内容●自分でもわけが分かりません。
記念すべき日、であればよかったのに。
「ホワイトローズ」へ。100回め。ひそかに記録達成である。
個人的にめでたいので、いもを食べたりうどんを二玉食べたりビールを飲んだりする。食べすぎた。
めぐ姐からじゅじゅ姐さまの近況を聞くにおよび、うれしさあまってめぐ姐に嫉妬する。ぷんすか。
チルたむに年齢をtrente-quatreだと思われていた。ぎゃふん。永遠の26歳なのに。あと、あだ名が「あずまたむ」から「先生」に変わっていた。いま「先生」といえば、荷風先生かあずま先生らしいですよ。……なんでやねん。ひそかなるお帰り100回記念に、フランスのお菓子をくれた。
今日の仏語。cent (100)、chronologique (年代順の)。
「コミックマーケット」の代表者、米澤嘉博が亡くなったらしい。つい先日、星園すみれ子「創世記」の解説で彼の文章を見たばかりだ。
死因が肺癌と知って、コミックマーケットのカタログに登場する彼の似顔絵はいつもたばこをくわえていたことを思い出す。会ったことはないのだけれど。
家に帰ってきてから、実はホワイトローズのお帰り回数について「95回め」を2回[1][2]数えていたことが分かった。なので、ここを見ていたらしいチルたむが、わざわざ「100?」と聞いてくれたのは誤りであります。
訂正。「ホワイトローズ」、たぶん101回め。
でも、あのキャラメルのようなお菓子は、もうわが胃の中であります。
Amazonからいつものおすすめのメールがきた。
Amazon.co.jpで、以前にマルキ・ド サドの『ソドム百二十日』をチェックされたお客様に、バタイユの『マダム・エドワルダ/目玉の話』のご案内をお送りしています。
「眼球譚」に平仮名四文字がばんばん出てくるぐらいではめげないけれど、さらに読んでしまうのか。「マダム・エドワルダ」と「眼球譚」の新しい訳本らしいけれど、読みやすくなっていたりするのであろうか。
枕が固い。
枕が固い。あとで読み返したときに分かるよう解説しておくと、寝ているときにわたしの頭の下にあるのは枕である。わたしの頭部は、頭蓋骨とやわらかいものと皮膚の層からなっているのだが、頭蓋骨と枕によってはさまれたやわらかい領域が、自らが固いものにはさまれていることを感じ取っていた。まず、頭蓋骨が固いことはよく知られていることなので、頭蓋骨ではないほうの一面は固いものに接しているということである。
しかし、わたしの皮膚を走るたいへん敏感な神経繊維は、枕はいつもと同様の表面の性質をもっていることを感じ取っていた。こういった情報はわたしの脳に送られ、どうも枕がいつになく固いらしいことを知っていた。知っていたのだけれど、ぼくはもう眠くて眠くてしかたがないので、ぼくの脳は枕の下に本の一冊でも入り込んでいるのだろうと考えるのが精一杯で、ぼくはそこまで考えて寝てしまったぼくは。
枕が固い。朝起きてもやっぱり固いのである。ついにぼくは、枕を持ち上げて、枕の下に入っている固いものを見てやることにした。枕の下にいたのは、「眼球譚」(悪趣味)でも「お嬢様とボク」(ツンデレ)でもなく、携帯電話(ピンク色)であった。
このポリカーボネイト樹脂の成型品が枕の下に入ったときの固さときたらないのである。あのやわらかい枕はそのやわらかさゆえに、固い携帯電話のその固さを隠すことができない。寝返りをうつたびに、ぼくの首だのあごだのをごりごりと削っていく。電車に乗っても下顎が痛い。会社に行っても痛いし、帰ってきてもまだ痛い。口を大きく開けたら顎関節の右側が痛い。
この痛さを例えるならば、ぼくのあごはギリシャのガレー船を漕ぐ奴隷の肩のように痛い。いやいや、まだ迫力が足りない。ぼくのあごは片頭痛のように痛い。ぼくのあごはあこや貝の涙が結晶となったかのよう。ぼくのあごはひざが笑っていました。ぼくのあごは、彼の敬愛するニーチェと同じ激痛に苦しんでいた。ぼくのあごは尿路結石だから救急車を呼べばいいと思う。
子供の作文にはぜんぜんかなわない。
手を挙げる。阻止された。
秋葉原の「シャッツキステ」にお帰りしたいお帰りしたいと思っていたらば、ちょうど展示会があったので要員に手を挙げる。
あと、状況はかなり悪いけれど上京せざるを得ないおしごとが1件。さらに楽勝なおしごとが1件。今月これだけ機会があったらそりゃもう1回ぐらいは秋葉原にたどり着くに決まってる。
秋葉原にたどり着いたらば、店の名前は忘れたけれど、エミリーのシャツを売っていたあやしげな雑貨の店にもまた入りたい。
