千田好夫の書評勝手

歴史感覚と日常感覚

今年の障害者国際交換プログラムには新機軸がいくつもあった。その一つが、バリアフリー上映会だ。作品は『猟奇的な彼女』という韓国映画で、おもしろい恋愛物語だ。といってしまうと不満のある向きもあるだろうし、バリアフリー上映ってなんだという疑問もあるだろうが、ここでは残念ながらそれらにはふれられない。

思えば、韓国と日本は非常に近いにもかかわらずお互いの事情をあまりにも知らないと、画面を見ながら考えていた。そこで上記の本を読んでみた。

映画の中で注目したいのは、この映画の画面で見られた日本社会との共通点である。街の風景の中で古い建物はもちろん韓国風だが、新しい建物は香港などよりもずっと日本と似ている。地下鉄は見た感じは同じだ。なんといっても、駅のホームには点字ブロックがある。乗客の乗り降りの様子、「儒教」の国といわれるのに年寄りに席を譲らない若者、自己主張が強いといわれながら見て見ぬ振りする人たち。それは居酒屋でも同じだ。

似たように思われる部分には、共に欧米化・近代化を経験しているところと、共に東アジアのはずれにあるもの同士ということがあるに違いない。それに加えて、お互いの影響というものがある。画面で日本の影響とはっきりしているのは、点字ブロックと剣道場だ。主人公の彼女と彼が面を着けて竹刀を打ち合うのは、日本の道場そのものだ。この場面には驚かされた。柔道ならわからなくもないが、かつての日本植民地支配の武断政治を思わせる剣道がなぜ? と思ってしまう。とにかく、大衆娯楽映画の中にプールやテニスの室内練習場などと並んで出てくるのだから結構普及しているのだろう。

他方、この本には現代の事情を説明するものは出てこない。そのかわり、古代から新井白石あたりまでは詳しい。江戸時代の初期までは一貫して韓国の方が経済的、文化的に日本をうわまわっていた。韓国が豊かだったからこそ、和冦も秀吉も侵略に出かけたのだ。それは本書に出ている当時の貿易品目を見ればわかる。韓国からの輸入品は、木綿、織物類、大蔵経などであるに対し、日本からの輸出品は銅、硫黄、刀剣、香料などであった。そればかりではない。和冦や秀吉は物だけでなく、技術者や農民を直接拉致して日本の産業発展に従事させたのであった。当時の日本は原材料を主に提供する発展途上国であった。

このような彼我の関係が逆転するのは、江戸時代の平和の到来と産業の発展によってであった。実に日本の石高は1800万石から2600万石に増加している。さらに、豊かだった韓国が日本に後れをとるようになったのは、秀吉の侵略で国土が荒廃したうえに、清の徹底的な侵略を受けたからでもあった。韓国はそれまでは明を宗主国として仰ぎ、清を夷狄(野蛮人)として見下していた。明が倒れてからも清の侵略に抵抗したのだ。唐や元の時もそうだったように、結果的に韓国の抵抗のおかげで日本は大陸からの侵略を免れたのであった。

普段、私たちはそのような歴史感覚をもっていないし、日常的にもお互いの事情に注意していない。たとえば、韓国の都市名をいくつ言えるだろう。中国や欧米の都市名はたくさん知っている。省や州といった地方区分も知っている。しかし韓国の道名は知らない。それは韓国でも同じなのかもしれない。この事実は、隣国同士なのに不幸なことだ。

現在の両国関係の基礎となっているのは1965年の日韓条約であり、それには日本の戦争責任と植民地化への謝罪がなく、また日本に利の多い不透明な条約であった。しかし、この本で紹介されているように、和冦や秀吉の侵略の後で足利義満や徳川家康が両国関係の修復と国交正常化に動き、それは両国人民の生活の安定と貿易再開をめざしのであった。やればできるのである。隣国同士という歴史感覚と日常感覚を当たり前にもっていきたいと、この映画と本を通して考えさせられた。