量子テレポーテーション転写に成功
2024.08.01
横浜国立大学の研究チームが世界初の量子テレポーテーションに成功したと発表しました。この実験では、光子の量子状態をダイヤモンド中の炭素同位体に転写し、長時間保存することに成功しました。この成果は、量子通信の分野で大きな進展をもたらすと期待されています。

量子テレポーテーションは、情報を物理的に移動させるのではなく、量子状態を遠隔地に再現する技術です。これにより、盗聴のリスクを大幅に減らし、より安全な通信が可能になります。

量子テレポーテーション転写に成功

光子の量子状態をダイヤモンドに保存、量子通信に新展開

研究背景

量子通信は、基本的な物理法則である量子力学の性質を利用し、盗聴者の計算能力や技術レベルに依存しない強固な安全性を保証する暗号通信技術です。量子でできた暗号鍵を自動配信(QKD)することで、ネット上の個人情報を安心してやり取りできるようになります。既に光子が届く100km程度の距離では東京 QKD ネットワーク情報通信研究機構(NICT)の主導で首都圏エリアに形成された量子通信網のテストベット。量子中継はまだ導入されておらず、現状では光子が光ファイバー中を伝わる限界の100km程度以内の距離に留まる。現在も運用試験が日夜行われている。

など実用化へ向けた運用試験が進められているものの、数100km以上の都市間ネットワークを構築する決定的な方法が見つかっていませんでした。

例えば、従来の方法で1000kmの量子通信を行おうとすると、一回線でおよそ1000年に1ビットの情報しか送信できません。この理由は、光子が光ファイバー中を伝わる距離がおよそ100kmに制約されているためです。この制約を克服するためには、量子テレポーテーションと呼ぶ原理で光子が一度では届かない遠方に量子状態0や1といった2状態だけでなく、0+1や0-1といった量子的な重ね合わせを許す状態。一般的に光子や電子といった素粒子がもつ状態だが、分子やマクロな系でも量子状態を持ちうる。

を再生する量子中継が不可欠です。このためには、光子が届く数10km毎に配置した量子ノード間に量子もつれを生成し、量子ノード内で量子もつれを検出する必要があります。

従来の中継方式は、直接光子が届く区間毎に量子通信を行い、これを接続する中継ノードではいわゆる古典的な中継を行うものでした。しかしながら、この方式では各区間での絶対安全性は確保できるものの、中継ノードでの絶対安全性を保証することはできないという致命的な問題がありました。

今回の成果

今回、小坂教授らの研究グループが考案した手法は、上に述べた従来の古典的な中継手法とは全く異なる完全に量子的な中継方式です。中継ノードは量子メモリーとなるダイヤモンド中の核子を持ち、光子の量子状態は電子を介して核子に量子テレポーテーション転写されます。このような量子テレポーテーション転写を各区間で行い、古典測定ではなく量子測定を行うことで、盗聴者には絶対に情報漏えいのない量子中継が可能となります。

より正確には、本成果は第三世代量子通信を可能とします(図1)量子通信の現状と本成果の意義 現状の量子通信は100km程度の短距離でしか絶対的安全性は確保できない。本成果により、距離を1000km以上に拡張しても物理法則で絶対安全性が確保された量子通信ネットワークを実用化できる。

第二世代は200km程度と比較的短距離であるため一回だけの量子中継で十分であり、確率的量子中継という量子メモリーを必要としない中継方式で実現できます。これに対し、1000km程度と長距離になると、決定論的量子中継という量子メモリーが必要な方式が要求され、これまでは実現の目途が立っていませんでした。

本成果で示した量子テレポーテーション転写では、転写が決定論的に行われることから、この第三世代量子中継の実現に一歩迫ったと言えます。本方式では、仮に光子送信レートを毎秒1ギガビットとし中継区間を50kmとすると、1000kmの量子通信路一回線で毎秒100メガビットの情報が送信できます。

量子テレポーテーションにはあらかじめ原子内に量子もつれを用意する必要があります。

これには物質に内在する量子もつれを利用します。原子を構成する電子と核子のスピンは超微細相互作用、電子と核子の間に働く量子的な力。弱いながらも電子スピンと核スピンを量子もつれ状態に導くのに十分な効果がある。という量子もつれを導く力でつながっています(図2)ダイヤモンド内の量子もつれを利用した量子テレポーテーションあらかじめ電子と核子を量子もつれ状態とし、その後に衝突した光子が 電子を特定の軌道に励起した際、光子の量子状態は瞬時に核子に転写される。

我々はマイクロ波やラジオ波でこの量子もつれを純粋化することから始めました。次にこの量子もつれを種とし、先の論文(Physical Review Letters、2015 年掲載 小坂ら)で実証した吸収による量子もつれ検出の応用で光子の量子状態を核子に転写することに成功しました。