北浜の「レトロ」という喫茶店がいま猛烈に絶賛中っぽいので、さっそく明日の会社帰りにと思っていたが阻止された。
片付ける。
一緒に「レトロ」に行きたかったのだが、面倒なものを持ってこられる。
ついにアレを片付ける。
ついにアレも片付ける。
なにを片付けたのかはちょっと書けないけれど、とにかく片付けた。重量9.5キログラムの物体をコンビニから宅配便に出して、片付けが終わる。
本が届いた。
家に帰ってくると、Amazonから荷物が届いていた。
本。三島由紀夫「仮面の告白」、清水義範「日本語の乱れ」、Georges Bataille、中条省平訳「マダム・エドワルダ/目玉の話」の4冊。
CD。Deodato「Deodato 2」(邦題は「ラプソディー・イン・ブルー」)が1枚。
「エドワルダ」だけ買うつもりが、おまけをいっぱい買ってしまった。
さて明日は東京行きであるよ。
東京行き。
新幹線の線路の上をすべっている最中、静岡のあたりでちょこっとだけ寝てしまったら、それから眠くてかなわない。東京に着いてもやっぱり眠いのである。朝5時前に起きるのなんて慣れたものだと思っていたが、眠いものは眠いのであった。
雨に濡れながら幕張メッセまでたどり着く。一日じゅう会場の中で過ごす。京葉線に乗って帰ると、電車が動いたり止まったりする。台風が来ているらして海のそばは風が強い。
秋葉原にて「シャッツキステ」というカフェを探す。
最初にやったことは、傘を買うことだった。アキハバラデパート二階の雑貨屋さんにてピンクの傘を買う。525円である。これがまたかわいいの。あと1,050円の黒いロングブーツがあって、これがたいへん気になる。いったい何物なのか。この靴は。
傘をさして電器店街を歩く。歩道を歩いているときはさほどでもないが、建物のブロックをすぎて小さな交差点にさしかかると、とたんにわたしと傘は風に動かされる。傘はできるだけ柱の高いところを持って支える。視界のあちこちで傘が面白い形に変わっていくのを見た。路上のあちこちに、壊れて薄情な持ち主に見捨てられた傘が落ちている。
裏通りを歩く。「牛丼サンボ」のあたりをうろうろ歩く。なかなか見つけにくいとは聞いていたが、なかなか見つからない。ビルの玄関を順にのぞいて回る。建物を見上げると、傘をそれた風と雨がわたしの頭部をしっちゃかめっちゃかにする。
もう何度のぞき込んだか分からない建物の入口の真上に看板が二枚かかっていた。上のほうの一枚に「Schatzkiste」と書かれていた。四階まで長い階段を歩く。
「シャッツキステ」1回め。
はじめて入った屋根裏部屋には、なにか共通の体験があるかのような気分が最初から満ちていて、常連らしい客人たちの中に入っていける。なにをするでもなく、絵本を見ながらぼへあーっと過ごす。いままでドールや桜館やホワイトローズでやってきたように、ぼへあーっと過ごす。
いままで見てきたメイド喫茶とは客層が違うように見える。この部屋では、品よい身なりや過ごしかたをしたくなるような気分が、内装やお嬢さんの機微によって育てられているためだと思っている。昼の店でもこういう空間が作れるのか。
入ってくる客人はみんな濡れている。そして、みんな、路上に捨てられた傘の話をする。ダナ嬢がなぜか「新鮮市場」と「たこの八つぁん」の歌を歌うのでがんばって覚えた。でも、これを書いているいまはもう忘れた。あと、レイラ嬢がツッコミだった。
雨がやまない。
まだ東京。
まだ東京にいる。また幕張で過ごす。雨はやんだ。幕張メッセから駅に向かうと、駅前の広場で大道芸人が風の強い中で、いろんなものを回したり投げたりつかんだりしていた。写真を撮らせてもらったお礼もこめて、ポケットの中の小銭を全部置いていく。
京葉線でディズニーランドの前を通りながら、この中でエンジェル萌たんがなにかのアトラクションのおねいさんをやっているのだと知りつつも、中に入っていくことができない。
表参道へ。初詣を思わせるような人出の表参道をゆっくりゆっくり歩く。頼まれていたものを買いにきた。
秋葉原へ。例のあやしげな雑貨屋さんはどうも「三月兎」という名前らしかった。レシートにそう書いてあった。買ったものはエミリーのシャツが2枚。
お金が尽きたので食事は、牛丼専門「サンボ」で500円の「大盛」をしこたま食べる。とにかく量が多い。あと「味噌汁」が50円。味噌汁はあんまりおいしくなかった。
路上で、古いカメラを並べて売っている人がいる。値段の書かれていない二眼レフの値段を聞きたいのをぐっとこらえる。
「シャッツキステ」2回め。
