内容●「ぴちぴちピッチ」のせいで思考回路はショート寸前いますぐママのようにステキな恋見つかるかしら♥6つのどきどきハートが放課後待ちきれないご奉仕ご奉仕選び抜かれたスペシャリスト歌いだしたら止まらないあずまさんの崩壊の記録
その3が終了。
午前5時40分に駐車場に着く。駐車場の予約券をもらう行列に加わる。6時05分、手に入れることができた。
おしごと3が終了。機材が稼動の合間にアレしたりしたけれどなんとかなった。もうどうなることかと。
わたしの姿を見て「ピンクが足りてない」とか言わんといてください。例のピンクの人はなんだかもうすごい。かばんから出てくる持ち物が全部ピンク色なのである。わたしに勝ち目はない。ピンク自慢は続き、ピンクのビーズがじゃらじゃらとついた電話機を見せられた。わたしのキティさんの電話機には、ピンクでハート型の時計とおジャ魔女のストラップと、ちびうさちゃんがぶら下がっている。これはわたしの勝ちだろう。そしてハート型の時計を奪われそうになった。
ああそうだ。別の人にもこの電話機を見られていた。電話機からぶら下がっているものを見て「あ。ちびうさちゃんだ」と言われる。なんと。分かる人が一人いた。ぐわああ。ピンクのために図らずもちびうさ好きをカミングアウト(2名)してしまっていますよわたしは。
長かったおしごと3も終わったことなので、外も明るいうちから仲間と友達らしき人とでぞろぞろと飲みに行く。ここから5時間飲みつづける。もうアホである。
わたしにとっていま一番面白い人物なので、ピンクの人のそばに座るわけですよ。酒が入るとその人のわけ分からなさが加速する。わたしもどんどこ変になる。いつしか人々の輪は二分され、なんだか向こうのほうでは楽しそうに騒いでいる。若者よのう。こっちはどす黒い空気に覆われている。ピンクの人からどす黒いなにかが出ている。なにを言っても黒い答えしか返ってこない。その黒さに押したり押されたりしながら、4人でいじって遊んでいた。なんの脈絡もなく「相手がおらんからってわたしと結婚してくれとか言わんといてやー」とおっしゃる。ぶはっ。なんやねん、この人は。そんな台詞どこから出てくるんですか。
この人はときどき不条理なことを言う。あるとき、ぜんぜん関係のない話がはじまったので「なに言うてるんですか」とわたしが冷たく言い放ったらとても悲しそうな顔をする。それがわたしのいけない部分を刺激して、こらえきれずに大笑いしてしまう。したらば泣き出してしまった。なんでやねん。すると、ますます不条理に抑圧されていたわたしの内部からなにかが吹き出してくる。ああ。そんな悲しそうな目でわたしを見ないでおくれ。か、勝った。勝ったよママン!! 「この人『S』やわ」とか言わんといてください。その言葉全部アナタにお返しします。そんな台詞を言うのはこの口かっ!! この口かっ!!
ああ、今宵はピンクだ。ピンクが足りねえ。飲み物はピンク色のものばかりを飲む。こうしてピンクが好きなことが明らかになってしまい、えらいカミングアウトっぷり(4名)である。わたしはさほど酒が飲めるわけでもないのに、ずいぶんと飲ってしまった。わたしは有線放送で流れている聞いたことのない演歌に合わせて歌い出したり、真顔でくさい台詞を吐いたり、へんなギャグを64個ぐらい言ったりする。ふだん言葉を選んでしゃべることに慣れているのに、酒でフィルターがぶっ壊れてしまったみたいで、言葉がすごい勢いで出てくる。もはやわたしには恐いものなどなかったらしく、飲みすぎてぐったりと無防備になったピンクの人の足の裏をくすぐって、さらにつかんだりなで回したりしていたら起きあがった。くししし。
ずいぶん変な人になってしまった。あとの3人も笑いでついてきてくれたからつい調子に乗っていた。ああ。やってしもた。もう会うことはないかもしれないけれど、帰る前に「すんません。嫌いにならんとってください」と言ったら「嫌いやないよ。好きでもないけど」と言われた。ぎゃふん。なんやねんこの人は。「わたしは、好きです」と、くさい台詞を言うときの顔で言ったら「いやん。コクられたー」と返ってくる。……うがあああ。こんな台詞を言うのはこの口かっ!! この口か!! 5時間で32回ぐらいひざを叩かれた。
疲れた。日付が変わるころにふらふらと帰ってくる。
(筆者註)この日の日記は翌日の6月2日に書かれた。筆者は当時のテンションの高さの再現に留意した。
あいかわらず全身がだるい。
あーたーらしーいーあーさがきたー。久しぶりに深く眠ったように感じる。頭はすっかり覚醒しているけれど全身がだるい。早く帰ってえろゲーとかレコードとかピンクとか探しに行きてえ。昼寝もしたい。
残り2万円。
とりあえず一段落というか、いや次の山は迫っているのだけれど、もう仕事しない気マンマンなのである。しない気マンマンなので夜の9時に職場を抜け出す。
さて。お金がない。なんだかもう2万円ぐらいしか残っていない。5月の連休はできるだけ出費を減らしたのに。
ああ、そういえば。なんだか5/31の日記には書かれていないけれど、この日はこの日でいろいろあったのだった。誕生日の人が二人いたのでお祝いする。これだけ忙しくてもケーキを買ってきたアナタえらいわ。ホンマえらいわ。あたくし、裏声で「ハッピーバースデイトゥユー」のアレを熱唱する。夜中にそそくさとケーキを食べて、そそくさと建物から追い出された。ふははは。もう、なにかにとりつかれたように、こっ恥ずかしいことばかり。
なにも買わず。
がふん。まだ「キスあと」が見つからず。「塔ノ沢魔術研究会」と「魔法戦士プリンセスティア」は先週から見つかっているけれど、買うにいたらず。「ガンガン生射ち」はまだ4,000円ぐらいする。結局なにも買わず。「姉しよ」を予約するか迷ったけれど、それも踏みきれず。
