千田好夫の書評勝手

350万円の壁

まず、次の項目にあなたはいくつ当てはまるか、ということで本書は始まる。

  1. 年収が年齢の十倍未満
  2. その日その日を気楽に
  3. 自分らしく生きる
  4. 好きなことだけして生きたい
  5. 面倒くさがり、だらしない、出不精
  6. 一人でいるのが好き
  7. 地味で目だ立たない性格
  8. ファッションは自分流
  9. 食べることを面倒くさいと思うことがある
  10. お菓子やファーストフードをよく食べる
  11. 一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
  12. 未婚

さて、本書を読んでみようと思ったのは、障害者自立支援法の350万円の壁である。

この法律は、350万円以上の資産や80万円以上の年収のある自立支援費の利用者には原則一割負担させ、資産や年収について虚偽の申告をすれば30万円以下の罰金に処するというものである。

それは「受益者負担」からして当然だろうか。でも、利用者は自立支援があって初めて生活が成り立つのであり、決して「受益」というようなものではない。もし障害がなければ、これは支払う必要のないお金なのだ。

さらに、これは二重におかしな話だ。第一に、福祉制度は社会の安定のための制度で、その根拠は基本的人権・生存権によって裏打ちされているというのが、近代国家の建前だ。つまり、一部負担にしろ福祉を金で買うのはおかしい。

第二に、利用者は障害のために余計な出費がかかる上に、主な収入源は60〜80万円ほどの年金という人が圧倒的に多い。それなのに、預金が350万円以上あれば負担しろと財務省と厚生労働省の官僚はいうのだ。障害者と親が細々と老後の備えに貯めたものを、負担の口実にしている。

あげくに「タクシー運転手の平均年収は350万円だからね」と言っているという。それはタクシーの運転手さんが低すぎるだけで、弱いもの同士をいがみ合わせておもしろいのだろうか。

しかし、ここではたと思い当たった。この350万円の壁の根拠は、障害者だけを見ていてはわからない。この数字は、小泉「改革」で国民の間の格差が拡大したことと何らかの関係があるのだろう。それで、本書を読んでみたのだ。

日本人の階層意識では、高度成長期には国民の6割が「中の中」を自認していたが、近年は5割近くに下がり、その分、「上」「中の下」「下」が増え、真ん中が減って二極化する傾向が見られる。実際にも全人口の4分の3は総所得の4分1しか得ていない。本書では、「中の下」以下を「下流社会」と名づけ、様々な公的調査や自らのアンケート調査を駆使して日本人の意識や動態を分析している。

そこで、冒頭のアンケートだが、これに半分以上当てはまる人は「かなり下流度が高い」のだ。その特徴は、食うに困るほどではが、定職や趣味はなく、所得は伸びず下がり気味。だが、なんといっても肝心なのは、コミュニケーション能力と働く意欲に欠けることである。この1から12までをみてみると、家に引きこもりスナック菓子を片手に一日中テレビゲームに興じる「ニート」の姿が浮かび上がる。世代別では、「団塊ジュニア」に多く見られる傾向という。年収は300万円程度。

これが400万円を超えると、急に既婚率が上がり、子どもを産み育て、持ち家志向に、つまり上昇志向に転ずる。夢はホワイトカラーの管理職、高給取りの亭主と専業主婦に勉強のできる子ども。生活様式は多様化したが、価値観は変わらない。いわゆる「勝ち組・負け組」はこれで判断される。そして中流の子は中流に、下流の子は下流にと、格差は固定される傾向にある。

ここで「正規職員として真面目に働く中流と、非正規職員としてだらだら生きるしかない下流の対立」が生じてくる。「国富」を稼ぎ出しているのはおれ達なのに、お前たちはぐうたらして「内需」にしか寄与できない、というわけだ。(断っておくが、この本の著者がこういう「下流社会像」に賛成しているわけではない)

中流の「上」である財務省・厚生労働省のお役人は、このイライラを300万円と400万円のちょうど中間に線を引いて示しているのだろう。しかし、これは年収ではなく、たかだか預金なのだが。

そうとでも解釈しなければ、障害者の実態を無視した「自立支援法」という自立阻害法が出てこない。予算が足りないとか、他とのバランスとかではなく、障害者の自立というものがどうすれば可能かを考えるべきなのだ。