札幌教会牧師 斉藤忠碩

第八戒−盗んではならない−
(出エジプト記20・15)

 第八戒は互いに所有物をたいせつにすることを教えています。互いの所有を尊重するという意味で深い倫理的課題を示しています。だいたいものをいいかげんに扱う人は、人間をもいいかげんに扱うものです。深い人間への配慮のあるところには、必ずものへの配慮があるはずです。

 ものと心とは深く結びついているからです。砂漠時代にイスラエルの民の学んだ生活は、マナによって神に養われることでした。遊牧時代から小作制度へと発展する歴史の過程で、「盗み」は深刻な社会的、倫理的問題であったと同時に、神の契約の共同体への裏切りの行為として、信仰の問題でもありました。それゆえ隣人の所有の権利を侵した者は、4倍、5倍にして償わねばなりませんでした。(出エジプト記22・1〜3、サムエル記下12・6)

 イスラエルの王制確立後、特に預言者の時代になって、社会の発展とともに、内部には深刻な問題も生じてきました。強者と弱者、富者と貧者の格差、対立です。強者の横暴と富者の搾取を、契約の神への反逆としてとらえた預言者のことばは、峻烈をきわめました。ナボテのブドウ園を横領した王アハブの罪を預言者エリヤが糾弾したことは、有名な物語です。(列王記上21章)そして今日、文明がいかに進歩し、社会の制度、組織がいかに整備されようとも、「盗み」の罪は絶えることはなく、ますますその巧妙さを発揮してきます。

 詩編24・1「地とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものは、主のもの。」ということばは、「所有」と「盗み」について考える基本的出発点です。「盗み」と不正な「所有」は結局は神の所有を私物化することであり、神への反逆を意味します。私たちは、神の所有を正しく神の所有に帰さなければなりません。