相席の人にやたらと話しかけられて面白くない。今度はメル嬢がなにかを歌って、レイラ嬢がツッコミだった。
このまま妹喫茶「Nagomi」に行ってみたかったのだが、ああ、お金がもうないじゃないか。おとなしく帰る。
決定的。やや回復。
「レトロ」にはじめて入る。これまたナウい建物だなあ。内装も、窓枠とか塗装だとかに萌え萌えする。前日買ってきた頼まれものを渡す。
お茶の値段にびっくりである。でも、セットで頼むとそう高くない。
神戸は元町へ。
「お月見猫王様の不思議な銘茶館」へ。1回め。
まず扉の背が高い。でかっ。いたるところに猫王様があしらわれている。これはまたかっこいいじゃないか。
いつものように、はじめてきた店ではパフェを食べる。
もう一軒行きたい店があったが、時間がないので難波に戻ってくる。地下一階の高島屋の入口の前の往来でまた言い争う。お菓子を買うか買わないかのために、一生にそう何回もあるわけじゃないような台詞を聞かされる。もうどうしようもなく決定的に。
「ホワイトローズ」へ。102回め。
アオイ嬢のお誕生日会だった。何人かで話を合わせていたように、眼鏡および背広で出席する。373さんがかなりのサラリーマンっぷりであった。ぼくはどう転んでもあやしげな自営業者にしか見えない。
お誕生日会の参加は数あれど、ついさっきのけんかのせいで自分史上最高の機嫌の悪さであった。でも「パルナス」の歌を教わって、機嫌が戻ってくる。
パルナスといちごの歌。
ロシア菓子の店「パルナス」の宣伝の歌を練習する。一人でこっそり練習する。
「パルナスの歌」津島秀雄作詞、津島秀雄作曲
ぐっとかみしめてごらん
ママの暖かい心がお口の中にしみとおるよパルナス
甘いお菓子のお国のたよりおとぎの国のロシアの
夢のおソリが運んでくれた
パルナスパルナス
モスクワの味パルナスパルナスパルナス
これでやっと、ナウい話題に取り残されずにすむというものである。幼きころにあんましTVを見ずにすごしたもので、共通の話題に乏しいんである。冒頭の音のならびと、やさしい歌いかたがけっこう難しいじゃないか。
「ホワイトローズ」へ。103回め。
メア嬢が名札に一文字書き加えて「ヒメア」に変えていた。いったい何があったのかは存じないけれど、名前が戻る瞬間に立ち会ってしまった。ひめあ嬢とつぐみ嬢とで写真を撮ってもらう。最近クレープまみれだったもので、写真を撮ってもらっていなかった。
夕方に、日本橋の下寺住宅の取り壊しっぷりを確認しに行く。
柵のわずかな隙間からのぞいて写真を撮っていたのに、その隙間も白いシートでふさがれてしまった。こうなったら高いところから撮るしかないじゃないか。不用意に実行すると不法侵入になってしまうので、事前の交渉が必要だ。どうしよう。
またも「ホワイトローズ」へ。104回め。
某嬢のいちごの飾りで髪を束ねられる。たいして長くないので、髪を編み込んだり束ねたりでけっこう派手な作業になっていた。このいでたちで、いちごの名を冠したバンドを観にいこうというわけなのであるよ。
そのまま常連たちで連れだって心斎橋に移動する。「クアトロ」に初めて入った。お嬢さんまみれなバンド「ストロベリートゥインクルスター」が今回エラいところに出るというので、こっちもおっかなびっくりである。色物扱いで出番は最初なのかと思ったら、最後だっていうじゃないか。それはそれで色物扱いのような気もする。
前回のアイドルのイベントではちょっと、いやかなりやばい部分があったのがずいぶん伸びていたのでまずはひと安心する。まだまだだけれど、よくなったのは間違いない。あと、クアトロの音響のおかげで、叩く音と打ち込みがよく分かった。その代わりギターのたどたどしいのもよく分かったけれど、それでも間違いなく前進している。
このみ嬢(Vo.)の萌えを解さないしゃべりは、これからどっちに進むのだろう。彼女はそのままにして、萌え事情に通じたメンバーが助けてあげるのがいいのか、彼女がこっそりメイド喫茶にでも潜入してネタを吸収してくれるのがいいのか。一部の客席のわけの分からない盛り上がりに負けない彼女の元気いっぱいさ加減と存在感、そこにおたく知識が結合したら今風のエンターテインメントになるんじゃないかと思うのだけれど、それがいいのかどうかはわたしには分からない。
今回なんとか乗り切ったことで自信をつけて前進してくれたらいいと思う。アレでつぶされてしまうようなら、残念ながらそれまでだろう。あと、最後のほうで人数がどかんと増えたのが過剰で暴力的なかわいさでよかった。こんな手があるのかと驚いた。
