あずまの日記。

1 may(sat)

読書週間。

本屋さんで立ち読みしてみたら24色ゆめ列車はアニメとは関係ない話だった。それはそれでいいのだけれども、ここで着目しているのは列車の旅ではなく、二人の天使なんである。で、他の本もあたってみたらばですね。「クレヨン王国王さまのへんな足」という本の挿絵に二人の天使が描かれているではありませんか。二人は少年というか少女というか。中性的に描かれている。一人は肩まであるふわふわの髪、もう一人は首のあたりまである不揃いの髪。これは、ユックタックとシャカチックに違いない。そういうわけでこの本も買った。

でですね。先日からクレヨン王国の童話が四冊もたまってしまった。読む順番も、クレヨン王国の十二か月、新十二か月、へんな足、花の旅、と古いものから読むと決めた。そうやって全部読んだのだが、へんな足、に出てきた挿絵の天使は、全然いたずらをしないのであった。それどころかこの二人は名前もないキャラクターで、数行記述されたきり全然出てこないのであった。プーニャが出てきたのでよしとする。

アニメと関係の深い四冊を読んでみたけれども、最初に出た「クレヨン王国の十二か月」が一番好きだ。いや、本当のことを言うと、「クレヨン王国の十二か月」のシルバー王妃が一番好きだ。これ以降の作品の王妃はどうもかわいくない。悪癖万歳である。

3 may(mon)

ロリータ!

ウラディミール・ナボコフの小説「ロリータ」を映画化したものを上映しているらしい。「ロリータ」といえば、おっさんが十二歳の少女にはまっておぼれてアレしてナニする話だ。なんと刺激的な主題だろう。わたしもいままで少女だの少年だのなんだのと言ってきたのだから、これは観ねばなるまいて。

映画館に来るのは二年ぶりだろうか。百五十人ほど入る劇場に客は四十人ほど。七割が女性。眼鏡を忘れたので一番前の席に座る。長らく子供ばかりの劇場にしか入って来なかったが、さすがに「ロリータ」を観る子供はいない。ただ、中学生だか高校生だかの女の子の数人組なんてのも結構いる。あなた方は少女が好きなのか。

で、エイドリアン・ラインの撮った「ロリータ」を観た。この細くて背の高いロリータを好きになってしまうかどうかが、この映画の評価を変える。おっさんと一緒になって少女に哀願したり叫んだり興奮したりできるかどうかだ。いや、好きにならないわけがない。ロリータはあの手この手で誘惑する。お約束も反則技もなんでもありだ。願わくは十五歳の背の高い女性ではなく、嘘偽りない十二歳の娘を使って欲しかったのだが、それはそれとして。

少し内容に触れる。ハンバートのロリータとのアレしてナニな日々が延々続く。しかしロリータは別の劇作家の男に夢中だった。ハンバートは劇作家の屋敷に拳銃を持って押し入る。劇作家は数発の銃弾を浴びながらもよろよろと自動演奏のピアノの前にたどりつく。鍵盤が動きだしショパンの「革命」の演奏が始まる。また銃弾を浴びる。銃弾は貫通して鍵盤が赤く染まる。

ハンバートの苦悩の人生よりも、劇作家のように少女愛に派手におぼれて撃たれて死ぬ人生もまたよきかな。美しい、映画だった。

余韻。

帰りに買い物のために日本橋に向かう。途中、自称「超かわいい」地下街なんばCITYの小さな店でピンクのサングラスを一個買う。七百八十円。日本橋で「夢のクレヨン王国 SONGBOOK(トランプ付!!)」というCDを買う。(トランプ付!!)の文字にひかれて。そして駅の本屋で「ロリータ」の原作を買って帰る。

8 may(sat)

九歳と十四歳の間。

「ロリータ」を読み終わった。もとからこんなのだったのか。はたまた翻訳のせいなのか。はたまた小説というのはこういうものなのか。とても読みにくい。改行の少ない真っ黒な紙面を追うのはなかなかの苦行だった。

淡々と、もう延々と、ハンバートのロリータへの妄想と語りが続く。もっと生々しいものかと思っていたが、ハンバートの教養の高さのせいでそうもいかない。悪い女に人生無茶苦茶にされる話、というよりも、むしろどういうわけか人生が悪い方へ悪い方へと追い込まれる人の話だろうか。

偶然の組み合わせでハンバートはロリータと、アレしてナニな父娘の関係になる。そこがけしからんところだが、わたしが同じ立場でも父娘の間に引かれた一線を超えただろう。この追い込まれる感じ。大多数の人にとって避けられる危険が、少女愛の趣味のせいで避けられなくなる、その感じ。

