内容●あずまさんのありがちな日常。最近は週2回更新が目標 注意●内容の正確さを期待できません。また、今日読んだものが明日も変わらずに存在するとも限りません。リンクなさる場合は以上の注意をご承知おきください まめちしき●ファミコン版「ウルティマ」は戦闘中はナナメに動かそうとしない方がいいぞ。
会社を定時で抜け出して難波へ。ジュンク堂書店に寄る。童話や絵本がたくさんあったので買っておくかと。福永令三「クレヨン王国いちご村」「クレヨン王国のパトロール隊長」を買う。初期の作品はなかなか置いている店がないのでこの機会にと。あとルイス・キャロル「不思議の国のアリス」を買う。マーチン・ガードナーの解説付き。童話なのに脚注がついているという、あからさまにオトナ向きの妙な本だったので思わず買ってしまう。石川澄子訳。
小姑3プロジェクトのライブ「女は女である」を観に行く。ツッコミがものすごい。本だけではだめだと自戒。
駅から歩くこと一時間。午前1時に帰宅。教育テレビの「知への旅」を観入ってしまい、さらに「不思議の国のアリス」のガードナーの長い序文を読む。研究者たちがあばいてきた、キャロルと少女たちとの百年前のできごとをむずがゆくなりながら読んでいたらもう午前3時。寝る。
今日はいい天気だねえ。はあ。へろへろー。……どわー、もう4月じゃないかあ。
重大発表。あたくし、会社を辞めて大学院の博士過程に通うことになりました。嘘です。去年応募した「おジャ魔女カーニバル!!」のCDがいまごろ届きました。嘘です。朝起きたら林檎さんの丸いマウスが使いやすくなっていました。嘘です。新井理恵の「脳髄ジャングル」がTVアニメになります。嘘です。「ナウい」が今年の流行語大賞に内定しました。嘘です。
「敗北! クータル、サーゴ死す!」の巻。さて。非常にまずい。なんだか再来週あたりに番組が終わってしまいそうな雰囲気が。
ギャザが非常に強い。非常にまずい。なんせ三人でよってたかって切り刻んだのは蛇の皮一枚なのだ。表題通りクータルとサーゴが死んでしまう。そしてマシュラが二人の死体から取り出されたカードを吸収する。おそらくは、最後の最後までこんなことはやってはいけないのだろう。つまりそろそろ番組が終わってしまうんではないかという疑念を呼ぶ。
一方、ちびっ子たちは池で石にされてしまったヤクモを拾い上げるのにちょいと苦労する。強酸性の池の水を中和しようというのはかなり無理があるような気が。
「ハーブを探せ! MAHO堂バスの旅」の巻。
あらすじ。魔女の赤ちゃんにはミルクだけでなく魔法のハーブが必要だという。問屋魔女デラの持ってきたハーブは目ん玉が飛び出るほど高価だった。ハーブを育てている魔女がいるので頼めばただでもらえるかも知れない、とバスを走らせて魔女の家を訪れる。ところがハーブ園はなくなって温泉に入る客を泊めるペンションになっていたのだった。
みどころ。その1。マジョリリカがずっこけたりお茶をこぼしそうになったりするたびに、いちいちマジョリカが身体を張って助けようとするところ。あのマジョリカが、だ。
その2。マジョリカに魔法しゃっくりの症状が出始めたところ。しゃっくりをするたびに窓ガラスは割れ植木は倒れる。シャンデリアが降ってこようというその時に、マジョリリカは、マジョリカがその昔自分の育てた赤ちゃんだと気付く。店をめちゃくちゃに壊していくマジョリカのしゃっくりと、マジョリリカの心の動きが呼びかけあっているようでかっこいい。
また魔女さんのことが好きになった。
さて。高速道路の駐車場でおんぷさんが花を売る場面がある。そりゃもう駐車場は人だかり。こういう役はぽっぷの役だと思っていたのだけど。ぽっぷが最近出ていない。
そして懸案の温泉である。服を脱いでバスタオルを巻いて4人が浴場に入ってきたところまではいい。ところが浴場があまりに荒れ果てているので4人はすぐに服を着て掃除を始めるのだった。ああ。着替えの場面さえありゃしない。最後まで、ああ最後まで入浴の場面はなかったのだ。なかったのだ。
先日林檎用Microsoft Internet Exolorer 5を取ってきた。IEは自分のwebの見栄えの確認にしか使わないのだけど、4.5から5にして確かによくなった。まずPNG画像を単独でしか読み込めず、HTMLから呼び出すと途端に表示できなかったのが解消された。そして、心配になるぐらい起動が遅かったのがまともになった。レンダリングは速くなったらしいのだけど、IE4.5やもじらやiCabと比べても違いがよく分からず。いまとなってはCPUが速くなってしまったから、レンダリングは計算の速度よりもHDDの速度に依存するのやも。
「クレヨン王国の花ウサギ」を読み終わる。
