ピープルファースト大会 in 沖縄(2)
ちばりよー!(がんばれ!)
ピープルファースト大会 in 沖縄に行ったことPart II
名刺を配って、知らない人に渡す。那覇空港からタクシーでいった。沖縄料理「アグー」で孝広とミッチーの二人でお昼御飯を食べた。タクシーで那覇市民会館に行きます。南部共同無線・明星タクシーのトヨタ・コンフォート。
分科会に来る事。福岡県のカリタスの家で熱湯入りのコーヒーを飲ませた。ボクシンググローブで殴る、など、全体会が終了し場所を移して交流会へ。交流会は立ち食いパーティーのような感じで、福田君は食事を済ませると名刺交換をすぐに始めていてあっという間に百枚ずつ名刺を配っていた。
(※編注:このあたりの文章は前号の三谷君の文章を読みパクッタ様子。前号参照(笑))
交流会の後、かりゆしホテルへ移動。
翌日、朝御飯を食べて、ホテルを出て、看護大学へ行く前にタクシーに乗る。
那覇市民会館へ移動。「自立支援法反対!」「厚生労働省はなんでこんな法律を作ったんだ!」「自己負担がとられて生活が出来ない!」「障害者自立阻害法だ!」と言った当事者の方の怒りを聞いた。
(※編注:ここも、パクリだ〜。那覇市民会館は1日目だろ〜〜。2日目は看護大学だろ?)
来年は広島大会です。二日目終了後、お弁当を食べて、お茶を飲んで、食べた後塵箱へ。タクシーで那覇空港に行きます。
ペンギン無線・津嘉山タクシーの日産・クルー。
羽田行きの飛行機に乗る前にお土産を買い、沖縄そば煎餅、沖縄パックンチョなどを買いました。
全日空ボーイング777型機・羽田行き。
羽田空港に到着後、荷物を忘れずに。
エアポート快速特急・都営5300型車両羽田空港〜成田行きで品川へ。
品川から山手線渋谷・新宿方面で目黒で東急目黒線に乗って、ミッチーさよなら。
カンパありがとう。
始めまして、福田孝広です。何歳?34歳です。
13年前の1993年3月3日(水)に港工業高等学校を卒業。
卒業後、12年前の1993年9月26日に柿のたね就職を決意とした。
大井町でフラフラ歩いたらダメ!
「柿のたね」は1986年8月にできました。きっかけは、学校を卒業してしまうと地域の中に障害者の居場所がなくなってしまうという現実でした。そんな障害者と健常者が出会いともに生きる場として、そしてリサイクルをもう一つの軸として発達した柿のたね。
10年前の1995年7月24日(月)に毎日新聞学芸大学店の新聞配達をやりました。
女の人の顎覗きこんだらダメ!
自転車のタイヤがパンクしたり、雷が鳴った事もありますね。
お客さんの古紙回収や段ボールを縛って裏に入れる。
信号無視、配達中に雨が降る、雨が降ったら合羽を着る。
夏合宿、スキー合宿、たけのこ狩り、ピープルファースト…。
6年前の8月3日(火)にビルの清掃を始めます。レインボージャパンで朝8時から10時まで、
段ボール、新聞、雑誌など、ゴミはギュウギュウ詰め、外・内のガラス拭き、コーヒーセット、テーブル拭き、椅子拭き、中の雑巾掛けなど、汚い雑巾はごみ箱にいれる。ペットボトル・空き缶はゴミ置き場に入れる。
2Fの拭き掃除、事務所の拭き掃除、丸いテーブルの拭き掃除、椅子のコロコロ…。
レインボージャパンが終わったら柿のたねに行きます。アルミ缶潰しや床のお掃除、トイレの掃除をします。
お昼御飯は12時に食べます。御飯の後3時から毎日新聞学芸大学店に行きます。
何軒?100軒新聞配達をします。
3年前柿の木ハウス1週間自立練習をしました。邦ちゃんは32歳の時自立生活になりました。
35歳になったら孝広は自立生活をします。
2日目。二日酔いになることなく朝を迎えました(笑)。F君と朝食をとり、ピープルファースト in 沖縄に参加した、大きな目的である分科会「地域生活支援」に出席しました。沖縄県立看護大学に9:30に到着して分科会が始りました。まず初めに、ピープルファースト北海道の藤田さんから、ホームヘルパー・ガイドヘルパーを使い、一人暮らしをしているという話を聞き、藤田さんからは、障害者自立支援法に移行してからは、自己負担が発生して生活が苦しくなった、また、今後も当事者自身も障害者自立支援法について勉強をしなければいけない、という話しをききました。また、印象深かったのはその話のあと、自由時間になり、「どなたか発言をしたい方は?」と司会の方からあったので、F君が挙手をして、みんなの前で発言をしました。F君が「35歳になったら自立します」と話すと、会場からは拍手が起こり、「一人暮らしがんばれ!」と声があがりF君も自立生活をするという感じで意気込んでおられました。分科会終了後僕がF君に自立生活しますかと聞くと「自立生活35歳でする」と答えられました。
分科会が終わり、閉会式に。会場に集まった人がピープルファースト宣言「人間らしく生きる権利があります」「許すな虐待、見逃すな人権侵害」「私たちに関することは、私たちに関することは、私たちを交えて決めろ」「新しい未来に向かって立ち上がろう。わたしたちはしょうがいしゃであるまえに人間なんだ」を会場が一体となって読み上げ、あちらこちらから拍手が起こり、「虐待許すな」「わたしたちは人間なんだ」という声があがり、それを聞いたF君も握りこぶしを突き上げて「許すなー」と真剣なまなざしで話されていました。閉会式は無事に終了しました。
今回ピープルファーストに参加して感じたのは、「地域生活で自立生活をする」ということでした。当事者のかたで、入所施設に入り虐待を受けた方がたくさんいて、なお虐待が続いている、本人の意思ではないのに地方の施設に入る、地域で必要なサービスが受けられない。F君の話しを聞き、当事者の方が自立生活をすること、例えば自分が食べたいものをたべる、当たり前のことといえば当たり前ですが、そのような選択ができない現実がある。また、「障害者自立支援法」と聞こえはいいですが、「障害者自立阻害法」といわれるように、1割の自己負担・いまだ地方に住んでいる方はサービスを受けられない(都市部と地方でサービス格差をなくすはずでは?)、そのことを受けじゃあ自立とは?といいたくなります。ここ3年間で22万人の高齢者が入所施設(昨今高齢者の施設でも色々な問題がありますが…)に入り、また、障害者自立支援法は今後介護保険法に統合されるかもしれないといわれていますが、地域で生きることの選択をすることとはなんだろう?と思いました。だからこそ、自分が働いているはちくりうすで何ができるのかな?とあらためて考えさせられました。
あっという間に過ぎた1泊2日のピープルファースト全国大会 in 沖縄でした。観光をする暇なかったのは残念(><)ですが、新しい出会い、またいろいろ勉強になりました。先月・今月号の通信を読んでいただきありがとうございました。ピープルファーストまた、自立生活とはなんだろう?と考えてくださった方がいたらとても嬉しいです。ではでは来年のピープルファースト in 広島でお会いいたしましょう。