動作原理と実験内容

量子テレポーテーションの動作原理を図3

量子テレポーテーションの動作概略、あらかじめ量子1と量子2を量子もつれ状態とする。その後、量子3が量子1と衝突する。量子1と量子3の量子もつれ検出が成功した瞬間に量子3の量子状態が量子2に転写される。に示します。あらかじめ量子1と量子2を量子もつれ状態に準備しておきます。本成果ではこれをマイクロ波やラジオ波の照射で実現しています。

その後、量子3を量子1に衝突させます。その際に、量子1と量子3が特定の量子もつれ状態にあることを検出した際に、量子3の量子状態が量子2に転写されます。

次に、今回行った実験の説明を行います。実験にはダイヤモンド中の欠陥の一種である窒素空孔欠陥(NV中心)を用いました。その窒素核子はスピンこまのような自転回転に例えた量子状態。上向き(↑)と下向き(↓)だけでなく、これらの量子的重ね合わせ状態である↑+↓、↑―↓など位相の自由度をもつ。光子の振動の方向を意味する偏光と似た量子的な性質を持つ。と呼ぶ性質をもち、今回示したように10秒間以上も量子状態を保持できると同時に光子の吸収効率も高く、第三世代量子中継に不可欠な量子メモリーとして最適です。

今回開発した量子テレポーテーション転写の量子回路は、図4

に示すように①電子と核子の初期化、②電子と核子の量子もつれ生成、③光子と電子の量子もつれ検出の3つの回路ブロックに分けることができます。

一見不必要に見える電子を介して光子から核子に量子状態を転写することで、従来は確率的であった転写が決定論的となります。これが決定論的中継を必要とする第三世代量子中継の要素技術となります。図5に示した実験データは、入射する光子の偏光位相を変えることで転写の忠実度を調べたものです。本実験により光子から核子への量子テレポーテーション転写の忠実度が90%以上であることを実証しました。

今後の展開

先の説明では量子テレポーテーションの準備として量子もつれが必要でしたが、これにはやはり物質に内在する量子もつれが利用できます。原子を構成する電子と核子のスピンは超微細相互作用電子と核子の間に働く量子的な力。弱いながらも電子スピンと核スピンを量子もつれ状態に導くのに十分な効果がある。という量子もつれを導く力でつながっています(図4)。

今回開発した量子テレポーテーション転写の量子回路 量子回路は、①電子と核子の初期化、②電子と核子の量子もつれ生成、③光子と電子の量子もつれ検出の3つの回路ブロックに分けることができる。電子を介して光子の量子状態を核子に転写することで、従来確率的であった転写が決定論的となる。


この量子もつれを種とし、発光による量子もつれ生成と吸収による量子もつれ検出で量子テレポーテーションを繰り返すことで、量子もつれの距離を延ばすことができます。これにより、物質本来の量子もつれを起源とした量子通信ネットワークの実現を目指して研究を進めます。

総括

今回の成果は、物質に内在する量子もつれの力を引き出すことにより、従来の量子中継である「たまたま繋がる」確率的中継方式から、「確実に繋がる」決定的中継方式に転換するための鍵となります。一旦種となる量子もつれを作っておけば、後はただ待つだけで光子の発光と吸収を繰り返し、光子が届かないような遠距離にも暗号の鍵となる量子状態を再生できるようになります。

情報通信は盗聴だけでなく、さまざまなサイバー攻撃の危機にさらされており社会的問題になっていますが、国家的あるいは世界的な規模の量子通信ネットワークを構築できれば、物理法則によって安全性が保証された安心で健全な情報化社会を継続的に発展させることができます。

図5 今回実証した量子テレポーテーション転写の実験データ 入射する光子の偏光位相を変えることで転写の忠実度を調べたものである。90%以上の忠実度を実証した。


用語解説

注1)光子

電子が電気あるいは電流の基本単位となる粒子であるように、光子は光の基本単位となる粒子である。いずれも典型的な素粒子であり、量子でもある。電子は量子メモリーに適す一方、光子は量子伝送に適す。光子はエネルギーや力を媒介する素粒子として知られるが、ここでは量子状態を媒介する量子として光子を用いる。

注2)量子通信、量子計算

量子通信とは、量子力学の原理を応用し、共通の秘密鍵を離れた 2 者間に安全に配送する技術。この秘密鍵を用いて秘匿通信を行うことができる。量子鍵配送のイニシャルをとり QKD とも呼ばれる。この技術の延長線上には、量子の超並列処理特性を利用した量子計算がある。

注3)量子テレポーテーション

量子中継の基本原理。量子もつれ[注4]にある二つの量子を用意し、この片方と別の量子との間の量子もつれを測定することで、直接は相互作用していない他方
の量子に量子状態を再生するもの(図1参照)。