さっぱり進まない。
三島由紀夫「仮面の告白」を読みはじめる。電車の中で読んでいるけれど、さっぱり進まない。帰ってきて寝る前にまた読む。
置き忘れる。
「仮面の告白」を会社に置き忘れて帰る。ちょっと職場の人には見られたくないなあ。
置き忘れる。
「仮面の告白」をまた職場に置き忘れる。
話題の本というほど新しいわけじゃなく、こういった有名な本をいい歳をして読みはじめるという、この後ろめたさは理解できようか。本を読まずに育ったことを知られるかのようで、けっこう恥ずかしいのである。
年若いお嬢さんがとっくの昔に読んでいたと告げられて、さらにぼくは追い詰められるのである。ただでさえ他人のお薦めを無視するぼくのがっかり感は理解されようか。
そして。50年も前に書かれた小説の、この萌えっぷりはなんだ。
持って帰る。
一日が終わってしまう前に思い出した。今日って「13日の金曜日やんっ!!」と。
「仮面の告白」をやっと持って帰った。
じゃあ読むのかというと、あんまり眠いのでさっさと寝てしまう。
三島に悶える。
「ホワイトローズ」へ。105回め。
めぐ姐にライブお疲れさまと合格おめでとう。
うれしい話を聞かされるが、かといってどうしたらいいか分からない。
いちごを返す。
また日本橋の「下寺住宅」へ。
すっかり建物が小さくなっていた。柵のすき間からのぞく。無理矢理写真を撮る。
「ホワイトローズ」106回め。
「仮面の告白」を読んで悶える。うへあー。これは変だ、かなり変だ。
「プチロワイヤル派」と「クラウン派」はお昼を別々に食べるのだ、と言われた。仏文科ではなにが起こっているのか。
三人組。入ってくるなり大笑い、まわりの客人を指して「一人で店に入っている」とはやし立てる。一人がリーダーで、あとの二人が取り巻きのようだった。たまにこういった年端いかぬ若僧が入ってくるけれど、どうも今回はけっこういい歳をしている。こりゃあホンマもんだ。
買いものに行くのもおっくうになる。
「ホワイトローズ」107回め。
昨日予告されていた、めぐ姐の「チキンバスケット」があった。あったので食べてみたら、ぼくのまわりの人が次々と注文していた。
「最初のご主人さま」が誰だったか、というような話をされると弱いわけである。めぐ姐が難波の「桜館」に入ったとき最初([10/15][10/22]のいずれかと思われる)に会った客人はあずまさんだった、みたいなことを言われたことがある。時は流れて「ホワイトローズ」で再会したとき、ぼくが紙ナプキンに製図用のペンで書いた「日本橋の地図」をまだ持っていると聞かされ、姐さんにはかなわないと思った。
のえ嬢が鶴橋の「天使メイド」に入ったときに最初に接客したのがあずまさんだった、みたいなことまで伝え聞くにいたり、去年の自分の新しいもの好きっぷりに感心する。メイドと名がつけばどこでも出かけていった自分、すごい。「ホワイトローズ」で再会したとき、カラオケでめずらしい曲を歌う人、ぐらいの認識で覚えていたのかと思っていたが、そういうふうに覚えてくれていたんだなあ。そんな話をされたら、年甲斐もなくうれしいじゃないか。
で、ふつうメイド喫茶は、上記の2店よりもずっと客入りが多いので、さほどには最初の一人が誰だったかなんてことは意識しないのだろう。それでも、最初のご主人さまがアレな客だと、メイド喫茶に嫌気がさしてその日のうちに辞めちゃったりするらしい。店を移ってもメイドさんを続けるぐらいなので、とりあえずぼくは最悪な客ではなかったみたいだ。
ちなみにぼくはと言うと、最初に入った「e-maid」で席まで案内してくれたメイドさんが思い出せない。
三家本礼「ゾンビ屋れい子」[1][2]と、丸田祥三「少女物語―棄景4」をこっそり本棚に置いていく。前者はまんが、後者は廃虚の写真集。
今日は服を買いに行くはずだった。買いものに行くのさえもおっくうになり、おとなしく帰る。
日本文化センターのようなもの。
一週間も日記を溜めてしまうと、あとでなにを書いたらいいのか分からなくなる。分からなくなるので、メモ帳代わりに携帯電話でmixiに書き留めた日記を探しにいく。たいてい他愛のないようなことが書いてあって、そんな他愛のない文章には読んでしまった人の「コメント」が何件もついていたりついていなかったりするのである。
コメントが少ないとすなわち注目度が低いということがなんとなく分かる。よしよし、今日も注目度の低い記事を中心に拾い上げていこうではないかと思うのである。で、新聞記事の感想文が出てきた。
