千田好夫の書評勝手

救貧と公平のちがい

アメリカのインクルーシブ教育を考えているときに、おもしろい論文を読んだ。アメリカの教育費についての財政構造を分析したものだ。

それを紹介する前に、簡単に日本の教育の財政構造をみてみよう。日本の教育は、明治維新以来の国是で中央集権である。それでは費用は全額国庫負担かというと、教員の給与、校舎建設費の半分は地方が出している。この半分というのは、地方財政にとっては大きな負担で、戦後中学校が義務化されたとき、建設費用が工面できず首をつった村長さんが何人かいたほどだ。現在でも地方財政の支出の平均2割が教育費である。

アメリカには「学校区」という行政単位が1万4,470ある。これは日本でいう「学区」のような単なる区分けではなく、独自の財源を持ち教育行政に特化した「地方政府」なのだ。つまり、教育が住民自治の要というわけだ。最大の学校区はニューヨーク市学校区(生徒数105万人)。他方で生徒数が150人以下という小さい学校区は1,684もある。本論文は、シカゴ市学校区(CPS、生徒数43万7千人)を対象としたものだ。

アメリカの都市部には貧困層が多く住んでいる。小中学校を599もかかえるマンモス学校区CPSもそうで、無料あるいは割引給食サービスや公的扶養サービスを受けていたり、児童福祉施設に入っている子どもが全体の85%いる。シカゴを除くイリノイ州の平均が23%だから、驚くべき数字である(大阪の給食費を含む就学補助受給率は28%)。この貧困かつ巨大なCPSには常勤の教師が1,844人いる。CPS単独では人件費の半分しか払えない。そこで、イリノイ州からもらう「教育均衡補助金」と「教育サービス包括補助金」でまかなうことになる。

ところが不思議なことに、財政調整機能を果たしているこの州教育均衡補助金は、格差解消を目的とするものではなく、生徒一人あたりの「基準値」に基づく最低保障をするものなのだ。それ故、富裕学校区へも少額ながら配分される仕組みになっている。実際に、富裕な学校区でも自主財源は8割程度だ。筆者は、なぜこのようになっているのかと問いを立てている。

その答えはこうだ。CPSには黒人や非白人の割合が多い。白人も貧困層が多い。地方財産税と債券発行権だけで学校区の財政を維持するのは困難で、70年代からの格差是正を求める住民訴訟がたくさん起きた。これに対して各州の最高裁は、次々と格差を違憲と認める判決を出したので、傾斜配分の州教育均衡補助金が交付されるようになったのだ。しかし、もともと財政調整はアメリカの財政制度になじみにくい。また、富裕な白人は郊外に住んでいて、州知事や州議会の議員には白人社会の利益を代表している者(保守派)が少なくない。そこで「最大の理由は、州教育均衡補助金を貧困学校区にだけに集中配分することを富裕学校区(白人社会)が容認しないからである」と、筆者は述べている。

とすると、問題は2つあると考える。

第1に、この筆者の推測を州議会の議事録、インタビューなどの資料、および教育学、社会学、政治学など隣接分野の研究成果から裏付けることが求められる。ここは大いに著者に期待したい。

第2に、格差解消ではなく最低保障を旨とし、富裕層にも配分される補助金の意味について考察することである。「教育内容や質が学校区間で異なるのは当然であり、むしろそれがアメリカ『地方自治』の本来の姿なのである」というにとどまるならば、それはそうだろうでおしまいだ。つまり、住民自治、民主主義あるいは「公平」にとって、あるいは富裕層と貧困層と様々なマイノリティにとってそれぞれどういう意味があるのかということを考えなければならない。

日本の障害者福祉は貧困対策の一部としてあり、親や本人に一定の収入があれば行政からの支援は受けられないか一部自己負担を求められる。これに対してアメリカでは、少なくとも教育段階では親の収入とは無関係に、すべての生活面において必要と認められる支援を無条件に受けることができる。困っている障害児がいるから支援するのではなく、その子にとって何が「公平」かを考えるからではないのか。だから、アメリカの「障害者個別教育法」は直線的に障害児を普通学級に入れることを求めてはいない。障害をもつ子どもは、最も制約の少ない環境で、障害をもたない同年代の子どもと共に教育を受けること、となっている。

もし、それが「保守派」が言うことと内容的に合致するとしても、障害者の未来を何かに規定せずにダイナミックに切り開くのではないかと考えている。第2の問題についても私は同じように考えている。