ふとんの上で読んでいたら、母上がその本を読ませてくれとおっしゃる。たぶん母上はこの本の題名を見ただけで変な顔をするだろう。

実習。

現在、機械屋さんのお部屋に放り込まれている。リニアモータを使った新しいコンプレッサを開発しているグループの中にいる。リニアモータの可動部分の位置検出に(略)を使っているのだが、わたしは(略)から(略)を(略)するための設計について考えている。各社の特許の公開文書を見たりしながら、ああでもないこうでもないと。

特許の文書というのはなぜこうも読みにくいのか。公文書はわかりにくく書かなければならないという伝統を、なぜこうも守るのか。理由がなんであれ実名入りでこんなものを提出するのだから世の発明家たちは恥ずかしいだろう。読みにくく、それでいて分かりにくい。論文雑誌の方がずっと読みやすいし分かりやすい。

宣告。

来週から二か月間、岐阜の人だ。

10 may(mon)

週末の過ごし方。

先週の金曜日の「コレクター・ユイ」を観逃した。該当する映像の記録がいちが沙稀光子力研究所に保管されているという。わたしは極秘裏に研究所を訪れた。人通りの多い地下街での尾行を避けるため、コードネーム「赤福」は入手せずに向かうことにした。数カ月ぶりに訪れて気付いた変化がある。庭のロケット発射台は、より巧妙に偽装されていた。

続・大理石と金と犬。

金色の大きなノブを開けるとさっそく牧羊犬のお出迎えだ。美しい大理石の床を鑑賞する間もなく、犬にせかされるようにいちが沙稀氏の父上にぎこちない挨拶をする。氏に案内されて別のフロアにある居室へと向かった。居室で、氏はときおり扉の外の気配を察知して扉を開け放った。犬はこのフロアまで来ているのだ。

ここで「コレクター・ユイ」を観る。さらに「十兵衛ちゃん」および「D4プリンセス」を観た。さらに題名は忘れたが(2000/11/26追記「封神領域エルツヴァーユ」と判明)、氏の操作する派手な格闘ゲームの動作を観察する。ただひとり、名前を覚えているキャラがいる。ああ、わたしのアル。身長四フィートと十インチの、半ズボンでそこに立っているのはアルだ。先生に魔法を教わるのはアル。そしてわたしの腕の中にいる水色の髪の少年はアルだ。わずかにうぶ毛が金色に輝く複雑な曲線をもった脚。ああ、滅茶苦茶話がそれた。

「YOUNG KING OURS」という少年画報社の漫画雑誌を渡される。まこと広告の派手な雑誌である。裏表紙に妖しい石の広告がある。霊的な効能を謳うもので、この石のおかげでパチンコで勝っただの何億円の契約が取れただの、いかがわしい「喜びの声」が書かれたよくある広告だ。何万円もする妙な形のレリーフや数珠。「おジャ魔女どれみ」のまほうグッズのように安価にはいかない。そして、いちが沙稀氏が以前より注目していたという商品に目が止まった。

「部分軌道爆撃系人工精霊」

これは何だろう。「爆撃系」とは何だ。意味がまったく分からない。その商品は丸い瓶に白い砂が入ったもの。所有者の願いを一つかなえてくれる人工の精霊なのだそうだ。所有者のどんな複雑な言語でも解し、その能力は少々遠いところへも作用するという。怪しい。八千円ほどもするのだが、何万円もする別の石を買うとおまけで付いてくる人工精霊なのだ。ああ。なんて心憎い。なんていかがわしい。欲しい。欲しい。

しかし八千円である。「ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー」に出てきた「タピスのルーペ」と「アルデルのこびん」を買ってもおつりのくる価格である、と思い直す。「ごめんなさいいちが沙稀さん。あずまさんはそこまでおもしろい人ではないのです。ふつうのおんなの子なんです」と釈明する。

夜が更けてきた。母上が部屋にご飯を持ってきてくださった。なんて有り難い。その昔氏が低血圧だったころの話を聞きながら、わたしは氏の倍ぐらいの時間をかけて皿を空にした。ますます帰りが遅くなる。キャラの作り方の話を延々とする。最後に水影氏への手紙を託して帰ることにした。居室の扉を開け放つ。

部屋の外で待ち構えているのは犬だ。「逃げてくださいっ」 夢中で階段を降りる途中、背後で獣のあごが細い骨を砕く音と、声にならない叫びを聞いた。振り返ってはいけない。わたしは研究所から飛び出した。さようなら。大理石と金と犬。