会社で読んでいた日経新聞で気になった記事、10月14日朝刊、3ページよりシナン・タウシャン氏の署名記事を下記に引用する。
「日本の象徴、売らないで!」。トルコの商業都市イスタンブールにある旧日本総領事館の売却方針に、同国の親日家が一斉にブーイングを発している。
(略)
しかし、重厚な造りの旧総領事館のファンは多く、せめて「日本文化センター」のような施設に衣替えし、日本の象徴として維持すべきだとの声は根強い。(略)
この記事が出てから気がつくまでに、週末をはさんで2日も出遅れてしまった。イスタンブールの親日家の方々はご存知なかったのだろうか。「日本文化センター」(参考文献[1][2])がTV放送を使った商品説明で有名な、通信販売の会社の名前だと知らなかったのだろうか。
あるいは、日経の校閲の人は「日本文化センター」が通信販売の会社の固有名詞だと分かっていただろうか。もしそうだったら、きっと笑いをこらえながらこの原稿を通したのだろう。ひょっとしたら翻訳の人もわざと「日本文化センター」と書いたのやもしれない。ぼくは、そんな彼らの共犯関係を想像しながら、あの曲を思い出してうくくくと笑ってしまう。
……というような日記を書いていた。ぼくは「単語」だけでいいんである。凝った表現は必要なくて、単語の選びかたが適切であればわたしは勝手に笑ってしまうんである。ああもう、日経新聞で「日本文化センター」という語を見ただけで笑ってしまうこの感覚を文章にしたいのに、ちいとも伝わらない。
高い。
東京であるよ。朝っぱらから起き出して東京を目指す。うまくいけば日帰り、そうでなければもう一日の予定で飛び出してきた。
残念ながら一日ですむような作業ではなく、現地で泊まる。さすが都会だ、ホテルの高いこと。
世界の食肉店。
作業の続き。客先なもんで宿題をもらってしまうが、夕方には出てくることができた。
さっそく秋葉原に向かう。「シャッツキステ」3回め。
さすが平日の夕方は客人が少ない。本棚から手に取った「世界の食肉店2 北アメリカ編」はサラ嬢のものだったらしい。サラ嬢に肉が好きなのかと聞かれたが、そうじゃない。魔術の本だとか絵本だとかの間に「世界の食肉店」がはさまっていたら気になるじゃないか。「世界の食肉店1 ヨーロッパ編」はサラ嬢のものではなく、客人が持ってきたそう。たいへんめずらしい文献で、どちらか片方は国会図書館の蔵書にもないのだという。
「世界の食肉店」のとなりにあった「魔女たち」という絵本を手に取ったらば、やっぱりサラ嬢の本だったらしい。なんなんだこの本棚は。とにかくサラ嬢は肉が好きらしいのだが、なんだか、おジャ魔女のどれみさんのようなものすごい好きっぷりである。
たまにこうやって「シャッツキステ」に寄るのが、密やかな楽しみである。
帰りの新幹線でまたmixiをごそごそとのぞいていたら、けっこうな勢いでコメントが増えていくじゃないか。シャッツキステとはまったく関係なく、鶴橋の電信柱は萌えだという話だった。「日本文化センター」より電柱の方がエエのか。電柱がそんなにエエのんかー。
歯の詰めものが外れた。
昼休みに会社の食堂にてカレーを食べてゐたら、奥歯でとんでもなく固いものを噛んだ。石で石を割る音が頭蓋の中に響いて、頭蓋の外にもおそらくはあさりの砂を噛むやうな音が聞こえたのに違いない。
いかなる非常事態か調べんと口を開けたと同時に、石が転がり落ちてきて樹脂のトレイにぶつかって音をたてる。落ちてきたのは、奥歯に詰めた銀合金だった。詰めものと奥歯との接合の不具合から浮きを生じ、つひに外れたときにカレーライスと一緒くたに噛んでしまったものらしい。
前歯に虫歯を認めながら長らく歯医者には行かなかったのだが、かかる非常事態にあっては仕方がない。まったく以て仕方がないのだ。
堺までは遠いが仕方がないのだ。歯科医院に予約の電話をかける。
携帯電話で文章を書いていて、文末の「なのです」が「ナノデス」と変換された。
わたしはこの世のどこかに「nanodeath」というヘヴィーでメタルなバンド(5人組)があって、この世を呪う歌を叫んでいるのを想像する。なのに、脳内でうるさく鳴っていた彼らの音をぼくは捕まえておくことができない。
麻酔で右のほおの感覚がない。
職場を定時で抜け出して、電車に乗ること1時間。衣装がメイド服だといううわさの「おおとり歯科」へやってきた。1回め。
入るとまずは待合室で、壁にそってしつらえられたカウンターに目をやる。都会のカフェーみたいじゃないか。受付のおねいさんは、ピンクのナースキャップを頭にのせて、ピンクの服を着ているのが分かった。
