千田好夫の書評勝手

俺はあまったれさ

私も参加しているアーテム企画は品川区大井町の地域で活動している。8年目でNPO法人アーテムとなり今年で10年目、すでにグループホーム(生活寮)を建てて運営するところまできた。現在知的障害をもつ4人の青年が寮生として生活し、寮母さんが夫婦で住みこんでいる。

グループホームそのものはあくまで障害者の自立の形の一つにすぎない。しかし、黙っていたのでは選択肢は増えない。障害者の自立生活はまだまだ始まったばかりなので、多くの人々が支えあっていかねばならない。もちろん、生活の主役は障害を持つ当事者自身だ。私たちは、障害があってもなくても地域で生きることにこだわってきた。できれば住み慣れた地域で暮らせるのが一番だが、一般の人々があちこち移り住むのがふつうの時代に、障害者だけ別というわけにはいかない。

アーテムが積み重ねてきた自立体験ルームと自立セミナーは、障害者に対する「訓練」ではなく、障害を持つ人の暮らしがいかなる流れになるのか、障害を持つ当事者、支援者そしてまわりの人々がつかむことをめざしてきた。暮らしの流れをつかんでこそ、どこに住んでも、誰と暮らしても応用ができるのだと考えるからだ。

しかし、健常者が家業を継ぐ場合、親・兄弟と同居することがあり得るように、家族と同居しながらの自立も、単身での自立もあり得る。こういう形でなければいけないということはないし、ましてや法的に家族介護を強制されるべきではない。

上記特集によると大阪の梅田和子さん、石川の徳田茂さんの場合は「家族の中でゆったりして生活していく場もあっていい」と支援組織をたちあげ、家族や仲間の支え合いと、ホームヘルパー、ガイドヘルパーを適宜組み合わせ、地域生活を支える流れをつくり出している。グループホームや介助者派遣事業は資格などの様々な「制限」があるし、「組織」としての縛りも強いことも、あえてそれに純化しない理由だ。

ところが、京都の林隆造さんが「そなえなければ うれいもなし」というタイトルで、はっきりとこのような「工夫」を拒否している。「あまったれた親」といわれようと「できるだけ長生きをして」子どもと仲良く暮らし、あとのことは「きょうだいたちが、どうするか考えるだろう」と。これをどう受けとめるべきだろうか。

40年ぐらい前から、青い芝を先頭に「親は敵だ」と身体障害者の先鋭的な部分は自立生活運動を組み上げてきた。しかし、本当に少しずつではあるが、障害者の基本的人権が受け入れられてくる時の流れとともに、親の中に障害者の主張に同調する人たちが現れ始め、今では親が「自立しなさいよ」と、障害のある子どもの背中を押すまでにもなっているほどだ。

その到達点あるいは妥協点として、グループホームを含めた地域ケアシステムができてきたとまとめられるだろう。なにが妥協なのか。奈良の桑山さん(頭部外傷や病気による後遺症を持つ若者と家族の会・会長)が言っているように、「自立生活運動の輝きは否定されるものではありませんが、欠点としてこのアメリカタイプの自立生活運動が『意欲の確立』・『強い個人』・『自己決定』を重要視し、重度知的障害者が選別されてきている」という重度知的障害者の家族側の思いがある。しかし、桑山さん自身が自立生活の意義を認めているので、地域ケアシステムを提言をすることになる。それ故、これが妥協点なのだ。(私も逆の立場から妥協していることになる)

それでは、家族がどれほど重度知的障害者の代弁ができるのだろうか。他人である身体障害者が障害者として代弁するのととどれほど変わるのだろうか? さらにつきつめれば「親は敵だ」というあの命題が待っている。「そうさ、俺はあまったれさ」林さんのこの「いなおり」は、地域ケアシステムといえども、当然のことながらまだまだ海のものとも山のものともわからない段階であることを示している。これを当事者としては肝に銘ずべきだ、と自ら思う。