内容●あずまの日常および書物や映像作品の感想文 注意●死語、だじゃれが不用意に混入されており危険です。ナウい方は読むのをお控えください まめちしき●シルバー王妃の本名はマーガレットです
あいこまつりのwebのURLが戻った。
昼ごろから集まって淀川の河川敷で肉を焼く。にわとり一匹。鯛一尾。その他もろもろ。こうやって集まるとがっこにいたころを思い出す。がっこにいたころにも使った場所で、工学部の建物がよく見える。30メートルほど離れたところにいた集団も肉だのなんだのを焼いていたが、向こうはギターにハーモニカまで装備してなんだか歌いまくっていた。敗北である。
朝からえんやこらと計算機一式と書類と本とあれやこれを運ぶ。直線距離にして約4m移動。
おうおうおう。今度の職場はびっしりとスケジュールが組まれているではないか。量産にいたるまでの設計とデバッグと道のり。これぞ電機屋という感じ。気が重いわい。
今週は、基板用のCADツールでひたすら回路を記述する予定。ツールの入っている計算機をしばらく使うことになるので、勝手にcygwinを入れてみる。まあ、誰も気づくまい。あと、困ったことにCRTの画質があんまりよろしくない。三菱の22インチのCRT、RDF22Sは期待はずれ。まあ、ふつーの使い方では十分なのだろうけども、回路図を見ていると目が疲れてかなわない。1,600x1,200pixelの解像度で使っているのだけど、自分の机の19インチで1,600x1,200pixelで使っているのに比べて見やすくなっていない。やはり安いのは駄目だ。
んがー。別のCADツール用の回路データを変換して持ってきたらしいのだけど、見てみると部品が欠けて穴だらけではないか。元のデータを作ったのはわたしではないのでわけがわからん。これをどうやって明日までに終わらせよというのだ。
……と思っていたら、ちゃんと変換できているデータが別の場所から出てきた。ははは。ハイテクに乾杯。
わたしの仕事がなくなってしまった。木曜は東京行きで金曜は休みの予定だから助かった。もうしばらくツールの使い方を調べてみる。
んごー。幕張でんき祭り(仮名)の、web上の参加登録にぜんぜんつながらん。もうaspは勘弁してくれよう。webで登録できなかったら現地で行列せねばならん。この業界が、インターネットだとかなんちゃら革命だとかいうものから実はとても遠いところにいるのだというのが伝わってきて、なんともほほえましいではないか。
ううう。統合サービス型ディジタル放送、略してISDBって普及するのだろうか。ホンマに。ホンマに普及するんだろうか。
あたしゃいらないね。25になるまで生きてきたけど、あたしゃあNTSCで十分だね。ハイ・ビジョンってやつは「セーラームーン」の続きを書いてくれるのかい? データ放送ってやつは「高校野球のせいで闇のかなたに消えていった関西の土曜夕方のアニメ」を救ってくれるのかい?
なんだか関係者一同がアイ・ティー革命というやつに躍らされていてとても嫌だ。なんでテレビが多機能にならんといかんのだ、などとは職場ではたまにしか言えないのでここに書いてみる。
先々週のデジモンアドベンチャー02の「デジヴァイスが闇に染まる時」はおおざっぱに書くと、賢ちゃんがなにかと兄さんと比較されて相対的にしか評価されずに生きてきたのに、兄さんが死んでしまったらえらい不定な存在になってしまったという話、だったと思う。
それで、よい子たる兄さんのあとを追って、天才少年といわれるまでによい子になっていくのだけど、賢ちゃんの追う兄さんの幻影はあんまりよい子ちゃんではなかった。残念ながら、兄さんとは、突然計算機から現れたデジヴァイスを貸してくれない、いやな人なのだ。兄さんが死んでからの数年間、賢ちゃんは外見がいやな兄さんに似てくるのは、兄さんのいやなところの印象が強いのだけどやっぱり兄さんから離れられないというのを示唆していて、なんとも兄さんべったりだ。
賢ちゃんが、誰が呼んだかデジモンカイザーとなって、デジタルワールドで大暴れしている間の姿は兄さんそっくりなのに、改心して仮面を取ると賢ちゃんの顔に戻る。わたしは仮面の下の顔をはじめて見たのだけど、これは印象的だった。しかし、仮面のデジモンカイザーも賢ちゃんであり、帰ってきた賢ちゃんもまた賢ちゃんである。
改心したあとに、自分の存在さえも不定になっていたことに気がついて、「こんなのはぼくじゃない」という、これまた頭の痛い問題をかかえるのだけども、そもそも「わたしは誰なのか」というのは世界でもっとも難しい問いのひとつだと思われるので、ここは考えないことにする。まあ、誰しもそうわかりやすい人生ではないわな。
むしろ、偶然たどりついたデジタルワールドの不定な空間で、ワームモンの卵と賢ちゃんがひかれあうあたりに注目したい。やっと、賢ちゃんは自分自身を受け入れたのだ、とわたしは理解する。ワームモンにとっては「デジモンカイザー」も「やさしい賢ちゃん」も賢ちゃんなのである。かんじんの本人が自分自身を受け入れることで、やっと不定な存在から賢ちゃんそのものになる。
などといっても、変化のきっかけはずいぶん前に兄さんにしゃぼん玉をやさしく吹くのをほめられたことを思い出したことだったりなんかする。感情は一面的ではなく、ふわふわした不定なものでありながらも人生なんとかなっていくという過程を、わかりやすく描いている、ような気がする。
……まだ観ていないアニメがどんどこたまっていくわい。
某展示会へ。あまりやる気なし。
10年先どころか3年先も予測できなくなった、というのが最近の商売というやつらしく、未来を予感させるような提案はまったくなかった。げんなりするぐらいなかった。
唯一、ソニーの無線通信でどこででも見られる液晶テレビが目をひく。持ち歩ける液晶の板から遠くのビデオデッキを操作して映画なんか見ながら、メールを書き、webを見られるというもの。遠くの家電製品の制御を手元でできるという点で頭ひとつ抜けている。
あと、ソニーがDVD規格を拡張して、波長405nmの青色レーザ光で面記録密度を5倍にしたDVD-Blueを提案していた。まあ、まったく未来を予感させるようなものではないけれど、DVDでHDTVの絵を記録するには必須なものだ。他社がだまっているのはどうかしている。
で、ひとり憤っている場合ではなくて、あたしゃお仕事しないといけない。とくにアレを使ってナニしてくれる機器の開発がいまどうなっているのかを各社に聞いて回らないといけない。結果、ウチがえらい出遅れていることが判明するだけであった。あれから1年、各社とも開発を進めてたのかー。ううう。ここまで言葉が出かかっているのに。うう。書けん、書けぬわ。
今日は休みだった。CADツールの使い方を調べようとこっそり出社。部長がいた。
昼過ぎに来た来た。1分ぐらい揺れた。部長は出張で出ていたのだけど、どこからともなく知らない人が1人やってきた。今度の職場はそばにテレビの見られる部屋があるのでそこにわたしもついていく。1分ばかし経ってからNHKが臨時ニュースを流し始めた。鳥取県で揺れがひどく震度6強とのこと。
それからwebであっちこっちへ地震の情報を探す。そうこうしているうちにお仕事のことがどうでもよくなった。さんざんwebで遊んで、ユイさんの時間に間に合うようにとっとと帰宅する。
「コレクター・アイの正体」の巻。
うう。観てからずいぶん経ってしまったのでほとんど忘れてしまった。
あらすじ。迷子の少女の抱いていたクマのぬいぐるみの秘密が明らかになったような気がする。迷子の少女が停止している間にのみクマが起動するらしい。また、迷子の少女はコムネットのメール配送サービスを担当するソフトウェアだったらしい。「メールソフト」というのが、メーラなのかメールサーバなのか、はたまたメールそのものが自律的に飛んでいく機能を内包しているのか、そこいらへんは不明。
アイはコムネットの活動時間の限界を超えて迷子の少女の捜査をしたため身体を壊して入院する。見舞いに来たユイにも真実が語られることはない。また事件が起こり、アイの目の前でユイはコムネットへと入っていく。
「愛とアイとi」の巻。
前の話と一緒に観てしまったため、ひょっとしたら前の話と間違えているかもしれない。ここで書けるだけ書くことにする。
あらすじ。アイが絵本をユイたちに渡したがらないのは、絵本はアイの母が作ったものだからだった。アイもまた絵本の少女を追っているがいっこうに見つからない。しかしユイやハルナは絵本の少女に会っているという。アイとユイたちの違いはなんであろう。アイが持っているコムコンはもとはといえば迷子の少女が抱いていたクマから受け取ったものだ。コレクター・アイは、絵本の少女を追うためにコレクター・ユイとコムコンを交換することにした。
そのあとの戦いでコムコンを壊してしまったアイは、コムネットから現実世界へと戻ることができない。ユイはアイを助けるために、コムネットの空間に写像されたアイの心の中に入っていく。アイの心の中では戦いはまだ終わっていなかった。
感想。アイさんの心の中に住んでいるやけに明るいユイさんと、アイさんを助けに向う本当のユイさんがいっしょに行動するあたりが見どころ。アイさんの心の中のユイさんはどんなことがあっても明るい。なんか知らんけど明るい。アイさんはそんな底抜けに明るいユイさんがうらやましかったらしい。それはもう、悲しくなるぐらいに明るい。本当のユイさんと並べると不自然なほどに明るい。
見どころ。まず、コムネットの中でコムコンを壊してしまったコレクター・アイが、アイさんの姿に戻って倒れるところ。はじめてコレクター・アイの正体をユイさんたちが見たことになる。
ほんとうの見どころ。アイさんの心の中でちびアイちゃんを見つけるところ。母が倒れた直後だったらしい。ちびアイさんは、こんなときにも他の感情を演じることにできる、役者というものになりたいと望むのだけど、アイさんの、不自然なまでの感情を表に出さない性格はここから始まったのだと分かる。