帰ってから「キスあと」を発注する。送料が高くてまいる。
書きなおさせてくれえ。
ううう。わしに書きなおさせてくれえ。古いコードを最近入った人がいじくる。からまってからみ合ってもう見ていられない。こんなことをいうと本当に異動させられそうなので、ここはひそひそ話で。
ううう。買いものがしてえ。運転できないけど車を買ったりしてえ。貯金とかは昇進してからでいいやー。
暑い。
暑い。暑いし眠い。今日は実験室の自分の居場所の模様替えをする。
いやー。本当に暑い。
ぎゃふん。
今日は髪を染めに行く。美容師の人に「ピンクブラウン」にできるか聞いてみたら、できないといわれた。ぎゃふん。前回よりも明るい赤にしてもらう。6,000円。
焼肉を食べに行く。6人で食べる。大量に食べる。けっこう安くて16,000円。どうも最近はじゃんけんで負けた人が払うことになっている。1万円は超えないというルールにのっとり、じゃんけんで負けた二人が代金を払うことになった。んで、あたくしは敗北を喫し、8,000円を払った。ぎゃふん。
電話機にぶら下がっているちびうさを見て「セーラームーンやっ」と言われた。わたしらの世代のおねいさんでもけっこう分かるもんなんだなあ。
寝て過ごす。
「こんどはなんと実写です」(武内直子/Sailormoon Channel)
「キャスティングについては現在検討中」(スポニチ)
「美少女たちが『戦士』に変身し戦うシーンは、CGを駆使した映像やアクションを使用」(スポニチ大阪版)
セーラームーンの新作が出るというこんどの話はうわさではなくホンマもんだったようである。そして実写である。ポワトリンみたいな方向へ進むのか、くるみpureみたいなえらいことになってしまうのか。はたまた最近の仮面ライダーみたいな暗いものになるのか。
寝ていると楽だ。やっぱり一日を寝て過ごす。暑くなってきた。今日だけで荷物が3点も届いた。
試験中も眠い。
さて。そろそろ仕事せねば、と思いつつも締め切りの近いもの以外のことばかりがんばってやってしまう。
眠いいい。寝ても寝ても眠い。今日はTOEICの試験だった。単語がたくさん並んでいるのをながめていても、ちいとも意味がつながらない。そのまま5分ぐらい経ってしまう。ああいけない。思考が止まっている。そんな調子なので、解答用紙の右下のほうにたくさん余りができる。
今回はあてずっぽうにマークシートを黒く塗るのをやめた。どうせわたしは自分で考えて解答するのとさいころを振って答えるのとで同じような点数しか出せないわけだけれど、そういうみじめな悪あがきはもっと大事な局面のためにとっておくのだ。
盗み見して、うぎゃあああ。
自動デモ用プログラムを作る。あとは工作が間に合うかなー。無理かなー。そんな中で今週は出張が入る。ぎゃふん。時間が。
うぎゃあああ。やばいって。盗み見している分際でこんなことを言うのもアレだけど、こんなコード書いてたらまずいって。おいしくないって。たぶん、多忙な中で必死で書きかたを覚えたんだろうけれど、ぜんぜんきれいじゃないって。ちらっと見ただけでも明らかな誤りがあるって。やばいって。
うぎゃあああ。でも口には出せないんだって。ぼくは製品に入るコードを書いたことがないからしょせんは素人なのだけれど、それでも大学のころに時間をかけて読んだり書いたりしたからわかるんだって。そのコードはホントにやばいって。無法地帯だって。中級者向けの本とか読んでみろって。あなたの機種はこのまま葬送行進曲に乗って日本海に沈んでいくんだって。
まともな人を借りてきて、論理構造を保ったままきれいなコードに翻訳してからデバッグしないと無理っぽい。本当はコードを全部消してまともな人が全部書き直すのがいいのだけれど、それでは貴重なまともな人が倒れてしまう。
またまたお金がない。
定時で帰る。帰るったら帰るのよ。うははは。
どえらいことを忘れていた。今週は結婚式に出かけていくんだった。はじめて二次会じゃない結婚式に行くのである。ということはですよ。アレですよ。いくらか包むわけですよ。銀行の残高なんてもうすっからかんだし、財布の中身は2,000円しかないし。いやまいった。
夜は涼しい。ぼへーっと過ごす。
チケットぴあからせらみゅ夏公演の切符が届く。神戸と横浜。今年はあんましがんばらないでおこうと思っていたけれど、スリーライツのおねいさんがなんだかいい感じなのでやっぱりがんばっちゃおうかなあと思ったり思わなかったりしているうちに時間はどんどこ過ぎてしまった。いまのところ押さえているのは大阪と神戸と横浜の3公演だけだから、そんなにがんばっていない。
昨日はここを45人も見たのかー。この二日間で日記の参照数が倍増している。きみたちはそんなにちびうさのセル画が見たいのかー。
どうにもしかたがない。
帰りの電車が踏み切りの手前で警笛を鳴らしながら急制動に入った。電車の先頭にいたわたしは前方と左右を見回す。電車は徐行してまた加速した。最近はこのあたりも「人身事故」が増えてきてよく電車が止まる。今回はついに現場に出くわすのかと思ったけれど、そういうわけにはいかなかった。いずれは東京の中央線ばりに、止まっているのがあたり前になるに違いない。
そんな中でもわたしのそばでしゃがみ込んで電話をしているお嬢さんは動じない。いやすごい。夜も寝ずに遊んでいるそうである。母親から電話がかかってきて怒られたそうである。夜の街に「何十台」のなにかが集まるそうである。いったいその電話料金は誰が払っているのか。
