千田好夫の書評勝手

覇権は客観性をも支配する

アメリカは今のところライバルのいない唯一の覇権帝国である。自分はわんさかと大量破壊兵器を持ちながら敵性国家にはそれを許さず、地球温暖化防止のため二酸化炭素等の排出規制を決めようとする京都議定書を無視し、少年兵を使うために子どもの権利条約も批准しない。ウィンドウズやマック以外の外国産OSを貿易障壁として排撃する。自らは縛られないが他人は縛る。お山の大将のごときふるまいは子どもの喧嘩ならほほえましいときもあるけれど、アメリカの場合は本当に鼻持ちがならない。一方的に世界中の人々の怨念をため込めば、やがてはあの残虐な秦帝国のように瓦解することは明らかである。

ところがその秦でさえ、果てしない国内の戦乱を止めさせ、郡県制を徹底し統一政府以外の恣意的支配を制限し、国の度量衡を統一したのは大きな功績であったと認められる。その体制を戦国時代にいち早くうち建てたのが秦の強みであり、秦自体は早く倒れたが中国という国の基礎をつくったのは確かだ。アメリカにも民主主義や公民権運動などといった大きな功績があり、「人権」がアメリカの覇権の道具として使えるように、単に軍事力にとどまらないアメリカの強さがある。

そのアメリカの力の一つは科学万能であることだ。アポロ計画などの宇宙開発、他国の追随を許さない生命科学は当然としても、マルクス主義経済学でさえ日本では衰退しているのに、アメリカでは科学の一部門としてそれなりに盛んであるらしい。今や、学問の多くの領域でアメリカがリードしている。

科学では誰がリードしても客観的に筋が通っていればいいのではないかという考えもある。だが、「なにが客観性なのか」といった古典的な議論がある一方で、それが覇権と結びついているときにはその議論さえ忘れられる危険がある。特にアメリカでは進化論や唯物論に反対し、すべての現象を科学の名の下に神に結びつけようとするネオ・トミニズムが盛んである。

それがこの本の言いたいことなのだ。「大陸移動説」は創始者のウェゲナーが南アメリカとアフリカの地図を見てひらめいたのだが、大陸が移動する仕組みを説明できなかったのでしばらく忘れられていた。ところが第二次大戦後、それが「プレートテクトニクス論」として復活し、1960年代末からアメリカの地球科学の支配的学説になった。日本でもプレート論者でなければ地球科学者ではないかのようになった。

この説がアメリカで興隆したのは、石油の掘削競争や原子力潜水艦の航行のために海底地形を厳密に知る必要があり、その必要性と手段を多く持っているのがアメリカであったからだ。そこから得られた様々な知見がプレートに乗って大陸が移動するという考えを推進するように思われた。この力学的で単純な説明はネオ・トミニズムに受け入れられ、たちまち地球科学の支配的学説になった。一般の人々の間にも浸透し地震発生をうまく説明するものとされるようになった。

しかし、実験が研究室の中ではできないような分野では、仮説を立てて多くの証拠をもとに整合性のある説明がされなければならない。プレート説では具合の悪い数々の事実、たとえば地質的に一番若いはずの中央海嶺で8億年前の化石が発見されるような事実は無視されている。筆者は地球半径のわずかな膨張が海面を数千メートル押し上げ現在の地形ができたという仮説を立てているが、「いまだに独りゆく道の感が強い」ということだ。構造地質学の学説史から説き起こし、現在の地球科学の到達点をおもしろく教えてくれるこの本は、アメリカの覇権の行方をも考えさせてくれている。