数メートルとはいえ、あたしは職場が変わったので、歓迎会兼送別会なんかが行われたりするのだ。水曜のことだった。
いままではわりと居心地のいいところだったのだけど、この歓迎の席で、えらいところへ来てしまったと気づいた。日本のサラリーマンここに集結である。酒飲みのおっさんたち。品のない、けたたましい。いやまあ、そんなことはこのさいどうでもいいのだ。
先輩の一人が主任に、娘さんが大きくなったら嫁にくださいなんて言うんである。なんでもピアノを習っているそうだけども、年齢までは分からない。その父上たる主任の年齢なんかから考えるとまだ幼稚園ぐらいの子じゃないかと思うのだけど。あたしは、
その、ちいさなピアニストはおいくつなんですかっ
とか、
やっぱ、日曜の朝は「どれみ」っスよねっ
などと聞いてみたいのをぐぐっとこらえるのだけど、その先輩は酒でスイッチの入るタイプのアホなのでとどまることを知らない。しまいにはアナタ。わたしはロリコンですからなんていうんである。ああ。もう勘弁してくれ。
「ロリコン」というのは冗談で使うにはちょっととげのある語なので、もうちょっと考えてボケてほしい。……のだけど、ここで、わたしは自分の病気をとくとくと説明するほど学際的な人間ではないので、居心地悪く座っているしかない。
まあとにかく、ロリコンじゃない人はあんまりロリコンロリコンと言ってほしくないなと思うんである。ロリコンならまだましな方で、これが同性愛だとかすんごい病気とかだと結構しゃれにならないような気がする。
「遠足はみんなでハイチーズ!」の巻。
あらすじ。今日はどれみたちの学年は遠足である。島倉かおりは将来写真家かジャーナリストになりたいと言うだけあって、遠足のあいだの写真を撮る係になった。いつものことだけれども、かおりはどこへでも現れて本人の望まない写真を撮っていく。あるときどれみは魔女の姿になって巣から落ちた小鳥を助けるのだが、ちょうどかおりが近づいてくる。魔女の姿が見られることはなかったが、どれみたちにとって恐怖のジャーナリストの評判はますます悪くなる。
一方、小竹哲也と木村たかおの二人は、木の上から現れた恐怖のカメラマンに驚いて木から落ちてしまう。そこを撮られてしまった二人はだまってはいられない。かおりのフィルムを取り上げようとして川に落としてしまう。フィルムを失うと、もう泣き叫ぶしかない。
感想。「おジャ魔女どれみ」は、どんな地味な子にも一回は主役になる話が用意されているんである。怪獣好きの林くんや足の早い浜田さんだとか、二度と活躍することがなさそうな子もいるけれども、とにかく一回は用意されているんである。おそらく、島倉さんだけが、いままでその場がめぐってこなかった。
さて、島倉さんはそりゃあもう水を得た魚、一眼レフを得た島倉さんである。危険をものともせず写真を撮りまくるのだけども、撮られる方にしてみたらまったく目ざわりだ。それで、どれみさんたちと幾度かの衝突ののちに、自分がぜんぜん映っていないじゃないのと指摘されるのだけど、このつっこみはちょっと唐突に思える。このあとに老夫婦の写真を撮る場面が入る。せっかく、これで二人一緒に写真に納まることができた、という台詞も言わせているのに生きてこないではないか。
でもまあ、そんなことは細かいことなのだ。あたしゃ、大事なフィルムを失って泣き叫ぶ島倉さんに心打たれる。ただそれだけなのに心打たれる。普段は芸能記者みたいないかがわしい描かれ方が目立つけれども、こういう逸材は戦場にでもいるほうが向いている。
「コムネット最大の危機」の巻。
あらすじ。コレクター・アイのコムコンは欠陥があったわけではなかった。アイが迷子の少女に会うことができないのは別の理由があった。メールを運ぶこの少女は、使用者の感情を読み取って行動する。アイは本心を明かすことがないので少女は近づくことができないのだ。
一方、執事が用意したバグルスは強力なものだった。コレクター・ハルナのイニシャライズだけではとても追いつかない。コムコンの修理が終わらず生身の身体で飛び出すユイをコレクター・アイがかばう。アイは自分がおとりになるからバグルスをこのネットもろとも消去せよと告げて飛んでいく。
感想。アイは心を閉ざしているのだとユイさんが告げるところで、アイはえらく怒る。あんまりユイさんが近づこうとするものだからアイはほおをぶってしまう。アイにもこんな感情があるではないか。
できないかも知れないけれど現状を「変えたい」というユイさんは、やっとアイさんから「変わりたい」という言葉を引き出す。これがアイの重要な変化で、自分が犠牲になってバグルスをこのネットごと消去させるという危険な作戦を提案するに至るのだけど、どうも極端でいけない。迷子の少女のことはユイさんたちにまかせて、自分はおとりになろう、これがコムネットの安全のためだ、というのはかなり変だ。迷子の少女に会えるだけの感情表現ができないからといって、二度と心が現実世界に戻ってこれなくなる道を選ぶというのなら「変わる」意味がないではないか。
いや、むしろ、母と同じ境遇になることを覚悟したのかもしれない。
また日本橋に。ジャングルでうさぎしゃんスーパーズのLDと再会してしまった。10枚に加えて劇場版1枚で箱なしという組み合わせで20,000円。この組み合わせと値段とうす汚れたジャケットを見るに、先週見つけてそのあとに見失ったあのLDとまったく同じものだった。おそらく先週見たときには11枚をまとめる包装のフィルムが破れていたので、包装しなおすために一時引っ込めていたのだろう。
その周りの商品も見てみると、Sの箱がなくなっている。売れたのだろう。そしてそして。スーパーズのLDが増えているではないか。さきの20,000円のセットには、ジャケットにはあのあってもなくてもいいような帯がついていないのだけど、新たに見つけた方には帯がついている。それにジャケットもきれいだ。しかし劇場版のLDが付いてこない。これで21,000円である。
たった1週間しか経っていないのに、こう予告もなくまったく同じLDに再会するとどきどきする。しかし先週、DVDが出るまで買うもんか、と宣言したばかりなので買わない。ああ買うもんか。
大学のときの後輩が芝居に出るというので天満橋まで観に行く。客層がえらい若い。いいんだか悪いんだか。後輩はまだそっちの世界に入って1年ぐらいしか経ってないのにわりといい役。ちゃんとした芝居を観るのははじめてかも。
内容は、まあいいや。
そうこうしながらも、あたしゃ昨日のLDをどうしてくれようかという考えに明け暮れ、気が気ではない。また日本橋に行ってしまったんである。
やっぱりジャングルの2階にちびうさのLDはあるのだ。なぜここにあるのかというと、まだわたしに買われていないからだ。財布の中には4万円。置き場所はきっとなんとかする。部屋に置けなくてもまだ押し入れや天井裏がある。いや、8月に買った本棚のおかげで別の棚にすき間ができたからそこへ入れればいい。もうちびうさのLDを阻むものなんかない。あるとしたら近い将来DVDを買うことになったときに、LDなんか観なくなるだろうということだ。そのときはそのときで、いま天井裏に眠る秘宝たちも加えてちゃんとした保管方法を考えるなり、欲しい人を探すなりしよう。
……というような考えはとうに完成していたのだ。昨日からずっと同じことを考えていた。ただ、現実世界の人間には日本橋まで瞬時に移動することができないという制約があるおかげで、よく考えることができたというだけの話だ。だからわたしは仮想の世界の中で何度もそうしたように、ジャングルの2階への階段を登って、LDの棚と棚の間の狭い通路を抜けて、つきあたりを左に折れて、迷うことなくうさぎしゃんのLDたちの前に立つ。やっぱりジャングルの2階にはちびうさのLDはあるのだ。
わたしはいつも2万円もするようなものを買う決断をするのには、何十分も店の中をうろうろ歩いて考えなければいけないのだけど、今回は棚から引き出したちびうさのLDを買うのに5分しかかからなかった。11枚組で20,000円の、薄汚れた方である。
「さらばマシュランボー」の巻。最終回。
うむむむ。ラナンキュラスの身体は宇宙とつながっている。なんという無茶な設定を。だからラナンキュラスを殺すことはせずに、生かしたまま封印しなければならなかったのだ。それなのに、マシュラはラナンキュラスの身体をとっつかまえて太陽のかけらに飛び込む。これもまた無茶である。
しかし、マシュラがラナンキュラスの身体を攻撃したせいでラナンキュラスの体内の宇宙に異変が生じ、同時に現実世界の太陽が分裂したのだから、現実世界のマシュラとラナンキュラスが現実世界の太陽のかけらと衝突するというのは、不思議と自然な一致がある。なんだかだまされているような気がしないでもないが、マシュラとラナンキュラスは自分たちで責任を取ったわけだ。
最後の最後で、マシュラはヤクモの姿を見る。「センター」を目指して旅をしていたころは楽しかったな、という。わたしもまったくその通りだと思う。だのに、なぜ。
「たこ焼きは仲なおりの味」の巻。
あらすじ。ハナが自分でスプーンを取って離乳食を口に運んだ。ちょうどそのあとにおんぷが遅れて店に入ってくる。あいこは「もうちょっと早よ来たら見られたのに」とこぼす。おんぷは他にも仕事があるのだからしかたがないとやり返す。翌日学校でまた言い合いになってしまい関係が悪くなってしまう。
あいこは後先考えずにしゃべってしまうのはよくないと反省する。おんぷが店にこられなかったときのために連絡ノートを4人で交換しようと持ちかける。考えたのはあいこだ。しかしおんぷから帰ってきたノートに返事がない。