あらすじ。ちほと健治兄妹の住む町は海のそばにある。海の埋め立て工事が怪物が目をさまさせてしまったことに気がつく人間はいなかった。偶然グライダーの事故で山の奥深くに入ったちほと健治たちはこれまた偶然にクレヨン王国に入り込んでしまう。そこでは人間はきらわれ者で、人間は怪物に退治されるべきだと言うものもいる。仲間とはぐれたちほは、うさぎのロペと怪物の封印に必要に花ウサギを探す旅に出る。
感想。うさぎのロペの描写に、十数年後に出る「クレヨン王国三日月のルンルン」のルンルンに通じるものがある。が、ルンルンほどの生々しさはなく、むしろ生々しいのは小さな小さな生物の描写だった。いつもの「クレヨン王国」でそうであるように聞いたこともない草や鳥の名前が出てくるのだが、今回は写真で見た記憶しかない植物プランクトンが目の前を泳いでいく。生き物への強いこだわりがある点は好きだ。
おそらくは怪物の魔法でフナの姿に変えられた、健治の独白が印象的だった。川の護岸工事で池が干上がってしまう。核戦争が起これば40億の人間が絶滅するというが、この池で同じことが起ころうとしている。その生命の数はとうてい40億どころではないのだ、と。
種の違う個体の数を比較することはたいした問題ではないのだが、たしかに小魚の健治にはアメンボもボルボックスもはっきり見えている。池の中は生々しく、濃く、粘度が高い。また冒頭で、海の埋め立て工事に関して、ヒラメや貝と、公園や体育館、何百人の人が住む土地とどちらが大切か、と小学生に言わせている。その少年のいうところはヒラメや貝など養殖でもすればいい、ということだ。人間のにおいも生ぐさい。はた目には、失礼ながら都会とはいえないこの町でなにも埋め立てなんかせずともと思うのだが、きっとそう言い出せない社会だったのだろう。
この本が青い鳥文庫から出版されたのは1982年。バブルと言うよりもむしろ田中角栄である。この国の人たちは経済のためとなれば有機水銀が海に流されても放置するし、煙突からのぼる色とりどりの煙だって、新幹線の手抜き工事だってへいちゃらなのだ。ひととおり公共工事で日本中をひっくり返してひと段楽しているいま、そんなことを思い起こさせる。
さて問題である。クレヨン王国にたどりついたちほは、人間の姿で人間の代表者として人間の罪を背負って旅をする。健治は魚に姿を変えられて、別の意味で人間の罪を背負って生きる。ここまではいいのだが、なぜ健治はクレヨン王国に来てまで人間たちの河川工事で死にかけねばならないのだろうか。
わたしたちの世界とクレヨン王国は離れているように見えて、実は重なっているのではないだろうか。クレヨン王国はわたしたちのすぐそばにある、というよりも視点を変えると簡単に出現するものなのではないだろうか。
このあたりは、冒頭でちほが海辺でクレヨンを落っことしてしまうという描写と関係があるようなないような。クレヨンを落としたちほこそがクレヨン王国の客なのではないだろうか。あまり歓迎はされなかったとはいえ。また海辺の情景はTV版の最終回にあった、シルバー王女似のおんなの子とクラウド似のおとこの子が海辺で絵を描いている情景を思い出させる。最後に、鳥だのカエルだのの姿に変えられた人たち、それも健治にいたるまで、最後に人間に戻る部分が描かれていないのが気になるところ。ロペとちほとの別れが重要なので他は冗長だったのだろうか。
「クレヨン王国のパトロール隊長」の冒頭を少しだけ読んでみる。ノブオ少年のなんという不幸。……重っ。読み終わったばかりの「花ウサギ」も重かった。いままでこれだけの密度で小説を読んだことがないので、このまま重いものを読み続けると知恵熱でも出そうだ。ちょっと別の本をと。
「不思議の国のアリス」を取り出す。一昨日ガードナーの「序文」を読み終わって、ようやく本文に入れたのだが、第一章「兎穴を降りる」の前に「献呈の詩」というものがある。しかして大量の脚注がわたしを阻む。キャロルが三姉妹と舟の上で過ごした午後のひとときがいかに素晴らしかったか。ああ文字が多すぎて頭が痛くなってきた。やっと第一章にたどりついたのだけどこの本も閉じる。買ったままになっているまんがを読んでみるかなあ。
結局昨日の晩はふらふらと冒頭部分をちょっと少しずつ読み散らかす。「クレヨン王国いちご村」は短い話の連なりだったので、線路の話だけ読んで寝る。
ふむ。「ディスプレイなしiMac」が出るとか出ないとかいううわさが。どちらかといえばこういうのが欲しかったんだな。机の下に隠せる小っさいのが。拡張性はあんまりいらないけど、ディスプレイは自前ででかいのを使いたい。