たまにこうやって嘘を書いてみる。

11 may(tue)

眠い。

昨日は好運にも計算機に触らせてもらえた。ネットワークでいろいろ調べていた。ばねでリニアモータを支持する方法を考えては絵を描いていた。

今日は一日眠かった。キーボードに触ってないとどうもだめだ。ここの部品はこうだ、とかこの構造はこうした方がいい、とか考えながら部品のラフな絵をぼへーっと書いていた。不意に、少し前に描いた絵を持ってついてこいと先輩がおっしゃる。

行ってみたらば加工屋さんの人が座っていた。わたしの絵を見せながら、予算が出ればこの部品を作るという。試作機の実験のためにだけ使う部品で、そのために図面のパチもんみたいなのを描いたのだった。どうなるどうなる。

12 may(wed)

痛いところ。

また、ぼへーっと部品の絵を描いていた。図面ではなく、絵。そしたら先輩にデザイン部門に行ったらよかったのに、と言われた。ここでいう「デザイン」てのは意匠設計のことね。設計全般ではなく。

面白いでえ、デザインなんか。いやー、デザイン部門なんてなかなか入れませんよ。

いやーん。たとえ冗談でもいやーん。そんなお世辞を言ってくださらなくても、絵描きでやっていけるような人じゃないですってば。芸大にだって入れやするまい。絵で就職するんなら大変だ。もし絵描きの能力があったらあったで、電機屋になんか入ってませんってば。絵を持って玩具屋の門を叩いて、それで入れてくれなかったら車屋を受けて。曲面の多いデザインは難しいやってなことになって二次元なゲーム屋と本屋受けて、それでも駄目だったら四角四面なデザインをやってりゃいい電機屋でもいいやってやつで。これで元通り。いやーん。

地球滅亡の日まであと何日。

明後日の朝から新幹線で岐阜へ向かう。

13 may(thu)

早よアレしてナニしなさい。

昨日。昼休みには休憩室で同期がだべっている。わたしも珍しくそこへ加わった。最近保険屋のおねいさまから逃げ回っているので、しばらく休憩室には寄らなかったのだ。やはし保険屋のおねいさま登場。ちゃんとわたしの名前を覚えてくれているおねいさま登場。一歳年下のおねいさま登場。

「なんで、あずまさんはしばらくここへ来なかったんですかー?」とおっしゃるが、そりゃおねいさまが何人も来るから逃げてたんじゃないですかー。しかし、そうも言えないので「そりゃもう、昼休みはいっつもアレしてナニしてますんで」と言ってみた。とりあえず「アレしてナニして」はギャグとして通用した。

最期の晩餐。

はっ。なぜここに「コレクター・ユイ」の単行本があるのだー(再)。ああ。買ってしまった。岡本慶子「コレクター・ユイ」1巻。本屋さんで見つけて表紙にくらっときた。この、なんちゃらキャプターのパチもんみたいな表紙がいい。そしてこの、アニメにひけを取らない内容のへろへろさ加減。看板に偽りなし。

そして。月梨野ゆみの「ポケットモンスターPiPiPiアドベンチャー」3巻も買ってくる。マロンのライバルが登場しているではありませぬか。マロンと一人の少年を取り合う娘が。とんがってて目がつり上がっているという、ライバルとしてありがちな娘が。髪の色もピンクというかマゼンタというか。しかし、このココナッツという娘は覚えがない。なんだか2巻を持っていないっぽい。本は全部天井裏に上げてしまったので確かめるのが面倒くさい。

そして。この二冊のへろへろな本と一緒に明日、岐阜へ旅立つ。

15 may(sat)

建物。

昨日。午前8時59分。遠い国の駅に到着。バスで会社に向かうとプログラミング言語Cを一から教わる研修が始まる。あんまり退屈なのでもじらであんなものを見ていたり。研修終わる。寮に入る。ああ。ああああ。

こういうところには住みたくない、と幼いころから漠然と思っていた建物のイメージがある。幼いころ、幼稚園に通う途中に通った道のそばにあった公団の借屋。旧国道沿いにあった背の低い集合住宅。いたるところで出くわすあのイメージ。あの外壁の色合い。古い病院のような色合いと無骨さとパイプライン。古い病院のような内装。暗さ。高度成長のころに建てられた、三十年で立て替えの話が出てくるような粗悪な集合住宅。塗装のにおい。寮の建物に入って、階段を上がったとき、そんなイメージと視界の情報とが一致した。いままで自然と避けて通ってきたものに再会してしまった。

