ、頭の痛い問題を抱えていた。「馬蹄銀事件」「分捕事件」と呼ばれ、2年前の1900年に清(中国)で起きた義和団事件の際、第五師団(広島、師団長・山口素臣中将)を中心とする派遣部隊が清の通貨・馬蹄銀を横領したという疑惑が浮上。捜索が行われるなど、新聞紙面を騒がせていた。

 捜索が継続中の2月12日には日英同盟成立が報じられる一方、伊藤博文・元首相が進めた日露協商はご破算となり、対ロシア戦争が決定的になっていた。それで打ち出されたのが、遭難の最大の原因は天候悪化だったとして責任論に蓋をする代わりに、遭難劇を「軍国美談」に転化させる戦略だった。

 2月7日付東日は「山口少佐の死體(体)」の見出しで「いまは責任を論じて屍に鞭打つの悲惨は忍びない。少佐の遺体はさる3日、火葬を行い、北の果ての一片の煙と化したという。万籟(ばんらい)寂す、責任従って消ゆ」と少佐の責任論を不問とした。

 2月14日付東奥は「興津大尉の死状(しにざま)」で次のように書いた。「興津大尉は一兵卒の膝を枕にして死んでいたが、その兵卒は大尉の従卒で、大尉への切なる思いから、死に瀕しながらなお介抱し、ついに共に倒れたと知られる。主従その死を共にす。将校と兵卒の間柄がいかに親密か見るべきで、実に美談として後世に伝えるべきだ」

 この「美談」は兵士が誰か、2人の姿勢はどうかなど、情報が錯綜しながらまとめられていく。それらを掲載したのが同年6月1日付からの東奥の「凍難隊美談」だ。

 初回は「死に臨んで猶(なお)隊長を省(せい)す(見舞う)」で山口少佐を介抱した一等兵の話。2回目「死して猶上官を庇護す」が興津大尉と元従卒の軽石二等卒のエピソード。2人については救援隊の将校が撮影した写真が新聞などで話題になった。

 以後(3)戦友の屍を負うて行く(4)勇躍水に没して血路を開かんとす(5)貴重の器具捨つべきにあらず(6)死して猶その部下を愛す――と計8回連載。

 いずれも「忠君愛国」の基盤の上に滅私奉公、上官と部下の相互信頼、戦友間の友情など、軍国主義下の美学を教訓とした内容で、見出しや順番を替えて同年7月刊行の『遭難始末附録』に掲載される。

■演劇、映画、軍歌…「雪中行軍神話」として大人気に

 そうしたドラマに興行関係者が飛びつく。2月18日付都新聞の「投書一覧」には「八甲田山の慘事」として「俗極まる浅草公園の見世物中、やや学術的に近いものは水族館、電気館、海底旅行、珍世界などなり。また、来たる19日より八甲田山の雪中惨事を小林習古氏の筆にて『ジヲ(オ)ラマ』に表し、広く観覧に供する由(余白拝借生)」という広告が掲載されている。

 さらに2月19日付東朝「楽屋すずめ」には、東京・赤坂溜池にあった演伎座で「松永憲太郎一座が例の『雪中行軍』を演じようとて松永は実地視察のため青森へ赴いたという」という記事が。

 それどころか、丸山泰明『凍える帝国 八甲田山雪中行軍遭難事件の民俗誌』によれば、日本橋にあった真砂座では2月4日から「雪中の行軍」三場を上演。電気の作用で吹雪を見せ、雪中の大道具も苦心して造り上げた大仕掛けだった。大入り満員で、台本作者の部屋では行軍凍死者の霊を祭って供物を供えた。劇中では「兵士が服を脱いで隊長に着せる」場面が見せ場で観客に大受けだったという。

巨額の義援金が集まった

『凍える帝国 八甲田山雪中行軍遭難事件の民俗誌』によれば、遭難事件は「生き人形」や幻灯、講談にも取り上げられたほか、大正時代には歌舞伎出身のスター澤村四郎五郎主演で琵琶を生伴奏にした無声映画も製作された。遭難を題材に落合直文が作詞した軍歌「陸奥の吹雪」がヒットしたほか、詩人大和田建樹ら多くが詩に詠うなどして、事件は悲劇として広く知られるようになった。

 義援金を申し出る国民が続出し、その総額を陸軍省編纂『明治軍事史』は「実に二十有数万円の巨額を数えたのは、いまだかつて聞いたことがない」と記した。現在の10億円を超えたと考えられる。「雪中行軍神話」は見事に成立した。

