1991年のクリスマスは、イスラエルで過ごす機会が与えられました。その年の秋は、例年より雨が多かったので、緑がきれいで、お花がいっぱい咲いていました。しかし冬が寒くて、雪がほとんど見れない地方にもちらっと雪が降りました。
ヘブル語の先生ハッヴァ・ヤロン(撮影V.ソベリ)
寒さのせいか、ちょうどクリスマスの前に風邪をひいてしまい、住んでいたキブツの小さい部屋で、高熱を出して寝たっきりのクリスマスを過ごしました。
イブの日、私のヘブル語の先生ハッヴァさんがお見舞いに来て下さいました。エルサレムからお土産にと買ってきてくださったお皿に、お菓子と果物のプレゼントをのせて持ってきて、そしてベツレヘムの生誕教会からクリスマス礼拝がテレビで放送されることを教えて下さいました。
ドイツで生まれ育ったハッヴァさんは、自分が無神論者であると言いながら、クリスチャンのクリスマスをよく知っていました。私にとってクリスマスの天使のような存在でした。
雪に埋まったクリスマスのバラ(撮影V.ソベリ)
キブツの家の前で咲き始めたクリスマスのバラが、40年振りの雪に埋まってしまいました。「ばら咲きいでぬ…つめたき冬の夜はしずかに」と、私たちは主イエス・キリストの誕生を感謝して歌います。イエスさまは、ユダヤ人のためにも、日本人のためにも、私たち皆のためにこの世にお生まれになりました。クリスマスおめでとう。