今日。午前9時30分。寮から逃げ出す。バスを待っていたら車のクラクションが鳴った。ぼんやりと運転手が手招きするのが見える。同僚かと思ったら知らないおばさんだった。駅まで乗せてくれるという。

どうしてわたしを拾ったのだろう。お子さんは二年間自衛隊にいたという。自衛隊のころは毎週実家に帰ってきては洗濯ものを置いていった。職場に持って行くものだから、おばさんはちゃんと洗濯してアイロンまでかけて。たまに小遣いも渡して。親馬鹿っていうのかねえ。

二年経って、いまは家でやっている会社にいるという。車はその家の前で一度止まった。このあたりの地理の説明を聞きながら、車はどんどこ進む。駅についた。どうしてわたしを拾ったのか、わかるような、わからないような。

実家に戻ってきた。この感じは何物にも代えがたい。広さだけではない、匂いもあの木の柱や壁も天井も。明日、あの寮に戻る。

20 may(thu)

へろへろ。

岡本慶子の「コレクター・ユイ」のへろへろさ加減に気をよくし、もう一つのユイに手を出すことにした。麻宮騎亜の「コレクター・ユイ」が載っていると聞く小学館の「ちゃお」を買おうと決意した。社名入りの自転車を駆って本屋さんまで走った。

なかの弥生の「魔法学園マホマホ」1巻と「ちゃお」6月号を持ってレジへ向かう。学生のころ古本屋さんに並ぶのを待っていてそのまま買えなかった単行本が、いま我が手に。二冊をレジに置こうとしたとき、すぐそばに七歳ぐらいのおんなの子が「ちゃお」を持って立っていた。今のうちに「ちゃお」を心ゆくまで読んどかないと、二十四歳にもなって読む羽目になるぞ。本を持って寮まで帰るのがなかなか恥ずかしく。見られやしないかとちょっとどきどき。

麻宮版ユイもまたばっちりへろへろだった。話はアニメの占いネットのときのもので、なんと。話は7月号に続くのだ。あとで単行本買っちゃうのかなあ。絵は岡本版の方がいいなと。ただ、話の見せ方はうまいなと。でも話はへろへろだなと。

21 may(fri)

退屈。

いま会社でCの実習をやっている。Cを触ったこともないような人を対象にしているのでこれがまた非常に退屈。まことに退屈。とても退屈。そんなわけで、わたしは一番前の席でこういうものを書いているわけだ。不良社会人万歳。あんなことやこんなこともしちゃうのだ。

あんまり退屈なので、講習でときどき課される課題で手の込んだものを作ることにした。二分で終わるものに十分かければ八分間の退屈が緩和される。一昨日からは課題のコードをC++で書くことにした。C++は学生のころにほんの少しかじっただけなので、C++のことを調べながらコードを書かねばならない。これも効を奏し、二分で終わる課題に二十分を費やすことに成功した。しかし一日経つとこれも退屈になった。短いコードをC++で書いてもぜんぜん面白くないのだ。仮想関数でも使いたくなるようなでかい課題でも出してくれぬものか。

で、昨日はWindows用のコードの書き方でも勉強するかとwwwでMFCの使い方を調べて触ってみる。が、すぐ挫折。Visual C++自体の使い方がわからない。つまらない。退屈。あーうー。

明日と明後日は休みだが、買い物に行くのも一仕事だ。これまた退屈。あーうー。

22 may(sat)

はじめての食品。

名古屋まで探検に行く。とりあえず名鉄百貨店でうるわしのうさぎさんマグカップを買う。がっこにいた頃に割れてしまって、それ以来買いのがしていた。割ったものと全く同じウェッジウッドの陶器で、ピーターラビットの絵が描かれたもの。これで三個めだ。

名古屋の地下街でお昼ごはんを食べる。名古屋に来たからには「みそカツ」を食べねばなるまい。しかしそのあたり一体は食べ物がとても高い。なかでもみそカツは高い。うなぎが食べられる値段だ。わたしはこの未知の食品に1,400円を投じる覚悟をして店に入る。

しかして、みそカツの正体はみその入ったソースのかかったとんカツであった。わたしはもっと肉とみそが密接に結合したものだと思っていた。肉をみそに漬け込んだものを油で揚げたような。

カウンターの席のとなりに常連らしいおっちゃんが座る。注文をすませるなり白髪の料理人に、大将、元気ないじゃない、とくり出す。

あー、最近しんどうてねえ。
そりゃあそんだけ仕事しながら歳取りゃそんなもんだって。
いや、歳だけじゃないよ。
でも大将みたいにさ、がんばって仕事してたら楽に死ねるんじゃないの。
楽に死ねるとは限らんよ。でも同業者でね、毎日仏壇にごはん供えて毎日こうやっておがんでた人がいたんだ。朝、仏壇の前で手を合わせて……このまま逝ったんだよ。こういうのが最高だと思うね。