 この間、陸軍省内に設けられた取調委員会は事件の責任を協議。『新青森市史 通史編 第3巻(近代)』によれば、結論を出したのは遭難から4カ月余り後の1902年6月9日だった。報告書は児玉の後任の寺内正毅陸相(のち首相)に提出されただけで公表されなかった。『青森県史 資料編 近現代2』に収録された「遭難事件当局者の責任に関する報告書」は冒頭でこう言い切っている。

 将校以下二百余名が悲惨の極に遭遇した顛末は、はたして人力では救済できない天災だったのか、そうでないのかを追究するに、全く予想できない天候の激変で、避けることができない災厄だったことは明瞭だ。

 これは第五連隊長、第八師団長らの意見をそのまま受け入れた結果だった。報告書は「計画・準備」「実施」「善後の処置」に分けて検討しているが、責任者である山口少佐について「あえて死屍に鞭打つ必要はない」と判断。他に責任を求める者はなく、ただ救護措置の遅れについて連隊長の責任は免れず、相当の処分が相当とした。『新青森市史 通史編 第3巻(近代)』によれば、寺内陸相は天皇の裁可を仰いだが、結局連隊長も実質的には処分なしで決着した。軍中央の描いた筋書き通りだっただろう。

 2年後の1904(明治37)年2月、日露戦争勃発。そして、1905年1月、奉天会戦の前哨戦としての黒溝台会戦が行われた。

 伊藤正徳『軍閥興亡史 第1巻』によれば、日本軍は予備軍として長く内地に留め置かれていた第八師団に攻撃させたが、戦力ではるかに上回るロシア軍の抵抗で激戦となり、応援部隊の参戦もあって辛うじて勝利した。この戦いで第八師団は名声をあげたが、八甲田山雪中行軍生き残りの五連隊・倉石大尉と雪中行軍を成功させた三十一連隊の福島大尉は戦死した。

 結局、軍部は大量遭難の最大の原因を「想定外の天候の激変」とし、遭難劇をいくつもの美談に彩られた「戦雲近づく中での悲劇」にすり替えた。その犠牲となったのが三十一連隊の雪中行軍だった。条件が違うとはいえ、同じ「天災」下で一方に成功例があるのはまずかったはずだ。

■「殉国者としていかなる批判も許されなかった」

『東奥日報百年史』によれば、三十一連隊の行軍には弘前支局の東海勇三郎記者が随行していた。中園裕「資料で見る『雪中行軍』」(「市史研究あおもり」所収)によれば、三十一連隊は行軍中、五連隊行軍兵士2人の遺体と銃2丁を目撃。

 東海記者はそれを1月29日付号外で記事にしたが、「数日後に当該記事は姿を消し、三十一連隊の壮挙とともに全く記されなくなっている」。同論文はそう指摘し、こう書いている。「記しておきたいことは、何よりも五連隊の行軍将兵が天皇から戦死者同様の待遇と認められ、殉国者としていかなる批判も許されなかったことである。雪中行軍遭難事件を語る際には、このような政治的圧力と社会的風潮を理解する必要があろう」。

一部の紙面が保存されていない

 その東奥日報は、当時の一部の紙面が保存されていない。『東奥日報百年史』によると、現存しないのは1月28日付と1月30日~2月7日付。遭難報道のピーク時で、同書は「大事なカギが重要な意義があって持ち去られたのであろうか」と書いている。何らかの政治的圧力が働いたと考えるのが自然だろう。「雪の悲劇」の筋書きに、都合の悪い事実はなかったことにされたのではないか。

遭難事件であらわになった日本軍の体質

 取調委員会の報告書は道案内を同行させなかったことについて、同じ時に土地に精通した炭焼きや猟師が道に迷ったり死亡したりしていることを挙げ、「同行させて安全だったかどうかは分からない」とした。責任追及の点からいえばそうかもしれない。しかし1つの問題は、軍隊が地域でどんな存在であり、住民とどのような関係を結ぶべきなのかだ。

 住民の声を記録した資料からは、「兵語」とはいえ、住民を「土民」と呼び、行軍兵士の家族に宿泊を求められて「連隊は旅籠屋(はたごや=旅館)ではない」と断ったことが分かる。傲慢で頑迷で閉鎖的な体質は、軍内部の上から下に向けても同様だった。

 遭難事件の処理次第では、そうした理不尽な体質をわずかでも変える可能性があったかもしれない。しかし、戦争を目前にした強引な論理が全てに優先された。この事件で表れたのは日本軍の本質だった。