帰り道、駅から歩いていたら背後からけたたましい音が近づいてきて、止まった。横断歩道を渡っていく人たちを、これまたけたたましい排気音で威嚇して、また威嚇して走り出す。えらい勢いでつっこんできて、わたしを追いこしていく。通りすぎたあとも、音は大きくなったり小さくなったりしながら走っている。わたしはもう全身の力が抜けてしまう。こんな連中のために税金を払ったり保険料を払ったりするんだと思うと、さっさとあきらめたものの勝ちだと思えてくる。
でもまあしょうがない。もらえもしない年金を払っているのだってしかたがない。生きているかどうかも分からない数十年後のわたしの生活よりも、いまの年寄りを食わせるほうに価値をおくのがお金の使いかたというものだろう。泥棒たちの蓄財を助けるために高いCDとかゲームを買っているのもしかたがない。会社で扶養家族のある人には手当があって、わたしには支払われないのもしかたがない。こういう決まりなのだから仕方がない。
どうにもしかたがない気分でちびバイクを走らせていると、コンビニエンスストアの駐車場からどえらい勢いで車が飛び出してきてわたしとすれ違う。ここで目が覚めた。やっぱり、しかたなくない。
「日本橋」と聞いただけでぼくは、もう。
あー。今日は13日の金曜日だー。
今日は朝から夕方まで紙の資料をめくった。ただ、ひたすら1万ページぐらいめくった。8人がかりで探したけれど、いいのは出てこなかった。また出直しである。
んで。8人は帰っていく。ここでわたしは「カオスBaby義美カップリング」を買いに日本橋に行きたいと考えるわけである。でもそれができなかった。なぜならば。わたしよりも先にある人に「日本橋に寄っていきますわ」と言われてしまったからである。
わたしたちのおしごとがそっち関係である以上、電気店街に向かうこと自体にはなんの不自然さもない。なのだけれど、その人が「日本橋」というキーワードを口にしたとたんに、わたしにはその人が金曜日に発売のえろゲーを買いに行くように思えてしまうのである。二人でいっしょにソフマップに入っていくところを想像してしまうわけですよ。いや、その人は電子部品を探しに行くのかもしれないし、冷蔵庫を探しに行くのかもしれない。でももう金曜に日本橋といえば、あずまさんチームの答えは「えろゲー」しか出てきません。うはあああ。無理です駄目です。あずまさんチームは白いだるまが31個。こんなの耐えられません。
じゃあ梅田のソフマップに買いにいけばいいんだー。梅田で別れて一人になってからソフマップに入る。でも義美ちゃんが見つからないわけですよ。いやおかしい。再発売だしそんなに売れるはずがないではないか。ラーメンをすすってから結局日本橋に向かってしまう。4軒ぐらい回ってやっぱり見つからない。「キスなんてあとまわし」とか「あやかし草紙」とかいままでなかなか見つからなかったものが再入荷しているその一方で、たくさん売れるとも思えないものが見つからない。これってやっぱりアレですか。いわゆるひとつの、出荷されてないということですか。
あと「姉、ちゃんとしようよっ!」を予約した。予約なんてはじめてである。帰ってから調べてみたら義美ちゃんの発売が一週間延びていた。ぎゃふん。
御祝。
今日は結婚式なのである。はじめて結婚祝いののし袋を書いた。「御祝」という字を64回ぐらい練習した。
出発は昼なのだけれどあと2時間ぐらいある。うー。積み残してるえろゲーをやりたいなあ。ぴちぴちも観たいなあ。でも母上が掃除機持ってうろうろしてるなあ。うー。
雨が降っている。大学の先輩の結婚式に呼ばれて、比叡山にあるホテルまで出かけていく。駅から比叡山をバスで登っていくとしだいに霧が出てくる。崖の下は真っ白なのである。
ホテルに着いていろんな人に再会する。ここで2時間ぐらい待つ。こじんまりとしたホテルのロビーに人が集まって結婚というものの儀式が始まる。もうなにもかもが白いんである。新郎新婦の衣装も大理石の壁や階段も。花嫁の衣装は聞くところによれば「マーメイド」と呼ばれる形であるらしく、布地が身体にぴっちりくっついていて、しっぽがひらひらと長く伸びる。まあ、この白さが。いままで見たことのないような白だった。ブラウン管に映る白でもなく、照明のあたる舞台の上のまばゆい白でもなく、ずいぶんと繊細でやわらかいんである。一面のガラス窓から入るくもり空の白い光が白い大理石に反射して拡散光になって、これがまた白いドレスを包む。
なんだか契約書のようなものに署名をする。このとき花嫁が白の手袋を外す。このドレスは肩から先がないので、手袋を外すと腕だけが全部あらわになる。なんだかこの不均衡がエロティックなのでまいる。最後に新たな夫妻が歩き出すと近くの人が次々に花を投げる。ああ。これを花道というのか。
披露宴はずいぶん豪華な料理が出てきた。長い長いフランス語の名前のついた料理の皿がどんどこ出てくる。わたしは食べるだけ食べて、飲むだけ飲んで、最後には涙が止まらないのであった。号泣をこらえていると、のどの奥が痛くなってえぐっえぐっとなる。そうか。これが結婚式というものなのか。
過去の思い出。7年前、寝ている間に低周波治療器でいたずらして大笑いした。8年前には「VOW」の単行本をたくさんもらって、腹筋が痛くなるまで笑った。そのあとも変なことをやった。でも、わたしが号泣するのはわたしの中の過去の思い出なんじゃなくて、彼らとその両親が、ありふれたふつうのことを言うってことに対してだ。わたしが会ったこともない人たちでさえわたしを泣かすんである。きっと酒のせいだ。そうだとも。
飲みすぎてしまって二次会には行けず車の中で寝ていた。二次会が終わったときにはもうすぐ日付も替わろうかという時間だ。そのあと4人でそのホテルに泊まる。うはー。豪華な部屋だー。うはー。