感想。なんとも幸せな話。あいちゃんの「もうちょっと早よ来たら見られたのに」というのは嫌味でいったわけではないのにおんぷちゃんにはそう取られてしまったという行き違いと、あとはこれと似たようなことの連続で仲が悪くなっていくのだけど、久々にとんがったあいちゃんとおんぷちゃんが見られて幸せだ。
あと、パトレーヌコールで物体を転送できることが分かった。自分自身を転送して、おんぷちゃんの楽屋でたこ焼きを作ってあげるなんて、かっこいいじゃあないか。
夜中にアニメのビデオを止めてTV放送を見てみると、NHKで古い番組を再放送している。「NHKアーカイブ」と名付けられている。昨日の晩に見たのは1970年に放送された「新宿」という番組だった。戦前に立てられた「副都心計画」の、戦争をはさんだ長い長い道のりを追っている。一見して、いまのNHKには作れない作品だと分かる。いまよりもずっと制作において制限がなかったのだろう。絵も音もえらく演出過剰に思える。
全部白黒映像で、映像そのものの価値は低く見られるかもしれない。だがしかし、たかが30年前に日本の暗黒面をこれだけ撮り続けた人がいたということに、若造のわたしは感心するしかない。絵だけでもすごいんだわ。ものすごい量の対面取材や古い資料で構成されているので、内容を逐一書くことはできないが、ある建築家の言葉だけを引いておく。
もう名前は忘れてしまったけれども、戦前生まれのある建築家は、戦後の高度成長期に新宿の大規模な都市再開発に参加している。彼は新宿西口の地下広場を設計したが広場の使われ方にはあまり感心しなかったようだ。排気や採光に気を使い市民のための場所を作ったつもりが、完成してみると警察官が入り込んで市民を追い出すのだ。座り込んではいけない、歌を歌ってはいけない、集会をしてはいけない。
だいたい法律で決められた市民の場所なんて歴史的に見てもないわけですよ。王家の公園だったり、宗教的な建造物だったりしたものが、いつの間にか市民のものになっていく。それが、法律で規制を作って、ハイここは市民のものですよって、ねえ。
……みたいなことを言っていた。折しも市民運動の盛んな時期だから、なにかと群集は警察と仲がよろしくなかった。きれいな建造物と異常に多い人間。乞食と酔っぱらい。都市そのものが、有明のまんが大会の東館の廊下みたいなありさまになっていくのを見せられてしまった。また建築家はこうも言う。
もともと新宿あたりというのは古い家が建っていて、昭和15年ぐらいまでは、中廊下で縁側もあって、応接間に家具があって、てな家ばかりだったわけですよ。道路は人のための道路で車なんかなかった。それが地価が上がってしまって、住んでいる人はこうするわけですよ。土地を半分売る。あるいは全部売ってマンションに越してしまう。そのあとに、不動産屋が木賃をびっちり建てるわけですよ。土地の再細分化ですよ。
ふむ。値段が高いだけで狭い家は日本の都市部にはたくさんある。30年前からいままで、都市の住宅は「不動産屋がびっちり建てた木賃」からたいして進歩がないように思う。わたしはいまでも鉄筋コンクリートの大きな建物をびっちりと区切った六畳一間の会社の寮を思い出すと寒気がする。六畳がいやなのではなく、あの監獄のように区切られた直方体の建物がいやだった。いまでも線路ぞいに建つ文化住宅を見ると、幼い日に見た廃虚のような府営住宅を思い出して恐い。そこに住んでいる人には失礼だけども、わたしもいま住んでいる両親の家を追い出されたら、いつでも六畳一間に住むしかなくなるのだ。
だいたいにおいて土地の値段が高いせいで恐い目にあう。いま東京でも大阪でも、議会や警察署や大会社に石を投げる人がいないのは不思議なことだ。
あのとき愛していますと言ったのは嘘ではないんだ。でもピンクでおだんご頭が好きなのもまた本当なんだ。きみの中にあの子の影が見えなかったといったら嘘になるかもしれない。
でも……って、きみは誰だったかな。どこかでお会いしましたっけ。えーと。
まあ「おジャ魔女のDVDが出るらしいという話を引き合いに出しておきながら、自分はうさぎしゃんのLDを買ってしまった」という点について指摘しながら、実はわたしの浮気ぐせを非難している、という高度なプレイなのは認めようではないか。
おジャ魔女のDVDを買うだなんて、そんな昔のことは忘れた。……いや、そもそも買うという約束はしていないじゃないかー。春風さんと月野さんだったら、そりゃ月野さんを取りますよう。
上の短い文章を書くために、前に書いた自分の日記を読み返してみた。仕事中に。いやあ。いかんなあ。自分で書いといてナニだけど、おもしろいじゃないかー。
うさぎしゃんスーパーズの劇場版をいつ観るか、だなあ。できれば定時退社日の明日の晩に。と、ここに書いておけば忘れずに観るだろう。
どうしましょうねえ。どないしはります。DVDプレーヤを持っていないのにDVDを買いに走ってしまうぐらいにまでおジャ魔女に壊れているか、あるいは物欲があるか。はたまた虹色の盤面をながめているだけで脳の中でEFM変調とクロスインターリーブとPRML符号とMPEGの復号化をやってしまえるように修行を積むか。
んー。やっぱりプレーヤ買うまでは買えませんわ。DVDって飾っておいてもおもしろくないでしょ。LDと違って。
なんだか基盤屋さんの納期がこっちの予想よりも遅かったため、試作品の設計に充てられる時間が減ってしまった。で、これ以上無理はできないってことになったらしく、実装する機能を減らすことになった。おかげで今週もわたしのCAD入力の仕事が減った。これで先延ばしになっていた不具合の追求ができる。世の中なんとかなるもんである。
早く帰る日だからうさぎしゃん鑑賞会をとり行うと言ったはずが、昨日は早々と寝てしまった。家族が居間から出て行くのを待っていられず午後10時ごろには寝ていた。
午前2時ぐらいに起きたのだが、どうも1時間ある劇場版を続けて見られるという自信がない。そんなわけでお手軽そうなクレヨン王国のビデオを観る。久しぶりに、きのこのクリームシチューで天使をおびき出してユックタックがおりに閉じ込められるくだりを観た。
久しぶりに観てみると、わたしにとって床の上をごろんごろんしてしまうほどの破壊力はなくなっていた。
1時間ばかしクレヨン王国を観たあと、また寝る。今日の朝8時まで寝た。今朝は会社までの道のりは実にすがすがしい。たとえ今日死んだとしても、死ぬ前にやり残して悔いる要因がひとつ減った、てなぐらいによく寝た。
で、いつ観られたものか。
「美少女戦士セーラームーンSupers・ブラックドリームホールの奇跡」の巻。
一昨日は未遂に終わってしまったが、昨日は観ることにした。60分。
あらすじ。いつもの5人組にちびうさを加えた6人がまことの部屋に集まってクッキーを焼いていた。
うさぎとちびうさは別々に帰っていく。うさぎはクッキーを持って衛の部屋に向かう。一方ちびうさはダイアナと商店街を歩いていく。後世のために書いておくとダイアナは黒猫のルナと白猫のアルテミスの子である。ちびうさはお菓子の店の前で羽のある少年を見た。ちびうさにだけ羽が一瞬見えたのだ。少年は菓子が好きだった。ガラスの向こうの菓子は楽しそうでいまにも踊り出しそうだという。少年が細くて長いストローのような笛を奏でると、菓子は人の形に組み合わさってくるりと踊る。そしてなにごともなかったように菓子に戻る。無邪気な少女は不思議な少年を気に入った。少年は少女に惹かれた。少年はペルルと名乗った。ちびうさとはそこで別れる。
ペルルは用件があってこの街に来た。ペルルの兄がストローのような笛を吹くと街の子供たちは夢遊病者のように歩き出して公園に集まるのだ。夜、この街で集められた子供の中にはちびうさもいた。ペルルはこの任務に気が進まなかった。街の異変に気づいた5人が子供を追って公園までたどり着くが、ペルルの兄が笛を吹くとあめ玉が大きくなって5人に襲いかかる。5人とちびうさは変身して戦うがあめ玉の動きは早く歯が立たない。タキシード仮面も現れるがあめ玉はいっそう強くなり、倒されてしまう。ついにはちびうさは子供たちと同様に空飛ぶ船で連れ去られてしまう。船のあとを追うすべはない。手がかりは公園に残されたペルルだけであった。
聞くところによると、悪い魔女バディヤーヌは子供たちをさらうために妖精であるペルルたちをあやつっている。5人はペルルの船に乗って、子供たちのいるマジパンヌ城に向かう。
感想。この話は1995年のTVシリーズと似ている。1993年の「セーラームーンR」の劇場版が前半の魔界樹編と登場人物が微妙に似ているが話はぜんぜん違う、というのとは異なり、こんどの映画はTVシリーズと結構似ている。
バディヤーヌはTVシリーズでいうところのネヘレニアさまである。4人もおとこの子を飼っていてちょっとうらやましい。4人の少年はエリオスのようでもあり、アマゾネスカルテットのようでもある。ネヘレニアさんもエリオスをかごに飼っていたのを思い出さずにはおれず、なんともいけないショタ心をくすぐられてげふんごふん。悪者キャラにありがちな年齢不詳の美人を見るにつけ、あたしもかく歳を取りたいなどと思ったりもするがこの際関係ない。
バディヤーヌがおっぱじめた壮大な計画で、夢から覚めない子供たちだけの国を作ろうとしていたということもまた、ネヘレニアが夢の鏡を探し続けたことと「夢」というキーワードにおいてのみ共通する。さて、悪い魔女はなにも幼子が好きだから大量の夢遊病者を集めていたのではない。どうもこのあたりが取ってつけたようで気にくわないのだけれども、どうも子供たちの夢には不思議なエネルギーがあり、バディヤーヌはこれを集めているらしい。そして、例によって例のごとく地球の支配をたくらんでいて、いずれは全人類を眠らせようとしているのだ。