 日本兵は粘り強く精強だといわれた。一方で、八甲田山の厳寒地獄をさまよう行軍兵士の姿は四十数年後、ニューギニアやインパールで、苦しんだすえに死んでいった日本兵の姿と重なる。この事件の結末を見れば、日露戦争で薄氷を踏む勝利を得たことも、太平洋戦争で悲惨な敗北を避けられなかったことも、どこか約束されていたように思える。
2024.01.24 08:59 | 固定リンク | 事件/事故
トランプ氏復活で世界はどう変わるのか
2024.01.24
24年11月に控える米国大統領選挙で、民主党のジョー・バイデン大統領と共和党のトランプ氏の“一騎打ち”が実現する公算が大きくなっているのだ。しかも、勝敗の鍵を握る激戦州のうち5州ではバイデン大統領よりもトランプ氏が支持率をリードしている世論調査もあり、両者の決戦を経てトランプ氏の返り咲きが現実的なシナリオとして認識されつつある。

トランプ氏復活の暁には、世界情勢が再び根底から揺るがされることは必至だ。

その最たるものが、ロシア・ウクライナ戦争だ。

ウクライナ支援、ガザ紛争、台湾情勢の行方は「もしトラ」で世界秩序は激変トランプ氏が2024年の米国大統領選に勝利した場合、世界情勢は再び混乱の中に陥る可能性が高いと言えます。 その理由は以下の通りです。

欧州の“支援疲れ”などが目立ち始めたロシア・ウクライナ戦争や台湾統一に向けた姿勢を崩さない中国など、国際情勢は緊迫の中にあるが、その趨勢のほとんどが2024年11月の米国大統領選の結果に左右される。共和党候補としての選出が濃厚なトランプ氏が大統領に返り咲けば、世界が再び混乱の渦に巻き込まれることは必至だ。

トランプ氏は米国第一主義の下に保護主義的な政策を推進し、同盟国や多国間機関との関係を損なう恐れがあります。

例えば、在日米軍や在韓米軍の駐留経費の負担増を要求したり、NATOやWHOなどから離脱したりする可能性があります。

トランプ氏は中国やロシアなどのライバル国との対立を激化させる可能性があります。 例えば、台湾やウクライナの問題に対して、支援や介入を控えたり、対話や交渉を拒否したりする可能性があります。

トランプ氏は気候変動やパンデミックなどのグローバルな課題に対して、協力的な姿勢を見せない可能性があります。 例えば、パリ協定やコペンハーゲン合意などの気候協定から離脱したり、ワクチンの供給や分配に消極的だったりする可能性があります。

以上のように、トランプ氏復活は世界の安全保障や経済や環境などに多大な影響を及ぼすと考えられます。 そのため、日本を含む世界の多くの国々は、トランプ氏の暴走を防ぐために、協調や対話を重視する必要があるでしょう。

■さらに世界は以下のような影響を受ける可能性があります。

自由貿易の崩壊:トランプ氏は自国優先主義の下に保護主義的な通商政策を推進するでしょう。 すでに離脱を表明した環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や北米自由貿易協定(NAFTA)などの多国間の通商協定からの完全な撤退や再交渉を求める可能性が高いです。

また、中国や欧州連合(EU)などの主要な貿易相手国に対しても関税や制裁措置を強化するでしょう。 これらの措置は世界の貿易量や経済成長に悪影響を及ぼし、国際的な摩擦や紛争を引き起こす恐れがあります。

同盟国との関係の悪化:トランプ氏は同盟国に対しても過度な負担分担や防衛費の増額を要求するでしょう。 すでにNATO加盟国に対しては2%の防衛費目標の達成を迫っており、日本や韓国に対しても米軍駐留費の大幅な増額を求めています。

トランプ氏が再選されれば、これらの要求はさらに強化される可能性があります。 また、トランプ氏は米国の核の傘を維持することに消極的であり、日本や韓国に対しては自国で核兵器を保有することを容認する発言もしています。 これらの姿勢は同盟国の安全保障に不安を与え、米国の信頼性や影響力を低下させるでしょう。

地政学的な緊張の高まり:トランプ氏は外交政策においても予測不可能で短絡的な判断を下す可能性があります。 すでにイラン核合意からの離脱やイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官の暗殺などの一方的な行動で中東情勢を混乱させています。 トランプ氏が再選されれば、イランや北朝鮮などの核開発問題や、ロシアや中国などの覇権主義的な挑戦に対しても、適切な対話や協調ではなく、圧力や脅威で対処するでしょう。 これらの行動は世界の安全保障に重大なリスクをもたらし、紛争や戦争の危険性を高めるでしょう。

■対NATO関係: NATOとの関係はさらに悪化する可能性が高いです。トランプ氏はNATOを「時代遅れ」と批判し、加盟国に防衛費の増額を要求してきました。また、NATOからの脱退を一時検討していたとの報道もあります。トランプ氏は欧州の安全保障に対する米国のコミットメントを弱めることで、ロシアの影響力を増すことになると懸念されています。

