千田好夫の書評勝手

これも一つの答えだ!

今年もクリスマスがやってくる(これを皆さんがお読みになる頃はとっくにすぎているだろうけれど)。だいぶ前に、「ほんとうのことを教えてください。サンタクロースはいるのですか」と、8歳の女の子バージニアが新聞記者に手紙を書いた話を紹介した。これに対して記者は、サンタクロースを否定せず子どもに自発的な批判的精神が育つように答えたと思う。今回紹介する話は、別にこれに関連したものではないがバージニアもきっと興味があるだろう。

作者のかけがいさんは、脳性麻痺による障害がありストレッチャーを使用して生活している。「歩けるようになるから」と言われて、4歳から16歳までの12年間を施設で暮らした。ときどき家にもどったり親が面会にきたりというだけで、信じていたサンタクロースも来てくれない「なまり色の世界」。まさに前号の「きいちゃん」と同じ状態だ。それにしても4歳で親から離れ施設暮らしとは…。「おうちへ帰りたい」と叫んでも、歩けることに希望を持った親は心を鬼にして作者を施設に残していってしまった。だが、歩けるどころか身体はますます固くなり、座っていることもできなくなってしまった。結局、16歳で家に戻りストレッチャーを使うようになった。

私も5歳くらいの頃に施設を見学に行ったが、病院のような臭いが恐ろしくて帰ってきてしまった。「歩けるようになるから」とその施設の医者も言ったらしいが、私の親はそれを信じなかった。私も、鉄腕アトムや鉄人28号の漫画を読んでいたおかげで、歩けない身体が「歩けるようになる」にはかなりの仕掛けが必要であり、小手先の医療でそんなことができるとは全く思っていなかった。しかし、どんなに多くの親子がこの言葉に期待をよせ、どんなに多くの障害のある子が空しくなまり色の中に閉じこめられてきたことだろうか。

ところが、家にもどってもサンタクロースは来てくれない。おとうさんは、「ストレッチャーで外に出るのはみっともない!」と怒っている。そこで作者はサンタクロースを探しに出ることにした。生まれてきてよかったと思えることを教えてもらいに。大家さんに恵まれて、ストレッチャーでのアパート暮らしが始まった。介護者募集のビラを作って大学などでまいて、毎日24時間来てくれる人の名前を手帳に埋めていくのが仕事になった。

つらく苦しいこともあったが、地域の人々や介護してくれる人たちとの出会いの日々、毎日が輝くようだった。楽しくて、サンタクロースを探しに家を出たことも忘れていたほどだった。でも、サンタクロースの方は忘れていなかった。多くの介護者の中に、自転車でやってきて影武者のように黙々といろいろな人の世話をしているヤマダさんがいた。作者はこの無口なヤマダさんがすこし苦手だった。しかし、彼の献身が作者の心をすこしづつ開いていった。あるときついに作者は、「ヤマダさんは、私にとって、かけがえのないサンタクロースだ」と気がついた。

作者は書いている。サンタクロースは「あなたの周りにもいるでしょう。…さみしくなるとき、つらく、悲しいときに、何も言わず、さりげなく支えとなってくれる人。それはみんなサンタクロースなのです」

むずかしい話だ。表面的には、童話のようなやさしい語り口で(文字通りこれは作者の語りを介護者の奥長さんがパソコンに書き取ったものだが)書かれている。ストレッチャーってなに? それで暮らすってどんなこと? 聞いただけでは子どもたちにはわからないに違いない。施設暮らしはつらかったことはわかるかもしれないが、家を出て自立すること、アパートを借りること、介護者を募集すること、そして介護者の一人と結婚することがどんなに大変だったかはわからない。もっともそれを「大変」と書いても伝わるはずもない。作者はただ「毎日が楽しく輝くような日々」とさらりというだけ。

全くその通りには違いない。確かに、障害のない人には、聞いただけではわからないが実際に障害者の生活を見れば「大変なこと」しか目に入らないだろう。ところが障害者自身は「楽しく輝く」生を築いているし、築いていきたいと願っている。しかし、客観的に大変なことは大変だと伝え、その上に楽しく輝きたいと伝えなければ、バリアフリーもユニバーサルデザインもあったものではない。かつて紹介したナンシ・メアーズもそう言っていた。むずかしいかじ取りだ。問題は、いつもサンタクロースが都合よくいてくれるわけではないことで、いなくても輝いていきたい。バージニアもそれはきっとわかってくれると思う。