札幌教会牧師 斉藤忠碩

第七戒-姦淫してはならない-
(出エジプト記20・14)

 第七戒は人間の生命のあり方、すなわち、正しい性の関係を尊重することを命じています。聖書において、人間は「神にかたどって」創造され、その具体的なあり方として最初から「男と女に」創造されました。(創世記1・27)。それは、聖書の人間観は、交わりをその本質的なあり方として生きる者であることを示しています。

「姦淫」という行為は、イスラエルにおいては最もきびしく禁じられているにも拘らず、最も違反者の多い行為でした。その罪に対する刑罰は、峻烈をきわめました。(申命記22・22、レビ記20・10、創世記38・24四等)。

 この第七戒の大切なことは、イスラエルの「姦淫」をあくまで厳しく審かれる神が、そのあわれみのゆえにイスラエルをゆるし、これを再建し、自ら契約を更新される、ということです。(エレミヤ書32・36〜41、ホセア書11・1〜9)。

 イエス様がマタイ5・28で、「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」と言われる意図は、外形だけつじつまを合わせようとする、真実を失った人間の欺瞞を暴露して、ことがらを信仰から始めるために、悔い改めを迫ることでした。それゆえ「わたしもあなたを罪に定めない。これからは、もう罪を犯してはならない。」(ヨハネ8・11)と、姦淫の女に語られたイエス様のゆるしの中で、真実の結婚への努力が始められねばなりません。こうして倫理は信仰に根拠をもたないかぎり、徹底できないことを、聖書は洞察しているのです。今こそほんとうの成熟した愛が必要とされています。正しく隣人として、人格として異性と結び合う結婚は、神の戒めに謙遜に聞くところから始まるのです。