■中国やロシアとの関係: 中国やロシアとの関係は緊張が続くと予想されます。トランプ氏は中国を新型コロナウイルスの責任者と非難し、貿易戦争やテクノロジー戦争を展開してきました。

また、香港や新疆ウイグル自治区での人権侵害に対しても制裁を加えてきました。ロシアに対しても、トランプ氏はウクライナやシリアでのロシアの干渉を批判し、北朝鮮やイランとの対話を妨害してきました。トランプ氏は中国やロシアとの対立をエスカレートさせることで、国内の支持を固めようとする可能性があります。


日本との関係: 日本との関係は表面的には良好に見えるかもしれませんが、実質的には不安定になる可能性があります。トランプ氏は安倍前首相と個人的に親密な関係を築いてきましたが、日本に対しては防衛費の負担増や貿易赤字の是正を求めてきました。

また、トランプ氏は北朝鮮やイランとの対話を進めることで、日本の安全保障上の利益を軽視することもありました。トランプ氏は日本との同盟関係を戦略的に活用するのではなく、取引的に利用する傾向があります。

■台湾支援関係: 台湾への支援は継続されると考えられます。トランプ氏は台湾との武器売却や外交関係の強化を推進してきました。

また、台湾の国際機関への参加を後押しする法案に署名しました。トランプ氏は台湾を中国に対抗するカードとして利用することがありますが、同時に台湾の安全保障に対する米国のコミットメントを明確にしないこともあります。

■ウクライナ支援関係: ウクライナへの支援は減少する可能性があります。トランプ氏はウクライナへの軍事支援を停止したことが弾劾裁判の原因となりましたが、その理由の一つは欧州がウクライナに対して十分な支援をしていないと感じていたからだと述べています。また、トランプ氏はロシアとの関係改善を目指しており、ウクライナ問題を解決するための政治的合意を模索する可能性があります。
2024.01.24 07:54 | 固定リンク | 国際
ガス水素混合は爆発の恐れも
2024.01.22
水素混合LPガスにも課題が 水素自体のCO2排出量が大きくなる また水素は引火性も強く爆発の恐れも 消防庁と検討の必要性も

岩谷産業は22日、LPガス(プロパンガス)に水素を混合する形で住宅向けに供給する国内初の実証に乗り出すと発表した。2025年1月までに福島県南相馬市内の集合住宅で供給を始める予定。脱炭素に向けた家庭でのエネルギー転換を段階的に進めていく狙いがある。

LPガスは液化石油ガスの略で、プロパンやブタンなどの炭化水素からなるガスです。LPガスは燃料として広く利用されていますが、燃焼時に二酸化炭素(CO2)を排出します。水素は燃料としても利用できますが、燃焼時には水蒸気しか出ません。そのため、水素をLPガスに混合することで、CO2の排出量を減らすことができます。

水素混合LPガスに関する実証事業や研究が国内外で行われています。例えば、

岩谷産業は、相馬ガスホールディングスや相馬ガスと共同で、福島県南相馬市の集合住宅80戸に水素混合LPガスを導管で供給する実証事業を2025年1月までに開始する予定です。この事業は、NEDOの助成を受けており、水素混合率は20%程度を目指しています。

東京海洋大学などの産学チームは、LPガスに水素と酸素からなるガスを約50%混ぜて走行させることに成功しました。この混合燃料は、LPガスのみの場合に比べて、CO2の排出量を約半減できると報告しています。

三菱重工業は、高砂水素パーク内に立地するガスタービン・コンバインドサイクル発電設備で、都市ガスに水素を30%混ぜた混合燃料による実証運転に成功しました。この混合燃料は、タービン入口温度1,650℃級の最新鋭JAC形ガスタービンを使っています。

水素混合LPガスには、CO2排出削減のメリットのほかに、既存のLPガスインフラやガス機器の活用、水素の安全な輸送や貯蔵の可能性などの利点があります。しかし、水素混合LPガスにも課題があります。例えば、水素の製造方法や供給源によっては、水素自体のCO2排出量が大きくなる可能性があります。CO2フリー水素の確保が重要です。

■爆発の危険性も

水素は引火性や爆発性が高く、漏洩や火災のリスクがあります。水素混合率や導管の材質、ガス機器の性能や安全性などについて、十分な検証や規制が必要です。

水素混合LPガスの普及には、消費者や事業者の理解や受け入れが不可欠です。水素の特性やメリット、コストなどについて、正しい情報の提供や啓発が必要です。

また、水素は引火性が高く、漏れや爆発の危険性もあります。そのため、LPガスに水素を混ぜる場合は、安全性の確保が重要です。消防庁は、LPガスの保安の確保及び取引の適正化に関する法律等の一部を改正する法律案について、以下のような意見を示しています。