帰ってくる。
いやホントにいいんですか。4人で新居に呼ばれる。写真を見たりして2時間ほどで引きあげる。そこから、はるばる自分の家まで帰ってくる。比叡山とは気温が違う。背広を着て歩くのは暑かった。
実に簡単に進む。でも絵の最後の1枚がそろわない。
二本買いはよくない。
「姉、ちゃんとしようよっ!」(きゃんでぃそふと)の店頭売りのテレホンカードが10種類もある。いままでカードだのポスターだのなんてちいとも興味がなかったし、テレホンカード付きなんて買ったことがない。
なのだけどー。要芽姉さまと高嶺姉貴のボンテージなカードがー。ぐはー。やばいですよこれは。もうソフマップで予約してしまったけれど、こいつは欲しいですよどこに売ってますかー。
「コムロード」という店でしか手に入らない特典なのである。コムロードってどこだ。上前津店、春日井店、尾張旭店……これって名古屋じゃないか遠いじゃないか通信販売の案内はないじゃないか株式会社コムロード御中!! うぐ。さっそく挫折。きっと「姉しよ」は発売するやいなや2万本ぐらい売れちゃって売りきれ続出で、秋ごろには画集なんかも出てここいらへんの画像もきっと載るに違いない。ああそうさ。載るに違いないともさ。だから我慢だ。二本買いはよくない。
お姉ちゃん湯呑み。
「姉しよ」の販促ものはほかにもある。お姉ちゃんな湯呑みがもらえるという。そっち方面のイベント「キャララ!!」にて、姉しよの予約券とレシートを見せると先着でお姉ちゃん湯呑みがもらえる。日本橋では7月12日に行われるそうである。んで、場所は「ジャングル」の3階である。うーん。行列とかするのはとてつもなく恥ずかしい感じだけれど、お姉ちゃんブームの第一歩をきざむわれわれとしてはこっ恥ずかしいのはがまんしようではないか。
……いや。いやいやいや。ちょっとよく見てみたらば。この日って。この場所って。「ジャングル」の1階でわたしの先輩が芝居してるじゃないか。知り合いとか来るじゃないか。どわー。えろゲーのイベントで並ぶのは無理だ。お姉ちゃん湯呑みのためとはいえ、これは無理だ。カミングアウトするにもほどがあるのである。
なんだかひと段落したっぽいので明日を休みにする。給料日はまだかー。賞与はまだかー。
真菌が生きる。
あれから2年経った。
3週間以内にまた病院に来るよう指示されていた。しかし真菌群との戦いはあっさりと決着がついてしまったので病院には行かなかった。それからもう2年という時間が過ぎたのである。そして、連中はまた活動を始めてしまったようだ。わたしの右足の一部には表皮が乾燥してはがれ落ちている部分がある。連中はいままで姿を隠して生きていたのである。
医師はやはり2年前と同じように診察を始める。同じ場所の皮膚を刃物で削って、ガラスのプレパラートに載せて顕微鏡で見る。薬を使っているのかと聞かれたので、2年前にもらった抗真菌薬「ゼフナート」のチューブを見せた。2年前はすぐに治ったのだけれど、今回は治る速度が遅いように思われる。そう言うと、医師は薬に耐性のある菌が生き残ったのだろうと答えた。薬によって真菌群は活動を止める。しかし、かれらはここで絶滅するわけにはいかない。環境の変化に強い胞子を残して、一族の復活の時を待つのである。雑誌の記事を切り抜いたものを見せながら医師はこう言った。
真菌ってのはね、常にカビなんかと競合関係にあるんです。細菌だってそう。黄色ブドウ球菌とかいろいろあるけどね、絶滅させてしまうとこのへんのバランスが崩れるわけ。どれかが弱くなるとバランスが崩れて競合相手がぐんと増えて具合が悪いんです。水虫でもなんでも、症状が出たら治療したらええんです。絶滅までさせてしまうのはいかんという考えかたもあるんですわ。共存していこうという考えでね。バランスが崩れて、一番増えてしまったのが人間なんです。わっはっは。恐竜もここまでは増えなかったでしょ。人間はごはんも食べるし、たくさんエネルギーも使うしね。
薬は「ペキロン」を使うことになった。薬が効かなくなったらこれを使っているそうだ。2年前にはまだ新薬だった「ゼフナート」に耐性ができてしまった真菌と、もうしばらくつきあうことになる。当時は足の裏の異変にそりゃあもう恐れおののいたし、真菌が薬の耐性が持ったら大変だと思っていた。でも、いまはもうどうということはない。かれらは弱い生き物なのだ。どこにでもいる真菌が、気温と湿度の条件がいい感じにそろったときに芽を出しただけのことだ。ここに新しい薬があるから、また胞子に戻ってくれればそれでいい。
最近布団の中で脚がつる。今日も朝6時ぐらいに目が覚めて、脚の感覚がなんだか不安げにむずむずする。数十秒のむずむず感のあと、ひざから下の筋肉がものすごい力で引っぱられる。これは痛い。引っぱる力に逆らってかかとにぐっと力を入れてみるけれど、わたしの筋肉にはさほどの力はなくて逆らうことができない。じゃあわたしの脚の筋肉をものすごい力で引っぱっているのは誰なんだ。事件は謎を残しつつ、わたしは無防備な姿で筋肉を引っぱられて息を荒くしてもだえるしかない。いまでもひざから下が痛い。急激な運動で筋肉痛になってしまった。
賞与だ。セル画だ。
こりゃ驚いた。夏の賞与の支給日は明日だった。7月だと思っていた。これで借金が返せる。ええい。ちびうさのセル画に入札してやるともさ。そして落札してしまったさ。
お金は残らない。
午前7時40分に駐車場に着く。駐車場の予約券をもらう。その5分後にはなくなったらしい。ずいぶん厳しくなってきた。
給与天引きで社内預金に預けたり、株を買ったりしているから賞与といってもあまり手元にはやってこない。まず8万円の借金を返す。そしてセル画をどんどこ入札して落札する。うははは。全部落札したら、もうお金は残らないのである。