そしてこの悪者は例のごとく闇が大好きだ。人々は静かに眠りつづけ、夢の中だけで生きていけるような世界を理想とする。魔女であるバディヤーヌは、どんな行動においても、身体に依存するものよりも魔法を使うことを好むのではないだろうか。ならば、身体の老いや病からも逃れ、脳の中で想像されるできごとだけが美しいと考えることと無縁ではないだろう。
うさぎはバディヤーヌの罠を避け、痛くて熱い苦難の道の末に最後にはこの魔女を焼き殺すのだけど、どうもしっくりこない。バディヤーヌはなぜ絵本だのなんだの世界ではなく地球を襲ったのかがさっぱり分からない。いや、魔女とはわけの分からないものなのかもしれないけれども。また、なぜ闇の安らぎの魅力をもっと語って観客を誘惑しないのか。時間は60分あるのだが、話を大きくしておきながらあっけなく終わってしまった感がある。
見どころ。お菓子の家の罠で5人組が小学生のころの姿に戻るところ。……なのだけど、その姿でいたのはとても短い時間だった。あたしゃ5年前、幼いころの5人組が出ると知ってとても期待していたのにがっかり。一方、冒頭のテーマ曲に合わせて幼いころの5人組が出るところはかなりおもしろい。
きわどい見どころ。お菓子屋さんの前で、窓の向こうのお菓子に見入るちびうさちゃんの横顔にペルルが見入ってしまうところ。ちびうさちゃんの横へ伸びる髪の束の向こうでペルルがこっちを見ているのだけど、なんだかピンクの髪に見入られているように見えてしまう。まあ、そういうこともある。
うぐ。痛たたた。CADツールで基盤の絵を書いていると見せかけてうさぎしゃんの感想文を書いていたら、いまとなりの席で主任が課長からおこられているの図。お金を出してくれる部署への大事な報告書らしい。三十過ぎになってなお、文章の下手さを指摘されるのは屈辱的だろうけども、指摘するほうもいやなものだ。
わたしの修士論文を当時のボスに直されたときも、かなり情けないものを提出していたのを思い出す。あ痛たたた。も一つおまけに、後輩の卒論を添削して助詞の使い方をえらそうに説いていたのも思い出す。あ痛たたた。
本当に胃が痛くなってきた。
まなちゃで背中を押されて「MAHO堂ダンスカーニバル」を探しに行く気になった。以下に戦績を示す。
[1]いつもの店。店内改装のためしばらく休み。
[2]その向い側の店。通常版はあるがコントローラ同梱版はなし。
[3]イズミヤの中のおもちゃ屋。かすりもせず。
[4]その斜め向いの「ゲーム戦隊」という店。なし。
[5]ビオルネの向いのニノミヤ。アンパンマンならあった。
[6]ビオルネ4階のおもちゃ屋。ゲーム自体なかった。
[7]くずはモールのキンダートーイ。なし。
[8]くずはの交差点のそばの「アルゴ」という店。「さっき売り切れた」という返事。
[9]船橋の「まごべー」というおもちゃ屋。なし。
[10]その斜め向いの「ブルート」という店。なし。
[11]船橋の「アルゴ」というもう1軒の店。なし。
[12]NTTのそばの「ギャングスター」という店。別の音楽関係のソフトならあった。
[13]村野浄水場のそばの名前は忘れたけどおもちゃの店。なし。
……というさんたんたる結果だった。明日はどうしてくれようか。
ああ。そこまで明確に(10/14第2節参照)書かれると爽快ですわ。ここにわたしを評して「いい意味でも悪い意味でも普通という概念からの逸脱を志向」とある。本人がどう思うかは別にして。
他の人たちの日記へのリンクばっかし集めたものを書こうとして、結局果たせないでいる。紹介文を書こうとしてすぐに挫折するからだ。本人がどう思うかは別にして、わたしの日記から何度も参考文献として参照している人もいるので、それなりに敬意を払って200字ぐらいの評を付けようかと思う。で、すぐに挫折する。どうして挫折するかというと、3人目ぐらいで力つきるんである。ネタが切れて。
誰かさんのとこなんかわたしをこうも評すのだ。「わたしの心の師匠で最愛の人」だとか「いろんな意味で深い」だとか。絶対この人は誘っている。たぶんこれは大きいボケを誘うための「くすぐり」だろう、とわたしは思ってしまう。ギャグにはギャグで応えようとして、いずれはこの人のことを評して「わたしの弟子で、シルバーシートにほおずりをする忍法を伝えし唯一の者」とか「学校で同人版Close 2Uを遊んだことのある唯一の仲間」などと書こうと思う。
こんな調子だから3人目あたりでネタが尽きるんである。わたしとの間によほど濃い関係がないとそうそうネタなんてないので、書けるはずがないんである。で、先の「いい意味でも悪い意味でも普通という概念からの逸脱を志向」という鋭い評を見てあたしゃ負けたと思った。「大嘘つきな正直者」というのもまた簡潔。アンタは歌詠みか。だれしも隠しごとはあるだろうけれども、こう「嘘つき」と呼ばれるとどきどきしてしまう。いずれは、こんな渋い評が書けるといいなあ。
あと、「なでなで」は勘弁してください。
「コムネット崩壊」の巻。
あらすじ。バグルスの被害が大きくなった。コレクターたちは総出で駆除に乗り出すがまったく追いつかない。ついに現実世界に影響が出始めた。コムネット内の仮想の時間は現実世界の256倍で進む。犬養博士の権限で仮想の時間の進みを現実時間の時間の進みと同じにすることにした。これでバグルスの被害の広がりを遅らせることができる。
執事自身の身体を媒介にしてバグルスがばらまかれている。コレクターたちは執事をイニシャライズするが、執事は別のソフトにあやつられていたことが判明する。ついに黒幕が姿を表す。そこには愛の母の姿もあった。
感想。「カードキャプターさくら」あたりが先を行っているのだと思うけれども、こう次から次へと衣装が変わるのは新鮮。変身シーンは「セーラームーン」のころから何度も同じものを使い回すものだと思い込んでいるので、1回しか使わないような変身シーンがあるというだけで新鮮。アイさんのロケットパンチが見られるとは思わなんだ。
さて。さてさて。ついに黒幕の登場である。コムネットに復讐すると言っているが、コムネット開発者かなにかだろうか。そばにアイさんの母上もいるけれども、現実世界で一向に目を覚まさないのはコムネットにずっと居着いているからなのだろう。
昨日に引き続き探しに出る。戦績。
[14]高校のそばのタイムスという本屋。2階のゲーム売り場で発見。
今日はあっさり見つかってしまった。5,280円。
「MAHO堂ダンスカーニバル!」の巻。
音楽に合わせたキー操作をユーザに要求するゲームがある。現在すでに人気の1ジャンルを形成しているが、わたしは一度もこの手のゲームに歓迎されたことはなかった。ゲームセンターの「ビートマニア」は何をしたらいいのかさっぱり分からぬまま200円を浪費し、家庭用ゲーム機で遊んだ「パラッパラッパー」も、画面を必死に目で追うのだが、結局どのキーを押していいのか分からず前に進まなかった。「パラッパラッパー」は、右手の親指1本で4つのボタンを押し分けろというのだから、最近の若者はどうだか知らないがわたしには無理だ。一方で、わたしの弟はおおきなマットを買ってきて夜な夜な居間でどたんばたんやりだした。世の中には音楽に合わせて全身運動を要求するゲームもあるのだ。かくして、この手のゲームはわたしにとってけたたましいだけでまったく楽しくない、その上迷惑をかけるだけのいやな存在となった。
だからわたしはこのゲームを買うにあたって悩まねばならなかった。もし、わたしがこの3歳から6歳のこどもに向けて作られたゲームに対しても手も足も出ないとなれば、わたしはどれみさんたちを嫌いになるかもしれないとさえ思った。そんなわたしがなんの気まぐれかこの「MAHO堂ダンスカーニバル!」を買ってきた。気合の入った専用コントローラ同梱版である。もうあとには引けない。
以下にゲームの仕様の説明および遊んだ感想を述べる。
わたしが買ったものには「キッズステーションコントローラ」が同梱される。まあとにかく箱がでかい。こどもの手に合わせて作ってあるコントローラだからたいして大きくはないと思うのだけど、なぜかくも大きい箱に詰めるのか。箱を開けてみると、実はコントローラーはとても大きいのである。4つ葉のクローバーのように、4つの円が正方形に沿って配置された形状を外形とし、それぞれの円の中に直径7.3cmという大きな押しボタンが配置されている。匡体は透明なプラスチックで、内部のプリント基盤が透けて見える。この大きさからして、手に持つのではなく、机の上に置いて手のひらでボタンをたたくという使い方を想定しているのであろう。
居間でこの大きな箱を開けて露天の道具屋を開きながら、遊んでみることにする。「MAHO堂ダンスカーニバル!」は「キッズステーション」というシリーズの一つである。「キッズステーションコントローラ」の、この4つのボタンだけで動作させることができる、はずである。
まずTVの「おジャ魔女どれみ♯」と同様に「おジャ魔女はココにいる」が流れるのだが、ここでちょいと不安が走る。背景はいいのだけれど、登場人物の動きがえらくぎこちないのである。動画枚数が恐ろしく少ないのはゲームだけの価格3,800円の限界なのだろうか。いや、しかしリズム感を養うはずのゲームでは登場人物の動きは重要であろう。
不安なままゲームを始める。登場人物の自己紹介や難易度の設定などができるのだけど、これらをすっ飛ばしてストーリーモードに入っていく。このあたりで、4個の押しボタンだけで選択肢を選んだりといった操作をするのは無理があると感じはじめる。
第1話は、ハナちゃんをどれみちゃんたちがあやす話である。なんだか知らないがMAHO堂の店内で4人は踊り始める。まず操作に慣れるための簡単な課題曲をやっつけねばならない。ここで、難易度は初期設定では最も簡単なものになっていたため、4つのうちどのボタンを押してもかまわず、タイミングさえあえばいいことになっていた。わたしはなんとか8割の得点を取ることができた。また、この大きなコントローラはボタンを深くまで押し込む必要があり、押すタイミングや力の入れ方に慣れる必要がある。通常のコントローラの方が楽ではないかと感じはじめる。