LPガスに水素を混ぜる場合は、水素の含有率や品質を明示すること。

LPガスに水素を混ぜる場合は、水素の影響を考慮した設備や器具を使用すること。

LPガスに水素を混ぜる場合は、水素の特性に応じた保安管理を行うこと。

LPガスに水素を混ぜる場合は、消防庁長官の指導や監督を受けること。

現在、岩谷産業は、福島県でLPガスに水素を20%ほど混ぜて家庭に供給する実験を開始しています。この実験では、家庭用ガスコンロやガス警報器などの安全性を確認しながら、水素の混合技術やCO2削減効果の検証を行っています。

以上が、LPガスに水素を混合することで課題もありますが、とにかく安全に使用できるよう進めて欲しいものですね。

■次世代エネルギー「水素」

燃やしても二酸化炭素(CO2)を排出しない次世代エネルギーとして期待が高まる水素。発電のエネルギー源として、あるいは自動車など輸送の動力源として、さらに製鉄や化学部門の脱炭素化など、さまざまな分野での活用が想定されている。日本は2017年、世界に先駆け水素基本戦略を策定し、2050年に今の10万倍となる2,000万トンの導入量と液化天然ガス(LNG)と遜色のない価格まで引き下げることを目標に掲げ、取り組みを加速させている。日本企業は水素時代の実現に向けて、どのような取り組みを展開しているのか。最新動向を紹介する。

あらゆるところで生産できる水素 大量輸送できれば経済成長も

水素はあらゆるところで生産できるため、大量に輸送できるようになれば脱炭素とともに、経済成長が見込める分野だ。日本では水素を第2のLNGに位置づける動きもある。経産省も、液化水素などの世界的なサプライチェーンの構築などに向け、最大3,000億円をグリーンイノベーション基金で予算化した。日本企業が持つ技術で世界をリードしたい考えだ。

日本の再エネは欧州などに比べまだ高い。そのため国内におけるグリーン水素製造は厳しいのが現状だ。だが、液化水素運搬船のような日本の優位性を生かしきれば、海外から安い水素を調達するだけでなく、280兆円以上とされる世界の水素市場を取り込むことができるかもしれない。

日本の水素事業が続々進展! 三菱重工、川崎重工、岩谷産業、ENEOS、日揮・旭化成、JERA、関西電力など一挙紹介

脱炭素時代の大きな潮流は、太陽光や風力といった再生可能エネルギーや、車で言えばEVを含む電動化だが、そこで脱炭素が進むと、見えてくるのが、水素の利活用だ。

再エネは、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)が6月に発表したように、最も安価な石炭火力よりもコストが低下している。脱炭素文脈における水素は、CO2フリーの水素であり、メインは再エネ由来のグリーン水素だ。つまり、脱炭素が進展し、再エネのコスト低減と十分なボリュームが見えてきた先に、水素時代は見えてくる。

■世界をリードする日本の水素技術

水素時代を見据えて、各国も動き出している。特に進んでいるのが欧州だ。

欧州にはガスパイプラインが張り巡らされており、既存のパイプラインに水素を流し込むことで流通網を確立できるからだ。そうした特性もある欧州は2020年7月に水素戦略を発表。2050年までにグリーン水素への投資額の累計は1,800億ユーロ~4,700億ユーロ、日本円にして約20兆円から50兆円の投資額が見込まれている。

また、欧州各国も取組みを加速。イギリスは8月17日、2030年までに40億ポンド(約6,000億円)の投資を含む水素経済計画を発表した。ドイツも2020年6月10日に「国家水素戦略」を発表し、今後、水を電気分解して水素を製造する施設(電解施設)の建設、技術開発、外国からの輸入体制の構築などに合計90億ユーロ(1兆1,700億円・1ユーロ=130円換算)の予算を投入する予定だ。

そのドイツでは、すでに大手電力会社を中心に68の企業、団体、自治体が参加して水素プロジェクトを具体的に進めており、洋上風力発電所と水の電気分解施設を建設し、グリーン水素を国内で流通させる方針だ。

とはいえ、元々、水素についてはトヨタがかなり注力をしていたこともあり、日本がその取組みを国際的に進めてきた。2018年の世界経済フォーラムでは当時の安倍首相が水素戦略を世界にアピールしたほどだ。

実際、燃料電池など関連技術の特許出願数は世界1位である。

水素は、まだまだ価格が高いため、非現実的、水素は来ないなどの批判がある。しかし、再エネも、批判された時代があった。仮に電力目的で水素が来なくても、エネルギーは何も電力だけではない。熱もある。また、製鉄では、還元作用をもたらす工程でコークスを代替する水素還元が今後の手法として考えられている。