くだんの沈みつつある機種がまた生き返りつつある。まともな人を2人も連れてきて大急ぎでコードを書きなおすらしい。2人も引っぱってきて他の機種を犠牲にしてしまうことも驚きだけれど、人数が増えすぎて監督とか指導だとかができない体制になっていることが周知の事実になってしまった。
2か月分と55,000円。標準額マイナス10,000円
CDとうどんとえろゲーの日。
ずいぶん空気が熱くなってきた。2日ほど前に台風が近づいてきたときは、夜中も暑かった。風が吹いて温度が高い。湿度も高いときたもんだ。そして台風が去ったあとも暑さが残った。
心斎橋のタワーレコード。Françoise Hardy「the vogue years」という2枚組のCDを買う。40年前のアルディさんの唄が50曲も入って2,300円。輸入盤。ほかにもピンクなアクセサリーを探すも買うにいたらず。
そこから歩いて歩いて日本橋へ。ソフマップにて「カオスBaby義美カップリング〜小悪魔!! 調教日記〜」を買う。女王さまで髪は横結びである。
帰りに食事をする。カレーかうどんかで迷って、うどんにした。
どうにも動きがあやしいのでWindows 98を入れなおす。Windows 98の立ち上がっている状態で、その上からCDを入れてインストールを始める。インストールの最中もやはり動きがあやしい。途中で止まって先へ進まない。何度やってもそこで止まる。こうなったらフォーマットからやり直したいが、CDを入れたままだと再インストールの続きから始めようとするから身動きが取れない。
フロッピードライブをがさごそと探しだして、なにもかもやり直すことにした。ほんとうにいやな気分になってきて、うまくいかないことがあるたびにため息をつく。
で。「カオスBaby義美」を動かそうとすると「Indeo Video 5」がないと言って動いてくれない。いやまいった。Codecは入っているのに。メディアプレイヤーも新しくしてみたのに。もう1台のWindows 98でもだめだ。はたまた別のマシンのWindows XPでも試そうとしたけれど、この1台は計算専用で音が出ないので試さなかった。んで。さらなる試行の結果、Windows 98のインストール時に「ビデオ圧縮」を選んでいなかったことが原因だと分かる。ここを入れなおして無事動くようになった。つ、疲れた。
眼鏡の瑠璃先生に押し倒されるところまで進んだ。義美ちゃんは女王さまなのに声がかわいいのでまいる。
久しぶりに映画を観た。
さて。映画なのである。去年の1月に映画館に行ってからもう1年と5か月が過ぎた。
なんだか急に映画館に行きたくなるのである。先日「エニグマ」というドイツの暗号を扱った映画を見のがしてしまいがっかりしていた。ほんじゃま次はなにを観ようかというと、これである。「発禁本SADE」である。うー。へんな題名。サド(Donatien-Alphonse-François de Sade、通称Marquis de Sade)侯爵の映画である。サドの著作はちいとも読んだことはないけれど観ねばならないような気がする。「ロリータ」と「サディズム」はあずまさんの重要なキーワードっぽいではないか。
千日前の「千日会館」は地下にあった。階段を降りながら、もうさびれていると感じる。人通りの多い商店街とは空気が違う。暗くて狭いロビーを通ると狭い部屋に小さなスクリーンがある。振りかえると客はまばらで年輩のおじさんが数人とお嬢さんが一人。わたしも古びた部屋で腰掛ける。スクリーンの両脇にトイレがあってときどき人が出入りしている。こ、こいつはなかなかヘヴィ級の劇場である。
あらすじ。昔むかし200年ぐらい昔。運命に導かれたナージャはフランスにいませんでした。サドは牢獄にいた。自身の不道徳な作品のためなのか、不道徳な行いのためなのか、はたまた自身が貴族だからなのか、もうフランス革命のあとのごたごたの最中ではっきりと描かれないけれど、とにかくサドは牢獄にいた。これまたいろいろあって牢獄から修道院に移される。ここには金持ちの貴族がたくさんいる。金を積めばいくぶんましなところに住めるのである。不道徳な作家サドはここでも嫌われものだけれど、自身の戯曲を庭で上演することになり、次第に修道院の人々を引きつけていく。そんな中、議会の「告発リスト」に載った人々が一人また一人と処刑されていく。
サドは修道院までの馬車で出会った伯爵一家の娘エミリーを気に入ってしまう。エミリーは頭が切れる。エミリーはサドの書いている原稿を読みたいが断られる。読むなといわれると読みたくなる。読んでびっくりまあ大変。エミリーは知ってはいけないことを知ってしまった。
感想。まずここでサド侯爵のことを調べる。順番が違っていたりするけれど、映画に出てきた事件は結構史実に近いようだ。それにしてもまあ、感想の書きにくい。この作品でもっとも力が入っていたのは、たぶん、納屋でエミリーの処女を奪うところであろう。もう、もう、ここまでずっと、サドは自身の作品に反してまともなふるまいをする人間だと思わせておいて、ついにすごいことになる。老いたサドに代わって、庭師のオーギュストにあれこれ命じて目の前でエミリーを抱かせる。「妊婦は処刑されないから」なのか、それとも劇中劇を作っていく過程でエミリーを「私の作品に出てくるもっと賢い女」に仕立てたかったからなのか、そのあたりははっきりしないけれど、もうとにかくコトに及ぶ。
