聖書の学び-使徒言行録
初代の信仰に学ぶ

No.6

どうしたら良いか?
(使徒言行録2:38)

 

   ペトロは彼らに言った『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名に
  よって洗礼を受けなさい。そうすれば賜物として聖霊を受けます。』

 ペトロの説教を聞いた人々が心を打たれ、「どうしたら良いか」と問い始めました。彼らの多くは、数週間前にイエス様の裁判を見てきた人達でした。その時彼らは「十字架につけろ」と大声で叫んで、イエス様が死刑にされるのを求めたのです。しかし、イエス様は神様の元から来られた救い主であることを彼らが今信じるようになりました。それで、イエス様をを殺した自分はどうして聖なる神様のみ前でたつことができるでしょうかと、彼らの心が恐怖や絶望に満たされたのです。
 

 ペトロは、絶望に陥った人々に信仰への門を示して下さいました。それは悔い改めと洗礼です。悔い改めは自分の罪に気づかされ、それを悲しんで告白し、神様の元に立ち返ることです。真の悔い改めは、自己嫌悪や絶望に終わることなく、それに罪の赦しを信じる信仰が伴っています。イエス様を殺してしまった人々にも、悔い改めの道があったのです。
 

 イエス様ご自身は宣教を始められたとき「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣言されました。福音を信じることは、主イエスがもたらした罪の赦しに寄り頼むことです。この罪の赦しは、目に見える形で洗礼の時与えられます。洗礼の水をもって、神様は私たちの心を全く罪がなかったかのように、清めて下さいます。聖霊の賜物は、この素晴らしい贈り物を子供のように受け入れる信仰なのです。

 洗礼の時、私たちの額に十字架が記されます。それは、神様の印鑑です。私たちは神様のものとされるのです。疑いの時も、「私は洗礼を受け、神様の印鑑が私におされました。私は神様のものですので、見捨てられることはありません」と確信できます。


学びの最新ページへ