このままの勢いで脱炭素化が世界で進展したら、グリーン水素という文脈は必ず出てくるだろう。つまり、次の次の手、という位置づけに水素はあるわけだ。もちろん、脱炭素の進展の中で、水素よりも効率の良いものが出てくるかもしれない。しかし、いずれにしても、競争はすでにスタートしている。

日本企業が世界の水素市場を席巻できるかどうか、その開発動向に注目が集まっている。

現状、技術においては日本の水素産業が世界をリードしており、2兆円のグリーンイノベーション基金を活用し、その動きがさらに加速している。

そこで、日本の水素産業について、以下の4つの取り組みを紹介したい。

三菱重工と東邦ガスによる都市ガス・水素混焼の運転

川崎重工、岩谷産業、ENEOSなどによる液化水素サプライチェーンの商用化

日揮・旭化成による大規模水素製造システムを活用したグリーンケミカルプラント

JERA、関西電力それぞれによる水素発電

どの技術が花開くのか、見ていこう。

水素混焼比率35%に成功した三菱重工・東邦ガス

まずは、三菱重工と東邦ガスによる都市ガス・水素混焼の運転から見ていきたい。

水素に関しては、実証系が多い中、2社の取り組みは具体的な達成事項となる。

具体的には三菱重工と東邦ガスが、コージェネレーションシステム用のガスエンジン商品機を用いた都市ガス・水素混焼実証に共同で取り組み、定格発電出力で水素混焼率35%での試験運転に国内で初めて成功したというもの。コージェネレーションシステムとは、燃料を使って発電をするときに、出てくる熱などの副産物を、冷暖房や給湯などに使う一石二鳥の仕組みだ。

試験運転で用いたガスエンジン 三菱重工

すでにこのガスエンジンは顧客に納品されており、実績を持つ。脱炭素時代においては、実績があるものをうまく活用した方が、効果的だ。その道を三菱重工と東邦ガスは模索してきた。つまり、すでに設置済みのコジェネシステムに対し大幅な改造を加えることなく、都市ガス・水素混焼運転の実現を目指してきたというわけだ。

ただ、都市ガス・水素混焼においてはいくつか乗り越えなければいけない課題がある。

一つはバックファイアと呼ばれる、エンジンの吸気側に火が逆流する現象だ。水素は都市ガスと比べ最小着火エネルギーが小さく、また、燃焼速度が速いため、都市ガス専焼に比べバックファイアが発生しやすい。

2つ目の課題がノッキングと呼ばれる気体が自ら着火して燃焼室内の圧力が急激に上昇する現象だ。水素は都市ガスと比べ燃焼性が高く、シリンダ内圧・温度が上がりやすいことから、都市ガス専焼に比べノッキングが発生しやすい。

3つ目としてプレイグニッションと呼ばれる通常の点火の前に、気体が自着火してしまうという問題もある。これらの問題を三菱重工と東邦ガスはクリアし、安定した燃焼状態での運転を確認した。しかも、発電効率などを下げずに、35%の水素混焼率での定格運転成功は国内初だ。

今回の成功によって、需要家は、自らが有するコジェネシステムでの水素の利活用が見えてきた。

水素の大量消費見据えて、国際的なサプライチェーン構築へ

次が川崎重工、岩谷産業、ENEOSによる液化水素サプライチェーンの商用化だ。

川崎重工 100%子会社の日本水素、岩谷産業、ENEOS3社が、水素の大量消費社会を見据えて、CO2フリーの水素サプライチェーンの本格的な社会実装に備えるべく、年間数万トン規模の大規模な水素の液化・輸送技術を世界に先駆けて確立し、水素製造・液化・出荷・海上輸送・受入までの一貫した国際間の液化水素サプライチェーン実証を行うというものだ。

この3社の組み合わせが非常に興味深い。いずれも水素に早くから注目をしてきた企業であり、それぞれ違った強みを持つため、サプライチェーンに関しては、補完しあえる関係にあるからだ。

日本で水素といえば岩谷産業だろう。日本の誰よりも早く、1941年に水素販売を開始。そこから水素の製造、サプライチェーンの構築、利用開発を進め、日本の水素利用の拡大を支え続けてきた、日本の水素の老舗だ。圧縮水素及び液化水素のシェアは国内トップ、特に、今回サプライチェーン形成の対象となる液化水素については高い製造能力とハンドリング技術を活かして、日本唯一のメーカーとして100%のシェアを有している。

