聖書の学び 2月 

「インマヌエル、神は、我々と共におられる」

マタイによる福音書1:21−23)

 「『その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてぼことが起ったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は『神は我々と共におられる』という意味である。」マタイ1:16-17

 

 表題に載せた一句は、新札幌教会の今年度の主題です。「神様は共におられる」という素晴らしい約束は聖書全体を貫く考えだと言えます。たとえば旧約聖書にはヤコブの話しがあります。ヤコブは、父親と兄のエサウをだまして、長子の特権と祝福を奪ってしまった狡い男でした。兄の怒りを逃れて家出し、途方にくれた時、神様ご自身は夢の中でヤコブに現れ、「共におられる」と、約束してくださいました。神様は、その時からヤコブを導き、いろいろの経験を通して信仰を育て、み恵みによってヤコブを新しく作り替えてくださいました。

 

 また後、イスラエルには恐ろしい敵が襲って来た時代がありました。アハズという王様の心が神様から離れてしまい、国が危険に追い込まれました。しかし、神様は自分の民を忘れることなく顧みてくださったのです。イザヤという預言者を通して、民を救う方を起こしてくださると約束され、この救い主は「インマヌエル」と呼ばれました。

 

 それから新約聖書の時代が始まりました。天の御使いがヨセフに現れ、民を罪から救う方、イエスがお生まれになると予告されました。このイエスこそ、約束された救い主「インマヌエル」であることを聖書が教えています。イエス様もまた、同じ約束のみ言葉をご自分を信じる弟子たちに残されました。復活されたのち、主イエスは弟子たちを派遣して言われました「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。…わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」これらの聖書の約束が私たちにも与えられたものと信じて、この一年間を喜んで教会活動に励んでいきたいと思っています。(V.ソベリ) 


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