教会暦では、ペンテコステ、聖霊降臨祭のあたりにそれぞれの聖書日課が伝道ついて語っています。弟子たちが、主イエスの復活の証人として、信仰の中心地であったエルサレムからユダヤとサマリア地方、そして「世界の果てまで」派遣されたのです。
ペトロはエルサレムからリダ(現在ベン・グリオンの飛行場で知られている)に渡り、そこからヤッファに呼ばれました。ヤッファでタビタという婦人の弟子が病気で死んだので、ペトロの祈りによって彼女が生き返られました。(使徒言行録9:32以下)
ヤッファの旧街道
ヤッファの旧街道はとても美しい町です。一番古い建物が紀元頃のものであると言われます。昔の風土が残された小路を歩き回ると、ペトロがこの小路を急ぎ、タビタの家を訪ねた姿が目に見えているようでした。
ペトロの足跡をたどって
古い家の壁には「ヤッファの港へ」という標識があります。海岸の方へ歩いて見ると、北の方にはテル・アヴィーヴの大都会が見えます。ヤッファからペトロの伝道旅行が北へと向いました。カイサリアに呼ばれたペトロは初めて外国人に福音を伝え、コルネリウスの家族に洗礼を授けました。(使徒言行録10章)
ペトロの旅がここから外国人の方へ向いました。ここは世界伝道への一つの門であったと考えると、心が喜びと感謝でいっぱいになりました。(V.
ソベリ)