ただし、サプライチェーンというだけあって、うまく運べなければ使えない。そこで強みを発揮するのが川崎重工。世界中で作られた水素を運ぶためには容量を減らすべく液化するわけだが、マイナス253℃に冷却し、体積が気体の800分の1となった液化水素を安全かつ大量に長距離海上輸送する必要が、サプライチェーン構築にあたっては欠かせない。それに取り組んできたのが川崎重工だ。世界初の液化水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」を開発し、まさにこの実証事業でその船を活用していくという。

持ってきた水素は、今度は国内で流通させなければいけない。そのサプライチェーン構築は、ENEOSの流通網を活用していく。全国の製油所やガソリンスタンドのネットワークなど、ENEOSが保有する既存インフラを活用して、水素供給サプライチェーンの構築を進めていくというのが彼らの計画である。

これら3社の強みを一体にして今回の液化水素サプライチェーンの事業は実施されていく。

具体的には、16万m3クラスの液化水素タンクを搭載する液化水素運搬船や5万m3クラスの陸用液化水素タンクなどの商用化の実現に向け、大型設備を川崎重工が供給しつつ、2030年30 円/Nm3の水素供給コストの実現を目指していく。


化学業界の脱炭素に向け、日揮と旭化成、グリーンアンモニアを製造

3つ目が、日揮・旭化成による大規模水素製造システムを活用したグリーンケミカルプラントだ。

この実証、端的にいうと、再エネ由来のグリーン水素を活用したグリーンアンモニアの事業になる。

実は、旭化成は2020年から福島県浪江町の福島水素エネルギー研究フィールドにて、最大10MWクラスの電気を使う、世界最大規模のアルカリ水電解システムを運用しており、グリーン水素を生成してきた実績を持つ。

一方、日揮は、CO2フリー水素を活用したアンモニア製造技術に取り組んできた。

今回、事業を大幅にスケールアップさせ、100MW級を見通した大規模アルカリ水電解システム及び、グリーン水素を原料としたグリーンアンモニアなどの化学品の合成プラントを実証する。

実は、CO2の排出に関しては、電力セクターや製鉄業もさることながら、原材料に原油などを使用する化学業界も多くを排出している。この原油を、グリーン水素に置き換えて、グリーンケミカルを作ろうというのが、今回の実証だ。

その全体像は、再エネで発電した電気を、旭化成が担当する水電解システムで水素にする、そして旭化成・日揮がともにその水素を使ってグリーンケミカルを作るというもの。そのままグリーン水素の供給という選択もできるし、アンモニアをはじめとする化学品の需要家にはそれらを届けることもできる。

ただし、再エネ由来のため、水素製造は、再エネの発電が不安定であることから変動する。この変動も織り込み、全体プロセスを監督するべく、旭化成と日揮は共同で、水素供給量を制御し、運転最適化を実現する統合システムの開発を目指している。

これも、脱炭素が進展して、再エネが安くなることを想定して、水素を作るところから、それをさらに原料に、化学品を作る、という図式だ。


JERA、関電、相次ぎ水素発電の実証をスタート
最後の事例が、より直接的なエネルギー供給の論点。JERA、関電それぞれによる水素発電についてだ。

JERAといえば火力発電だが、この脱炭素化の時代に、水素やアンモニアを利用しながら、化石燃料比率を低減していき、最終的には発電時にCO2を排出しないゼロ・エミッション火力の開発を目指している。

そんなJERAが水素発電の実証で採択をされた。

内容は、JERAの有するLNG火力発電所において水素供給設備等の関連設備を建設するとともに、水素とLNGを混合燃焼できる燃焼器をガスタービンに設置し、2025年度に体積比で約30%のLNGを水素に転換して発電することを目指すというものだ。なお、体積比30%は熱量に換算すると10%に相当する。


前述した三菱重工・東邦ガスは需要家企業がもっているガスエンジンの水素転換の話だ。

一方、JERAのように大規模な商用LNG火力発電所において、大量の水素を燃料に利用するのは、実は国内初であり、画期的な一歩と言えるだろう。

また、水素の受入・貯蔵からガス化、発電まで一連にわたる水素発電の運転・保守・安全対策など、水素発電に関する運用技術の確立を目指す、のが関電だ。

JERAだけでなく、関電まで水素実証に動いたという点は、やはり昨今の水素に向けた国内の動きを象徴している。

冒頭で述べたとおり、水素は次の次の手になるが、来るべきときに花開けば、日本の脱炭素並びに経済成長を支えることになるだろう。
2024.01.22 21:09 | 固定リンク | 経済
JAXA「月面着陸に成功」トラブルも
2024.01.20
JAXAの月面探査機「SLIM」の月面着陸に成功 トラブルも 