第2話に入る前に、いくらなんでもこりゃ簡単すぎるので、最も難しい難易度に設定した。指定通りのボタンを押さねばならないのに加え、頻繁にボタン操作が必要となって難しい。だがしかし、これは「パラッパラッパー」とは違った。わたしが以前つまずいたのは、画面上で三角だとか丸だとかキー操作を要求されても、手元でどのボタンを押せばいいのかという判断に直結せず、いちいち手元を見なければボタンを押せなかったことに起因する。本作では、画面上で上下左右の矢印が表示され、わたしはどのボタンを押せばいいのかまったく迷う必要がない。そういえば、ゲームセンターのどたんばたんやるゲームも、画面上では矢印が表示されていたように思う。ひょっとしたら、わたしにもできたのかもしれない。2個同時に押せといわれたらそれは無理だけれども。
かくして全10話のうち5話を終わらせた。最も難しい難易度でも総じて70点程度を取ることができ、やりなおしの憂き目に遭うことはなかった。なんだか幸せな気分である。ただ、登場人物の動きがぎこちなく、まったく踊っているように見えないのはよくない。それでもなんだか幸せな気分である。関先生が学校を辞めるかもしれない、という騒動の話はちょっと筋がひどくないか大和屋暁さんよ、という気がしないでもないが、なんだか幸せな気分である。ゲームとしては少々ナニなのだけど、なんら迷うことのない見やすい操作系に代表されるような分かりやすさが、どれみちゃんたちの成す馬鹿馬鹿しい話と合わさって、なんとも幸せな世界を作るのである。
そして、この大きな専用コントローラーだけれども、わたしには必要なさそうだ。画面上で上下左右のどのボタンを押せばいいのか教えてくれれば通常のコントローラでも十分入力できることが分かった。ダンス以外の、選択などの入力は通常のコントローラの方がずっと楽だ。さてこの大きな箱をどうしてくれよう。
そろそろMac OS X Public Betaの日本語版が出る、はず。アップルいわく10月中に出るということなのだけど、今週出るのではないかといわれている。HDDを開けて待っている。ドキュメントを日本語で書きなおすだけなら人海戦術でできるはずなのだけど、なぜ1月もかかるのだろうか。
まあ、午後10時に会社を出て11時におうちに帰ってくるとしよう。新聞を読みながらご飯を食べてたら11時50分になったとしよう。メールを読んでたらエラいことが書いてあったとしよう。webを見ていたら12時になったとしよう。で、どうも29日の東京行きは避けられなくなり、それに合わせて「コミックレヴォリューション」にも顔を出す時間を作ろうとあれこれ考えていたら珍しく眠れなくなって、午前2時まで「ゲーム帝国」を読み返したとしよう。やっぱり眠れないので、さらに3時まで「ゆんゆんパラダイス・少年注意報」を読み返したとしよう。わたしにいつ「キノの旅」を読めというのか。
いや、根本の問題は、なぜいまここに、時雨沢恵一の「キノの旅」と「キノの旅II」があるのかということだ。
うむむ。昨日の帰りに駅で飲んだ缶入りのコーヒーがいかんかったのではないか。あれはうっかり飲んではいけない。夜更かしのせいで今朝は8時半まで寝てしまった。
やっとアップルからMac OS X Public Beta日本語版の発売日が発表になった。10/21午前10時からApple Storeにて。3,500円。日本では送料も高い。期間限定の試用版を使うために払う額が4,000円を超えるのか。でも買うのか。
Photoshop 6はCarbonで動くんだろうか。Classicなんだろうか。CarbonかCocoaで動くように書きなおされているのなら25,000円出して5.5からアップグレードする価値がある。書きなおされていないのなら書きなおされるのを待つ。それがバージョン6.5になるか7になるかは分からないけれども。
「逸脱」って言いにくい。逸脱、逸脱、逸脱。虚脱洒脱解脱。
そういや「解説」と「解脱」の字面が似ていると気がついたのはいつだったか。ネタ投稿私見を書くのをやめてもう3か月。そろそろ禁断症状が。
「運動会でてっぺんをめざせ!」の巻。
あらすじ。ぽっぷの通う幼稚園の運動会の日が近づいてきた。運動会では組み体操があり、ぽっぷのクラスでも練習が行われている。難しい「ピラミッド」がうまくいかない班がある。きみたかのいるグループだけがどうもうまくいかない。きみたかがピラミッドの頂上に登る動作が乱暴過ぎてピラミッドが崩れてしまうのだ。それでもきみたかは北海道から久しぶりに帰ってくる父に見せたいがために、どうしても頂上がやりたいという。しかし乱暴もののきみたかと一緒に練習することを嫌った同じ班の仲間は次第に離れていく。
感想。ぽっぷがかっこいい。もともとぽっぷは順一せんせいにかっこいいところを見せようと運動会の練習に励んでいたのだけど、これが「わがままでお子ちゃまの」きみたかを黙って見ていられなくなって魔法で手伝ってやるだなんて。これはかっこいい。取りたてて書くべきことがあまりないのだけど、ぽっぷがかっこいい、ということだけ記憶にとどめる。
昨晩。布団で寝っ転がって「キノの旅」を読み始める。第一話「人の痛みが分かる国」だけ読む。えらい淡白な書き方で、何度も前の文に戻って読み返さねばならなかった。キノが何者なのか全く不明のまま話が進んで、終わる。ふむ、確かに「あとがき」にあるように「キノが二輪車に乗って旅をする」というそれだけの話である。キノに関してはとてもいやな予感がする。
ああ。このふんがふんがした四角いのが2次元バーコードかー。背表紙の上にこんなのが付いていたとは気付かなんだ。本物を見たのははじめて。
昨日は雨に濡れながら本を買いに行った。家から近くの本屋までバイクにまたがって10分。どうだ。近いだろう。ここで借りていた「クレヨン王国」のビデオを返して、「キノの旅II」を買う。で、「キノの旅」がないのだ。仕方がないのでまた近くの本屋までバイクで20分ほどまたがって探しに行く。どうだ、住みたくなっただろう。運よく「キノの旅」があったので、ここでわたしの旅は終わる。家に着いたころには日付が変わっていた。午前1時から第1話を読み始めて午前2時までかかった。
今日は定時退社日である。明後日に試作基盤の図面を送るんのだがそんなことはお構いなしに定時で帰る。定時退社日だから。帰って「キノの旅」の第四話まで読んだ。午後7時から始めていま11時である。これ以上読むとまずい。そんな気がする。
やはり淡々とした記述。ハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)の記述は、詳細なようでいて限界がある。液体の火薬と弾丸を別々に装填するタイプの古いようで新しい銃器である。見慣れない構造のためなんだかよく分からない。薬室を締めつけるバレルの下のレバー、のあたりで理解をあきらめた。
か、感想書きにくっ。そんなささいなことはどうでもいいのだ。第二話「多数決の国」と第三話「レールの上の三人の男」と、ここまで読んで、わたしは不安になった。こりゃあ冗談にしてはたいして面白くない。「多数決の国」ではあまりのばかばかしさに声を出して笑ってしまったけれども、趣味が悪い。この調子で200ページも読めるんかいなと思った。が。第四話「コロシアム」まで来て、うっかり途中で下手な感想は書けんな、と思い直した。さて、あと60ページ。
いやすごい。電話したらちゃんと面倒を見てくれる。何百万円だか一千万円だかする製品だけのことはある。業務用とはこういうのを指すのだ。図研の人は10時まで付きあってくれた。いや、お金の話ではないのだな。サンプルのファイルを送ったら開発の人が問題を解析してくれた。ソフトウェアに問題があるのかもしれない、という点を覆い隠さない実に誠実な対応である。で、問題はわたしの使い方だと分かってしまい、なんとも申し訳ない。おねいさんすまん。
記録更新。午前7時半就業開始、午後10時終業。本当はもう少し長い。
試作基盤の作業が予定より遅れた。よって明日もおしごと。
Mac OS X Public Betaを求めてめいみさんが高島屋に向かうとのこと。なんとうらやましい。あたしゃ今日もおしごとでありますよ。たとえ会社を休めても、もう一つやることがないと東京までは行けない。なんとありがたいことに、わたしの分も一緒に買ってきてくださるとのこと。
なのだけど、一人一本という制限があって無理だったようだ。無理を言ってすいませんです。これじゃあ欲しいという人が多ければ行列は長くなる一方じゃないか。本当にこんなんで「Public」Betaなんかいなという疑問がわくが、しかたがないのでApple Storeで注文。3,500円。送料は無料だそうだ。
昨日午前2時までかけて「キノの旅」をところどころ読み返して、さらに第五話まで進んだ。おかげでいま眠くてしょうがない。で、いま思い起こしてみるに、第五話がどんな内容だったかうろ覚えになってしまった。
今日はひたすら基盤のCADデータの修正。もういやになるぐらい修正。卒論とか修論で、指摘された誤りを直して提出したらところどころ治ってなくて、また赤を入れられて返ってくるのにも似た、そんな恥ずかしい時間を過ごす。もうふらふら。
ひたすら設計者ではなく操作者に徹しているうちに、図研のCR-5000に関してのみ詳しくなってしまった。わたしにとって、なんの働きをするのかわからない素子がいまだにたくさんある。CR-5000はウチの部ではわたししか使えまい。わたしがいなくなったらあのデータたちはどうなるのだろう。
わたしはお休み。きっと職場ではわたしの描いた図面を3人がかりで読んでいるだろう。
