聖書の学び-使徒言行録
初代の信仰に学ぶ

No.10

  捨てられた石
(使徒言行録4:1−12)

  「家を建てる者が退けた石が隅の親石となった。」

 神殿の境内で、足の不自由な男がいやされました。この不思議を見にくる人たちにペトロが力強い説教をしました。「この人が主イエス・キリストによっていやされた」と。素直に聞いている人たちの中に、いつの間にか腹を立てている人が現れてきました。ユダヤ人の宗教的な指導者、最高法院の議員たちでした。
 

 ローマ帝国に支配されているユダヤ人がある程度までの自治権を持っていました。それを保つために、あらゆる熱狂的な運動を押さえなければならないと、議員たちが努めていました。わずか二ヶ月ほど前に、彼らの計らいによって、ナザレ出身のイエスというトラブルメーカーが捕らえられ、死刑にされたばかりでした。あのイエスに従った人がみな逃げてしまい、この問題がうまく解決出来たと、議員たちが安心していました。
 

 ところが、今あの呪われたイエスの弟子たちが神殿の境内に入り込んで、公に説教をしているのではありませんか。「あのイエスが復活し、神さまが派遣してくださった救い主である」と証しするのはけしからぬ、これは絶えられない!おまけにあの無学な人が詳しく聖書を知り、話し方も上手であったので、指導者たちの妬みが一層高まったわけです。それで彼らはペトロとヨハネを捕らえ、次の朝最高法院の前に立たせたのです。
 

 旧約聖書には、神様が立ててくださるメシア(=王様、後「救い主」という意味)を迎える美しい詩編があります。ペトロがその中から上記の『捨てられた石』の一句を引用して議員にも主イエスの証をしました。ユダヤ人の議員は主イエスを捨てたのですが、神さまご自身がこの方を『隅の親石』とし、命を与える救い主とされました。
 

 主イエスの偉大な力を示す証拠として、いやされた男が側に立つと、議員たちには返す言葉がなかったのです。ペトロとヨハネが解放されました。
 神様が大きなみ業をなさる時、人間はそれに逆らうことが出来ないのです。


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