注4)量子もつれ

2つの量子の間に量子的な相関がある状態。量子的な相関とは、片方を測定したとき、その測定の種類に関わらず他方も同じ測定をしたとき一対一に対応す
る結果を得るもの。

注5)量子中継

光子が届かない遠方に量子を送るための手段。通常の通信で行われる光子数を増やす中継とは本質的に異なり、一光子を多段に用いて量子を次々と転送して
いく。いわゆる量子テレポーテーション[注3]を動作原理とする。

注6)東京 QKD ネットワーク

情報通信研究機構(NICT)の主導で首都圏エリアに形成された量子通信網のテストベット。量子中継はまだ導入されておらず、現状では光子が光ファイバー中を伝わる限界の100km程度以内の距離に留まる。現在も運用試験が日夜行われている。

注7)量子状態

0や1といった2状態だけでなく、0+1や0-1といった量子的な重ね合わせを許す状態。一般的に光子や電子といった素粒子がもつ状態だが、分子やマクロな系でも量子状態を持ちうる。

注8)超微細相互作用

電子と核子の間に働く量子的な力。弱いながらも電子スピンと核スピンを量子もつれ状態に導くのに十分な効果がある。

注9)スピン

こまのような自転回転に例えた量子状態。上向き(↑)と下向き(↓)だけでなく、これらの量子的重ね合わせ状態である↑+↓、↑―↓など位相の自由度をもつ。光子の振動の方向を意味する偏光と似た量子的な性質を持つ。

謝辞

本研究は情報通信研究機構(NICT)高度通信・放送研究開発委託研究、最先端研究開発支援プログラム(FIRST)ならびに科学研究費補助金基盤研究 A(課題番号 24244044)の支援のもとに行われました。

なお、NICT 委託研究は日本電信電話株式会社(NTT) 物性科学基礎研究所 清水薫主幹研究員、William Munro 主幹研究員、国立情報学研究所(NII) 根本香絵教授、大阪大学 水落憲和教授、東京大学 中村泰信教授との共同研究です。


世界初!量子テレポーテーション転写に成功
~光子の量子状態をダイヤモンドに保存、量子通信に新展開~

横浜国立大学大学院工学研究院の小坂英男教授と Stuttgart 大学(ドイツ)のグループは、量子通信に用いる光子[注1]を量子メモリー[注2]となるダイヤモンド中に量子テレポーテーション[注3]の原理で転写して長時間保存する新原理の実証に、世界で初めて成功しました。

今回の成功は、核子と量子もつれ状態[注4]にある電子に光子を吸収させるだけで、直接作用しない核子に光子の量子状態を転写し、長時間保存可能なことを示す画期的な発見です。

今回得られた結果は、量子中継[注5]の基本原理である量子テレポーテーションを極めて単純な原理で実現し、光子の量子状態を直接は届かない遥か遠方に高速かつ確実に再生かつ長時間保存できることを示唆するもので、物理法則で絶対的な安全性が保証された量子通信網の飛躍的長距離化・高信頼化に道を開くものと期待されます。

本研究成果は、2016年6月6日(英国時間)発行の科学雑誌「Nature Photonics」に掲載されます。なお、本研究は情報通信研究機構(NICT)高度通信・放送研究開発委託研究、最先端研究開発支援プログラム(FIRST)ならびに科学研究費補助金基盤研究 A(課題番号 24244044)の支援のもとに行われました。

発表雑誌

雑誌名:Nature Photonics

論文題目:High-fidelity transfer and storage of photon states in a single nuclear spin(光子状態の単一核スピンへの高忠実度転写と保存)

著者:Sen Yang, Ya Wang, Thai Hien Tran, S. Ali Momenzadeh, M. Markham, D. J.Twitchen, Rainer Stoehr, Philipp Neumann, Hideo Kosaka(小坂英男), Joerg Wrachtrup

本件に関するお問い合わせ先

横浜国立大学 大学院工学研究院 教授 小坂 英男

Tel/Fax:045-339-4196 Email:kosaka@ynu.ac.jp http://kosaka-lab.ynu.ac.jp


余談ですが量子テレポーテーションは世界中で活発に研究されており、さまざまなアプローチが試みられています。

その中でも例えば、中国の研究チームは、地上から衛星への量子テレポーテーションに成功しました。この実験では、地上から500キロメートル以上離れた軌道を周回する衛星に光子をテレポートすることに成功しています。

また、大阪大学や東京大学の研究チームも、特殊な磁性体中に存在する「マヨラナ粒子」の量子もつれを利用した量子テレポーテーション現象を理論的に解明しています。
2024.08.01 20:29 | 固定リンク | 化学

- -