なんとなく本屋さんへ行くが何も買わず。で、来週のことを思い出して東京行きの飛行機の券を買いに行く。これで次の日曜に会社を休めなかったらエラいことである。
さらになんとなく日本橋へ。今日も京橋から環状線で向う。ただし今日は難波まで行かずに今宮で降りた。通天閣が見えたので降りることにした。通天閣の向こうは電器店街である。
駅の階段を降りながら、異様な形の天井に驚く。なんともとんがった形状。太い梁が階段と平行に三本下っている。その上に板が張られている。くもってはいるが透明な板で、光を通す。梁はえらく低くて圧迫感がある。ちょっと古い駅にはたいてい無骨さがあるけれども、なんという安っぽさ。ここからあか抜けない旅の始まりである。
異世界に置かれた遺業の箱。新世界にできた「フェスティバルゲート」をはじめて見た。遊園地にありがちなでっかい遊具と、でっかい箱。なんともあか抜けない今宮界隈の一部分だけがきれいになってしまった。通りをはさんでこっち側はキムチの店で向い側はでっかい箱。
この商店街にこんなに人がいるのをはじめて見た。本当に驚いた。「スマートボール」の店に人だかりができているではないか。大昔からある、ピンボールみたいなゲームである。3年ばかし前、寺田町の大阪教育大学の中にあった学生相談所に朝から日雇いの仕事を探しに行った帰りに、ふらふらと歩いたときの閑散とした印象とまったく違う。朝から酒を食らうおっさんたちの街ではなく、若者の街になっているんである。ただし、フェスティバルゲートのそばだけは。
新世界の商店街はところどころ変わっていたが、フェスティバルゲートから離れると学生のころに来たときと変わらない光景である。相変わらず汚いおっさんがうろうろしていて、路上では妖しいかばんを売っていて、なぜか露店では沖縄民謡のテープが延々流れていて、道はまっすぐではなかったりもする。
東映の映画館には「カポネの舎弟・大和魂」という映画のでっかいポスターが飾ってある。かっぷくのいいおじさんが恐い顔で二丁拳銃を構えている。さりげなく「カラー作品」と書いてある。そうかそうか。カラーなのか。もう色の淡くなった、ペンキで描かれた看板には菅原文太兄さんや岩下志麻の姐御がいる。めちゃめちゃ若い。この看板はいつのなんだ。
色あせた記憶の底にある、白黒のフィルムで見たような大昔の光景がここにある。ものすごくとんがっている。「立小便スルナ」と書いてある看板だとか、いつもうす汚れているタイルの路面だとか。突然嘔吐を始めるおっさんだとか。ネタが豊富というよりも、この界隈全体が異世界なんである。とにかく油断できない。日活のポルノフィルムばかり演っている劇場の入り口には、いまも変わらずセーラームーンのパチもんの絵が飾ってある。新しいんだか古いんだか。東映の人もなんとか言ってあげたらどうか。
わたしが7歳まで、4つ切りのようかんみたいな長屋に住んでいたころは、何もかもがとんがっていたような気がする。あれからわたしが丸くなったのか、大阪が丸くなったのか。
通天閣のそばを通って電器店街へ抜ける。新世界を歩いてくれば少々の変てこさには目をつぶることができる。ふらっと寄ったメロンブックスで、くさい兄さんとすれ違ってももう驚かない。
えるぱれでは何も買わず。コミックレヴォリューションのカタログがあればと思っていたのだけど。ディスクプラザで「アニパラ2」と「Punch the Monkey! 2」のCDを買う。前者はなんとなく買ってしまった、アニメな曲をパラパラというらしいダンスミュージック風に書き直したもの、後者は「ルパン三世」の曲たちのカバー。最後にジャングルに寄る。うさぎしゃんスーパーズのRが箱付きで16,000円。Sの箱なしが18,000円。買わず。で、帰る。
前者は失敗。音が薄っぺらい。全然かっこよくないじゃないかあ。まあ、パラパラの振り付けの写真が付いているのが面白いので許そう。後者は、リミックスのものとカバーとがある。かっこいいカバーが欲しかったのに期待外れ。前に聞いたことのあるオーケストラのかっこいいやつはどれなんだよう。
時雨沢恵一「キノの旅」を読み終わる。
冷淡で強い主人公キノが残酷で馬鹿馬鹿しい世界を旅していく話。これが単なる人間社会への皮肉だとか警鐘だとかだったらわたしは恥ずかしくて読めはしない。そんなことは毎日毎日新聞に書かれている。パレスチナ人が石だけでイスラエル兵に立ち向かっては穴だらけの死体にされる一方で、わたしの住む国でいま何が起こっているかを思い出すだけで充分だ。
だが、第一話から第六話までしだいに強さを増す残酷さと、もう一つの不思議な感覚に目が離せなくなり最後まで読んでしまった。作品への興味と吐き気がわたしの中で戦って、作品への興味が勝った。
なんとも不思議である。まず主人公の存在すらあやふやである。第五話「大人の国」で明かされる、キノがこの世に発生するに至る過程は、キノは旅人キノの看板を先代から受け継いで背負っているだけで、内面が不定なものであることを示唆するように思う。「大人の国」から出ることで、かつての少女は「大人」の命令通りに動けばいい生き方を捨てた。もとの名前も過去も全部捨てた。だからこれからは「キノ」となり旅をすることで内面を構築していく。……のだと思う。
最後にある、エピローグ「森の中で・a」から、最初のプロローグ「森の中で・b」へとつながっていることは、すべての話が一つの輪となって無限にくり返されることを示唆する。キノはキノの看板を背負って、永遠に世界のどこかを走り続けている。キノは思い悩む読者のようでもあり、スーパーマンでもある。なんとも不思議な主人公である。
主人公以外にも妙な見どころがたくさんある。第四章「コロシアム」の最後の、夫婦の話はいかようにも解釈できよう。妻は気が狂ったのだとか、あるいは自分以外にもひどい目に遭わせたかったのだとか、いつ罠にはまるか分からないから気を付けましょうだとか、まあ、なんとでも取れる。このあたりの妙な見どころについてここに書くのは不粋だからやめておこう。
さて「キノの旅」は面白いのだろうか。面白いといえば面白い。悪趣味といえば悪趣味。わたしは本を読まないので評価基準がない。だからよく分からない。メディアワークスの「電撃文庫」から出ている本なのだけど、いまどきの若者はこんなのをうっかり読んでしまうのか。そりゃすごい。
7時40分出社、23時20分退社。だんだん日本の労働者らしくなってきた。金曜に渡す予定だったのだけど、遅れに遅れてやっと完成。
3人でいっぺんに来ないでー。検図が3人で入力が1人。
弊社のナニをアレしちゃった方々には深くお詫びします。ウチの製品を見捨てられても反論の余地はないですが、どうか、あなたが未来を見越して買われたナニは大事にしてあげてください。
……というわけで。学生のころから気になっていたことがあった。会社に入るということは会社から報酬を得るということで、それゆえに会社の責任を自分の一部とすることなんである。で、あたしが気にかけていたのはこんなことだ。その会社が派手好きで、テレビに広告を打っていたとする。宣伝がテレビで放送されたときにどんな顔をして見ればいいのか、ということだった。セガに入っちゃった人は専務が宣伝に出ているのを見て、思わず赤面したり家族になんか言い分けしたりするんだろうか、みたいなことが気になっていたんである。
で、人生流れ流されてわたしも賃金労働者となった。テレビで自社製品の宣伝を見たりしても、案外傍観者でいられるのだと分かった。以上、問題解決。
で、大きな会社ほど事件というものはどこかで起こるのである。先週、例の問題について報じられているのをはじめて知った。不良品が出荷されていたことを知りながら何年も隠していたというアレだ。で、週明けの昨日、社員に何の報告もないまま社長が辞めると報道機関に発表される。あたしゃ試作基盤の作業で久しぶりの修羅場を見ながらも、webのおかげで事態の推移は追っていたんである。そのあと自分のマシンの前に戻ってみると、社長が一人で臨んだ記者会見で読んだと思われる短い文章がわたしのところにもメールで来ていたのだけれども。
きっと、本社勤務の人は今ごろ記者の人たちに囲まれて大変なんだろうなあ、と昼休みに思った。わたしも一度ぐらい、請われて話をしたいものである。聞き手はわたしの写真を取るし、わたしの台詞を一言一句メモを取る。そこまでわたしの話を聞いてくれる人は、見ず知らずの人の中に決していないんである。話がそれた。なんだか、事態の進展とともに、わたしの胃がきゅーっとなった。
報道機関ってのは、売上高何兆何千億円だとか、株価収益率がどうのこうのだとか、そんな側面でしかウチの会社を見ていない、と思っていた。ところが、論調は手のひらを返したように、問題を隠そうとする古きよき悪徳企業に変わるんである。記者たちの前で新製品を発表していたその席で、今度はときどきテレビで見る、あの社長が頭をふかぶかと下げるアレをやっているんである。
きゅーっとなった原因はもう一つあって、最高に経営に責任を持っちゃう人がなんで辞めないのかということである。最高に経営の責任を取るのは取締役会の会長である。最高経営責任者というぐらいだから最高に経営の責任を取るのだろう。会社はこの人の持ち物なんである。不良品は前社長のころに出たのだけども、前社長は副会長を経てもう社を去っている。こうなると、ずうっと居座っている最高に経営に責任を持っちゃうじいさんの責任は免れないはずである。
役員の中には創業者一族の華麗なる面々が勢ぞろいしてらっしゃる。社長は華麗なる一族じゃない初めての社長なんである。ここで現社長を失うのはとても痛い。華麗なる面々の身代わりとなって社長が辞めるというのは、華麗ならざる身としてはあまりにも痛い。たぶん、会長にはどんなことがあってもやり遂げねばならない使命があるのだ。わたしが入社以来ずうっと気にかけているのは、最高に経営の責任を持っちゃう会長の子供が役員の中にいるのだけれども、この王子さまの行く末である。