まあ、これ自体ふつうではないのだけれど、そこにいたるまでがもっと大変だ。庭師にむちを持たせて自分を打てという。エミリーをではなく、サドを。なんだかもう、あまりの唐突さに笑い出してしまいそうになる。もうすんごいことになるまでむちで背中を打つと、サドはオーギュストの脚と脚の間にあるものが衣服を押し上げているのを確認する。サドは別にむちで打たれたいんじゃなくて、むちで人を打って興奮するさまが見たかったのだろう。
いやいや、この場面自体はたいしてこのお話の中で重要じゃないはずなのである。でもでも。こうも時間を割いて描かれているんだから取り上げるしかないではないか。エミリーに服を脱がせ、庭師にはエミリーのここを舐めろとか舌を差し入れろだとかもうあれこれ指示をする。わたしたちはスクリーンの前でそれをじいっと見ている。そして男性同性愛の美青年が納屋の窓からなぜかのぞき見ている。いやホンマにこれが克明に描かれているのだけれど、エミリーの胸と下腹部の山脈の向こう側の、脚と脚の間にある一部分のフィルムにぼかし処理が入ってしまう。ああ。なんて不粋な。そしてエミリーはちょっぴりサドに入りこんでいく。
ええと、まあ、そんなこんなで、話のあらすじとぜんぜんの関係ないエミリーと庭師の一部始終のあと、舞台は上演開始後1分で中止させられたり、庭が死体置き場になったりして人々の心は病んでいく。きっとこのあたりでサドをとりまく人々はもっとすんごい夜を過ごしているに違いないと期待するのだけれど、どうしてここを描きませんかー。あとエミリーが「ロリータ」のときのようにずいぶん育っちゃっていることが悔やまれるのである。でも、いい歳したおじさんと会話でちょっとした駆け引きをするほどの知性が、表情に出るあやうさと合わさって、なんともいい芝居になっている。
うーん。彼の著作に詳しい人ならなにかいろいろと見い出すのであろうか。牢獄の中で死にゆく人の周りで祈る人は、祈らぬサドに死を冒涜するのかという。サドは死にゆく人に生を見るという。見方の違いといえばそうだし、皮肉ともいう。サドの昔の愛人(名前は失念)が、いまは共和国の有力な議員フルニエの愛人になっている。フルニエはロベスピエールの独裁体制のもとでやりたい放題なのである。不道徳な作家のことを快く思わないのだけれど、フルニエは愛人にすっかり入りこんでしまっているから、愛人のいう通りサドが処刑されないように取りはからう。それから間もなくフルニエはロベスピエールとともに反対勢力の反撃にあってあっけなく処刑されてしまう。これまた皮肉といえば皮肉。そして貴族たちは解放される。
登場人物は貴族ばかりだから口が達者だ。なんでもきれいな言葉に替えてしまう。でも、エミリーの父親の伯爵みたいな堅い人物よりも、市民あずまさんはサド侯爵のように口達者で妖しげなおじさんに惹かれてしまう。本能に正直に生きろといわれても困ってしまうのだけれど。
帰りに地下街を歩いていた。お嬢さん2人組に道を聞かれた。難波駅はどちらかと聞かれたけれど、わたしは道というものを覚えていない。ふと見上げると天井からぶら下がった看板が見えたので、そっちを指して駅はあっちでしょうと答えた。そこで別れてしばらく歩いていたら、どうもさっき教えたのは別の駅への道で、難波駅は反対方向だと気がついた。わたしに道をたずねるなんて、なんという不運。
会社を休んだら退屈だ。
駅まで行って電車に乗った。扉が閉まる前にまた降りた。おなかが痛い。今日は休もう。休んでしまおう。またちびバイクに乗って帰った。
じゅっせーきんじゅーじゅーふぃぶれーさんとわっ、るとーんですべにーる。うう暑い。暑い。ヘッドホンで音を聴いていると耳が暑い。寝ても起きても暑い。雨が降っていて、部屋は暑い。
こういう退屈な日は退屈な日記を書くしかない。壁に止まった蚊の前脚の動きを観察しているさまをえんえん書きつけたり、背中のかゆさをいままで見たことがないような方法で表現したり、天井に貼ってある壁紙のしわについて長々と考察したりするしかない。そして退屈な毎日が続いてしまったためこの日記もものすごいことになって、世の日記者の誰かが「極めて退屈な長文」と紹介しているのにわたしは気がついて、ああこうなったらとことんまで退屈になるしかないと本気で退屈な文章を書きはじめる。そんなこんなで10年が過ぎるほど退屈な日常にこんにちは。2013年のあずまさんは38歳です。
脳の中までほかほか陽気なのにまかせて思いつくままに書こうと思ったけれどこれは駄目だ。だいたいなんの制約もないときってろくなことを考えないのである。もう8割ぐらいはエロいことを考えている。んで考えると同時に忘れている。いやはや。忘れているだなんて。忘れないように書くのが日記なのに。思いつくままってぜんぜん思いつくままじゃなくて、思いついてもすぐに忘れてしまうから書くのに間にあわないし、自由な題材とはランダムな題材のことではないし、夜になっても部屋は暑いし、回しっぱなしにしている扇風機がモータの出力が足りなくてときどき止まりそうになってるし。ううう。そうじゃなくて。そんなんじゃなくて。この退屈さをどうやったら表現できますかー。
なにごともなく。
今日もまた事件もなく一日が過ぎていく。
どわあああ。次はもうちょっとナニしますうう。
おもろい人のところにはおもろい人が勝手に集まってくる。
「早く子供作らんと、歳取ってからでは育てんのが大変やで」……いろんな意味で、ぎゃふん。
サディズム週間。
注文していた本が三冊届く。まず一冊めがマルキ・ド・サド著、澁澤龍彦訳「ソドム百二十日」で、表題作を読み終わる。4人の主人公が、普通じゃない感覚を満たすためにフランス国中から集めた美しい男女と美しくない老婆を使って、主に暴力と性に関するすんごいことをするという話、の抄訳。