よくある長椅子ではなく、カウンターの背の高い椅子にかける。こりゃめずらしい。診察室に入るとさらにめずらしい。木の床に、暗い色の壁。壁にかかったTVでは映画が流れている。手術室のようなおどろおどろしさをできるだけ排してある。
ピンクのナースキャップに、ピンクのひらひらしたミニのドレスにエプロンのおねいさんがたくさんいる。うはー。こりゃピンク天国ですよ。椅子にかけると歯科医がやってくる。その歯科医はピンクのマドモワゼルではなく、白いムシューでありました。
前回、同じ奥歯の詰めものが外れたときと同様に詰めものの奥で新たなる虫歯を生じていた。こうなると削るしかない。もうすっかり薄くなっているエナメル質の層をきゅいーんと削るとああ痛い。痛かったら手を挙げてくださいとおっしゃるから手を挙げると麻酔を使う。まずは塗布するだけで効く麻酔を使う。そうやって痛みを取り除いたところにを突き刺して本番の麻酔を注入する。
ぼくは麻酔があんまし効かないみたいだ。足の裏に刺さったうにのとげを取り除くために切開したときとか、前回奥歯の詰めものが外れたときとか、背中を切開[1][2]したときみたいに、麻酔しても傷むのだ。ピンクに満ちていても、内装が落ち着いた色でも、やっぱり痛いものは痛いみたいだ。なので、また手を挙げてしまう。かといって、これ以上麻酔を使ってくれるわけでもなく、削るのをひと休みしてくれる。
一通り終わると、右のほおが重くてだるくなっている。ほおの筋肉の感覚がなくなっている。ためしにほおの内側を歯でかんでみると、ちいとも痛くない。これはなかなかに危険な状態だ。ほおの神経の感覚がないという状態は、わたしの意識下でなにも感じないのかと思いきやそうではない。大変にだるくて重い感覚を覚えている。
ほおの神経の感覚のない部分と、ある部分との間にはぼんやりとした境界面がある。感覚のない部分は筋肉をうまく動かすことができないから、この境界面にそって不自然に筋肉が引っぱられる部分があり、そこが筋肉を動かすにあたって本来起こらないはずの負荷を感じているのだと分かった。しゃべるたびに、右側のほおを常に意識する。奥歯を深さ1ミリメートル削る痛みは完全に押さえることはできず、それでいてほおにはばっちり作用しているのだから、麻酔は中々に広範囲に効いてしまうようだ。
虫歯が進行してしまったので、外れた詰めものはもう使いものにはならない。また型を取り直して、犬のガムみたいな材料でとりあえず穴を埋める。詰めものは月曜にでき上がるという。
「ホワイトローズ」108回め。
歯の治療が案外早く終わったので、鶴橋に寄ってみた。まだほおの感覚がないのに食事をしようというのである。
つぐみ嬢の「チョコバナナモカ」を飲む。つぐみ嬢用のメニューに「チョコバナナの味がするモカだよ」と書いてある。モカだよ。そして、熱いうどんにハバネロ一味を入れてすする。店を出るころには右のほおの感覚は戻っていた。
ビールとともに怠惰に過ごす。
「ホワイトローズ」109回め。
年齢の計算を誤ったためにチルたむに怒られる。歳の差がhuitかneufかで間違えた。チルたむがフランスから取り寄せたという、France Gall「1968」をわたしも持っていたと記憶する。CDの棚を探したが見つからないと言うと、「1968」を買ったのは白昼夢の出来事だろうと言われた。あと、脈絡もなく「女の子を泣かせたことがありますか」と聞かれた。なんなんだ。泣かされたいのか。チルたそと呼んだ罰なのか、これは。
家に帰ってきてから、この日記を検索してみたが「1968」を買ったとは書かれていない。困った。
ビールを飲み続け、また長居してしまった。服を探しに行くはずが。
コール天。
「ホワイトローズ」110回め。
今日は鶴橋の「ホワイトローズ」にてお誕生日会兼びっくりパーティなのであった。
隣の373さんとナウい話題を探してゐたら、ゴクミは国民的美少女コンテストの何代めかと云ふ話になった。後藤久美子をゴクミと略すあたりただ者ではない。彼はゴクミは初代だと仰る。ぼくは四代めとかじゃないスかと思ひ、携帯電話さん(色がピンク)を使ってgoogleで検索した結果によれば、ゴクミは初代でも四代めだとかでもなかったのであった。
嗚呼、お嬢さん事情に明るくなかったわたしは知らなかったのだ。「国民的美少女」と称された彼女は、国民的美少女コンテスト出身ではなかった。かような呼称が使われだしたのは、彼女の方が先なのだ。
店が閉まってから、がねーしゃさんと373さんとで別の店に移って会議が続く。