王子さまが社長になって記者会見で抱負を述べるその日までは、最高に経営の責任を取っちゃうのではないかと思う。この子育てという重大な使命に比べたら成り上がりものの社長を捨てるぐらい、たやすいことだ。最高に経営の責任を取っちゃう人も、元はといえば創業者である父とその兄弟たちから会社を受け継いだのだ。そんな生まれながらの貴族にしてみたら、会社よりも王子さまのほうが大切なんだろうと思う。そして、その王子さまは問題の製品に深くかかわるはずの社内分社の社長である。ちなみに問題の製品を売ったのは別の子会社だが、開発は王子さまのところでやっている。華麗なる国王陛下が誰を守ろうとしているかは明らかだ。
……みたいなことを、ずうっと考えてしまうのだ。不良品を出荷したことに対する社会からの批判はわたしにとってはわりとどうでもよくて、むしろ内部のみにくいアレやコレが気になってしょうがない。豪奢なる役員たちには以前に製品の欠陥で人が死んだときの反省がまったくないとなれば、わたしもこれからどうやってご飯を食べていくか考えないといけない。賃金労働者になるということは、テレビの宣伝を見て照れているだけではすまされないのだった。
今日の朝に基板屋さんにCADデータを渡したのだけども、渡してからバグが出てくる。また出てくる。3人がかりで検図して基板屋さんにバグを報告。
今日の昼ごろ、Mac OS X PBのCDが家の前まで来ていたらしい。家に誰もいなかったので福山通運の人は持って帰ったらしい。母がそのあと帰って福山通運に二度電話したらしいのだけど誰も出ないと言う。そのあとわたしも帰って、今日は定時退社日なので6時に家に帰って、福山通運に電話をしたらたしかに誰も出ない。で、延々受話器を握ったまま待っていると人が出た。配達は明日の午後以降になると言う。電話に出るのも配達するのも遅すぎる。今日試す予定だったのでがっかりだ。
検索エンジンでたまに妙なところが検索結果にあらわれる。ありとあらゆる方面の単語をただ羅列することによって検索エンジンからやってくる人を集めて広告料収入を得ようという商売である。
で、そこに羅列してある言葉が面白かった。
ミッフィーのスクリーンセーバー
近親相姦体験話
サトウのサトちゃん
それゆけ
脱サラ
公共の場所で裸になる
ピンク・サターン
ああ。どこの誰が「公共の場所で裸になる」という検索語を思いつくだろう。「それゆけ」って言われても。「サトウのサトちゃん」はたぶん佐藤製薬のオレンジ色のゾウのことだと思うのだけど、なにもそんなマニアックな餌を用意しなくても。ところで「ピンク・サターン」ってなんだろう。ちょっとどきどきする。
どうもおんなの子3人組のアイドルな方々らしい。いや、なんとなく、その。ああ。
残業44,631円。休日出勤13,769円。アレしてナニして手にするのが181,106円。
Mac OS X対応になったiCab Pre2.2を取ってくる。CarbonLib 1.0.4があればMac OS 9でも動くらしい。そんなわけでCarbonLib 1.0.4も取ってくる。はじめてCarbonで動くアプリケーションを動かした。ちゃんと動く。Mac OS X PBで動かした場合に問題とされている、日本語入力に関してもわたしの環境ではちゃんと動作した。ただ、ウィンドウ上方に横並びになった、「戻る」だの「リロード」だののボタンが小さすぎて見にくい。
追記。アイコンは大きくできる。
[1]弟が「King of Fighters '99」のDC版が中古で1,980円で売っていたから買いたいという。わたしに500円出して欲しいというから、駄目だと答える。
[2]息子が、渋谷で豪遊すると言ったから月に40万円渡した。少し覚醒剤も買ったようである。
あたしゃ、息子が覚醒剤を使っていたことぐらいで舞台を降りる俳優はどうかと思う。むしろ、わたしの半年に一度の賞与と同じ額を働かずに毎月得ていた高校生への嫉妬ときたら半端ではない。わたしには幼いころから、生まれながらの貴族への嫉妬心がある。うらやましいのではなく、憎い。わたしの最期は国会議事堂に爆弾っぽいものを持って押し入って窓から顔を出した瞬間に400メートル先から警官に右目を狙撃されて死にたい、と思うのと同じぐらいの強さの憎しみがあるのを思い出す。
まあ、嫉妬心なんて自分勝手なものだから、わたしだって誰かに憎まれたり嫉妬されても仕方がない。で、自分では石をぶつけられるほどの罪深さはないと勝手に思っている。
弟と両親が夏休みに母上の実家へ行った。そこで母上の弟一家に会ってきたらしい。母上の弟は金融関係のお仕事をしちゃったりしていて、それだけでわたしの嫉妬心はかなりのモンである。証券会社を追い出されて、いまいる会社は年に何十パーセントもの利子を取るアレである。そこで、集めた資金の運用を担当している。ああ、なんと高級なお仕事。
そこの娘っ子がエラいことになっているんだそうである。弟の報告によると、部屋はおもちゃの城となっているらしい。叔父一家の家だけではない。母の実家、つまり娘の祖父母にあたる家にもまたおもちゃの城を構築しているらしい。わたしはずいぶん大きくなってから自力でおもちゃを買い集めたけれども、娘っ子の持ち物はそんなものの比ではないらしい。ああ。つい報告がおろそかになってしまいがちなのが息子の存在である。そんなわけで2人分のおもちゃが山をなしているんだそうである。
いっしょに回転寿司屋に行ったら娘っ子は寿司を食べずにずうっとプリンだのゼリーだのを食べていたらしい。寿司を食えよ、寿司を。寿司は栄養あるぞ。甘やかされて育った娘っ子は性格がえらい悪かったりするのかというとそんなことはなくて、素直でさらにえらいかわいいというのだから、この嫉妬心はどこへやればいいのだろう。ええおい。
夏休みまんが大会に行った後に母の実家へ追いかけて行っておれば、娘っ子にデジモンの名前を舌足らずな声で言わせられたものを。ああ。惜しいことをした。いまはけがれを知らぬ6歳でも、あと2年も経てば教室でもまれて性格もとんがってくるだろうて。ふふ、ふふふふ。
貧乏が板についている割にはお金を大事にしていなくて、実のある使い方ができない。豊かになるのが恐いのだろう。
昨日はMac OS X Public beta(略してMOSX PB)のCDが届くってんで早く帰りたかった。……のだけど、図面を渡した後のいまでも回路の修正が出ていたりなんかして、こうなったらえいやっとばかりにAlteraで作るFPGAの石も書き換えちゃえってなことになって、さらにさらに接続情報、そっち用語ではネットリスト、を調べていたらつながっているはずの線がつながっていなくてどうなってるんだオイってなてんやわんやぶりを見てしまい、結局午後10時まで職場にいた。向こうは向こうで、まだ部品のレイアウトを検討している最中で詳細設計には入っていないという話なんで、CADデータ総入れ替えってなことで決着する。
帰って、12時ごろからえんやこらとMOSX PBをインストール。インストール自体はなんの迷いもなく終わる。で、動かしてみる。で。……なんじゃこりゃあっ(再)
なにをしたらいいのかさっぱり分からんのである。いかに、いままでApple menuに依存していたかが分かる。とりあえず誰かにMOSX PBを入れたという報告をしようと思う。そのためには外に出て行かねばならない。PPP接続の設定をするツールがあるらしいのだけどさっぱり見つからない。Mac OS Xのヘルプというものがあって、そこで探し当てたのだけど、そのツールがファイル階層のどこにあるのかということはいまも分からずじまい。
で、ダイアルアップ接続を試みるも、相手先は接続中であるというメッセージが出ていつまでたってもつながらない。常用のISPがいくらなんでもここまで混んでいるとは思えないので、こっちの設定を疑ってみるのだけども、その他の設定がどこにあるのかさっぱり分からない。失意のままこの日はあきらめた。
iCab for Mac OS Xはローカルのファイルを見る分にはちゃんと動いてくれている。日本語入力の問題についてはまだ調べていない。常用のメーラPostino ClassicはClassic環境でちゃんと動いてくれた。が、どうにもこうにも外への接続ができないのでちゃんと使えてはいない。
そんなわけでMac OS X PBを使用中。
何度やっても「PPP Connect」で常用のISPにダイアルアップ接続できない。で、よく考えてみたら、電話をかけるときの「パルス」と「トーン」のどちらを使うかという設定がないではないか。ウチはパルスの方である。ひょっとしたらこれが原因かもしれない。
で、確証が得られぬままにNTTに電話してトーン回線に換えてもらった。工事費2,000円。月額使用料390円増額。電話をかける作業がパルスにくらべて早くなるからいつかはトーン回線にしようと思っていたのだけど。それにしても、いまモデムがパルスで電話をかけようとしているのかトーンでかけようとしているのか分からないというのはひどい。どういうわけかMOSX PBでは電話をかけるときに音を出すことができないので分からないのだ。
NTTに申し込んでから待つこと2時間ばかし。トーンで電話がかけられるようになった。で、PPP Connectで接続を試みると、つながるのである。トーンでしか電話をかけられないのなら、なぜ紙の薄いマニュアルだとか、PPP Connectに関するHelpなどにそう明記しないのか。このような仕様についての記述はどこにも見つからなかった。電話をかけるときに音が出ない問題と合わさって、問題の所在をひどく分かりにくくしている。