どわー。これはすごい。ものすんごい退屈だ。悪人たる主人たち、その妻たち、少女たち、少年たち、青年たち、語り部たち、老婆たちの説明がえんえんと続く。悪人たちの悪人ぶりは淡々といやなことが書いてあって、かなりいやだ。また全員の容姿、とくに臀部や肛門について説明するのだけれど、人数が多すぎてとても退屈なのである。法院長と老婆の臀部の表面のことなんか知りたくなくても、えんえんと読まされる。そして館の説明が続いて、これから起こる惨劇の決まりがこれまた長々と続いて、また登場人物の特徴を復習したところで終わる。続きの惨劇は全文を載せた別の訳で読まねばならない。
いまだったら、たとえばえろいゲームなんかであたり前のように使われる、理不尽っぷりだとか、閉ざされた館だとかがものすごく細かく説明してある。館の閉ざされっぷりの表現がまたすさまじい。森にも山にも未踏の部分がたくさんあって、飛行機も偵察衛星もなかった200年前なら可能だったのかもしれない。一人ひとりがどのようにして誘拐されてきたかもいちいち書いてある。これを思えば、いま「館でメイドさん」なえろゲーがものすごくお手軽に遊べるのは、こんな小説が200年も前に書かれている以上はもはや前提になっているからでもあるのだろう。
本編を読むのが恐い。さまざまな制約を差しおいて、哀れな登場人物たちは主人の許可なくしては排泄できないことがわたしにとっての恐怖のたねだ。これだけ肛門と排泄についてしつこく書いてある以上、本編でもわたしのあんまし期待しないできごとが起こるに決まっているのである。もう、ありとあらゆる排泄が描かれるに違いないのである。
8人の少年たちを選ぶ過程で、女装をさせて尊厳を奪うなんていう記述でわたしはうっかり期待をしてしまうわけだけれども、きっと世の中の別の読者は別のところで別のうっかりをするに違いない。「アリス」ばりに美しい挿絵でもつけて、片仮名だらけの名前の登場人物が容易に識別できるようになっていたらとんでもない作品になったのかもしれない、と、ちょっとだけ思った。
「カオスBaby義美」1と2ともに終了。2は義美ちゃんが主人公に対してはこれでもかと迫ってあまり女王さま然としない。ものすごい力を持つ女王さまだとか、ものすごい豪邸にすむお嬢さまだとか、ものすごい淫らな人妻だとか、そういうのが背景の説明もなく唐突に出てきてもいいんだと思った。くだらないし血も出なければ死にもしない。それはそれでいいのだ。大事なのは絶対服従な感じが出せるかどうかだけれど、本作では主人公は義美ちゃんにではなく、欲望に屈する。
キーボードで台詞を送れないことと、しょっちゅう選択肢を選ばねばならないのはよくない。眼鏡の瑠璃先生がたいへんエロくてよい。
残業手当95,616円。アレしてナニして160,535円。
明日は発売日なのに。
明日は「姉しよ」の発売日だけど、職場の飲み会があるので買いにいけない。予約してるのにい。
飲んだ。
うう。飲み会を断ればよかった。でもやっぱり飲んでへろへろなのである。帰ってすぐに寝る。
姉しよを入手。
酒が血管の中に残っているような感じで全身がだるい。。10時すぎに家を出る。予約していた「姉、ちゃんとしようよっ!」(きゃんでぃそふと)を引きとるのである。
身体がゆっくりとしか動かない。駅の階段をゆっくりとしか上がれない。運動したら疲れたとか、どこかが痛いとかそういうのではなくて、ゆっくりとしか動かないからゆっくりと動いている。まあ、あと20年もすれば酒など飲まずとも毎日こんな感じになるに違いない。
雨が降ってきた。午前11時半ごろにソフマップのえろゲー売り場に入る。レジに長い行列ができている。金曜に発売されたゲームを買いにくる人が多いのだろう。いままで、えろゲー売り場でここまで長い行列に加わったことはなかった。これがなんとも恥ずかしい。わたしのちょっと前に並んでいる人もわたしと同じように予約券を持って立っている。ただ裏側しか見えないのでなにを買おうとしているのかは分からない。ひょっとしたらお姉ちゃん萌えな人なのかもしれないではないか。そして、その人は「つるぺた」(Witch)の箱を受け取っているのが見えてしまう。うくくく。
まあそんなこんなでここに並んで立っているのは恥ずかしいわけである。なんだかいつもより列の進みも遅い感じがする。たくさん買う人がいるからなのか、予約の引きとりだと時間がかかるのか、まあよく分からないけれど長い感じがする。こうやってここに立っていて、ついうっかり会社の人と出くわしてしまったりしたら大変なのである。「へえ、あずまさん姉妹丼とか好きなんだ」とか言われたらもう会社に行けなくなるか、魔法玉でその人の記憶を消すかのどちらかなのである。
んで。順番はめぐって「姉しよ」とテレホンカード1枚がわたしのものとなる。前金500円に加えて5,000円ほどだった。雨が強くなってきた。ソフマップの袋を頭の上に乗っけて歩いた。
ぶははは。聞いていたとおり、本当にゲーム開始後0.1分でコトにおよぶ。要芽姉さまは気高いし、高嶺姉貴はすべての台詞においていやなことを言う。ここまでは期待通りだ。海お姉ちゃんの甘やかしっぷりが思いのほか心地よくて、もうこのまま地獄の果てまで堕落したくなる。
ふだんの会話がくだらなくて楽しい。6人のお姉ちゃんたちそれぞれが楽しい。この勢いがベッドの上でもうちょっと活かされていたらと悔やまれる。高嶺がボンデージな格好でむちを振り回すところは、もっともっと深く入りこんで二人いっしょに堕ちてほしかった。女王さまとして完成してほしい。要芽に最後に反撃に遭うくだりは、もっと恐くできたように思う。陰嚢に釘を打たれるという凄惨な場面には絵が欲しい。
朝はえろゲー、昼間は映画。