この日は「エッチスケッチワンタッチ」、「コール天」、「ジャンパー」、「ハイソ」などのナウさを確認した。
あと鶴橋の駅前で、急に駆け出して「敗訴!!」と叫びながら紙を縦に広げる、というギャグを4回ぐらいやる。
「あ」と「え」が小さい。
また東京なのである。東京には早めに入って、さっそく秋葉原に寄り道する。こっちも雨だ。
秋葉原で降りると、石丸電気の壁にでっかい「時東ぁみ」の看板がかかっている。とにかくでかくてフロアを4階ぶんぐらいにまたがる。なぜに小さいほうの「ぁ」なのか。
「くまぇり」の「ぇ」が小さいのがなぜかという課題を、ついでに思い出してしまった。
雑貨の店「三月兎」がまだ開いておらず、することがない。ぎゃふん。ラーメン屋さんで一杯すすって、おとなしくお客さんのところへ向かう。
仕事は順調にやっつけられてくれた。夕方に客先を出る。
その足でまた秋葉原に戻る。空が暗い。雨のせいなのか秋になったからなのか、こういった差異はふだん明るいうちに帰る者にしか分からない。
「三月兎」でエミリーの絵本を買おうと思ったのだが、どれを持っていてどれを持っていないのかが思い出せなくて、どれを買うべきか分からない。でも、あとで考えてみたら、一冊も持っていなかったのだった。「シャッツキステ」で読んだ一冊を自分で持っているように、いまここで思い込んでいたのだった。
「シャッツキステ」4回め。
いままでこの店に4回入ったが4回ともレイラたんがいた。
また本を読む。こんな本棚を作りたい。サラ嬢の本、エリカ・ジョング「魔女たち」のジョゼフ・A・スミスの挿画はすばらしい。サラ嬢が、秋葉原に集まる人にとっての「萌え」はなんなのかを知りたいらしく、「絶対領域」はどう萌えなのか、みたいなことをいろんな人に聞いていた。
この日はポストカードを買うつもりだったのだ。全部揃えたかったのだが、在庫が4種類しかなく、それだけ買ってきた。
帰りの新幹線で、すぐ後ろ列の3人組がものすごい勢いで話し続けるのでいらいらする。うるさいばかりで面白いことを言わないから、わたしはただ無為に迷惑を被っているのだと感じていらいらする。
話しかたから働いていることは分かった。ホワイトカラーの同じ職場の人たちだということも分かっていた。駅に着いて降りる前に、振り向いてみた。年端いかぬ若僧かと思ったら、わたしよりちょこっとばかし歳を食っているじゃないか。左から順に3人の顔を見ていって、3人めで思わず吹き出してしまい、にやにやしながら降りてきた。
無理だ。
このチームのモチベーションが下がっているのをなんとかしたい、とボスに言われた。
ああ、やっぱり職場の士気は下がっているのだ、と思うしかない。自分の話をするならば、仕事は増えてもこの給料のままというのだから、もう無理だろう。ぼくと同じ気分の人はいっぱいいるに違いなく、だからすごい勢いでぼくと同年代の人が辞めていくんじゃないか。いまなら同業他社が採ってくれる。
あらためてボスに背中を押されたような気分だ。
ハバタン。
またも職場を定時で抜け出して、電車に乗ること1時間。「おおとり歯科」へやってきた。2回め。
お嬢さんは今日もピンクだった。よく見るとピンクのドレスは全部がピンクというわけじゃなかった。白の薄手のブラウスにピンクのスカートの組み合わせで、その上からスカートと同色のエプロンがかぶさる。
エプロンは胸からはじまってスカートの下端から上に8センチほどのところで終わる。肩ひもは背中は斜めに交差して止まる。スカートはひだのないもので、下端から白の飾りレースがのぞく。スカートはひざより少しだけ上の丈で、腰掛けるとエプロンの丈と揃うぐらいになる。さらにその下はひざ下丈の黒のハイソックスだった。
ピンクの布地は細かなパターンではなく、無地のピンクに着色されたもので光沢はない。頭の上に載るのは一般的な看護婦の帽子の形状で色はスカートと同色のもの。
こういったいでたちのお嬢さんに口の中を蹂躙され、やけに硬いノミで歯を削られ、虫歯のあとには高圧の空気を吹きつけられて痛み、冷たい工具が出入りするたびに口の端は摩耗して痛んだ。
その足で、ハバネロ坦々麺を食べに天王寺にやってきた。「坦坦」に入る。
かなり辛いですけど大丈夫ですか、と確認される。本当に辛いですけど大丈夫ですか、と念を押された。ははは、そんなに辛いのか。こりゃ参ったねマドモワゼル。食べたことは無いけれど、きっと大丈夫ですよ。ハバタン一丁、と厨房に向けてマドモワゼルの声が発せらる。第61回国民体育大会のマスコットのやうな名前である。しばしあって、やけに大きな器が運ばれる。
