札幌教会牧師 斉藤忠碩

第二戒-真の礼拝・神中心の信仰-

「あなたはいかなる像も造ってはならない」
(出エジプト記20:4)

 第一戒は唯一の神への信頼と服従を命じるものとして、精神的な偶像を禁じるものでした。第二戒は具体的、物質的な偶像の禁止を命じているのです。モーセに現れた神は形においてではなく、火の中から「ことば」において迫られた方でした。(申命記4:15-19)

 では神像をもたないイスラエルが、なぜ神像を禁じる戒めを必要としたのでしょうか。これは聖書の信仰のあり方の根本問題といえます。つまりイスラエルは見えない神の栄光の座を示す律法の箱だけでなく、見える具体的な神の像をつくりたいという誘惑に常にさらされていたのです。

「人間が神に」感覚的、直接的に出会いたいという願望は、宗教に特有な強い動機です。アロンが造った金の子牛(出エジプト記32)は、その典型的な例です。

 この第二戒は、人間が自ら造った像において「神に」出会うという宗教を拒否し、そのような信仰のあり方を否定します。そしてこの偶像禁止の戒めは、神が霊であることを主張しています。神が霊であるとは、ことばと行いにおいて人間に出会う人格的存在であることを意味します。異教においては聖像が建てられ、人々はこの聖像に神を導入して拝し、神もこの聖像においてだけ自らを現します。いわば人間の構築した場所に限定されて神は自らを現さなければなりません。要するに人間あっての神です。そうではなく、真の神は人間の手段をいっさい必要としない自由な主体です。神は人間に依存して自己を掲示するのでなく、逆に人間が啓示へと招かれているのです。

 第二戒は偶像礼拝を禁じるとともに、真の礼拝のあり方を暗示しています。それは、「神が人間に」(人間が神にではなく)出会う仕方についての示唆です。神は自らを人に現す時と所を定められます。それは私たちの悔い改めの時と所なのです。私たちは悔い改めによって真の神と出会うことができるのです。