わたしには仏前で手を合わせる習慣はないが、たしかにそういう最期はいいと思った。はじめて食べるみそカツは甘くて辛くてやわらかい。からしを付けるとなおおいしかった。

25 may(tue)

真夜中のお楽しみ。

午前4時に目が覚めた。のどがかわいたので土曜に買ったうさぎさんマグカップで冷たいお茶を飲もうと食堂に向かった。こんな時間だというのに物音がする。もう食堂では朝食の準備を始めているのか。

食堂に近づくにつれてその音ははっきりしてきた。テレビの音だ。女の子の声がする。これはアニメのキャラの声だ。あか抜けない声がする。真っ暗闇から声がする、このなんだか不思議な感じ。

わたしは食堂に入ってはいけないと感じた。たとえば十数年前の真夜中に「くりいむレモン」なんかを居間のテレビでこっそり観ていた人のような、そんな楽しみをこの真夜中の住人から奪うのはよくないことだ。

わたしはお茶をあきらめて部屋に戻った。わたしの部屋には大阪から持ってきたテレビがある。受信チャネルを調整できない不具合のせいでテレビ東京系の一局しか映らないテレビがある。さっきの真夜中の住人の楽しみを共有すべく電源を入れる。そしたらさっきのあか抜けない女の子の声がする。なんだか見覚えのあるマゼンタの髪の女の子がいる。ああ、これがうわさの「トゥハート」か。

じめじめした数分間が過ぎる。どうもこういうのは苦手だ。舞台が高校でなく小学校ならよかったのに。

31 may(mon)

295点。

ずいぶん前に会社で受けたTOEICの結果が帰ってきた。295点だった。なかなかいい体験をした。いい歳をして周りの連中はこの三桁の数字に一喜一憂するのである。わたしに向かって、この試験で400点以下を取るなんておかしいなどと言い放つ者もいる。たいして親しくもないのにいい度胸だ。アンタのとこの嫁はんは不細工やね、とわざわざ教えてくれるのと同じである。ちなみにTOEICは約1,000点満点の英語の試験で、会話の聞き取りと文章の読解とが半分ずつ出題される。全問でたらめに答えを書いてもわたしの点数ぐらいは取れる試験である。

陪審員のみなさん。「700点:海外で長期の出張が可能なレベル」とか「400点:新入社員のレベル」とか書いてある表を見つけたら「295点:あずまさん」と書き加えていただきたい。「語彙・文法ともに能力が決定的に不足して英語での意思疎通がまったくできないレベル」という記述を二本線で削除して、「海外であずまさんを行うことが可能なレベル」と訂正するのです。

会社にあずまさんは295点の人だという記録がばっちり残るだろうから、近いうちに会社の管理部門はあのいまいましい英語の勉強をせよと言ってくるだろう。中学や高校であのいまいましい英語の勉強をやってきた連中なら楽に500点は取るだろうが、わたしはそのいまいましい英語の勉強から逃げ回ってきたし、これからも逃げるつもりだ。

長い長い試験の間、怒りと憎しみの感情が沸き上がって汚い言葉が次から次へと浮かんだ。怒りがある水準以上に達すると心臓が凍りつきそうになる。これは英会話の能力の試験などではなく、受験勉強でつちかわれた忍耐力の試験なのだ。組織への忠誠心の試験かもしれない。わたしは忍者の掟になんぞ縛られるものか。怒りがおさまったころ、わたしは暗号化された文字列を前に放心状態となっていた。放心が数十分続いたあと、わたしは眠った。就業時間中に寝るだなんて、絶対にやらないと決めていたことをやってしまった。もうだめだ。誇りも気高さもくれてやる。この屈辱を忘れるものか。あのいまいましい英語の勉強が人生を台なしにするんだ。

次は305点を取れば連中は満足するだろうか。315点なら満足か。試験中に寝る時間をあと三分減らして空白部分をでたらめな答えでうめて、あと30点でも取れば連中は満足だろうか。いや、そうなる前にあのいまいましい英語の勉強の息の根を止めてやる。野蛮にもわたしはそう確信したのです。

陪審員のみなさん。わたしはこれを看守に見つからないように書いているのです。こんな乱暴な文章がどうか法廷で役に立ちますように。


あずまにおっしゃりたいことがありましたら お手紙ください
上にまいります