今日は朝っぱらからえろゲーである。まず高嶺姉貴のお話が終了。要芽お姉さまの、奴隷にならないほうのお話も終了する。
高嶺のほうは事前に分かっているキャラクタ設定の印象そのまんまだった。頭が切れて、性格はとんがっている。たとえば小学生ぐらいの姉と弟がいて、姉は弟に意地悪ばかりしていると。突然10年間の空白ができて、また小学生のころの続きを演じているかのような関係である。彼女が主人公の空也(くうや)と話すときは、台詞のほとんどが「ツッコミ」なのである。いちいち口汚くののしってくれるのだけれど、ただそれだけでなく小ネタをはさんでくるので楽しい。
しかしいくらなんでもこんな人はいない。こんな台詞を毎日毎日叫んでいたら疲れてしまう。また、演じる芹園みやの芝居も一本調子なので聞いていて辛いのである。突然少年まんがの台詞が出てきたりはたまたいろんな生物の名前が出てきたりと大変だろうけれど、もうちょっと演技指導を入れるなりなんなりして罵倒の表現に幅を持たせてほしかった。お話は過剰なまでの王道っぷりで、素直じゃないこの娘がベッドの上ではおとなしくなったり、なんてことをくり返す。最後にはとうとう高嶺を取りあって決闘までしてしまう。決闘の相手は行方不明だったはずの主人公の父親なんである。ぶははは。馬鹿でたいへんよろしい。
要芽の話は思ったほど恐くなかった。10年間主人公と離れている間に要芽はずいぶん変わってしまった。美しいものを、暴力で一方的に愛でることでしか愛情を表現できないという、この扱いに困る姉さまをなんとかするのである。10年間に起こったことが少しずつ語られる。この大家族を束ねなければならないという役割の中で、心を病んでしまうのは理解できる。
しかし話と絵の分量が少ないように思われる。秘書の衣瑠香(いるか)をおもちゃにして遊ぶ場面がいくつも用意されているけれど、絵が省略されているところがある。家政婦を縛って乱暴したというくだりだって、回想が入れられただろう。どうして美しいものばかりを標的にするのか、だとかいろいろ切り口はあっただろうに。もっともっと横暴な女王さまっぷりを描いてくれないと、更正させてもうれしくないのである。でも、高嶺がわがままな王女さまだとすれば要芽は充分に女王さまなのでそれなりに満足なのである。
「姉しよ」で遊んでいる最中に伯父が家にやってきた。がんを患っていたのだけれど、もう病院から出て元気になっている。以前は自転車でずいぶん遠くまで走っていたのだけれど、今日も自転車でやってきた。そして、こんどはわたしの父上が大腸がんの検査で見つかってほしくないものが見つかってしまって入院なのである。
夕方に家族全員がそろったので中華料理を食べに行く。
昼間にテアトル梅田という映画館までふらふらと出かけていく。たまには有名な映画も観ておこうかと、イラン映画の「少女の髪どめ」を観に行ったのだけれど、整理券がないと入れないという。整理券をいまもらっても観られるのは2時間も後という盛況っぷりなので、すぐにあきらめた。となりで演っていた「神に選ばれし無敵の男」を観ることにした。
「神に選ばれし無敵の男」(英題は"invincible")の巻。
あらすじ。1930年代のポーランドにとてもとても力の強い男、ジシェがいた。ジシェは町の力比べの競技で優勝して、ベルリンの劇場に招かれる。興行主ハヌッセンは超能力、ジシェは怪力で客を呼んでいる。ハヌッセンは超能力で国家社会主義党(ナチス)に取り入ろうとしていたから、ジシェにはユダヤ人であるということを隠させる。ジシェはかぎ十字の腕章をつけた客たちのことがどうにも気に入らず、ついに舞台の上で正体を明かしてしまう。
感想。これは真面目な映画なのか、馬鹿映画なのかといきなり不安になった。まず冒頭のレストランで食事をしているときにほかの客にユダヤ人だとからかわれて大げんかをするところで、壊した備品の弁償をさせられそうになる。金を持っていないと言ったら、店主に力比べの競技に出て賞金を取れと勧められるという、まんがのような話なのである。それをベルリンのプロモーターがたまたま見ていたのもすごいし、切符をもらっていたのにベルリンまで歩いていくジシェもすごい。でもまあ、なにがすごいといったら、これが事実に基づいているらしいということだろう。
ハヌッセンのナチスに取り入ろうという計画は失敗に終わり一座は解散となる。一座のピアニストのマルタが、いつかベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」をオーケストラつきで演奏したいと言っていたので、ジシェの別れの日にオーケストラを用意して観客のいない演奏会をプレゼントしてしまうというくだりが、まずひとつ目のクライマックスだ。とても地味でかっこいい。ここで終わるのかと思ったら、ジシェはなぜか信仰に目覚めてしまう。「36人の正しい者」に選ばれたらしいのである。
ポーランドに戻って頭のいい9歳の弟といっしょに、ドイツ軍が国際条約に反して攻めてくるんだと触れて回るが相手にされない。力自慢の余興でうっかりくぎを脚に刺してしまい、その傷がもとで死んでしまう。後味悪っ。最後まで大きな起伏はないし、直接的な暴力も少ない地味な映画だ。でも、すべてにおいてていねいに描いていく。
台詞がぜんぶ英語なのだけれど、ドイツ語版はなかったんだろうか。最初のほうでは、あまりになまりが強かったので英語だと分からなかった。でも、ジシェの9歳の弟のたどたどしい英語がかわいいので許すとする。ああ許すとも。
姉しよできず。
うへー。早く帰って姉しよで遊びたいのに。
PICもそれなりに会社でいじったので次はH8かなあと。日本語の資料が読めそうだし。