札幌教会牧師 斉藤忠碩

第三戒-神名濫唱の禁止-

「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」
(出エジプト記20:7)

 第三戒はむなしいことばによる神名濫唱を禁じることによって徹底させています。イスラエルにおいて神は自らを「わたしはある。わたしはあるという者だ」という方として啓示されました。(出エジプト記3:14)「神」はヘブル語で四文字で表し、本来は「ヤハヴェ」と呼びますが、みだりに唱えることを恐れてイスラエルの人々はこの四文字を「アドナイ」(主)と呼んでいました。

「私はあるという者」とは「今おられ、かっておられ、やがて来られる方」(黙示録1:8)であって、ギリシャ的な意味での永遠不変の本質とか、原理のようなものではありません。「アブラハム、イサク、ヤコブの神」として、人間とともにありながら、歴史において永遠に働かれるかたです。このような神の名を「みだりに唱える」とは、どういうことでしょう。

 古代東方社会では、「その名をつかむものは、その名をもつものの力をつかむ」という考え方がありました。名を知ることはその者を支配すると信じられていました。この考え方は宗教にも生かされて、神の名を知るならば神を動かしうると考えられました。そこからの誓い、のろい、魔法など、神名を唱えて、神を用いて人間の意志を実現しょうという、呪術的な宗教がはびこりました。古代東方の呪術や魔術は、ギリシャの自然科学によって初めて克服されたといわれますが、イスラエルにおいては、このような神話的な世界観、歴史に働き、歴史を導く主への信仰(救済史的信仰)によって克服されました。人間が名づける神ではなく、人間を名づける神への服従と信頼が、この第三戒の精神です。