洗礼・聖餐・堅信

― 堅 信 ―

「その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。」(第二テモテ1章5節)

 引用した聖書箇所は、パウロが忠実な協力者テモテに送った手紙の一節です。
テモテの信仰は祖母と母より受け継いだもので、「信仰の継承」の模範です。
 私たちルーテル教会は「嬰児(小児)の洗礼」を行います。これに対して、自覚した信仰を持てる年齢に達した人の洗礼を「成人の洗礼」と呼んでいます。しかし、これは洗礼には二種類あるということではなく、嬰児洗礼と成人洗礼は同じ一つの洗礼であって、両者に価値の差は全くありません。
 その違いは、嬰児の洗礼が両親 (又はどちらか一方)の信仰に基づいて行われるのに対し、成人の洗礼はその人の信仰に基づいて授けられることです。そこで、嬰児洗礼を受けた者が、自覚的な信仰を持てる年齢に達したとき、両親(家族)から受け継いだ信仰を公に告白する「堅信式」が行われます。「堅信」は「信仰を固める」という意味で、嬰児の時に受けた洗礼を承認し、責任ある信徒として生きる決意を表明することです。
 ただ、嬰児洗礼を受けても堅信に至らない人が多くいることは残念なことです。「信仰の継承」は教会の大きな課題で、それはその家族だけの問題ではなく、教会の、またその教会に属するすべての信徒の大きな責任でもあります。嬰児で洗礼を受けたすべての者が堅信に至るように、家族・教会・信徒が共に祈り、心と力を合わせたいものです。
 また、成人であっても洗礼と堅信を切り離して行うことがあります。それは、洗礼が「入信式」(洗礼者に罪の赦しを与え、キリスト者として生きる決意を表明すること)であるならば、堅信が「入会式」(教会員としての具体的な義務と責任を負うこと)の意味を持っているからです。ですから先に洗礼を受け、具体的な教会生活の学びを経た後に堅信することもあります。
 時々、「洗礼は受けたが堅信式を受けた覚えがない」と言う方がいます。それは、古い洗礼式文の中には堅信式が含まれていましたので、そのような誤解が生じるのでしょう。私が式文委員長として編纂した現行式文(青色式文)では、それが分かるように洗礼式と堅信式を分離しています。

(恵み野教会牧師 藤井邦昭)


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