聖書の学び-使徒言行録
初代の信仰に学ぶ

No.19

  ステファノの説教 III:エクソダス
(使徒言行録7:17−38)

 「わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。」

 ステファノは、最高法院の前で訴えられた時、イスラエルの先祖たちの歴史を挙げて、彼らに与えられた神様の約束がイエス・キリストにおいて実現したと証しをしました。今回は旧約聖書の代表的な人物であるモーセと「エクソダス」という歴史的な出来事を紹介します。

 エジプトに渡ったイスラエル人はだんだん増え、一家族が強い民族になったので、新しいファラオ王に虐げられるようになりました。重労働がさせられ、そして生まれてくる男の子を殺すようという勅令まで出されました。そのような苦難に遭われた民の嘆きを神様が聞き入れ、解放の道を準備してくださいました。
 

 あるイスラエル人の家族に男の子が生まれ、この幼子は「神の目に適った美しい子」で、親が三ヶ月間も隠しましたが、やがてナイル川に捨てるしかありませんでした。神様の不思議な御導きによってこのモーセをファラオの娘が見つけて育てました。このようにしてモーセは、自分の民の指導者になるのに最も相応しい教育を受けたわけです。モーセの話は、旧約聖書出エジプト記1章以下に記されています。
 

 大人になったモーセは、自分の民のところに戻り、彼らを助けようとしましたが、自分の知恵に頼っては失敗し、かえって兄弟たちの憎しみを逃れなければなりませんでした。それでモーセの新しい訓練の時期、荒れ野での羊飼いの生活が始まりました。
 

 40年経つと、神様はモーセを招き、自分の民を自由に導く使命を与えられました。色々の困難を乗り越え、イスラエル人はモーセの指導の元にエジプトを出て、約束された地に向かう旅が始まりました。この「出エジプト」の出来事をギリシア語で「エクソダス」と言います。奴隷にされた民が解放され、神の民としての新しい歩みの始まったという、喜ばしい響きの言葉です。

 「エクソダス」という表現は、あらゆる解放の意味で一般にも使われるようになりました。キリスト教会で「エクソダス」は、神さまが備えてくださった救いを語っています。イスラエル人の解放を喜ぶと共に、私たちは主イエス・キリストによって罪の奴隷からの解放されたことを覚えて喜ぶように招かれています。


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