札幌教会牧師 斉藤忠碩

第四回-安息日の意義-

「安息日を心に留め、これを聖別せよ」
(出エジプト記20:8)

「安息日」という語は「中止する」(シャーバス)という動詞からきたことばです。また、「聖別せよ」ということは「区別せよ」という意味です。つまり安息日は一週間の一日を他の日から区別して、労働を中止する日です。

 日常の労働からの休息と解放が命じられています。そして安息日は単に仕事をしないという消極的な日としてではなく、安息日を「覚える」日として、特別な努めを守る日として定められています。

 第一は、「天と地と海と、その中のすべてのもの」が神に造られていることを「覚えて」喜ぶことです。

 第二はイスラエルの救われたことを感謝をもって覚えることです。そして、キリスト教は、安息日(土曜日)に代えて、キリストの復活を記念して日曜日を「主日」として守ってきました。(使徒言行録20:7)それは神の子の勝利の日として、この世の終わりの祝福のしるしです。

 それは安息日の否定ではなく、かえってその意味を成就するものなのです。安息日は、過去の恵みを覚えることでしたが、主日はそれとともに、世界と人間の究極的な解放を約束する将来を望み見る日となりました。そして、私たちは感謝と希望を具体化するために主日礼拝に集うのです。