これがもう本当に辛いじゃないか。真っ赤なスープはずいぶんと粘性が強い。ビールを一緒に頼んだのだが、ビールが苦すぎて飲めなくなる。最後の三分の一を食べるころには、口内の刺激が強すぎてなかなか次の一口を運べない。
食べ終わったが、駅まで歩くのが苦しかった。一月ぶりに辛いものを食べたが、もう無茶はしたくないものである。
困った。
仕事がたまっていろいろと困ったことになってくる。休みを取ろうとしていたのに、そこへ仕事が降ってくる。なんでこんなに新機種が出るねん。
降ってくる。
仲間が増えたので、仕事を投げていく。投げても投げても降ってくる。なんでこんなに新機種を出すねん。この小さい市場から出られずに、ついに消耗戦になるところまできた。
もうからないと分かっていながら、勝たねばならないという理由で戦っている。いままで数多くの事業がたどってきたように、終わりに向かって突き進んでいる。
歯の治療、2本め。
電車は緑の多い地域を抜けて都会に出て、又緑が多くなってくる。電車に揺られて一時間半。歯の治療に遣って来た。「おおとり歯科」3回め。
今日は二本目である。虫歯は歯の表面にくぼみを作ってゐるのが自分の肉眼でも分かっていたが、とくに痛みも無いので二年ほど見て見ぬ振りをしてゐた。
オレンジの出で立ちのムシューが例の医療器具(何と呼称さるべきかは知らないが、高圧空気をタービンで受けて動力としてゐると想像さる、回転刃に依って歯を削る医療器具)で以て、あの金属の摩耗するやうなパルス状の低い音と、歯の表面の摩耗に依って変調さる甲高い音が頭蓋を震わせるのである。ぼくはじっと目を閉じて堪へる。あの音がわたしを無力にさせる。
そこへ、ピンクのマドモワゼルがまた詰めものを入れる。自分の口内は視野の外側であるから見えないけれども、何らかの化学的作用があって粘土の如きものは瀬戸物の堅さに変わる。この間僅かに数分間。此りゃあハイテクであることよ。例のアレの刃先を替へて、詰めものの表面を研磨する。鏡を見ると、目立たぬ象牙色の詰めものが穴ぼこを埋めている。ムシューとマドモワゼルとわたしだけの秘密でありますよ。
此れにて二本目の治療が終わった。今日は全く痛くなかった。虫歯が歯の表面で堪えてゐるうちに削れば痛くないと云ふ当然のことを学習した。
「ホワイトローズ」111回め。
ハロウィンイベント1日め。開店5分後に入ったらば、ひなつ嬢が壁に黒いコウモリの細工を貼っていた。
ひめあ嬢とひなつ嬢とキリカたむと写真を撮ってもらう。
難波に服を探しにいく。ジャケットとシャツを買って、また鶴橋に戻る。歩きすぎて、日本橋のアパートを撮りに行く時間がなくなった。
「ホワイトローズ」112回め。
照明を落とした店内で、机の上のろうそくの灯りで本を読む。途中で、突発イベントの、オーナーとおのてつさんの「7.3辛」のカレーライスを食べる競争があった。オーナー、食べるの早っ。
「シャッツキステ」で手に入れたポストカードを373さんに自慢する。
チルたむとさゆこ嬢と写真を撮ってもらう。
ハバネロ一味が気管に入る。
「姉ちゃんの自作詩集発見した」を読んだ。なんとナウい姉であろう。
フレグランス・ド・フラワー!!
「ホワイトローズ」113回め。
最終日曜日は「猫耳デー」なんである。猫耳の日の限定メニューとはまったく関係なく、昼食には冷たいうどんとビールである。
うどんに入れた「ハバネロ一味」が気管に入ってげほごほしているのを、めぐ姐に見られてしまう。
3週間ぶりに会った。またけんかする。また泣かせてしまう。どうしようもない疲労が残る。
des fleurs。
仕事を放っぽり出して、さらに人に任せて、鶴橋に向かう。「ホワイトローズ」114回め。
フレグランス・ド・フラワー!!(挨拶) ハロウィンイベント2日め。チルたむとつぐみ嬢と写真を撮ってもらう。チルたむの写真には、フレグランス・ド・フラワー!!! と血文字みたいな字で書いてある。2006年の萌えフレーズはこれですわ。
眠い。
「姉ちゃんの自作詩集発見した」を午前2時までかかって読み終えた。
彼女の詩集を出版したい。本にしたい。もう勝手に本にして真冬のビッグサイトで配りたい勢いだ。住宅地で一軒ずつ回って、聖書にはさんで置いていきたい勢いだ。聖書の背表紙にはホーリー・バイブルではなくフレグランス・ド・フラワーって書いてありそうな勢いだ。
ああもう。眠いのにまた読んでしまう。フツーにだめー★ 昨日か今日は休みたかったのだが、仕事が降ってきたのでしょうがない。いま休まずしていつ休むのかと思っていたのに。