千田好夫の書評勝手

憎悪の拡大のもたらすもの

ハイジャックされた旅客機が、ニューヨークの貿易センタービルにつっこんだ。映画の特撮のように、機体が超高層ビルに吸い込まれた。わき上がる火柱、白煙そして降り注ぐ無数の瓦礫。その瞬間に、無数の人命が失われた。その瞬間に、我々のささやかな交換プログラムも吹っ飛んだ。即座にテロと断定され、ブッシュ大統領が「これは戦争だ。報復だ!」と声明を出した。20日の議会演説でも、首謀者と見られる人物をかくまい援助していると思われるタリバンに即時無条件引き渡しを要求し、全世界の国々にもアメリカの側に立つのかテロの側に立つのかと選択を迫った。

派手な映像にブッシュ演説もやむなしと思わせられかねない。しかし、国としてのアメリカは自分が痛いときだけ大声を上げる。広島・長崎に原爆を落とし、ベトナムで幾多の虐殺をしたアメリカ。つい先日も報復と称してスーダンの製薬工場を誤爆し、それによる被害の調査を妨害しているアメリカ。そのアメリカが正義を代表しているのか。

もちろん、だからといって自爆テロが許されるわけではない。自爆テロを、日本語では「特攻」といい、英語では「カミカゼ」というらしい。つまり、特攻は旧日本軍が追いつめられた上での苦し紛れの発明だった。それは、超劣勢であることを国民に隠しつつ行われた。つまり軍部の作戦の失敗、戦局の手詰まりを、純真な若い兵士を犠牲にしてごまかそうとしたものだ。 ところが、パレスチナで頻発している自爆テロは、自らが劣勢であることを民衆が身にしみて知っていることの結果として、民衆自身が編み出した戦術である。このような違いはあるけれど、11日の自爆テロは、明らかに日本軍のカミカゼ特攻を手本にしているように思える。そして、その特徴も似ている。戦争は政治の継続であり、作戦は戦後の政治を見据えた戦略に裏打ちされていなければならない。ところが自爆テロ、カミカゼ特攻には明らかにそれが欠落している。一時的に敵に動揺を与えるかもしれないが、戦争が終わった後のプランを考えない刹那主義なのだ。

なおかつパレスチナなどの自爆テロは、民衆自身の発案なので、より悲惨な状況をもたらす。即ち、非和解的な民族的憎悪の拡大固定化をもたらす。日本の特攻は軍部に命令されたものであり、民族的憎悪をそれほど拡大しなかった。アメリカ占領軍は拍子抜けするほど非敵対的な日本人民に出会った。しかし、今ではアメリカ軍もイスラエル軍も、ますます敵対的な人民を占領地にかかえ込むことになった。和解することのできないこの構造の行き着く先は、ジェノサイドである。恐ろしいのは、それが当然とされるような社会では障害者の生きる余地がないことだ。

だから私は、自爆テロには反対である。しかしその淵源は、明らかにイスラエルによるパレスチナの虐殺と占領にある。イスラエルは欧米が打ち込んだイスラム社会へのくさび、すなわち巨大テロである。つまり、欧米の後押しがなければ、ユダヤ人がパレスチナに入植・占領し、パレスチナ人を排除し、周辺アラブ諸国と共存できない国家を打ち立てることは不可能だった。今では、産油国でもないイスラエルが、全アラブ諸国の軍備を上まわり、核武装していることも確実である。ここでイスラム社会全体の人たちは、理不尽にも自分たちの劣勢を思い知らされることになった。

テロリズムの防止は、こうしたイスラム社会への侵略を止めることしかない。イスラエル国家を解体し、各民族の平等をめざす新共和国を創らなければ、報復でテロ組織をいくら撲滅しても志願者は後を絶つことはない。ハンチントンの言う「文明の衝突」とは、こうした構造をきれいに忘れた言いぐさである。ブッシュ大統領の議会演説は、やはり傲慢な脅迫である。

しかし不思議なのは、アメリカの国家としてのこうした傲慢さと、ADAをつくりだしたアメリカ人の人権感覚との乖離である。ところがブッシュの支持率は91%にあがっている。オレゴンのあの穏やかな人々もまた「報復」を支持しているのかと思うと、複雑でやりきれない想いになる。