聖書の学び-使徒言行録
初代の信仰に学ぶ

No.12

  
 称賛とねたみ
(使徒言行録5:12-18)

  

  「民衆は彼らを称賛していた。…そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は
皆立ち上がり、ねたみに燃えていた。」

 
  
 エルサレムの教会があらゆる意味で成長していました。使徒たちの熱心な説教を聞き、お互いの交わりや助け合いに誘われて多くの人々が主イエスを信じるようになりました。信徒の数がますます増え、さまざまな病に悩まされる人がいやされました。イエス様が地上に歩まれたときと同様に、群衆が今使徒たちのまわりに押し寄せてきて、彼らを称賛していました。

 しかし次第に違う反応が起こりました。神殿の広い境内で集う信徒たちの礼拝を見ても、それに加わらなかった人たちがいました。この運動を高く評価しながらも、自分では関係を持ちたくないと、距離をおく人もいれば、批判するような冷たい目で熱心な礼拝を見つめる人もいたでしょう。

 そして信仰が燃えていればいるほど、反対の運動が強まってきました。境内に群がっている貧しい信徒たちの純粋な賛美の歌声をきいて、ねたみに燃えているグループがいました。イスラエル人の指導者、大祭司と彼らの仲間、サドカイ派の世俗化された祭司たちでした。彼らはすでにイエス様をねたみ、死刑にしてしまったのです。それなのに、今このみすぼらしい連中がイエスを救い主として信じ、ほめたたえてたことは彼らには絶えられませんでした。彼らのねたみがまた残酷な行為に変わっていきました。

 イエス様が救い主であるという命の言葉が2000年間近く伝えられました。それは信仰と対立の歴史でした。イエス様のみ言葉により多くの心が開かれますように。そしてみ言葉を受け入れ、学ぶ心より喜びと賛美が溢れるようにと、これは私の新世紀の祈りです。


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