聖書の学び-使徒言行録
初代の信仰に学ぶ

No.20

  ステファノの説教 IV:イスラエルの背き
(使徒言行録7:39−38)

 「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。」

 ステファノの説教は、イスラエルの歴史の話で続き、緊張感の極みに達しています。
 

 イスラエル人は、多くの困難を乗り越えて、エジプトから解放されましたが、心がまだ自立していませんでした。荒れ野の厳しい生活に次々と不満を漏らし、エジプトでの虐待を忘れてしまい、国の豊かさに心が捕らわれていただけです。その結果、民はモーセを離れ、真の神様をも離れてしまい、エジプトの偶像の神々である金の子牛を拝み始めたのです。
 

 それでも尚、神さまは自分の民を憐れみ、モーセの執り成しの祈りを聞き入れてくださいました。もう一度民の中に下り、導いてくださいました。モーセの指導により礼拝する場所として幕屋が作られ、新しい礼拝が始まったわけです。神さまがその幕屋の中でご自分の栄光を現してくださった話は、旧約聖書出エジプト記40章に記されています。
 

 ダビデ王の時代まで、イスラエル人は幕屋で礼拝を守りました。ダビデは神殿を建てる準備を始めたのですが、実際に建てたのはソロモンでした。幕屋が出来た時と同様に、神殿も礼拝が始まると、主の栄光に満ちたのです。
 

 荒れ野の生活の中で、幕屋が出来た頃、神さまが礼拝において民の生活の中心におられました。ところが、イスラエル人の心に次第に誤った信頼が生じました。神殿は主なる神の住まいであるので、主が必ず自分の民を守ってくださると人々が信じ、それで満足していました。しかし彼らの心が神さまを離れ、生き方も神さまのみ心に背いてしまいました。
 

 神さまは、自分の民イスラエルを愛し、守り導いてくださったのに対して、民が神さまに対して大きな罪を犯したとステファノが訴えました。
 神さまは、礼拝をする民と共におられ、ご自分に従う人の心を住まいにしてくださるのです。


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