メーラのPostino Classicは起動はするし、すでにローカルに保存されているメールたちを読むことはできるが、外につなぐことができない。つまり、使えない。Carbonで動くiCabはちゃんと送受信ができることを考えると、通信のための出入口がClassicとCarbonでは違うのだろうか。あたしゃ、メーラは着信メールの自動振り分け機能があればだいたいいいと思うので、標準でついてくる「Mail」がそこそこ使えるようなら移行するかもしれない。
これで、あと印刷ができればいいのだけど、キヤノンがドライバを書くなりなんなりしてくれないことにはどうしようもない。
東京に行った。二つ目的があって、それぞれ単独だとわざわざ遠出をするほどの理由にならなかったのだけど、二つくっつけて無理矢理東京まで行く理由を作った。一方の理由は池袋の「コミックレヴォリューション28」でどれみさんな本を探すこと、他方はがっこのころの連中で集まるというもの。
午前7時50分出発。9時20分大阪空港着。9時40分搭乗。10時40分羽田空港着。池袋のでっかいビルに着いたのは12時ごろだった。
わたしはカタログなんか持っていなくて、サンシャインシティのどこに行けばいいのかさっぱり分からない。なんとか「文化会館」という建物に展示ホールだったか、そんな名前のフロアーがあるということが分かったのでそこを目指した。ああ。なるほど、通称で「したの間」「まんなかの間」「うえの間」と呼ばれているのは2階から4階までのホールを順に指しているのか。わたしはぽんさんに教えられていたとおりに「うえの間」を目指し、エレベーターで4階まで行く。
一度エレベーターが2階に止まったとき、一緒に乗った2人組の片割れが「たいしたことないな」とつぶやいた。なんだか知らないがたいしたことはないらしい。またエレベーターは動き出して、3階には止まらず通過する。一瞬騒がしい音の層を横切った。そして「ああ、3階は『死んでる』な」と続けた。さて4階は彼らにどう映ったかはわたしは知らない。
しかしまあ、わたしにとってはえらいことである。2つのえらいことである。ここは4年前の春にペットボトル屋と一緒に来たところではないか。なんだか見覚えがある光景だと思ったら、今日はうさぎしゃんのミュージカルのファン感謝イベントではないかー。着飾った4歳ぐらいの婦女子がわんさか。わたしはまんが大会ではなくこっちに行くべきではないか。
というのをぐっとこらえて、もう一つのえらいことになっている空間に向かう。なんという人口密度。東京というのは恐いところである。都会のまん中の、それも高いところに、有明のビッグサイトで見なれたあの光景が再現されているのである。東京ってところは、この存在が許されるのか。確かに昼間の池袋はとんでもない人出だけれども。そんなことは言ってもあたしゃ傍観者ではなく参加者なので、カタログを500円で買う。えらく愛想のいい人がおつり9,500円を数えて渡してくれた。
ふらふらと歩きながらどれみさんな本を買って回る。1時間ほどうろうろしていると、いくら目をこらしても買うものが見つからなくなる。で、カタログを頼りに今度は「したの間」に向かう。まあ東京ってところは恐いところである。フロアー間の移動は制限が多く、一筋縄にはいかんのである。あんまり人手が多いために取られる措置なのだけども、地図に「うえの間」「まんなかの間」だとか書かれていても、あたしゃコミックレヴォリューション初心者なもので地図の見方がよく分からんのである。迷って結局1階まで降りて外に出てから出直しである。2階に登った。
2階も4階と同じような雰囲気だった。で、同じようにふらふらと歩き回って本を買う。いままで夏冬のまんが大会と「ぷにケット2」と「MAHO堂大バザール♯」と、これだけ顔を出していても買えないどれみさん本ってのは存在するようである。MAKE UP PROJECTというところから出ている「本日開店!」という本を既刊もまとめて3冊全部買ったら少し驚かれた。去り際に「こんなのって何十回にいっぺんだよう」と相棒に言う声が聞こえた。こっちだって、そんなに感謝されたのは何十回にいっぺんだよう。
午後1時50分ごろ。「うえの間」「したの間」とめぐって、もう買うモンはなかろうと思い、ぽんさんを呼んでみる。で、またなんとも一筋縄にはいかないアレやコレがあってやっと遭遇。とりあえずぽんさんの紙袋はエラいことになっているのを確認。わたしの夏冬のまんが大会1回分は40冊ぐらいなのだけど、それよりも多いと一目で分かる。わたしは十数冊。さてぽんさんの、あずまさんに見せたいものが気になるところである。ぽんさんがわたしに、電話をかけてみろという。ぽんさんの電話にかけると、ぽんさんの電話器から「おジャ魔女はココにいる」が流れる。
あはははは。これだけかー。これだけなのかー。最近のハイテク機器はすごいモンである。3和音である。全身の力が抜けていく。あはははは。「あなたもアホですなあ」と2回叫んだ。そのあとキサキチさんも加わってごあいさつ。また例によってやたらと範囲の広い本を買っているのを確認。そのあとキサキチさんは買い物の続きへ、ぽんさんはどこか別のところへ、わたしは次の用事へと去っていく。
別件の方は、この日記の作者の身元がアレしそうなので書かないでおこう。そろそろまずいような気がしてきた。そのあと、この日のうちに帰るのをあきらめて午後11時頃まで飲んでいた。さらにそのあと、コインロッカー探し大作戦に入る。1人が新宿のコインロッカーに荷物を入れたのだけどどこのコインロッカーかが分からなくなったんである。だだっ広い新宿の駅を歩き回って12時ごろに新宿西口の地下広場で発見という知らせ。お巡りさんに聞いたらしい。
そのあと、先輩Aの家に寄ってだべる。ゲーム機がわんさか。最近のものでは64とDCとPS2がそろっている。で、壁をみると「カードキャプターさくら」の劇場版のポスターが貼ってある。ああ。なぜ。
しばらく会わないうちにはまってしまったようである。今世紀最高の映像作品らしい。はあそうですか。日本一の映画らしい。へえそうなんですか。さくらさんはかわいいし話も最高だそうである。「はじめておたくの世界ってのが分かった」とおっしゃる。さくらさんにはめろめろな様子である。2年前にラーメン屋でこの人に「あずきちゃん」の魅力を尋ねたのを思い出した。
わたしはさくらさんはTV版を第1回だけ観てもうやめた、と正直に言った。「おジャ魔女どれみ」なら観ていると言ったら、その人の他にもう一人、先輩Bも観ていることが判明。2人ともおんぷちゃんがいいらしい。ああ。ああああ。
さらにそのあと、別の先輩Cの家に厄介になって野球のカードゲームを始める。のだけど、野球の対戦は2チームでやるものなので、先輩BとCが遊んでいる間はすることがない。なかなか終わらないので風呂に入って寝た。奥さんっぽい人にはえらく世話になった。
朝8時過ぎに起き出して新幹線で帰る。ちょっと張りこんで「のぞみ」に乗ってみる。700系にははじめて乗った。700系はいい車両でさすがに揺れない。揺れないのだけどまったく寝られなかった。
これから出勤して仕事する気なんか全くなし。午後1時に帰って寝る。
起きる。読書大会開始。意外や意外。いや失礼、関せんせい本が面白かった。「あんきも工房」というところから出ている、なぜか関せんせいが不幸な目にあう「もえろ!! イイ女」と、なぜか酒乱の関せんせいがあいちゃんを襲ってしまう「大阪で生まれたオンナや堺」という本。ダサい題名にだまされておったわ。関せんせいの壊れっぷりがよい感じ。件の「本日開店」は最もちゃんとしたギャグまんがであった。ページ数が少なくてもいちいち見せ場を用意してくれる。
どれみ本11冊でどれみ率92%。そのうちナニな本3冊でナニ率27%。加えてクレヨン王国本1冊でクレヨン王国率8%。ナニな本1冊でナニな率100%。合計12冊でアレな率33%。遠出のわりに12冊とはちょっと少ない。あと1時間早く来て、他のフロアーにも行くべきであったか。
出社しても仕事する気なし。なのだけど、どうも昨日わたしが会社を休んで寝たり読んだりしている間にまた回路に修正が入ったらしい。うへー。もう勘弁してくださいよう。今週は金曜も休みだから3日しか出社しないことになるから、もうちょっとるんるん気分でいてもいいはずなのだけど、まったくやる気がない。どうもこっちの工場に職場が移ってきてから気が重い。前にいたところでは見えなかった会社のいやな部分を、抽出して濃縮して液体にして空気中にまいているみたいだ。人ばっかり多くて事務処理は非効率。いやなところに来た。
午前2時ぐらいに揺れた。また鳥取が震源ならかなりまずいことになっているかもしれない、と思った。TVを見た父の話では、どうも愛知県の方らしい。今日の朝新聞を見ても書いていないし、テレビをつけてももう時間が遅いので三田佳子の子供が覚醒剤を使ったとか、デミ・ムーアが離婚しただとか、そんな情報しかない。デミ・ムーアの離婚申請書の署名はdeとだけ書いてあった。デーブ・スペクターは、ホントはこんなんじゃ認められないんですけどね、と言った。まあ、この調子だから地震はたいしたことはなかったのだろう。会社でwebで調べて、震源は三重県だと分かった。
一昨日、大阪空港に行く途中、京阪線の駅でカードを買った。ここいらへんの鉄道会社の多くで共通で使えるというアレである。そしたらば。ついに黄色いカードが出てきた。スルットちゃんカードが出てきた。ずいぶん待った。これでもうちょっと、絵の種類があれば。いかにもPostScriptな無機質な絵柄しかないのもちょっとアレだ。あと、8歳という設定はいかんなあ。
[1]少年審判の原告は法廷でなにが起こったかを知らされないが、新聞記者には知らされる。
[2]ウチの会社はなにか問題を起こしたとき、会社は社員にはなにも説明をしないが、新聞記者には説明をする。