聖書の学び-使徒言行録
初代の信仰に学ぶ

No.14

  
 歴史の教え
(使徒言行録5:27−42)

  「あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」

 大祭司とサドカイ派の人々がねたみに燃え、十二使徒を捕らえて牢獄に入れました。しかし夜、神のみ使いが使徒たちを自由に導かれたのです。次の朝最高法院の議員が集まり、裁判が始まると、囚人が牢獄にいないことが分かりました。その時議員たちのねたみが恐れに変わったのです。
 

 彼らは、イエス様の名前さえ口に出さないで、使徒たちが「あの男の血を流した責任を我々に負わせよう」と訴えました。議員たちは確かにピラトの前で行われたイエス様の裁判を思い出したに違いありません。民衆が彼らに扇動させられて「その血の責任は、我々と子孫にある」と大声で叫んでいました。この責任は今問われていると、彼らが明らかに恐れていたようです。
 

 ペトロの答えは、確かに指導者たちの責任をはっきり指し示していましたけれども、その狙いは、復活された主イエスが教えられた通り、悔い改めと罪の赦しを伝えることでした。しかし最高法院の議員は、ペトロの言葉を受け入れようとしないで、彼らの恐れが、使徒たちを殺そうという怒りに変わりました。
 

 その時ガマリエルという議員が立ち上がりました。ガマリエルは、最も有名な聖書学者とユダヤ人の律法の先生でした。彼自身は、イエス様を信じていませんでしたが、歴史に学ぶ知恵を持っていました。裁きは神様がなさる、人間がするものではありません。人間の計らうことが過ぎ去って行きますが、人間は神様のみ業に逆らうことが出来ないことを、ガマリエルが学んできました。そしてユダヤ人の歴史に実際に起こった出来事を紹介し、この知恵を他の議員に教えたわけです。

 

 使徒徒たちは、鞭で打たれてから解放されました。彼らは、主イエスの名前のために迫害を受けたことを誇りと喜びに思っていました。そして、禁止されても、主イエスが救い主である福音を大胆に宣べ伝えました。その教えが、神から出たものであると信じていたからです。この揺るぐことのない信仰に学びたいものです。


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