JAXA探査機、日本初の月面着陸-太陽電池機能せず電力切れも 

宇宙航空研究開発機構(JAXA)の無人探査機が20日、日本として初めて月面に着陸した。ただ、探査機の発電に問題が発生し、活動は短時間に限定される可能性がある。

JAXAによると、小型月着陸実証機(SLIM)は日本時間20日午前0時ごろに着陸降下を開始し、同20分ごろ月に着陸した。着陸後の探査機との交信は確立できているが、搭載した太陽電池が発電しておらず、数時間で電力が尽きる可能性があるという。

月面への無人探査機の着陸成功は、旧ソ連、米国、中国、インドに続く5カ国目。岸田文雄首相は同日、「月面着陸に至ったことは大変喜ばしいニュース」だとソーシャルメディアのX(旧:ツイッター)に投稿し、「さらなる挑戦を引き続き後押ししていく」との考えを示した。

2024年1月20日未明、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の月面探査機「SLIM」が月面に着陸した。

SLIMは小型月着陸実証機として、月面へのピンポイント着陸や岩石の分析などを目的としている。

月面への無人探査機の着陸に成功したのは、旧ソ連、米国、中国、インドに続く5か国目となり、日本の宇宙開発の歴史的な快挙となった。

昨年9月に鹿児島県の種子島宇宙センターから国産の「H2A」ロケットで打ち上げられたSLIMは、狙った場所へのピンポイント着陸などを実証する計画となっている。月探査を巡る国際競争が過熱する中、日本はJAXAが22年11月に超小型探査機の通信が確立できず月面着陸の計画を断念。宇宙開発スタートアップのispace(アイスペース)の試みも昨年4月に失敗していたが、今回挽回できた格好となる。

JAXA宇宙科学研究所の国中均所長は記者会見で、降下がうまくいってなければ高速で月に激突し、「探査機の機能は全て失われてしまう」と指摘。「着陸後も正常に今もなおデータが地球に送り届けられているということは、われわれが当初目的としていたソフトランディング(軟着陸)に成功したことの証左だ」と述べた。

国中所長は、ピンポイント着陸の成否については1カ月程度の分析が必要だとした上で、探査機が予定通りの軌道を描いていたことから「個人的にはピンポイントランディング技術が実証できたと考えている」と述べ、今後の宇宙開発に向け「大変大きな一歩」だとした。

JAXAは探査機の電力が尽きるまで月面からのデータ取得を優先して行っていく考えだ。探査機の太陽光パネルが想定と違う方向を向いている可能性があり、今後時間の経過と共に太陽光の当たり方が変わって発電する可能性もあると国中氏は説明した。

探査機が搭載していた小型月面探査ローバ「LEV-1」と変形型月面ロボット「LEV-2」は月に向かって降下途中にホバリングしている際に正常に分離できたという。

三菱電機によると、同社がSLIMのシステム開発と製造を担当した。これまでの海外の探査機に比べ、着陸地点の精度を数キロメートルから100メートルオーダーに向上するとともに、大幅な軽量化を図っていることを特徴としているという。

■着陸の経緯

SLIMは2023年9月に鹿児島県の種子島宇宙センターから国産の「H2A」ロケットで打ち上げられた。

月周回軌道に入った後、月面に向けた最終飛行を開始したのは2024年1月20日未明である。

SLIMはエンジンを逆噴射して減速を始め、高度約15キロメートルから約20分かけて月の赤道付近にある「神酒の海」の近くに着陸した。

着陸地点の精度は従来の探査機の誤差数キロメートル以上に対し、SLIMは100メートル以内となる世界初の「ピンポイント着陸」を目指していた。

■着陸後の状況

着陸後、SLIMは太陽電池パネルを展開して電力を確保し、地球との通信を確立する予定だったが、太陽電池パネルの展開にトラブルが発生したとみられる。

そのため、SLIMは電力が切れるまでの約2時間で月面の岩石の分析や撮影などの観測を行ったと推測される。

JAXAはSLIMからのデータを受信し、着陸の詳細や観測の成果を分析するとともに、太陽電池パネルのトラブルの原因を調査する予定である。

JAXAの月面探査機「SLIM」は2024年1月20日未明、月面に着陸し、日本が5番目の月着陸国になった。

SLIMはピンポイント着陸や岩石の分析などを目的としていたが、太陽電池パネルの展開にトラブルがあり、電力が切れるまでの約2時間で観測を行ったとみられる。

JAXAはSLIMからのデータを分析し、着陸の詳細や観測の成果、トラブルの原因を明らかにする予定である。
2024.01.20 19:29 | 固定リンク | 化学

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