その昔出た、LCみたいな小っさいやつが欲しい。あれぐらいの筐体にCDとHDD積んで。それが無理でもせめてPowerMac 6100よりは小さくしてほしい。将来小っさい林檎さんを買える日がきたら、そのときは液晶ディスプレイと合わせて使うのもいいかなと思う。
いまさらながら会社でCygWinを落として会社のWindows 98な計算機に入れてみる。ほー。へー。sedもgrepもgccもアレもソレもこの中に入っていたのかー。もっと早く入れとけばよかった。この一つのパッケージだけでツールを山盛り入れられるので便利だと思いきや、どうも日本語が使えなかったりするので、とりあえずsedとlessを日本語の使えるのと入れかえる。
あの使いにくいMS-DOSプロンプトよりもずっとよさそうなコマンドラインのコンソールcygwishってのが入っているのだけど、表示フォントが小さくて使えそうにない。替えられるのだろうか。
昨日の晩、おうちに帰るとプリンタが届いていた。最近家に帰るのが遅いので、プリンタをいじるのは、定時退社な金曜までおあずけ。うう。
MatlabのコードをCのつもりで書くと泣きをみる。その1。ファイル書出し時のfseek()でつまる。eofよりもあとへはfseek()できないらしい。これでは永久に最初の書きこみ位置で上書きしつづけてしまう。書きこみモード'w'を'a'にして無理矢理対処。その2。ふつーにfor()とかで配列要素を参照して演算すると途方にくれるほど遅くなる。回り道をしてでも配列ごと演算すべし。
Mac OS 9.0.4Eへのアップデータ。夜11時から落としはじめる。さほどサーバは混んでいないらしく、そこそこの速度でデータがやってくる。あと、43分22秒かかるらしい。
昨日の問題。バイナリファイルを開いて、ちょこっと書きこんで閉じる。で、また開いて続きから書きこむ。Matlabでもどうもこれができないようだ。そういうわけで、最初に必要な領域をががっと確保して、つまり無意味なデータをががっと書きこんでからファイルを閉じる。かなり遅くなるが、こうしないと、eofから先に書きこめなくて泣きを見る。で、続きの書きこみモードは、どうも'w'でも'a'でもだめで、'r+'にしないといけないらしい。とりあえず動いたのでそれでいいことにする。
ファイルを最後まで書きこみ終わるまで閉じなければいいだけのだけど、そこはまあ、その、ナニかとアレなので。
去年までいたがっこの、計算機の部屋におはしますSGIの巨大ワークステーションonyxというのが、わたしの脳の中の伝説として営々と語り継がれるほど巨大だった。発熱が巨大だった。業務用冷蔵庫のような風貌に恥じない発熱である。5年ぐらい前の気合の入った機械だった。
そして。こんどの相棒はかなりすごい。ホテルなんかにありそうな、小型冷蔵庫級ワークステーション。HP製。人呼んで動画シミュレータ。11年物である。驚くなかれ主記憶は6MBもある。11年前の計算機でXが動く。色つきで。感動である。いやしかし、涙するのはまだ早い。となりの部屋からなまあたたかい風がわたしを呼んでいる。
となりの部屋には業務用冷房機のようなものがででんと立っている。前面から大量のなまあたたかい風が吹き出してくる。SGIの業務用冷蔵庫の発熱の比ではない。この中に1MbitのDRAMチップが8,000個集積されていると聞けばアナタ、涙で視界がかすむというものでありましょう。11年前の1GBがいかなる広大な空間であったか分かるというものである。そしてそのとなりに、小型冷蔵庫級ワークステーションの持ち物である、コインロッカー級ディスクアレイが配置されている。ロッカーのひとつひとつがディスクアレイなのだと思っていたが、違うのだ。ロッカーひとつが8インチのHDD一台なのだ。
この業務用冷房機とのつきあい方。まずPCとMatlabで動画を作る。たった1秒のHDTVの映像でもファイルに保存すると120MBになる。8秒で1GBになる。これを小型冷蔵庫経由でえんやこらとこの業務用冷房機に読みこませ、内部のこれまた巨大な画像処理機構でアレしてナニして、別に用意したHDTV用モニタに出力する。わたしは出力された絵を見て煮るなり焼くなり考察する。この一連の作業を小型冷蔵庫級ワークステーションから制御する。西暦2000年のこの佳き日に、わたしはこの大きな相棒とはじめて仕事をした。
ふたつの部屋にまたがるイカした相棒とも、あと半年でお別れである。分解されてジャンク屋に並ぶか、物好きのご主人さまに引き取られるか。11歳というのは、計算機としてはまっとうな最後ではないだろうか。この11年の間に、計算機にはとてつもなく発達した部分と、驚くほど進歩のない部分とがある。この相棒がX Windowを遅いながらもなめらかに動かすのを見ると、そう思う。
突然の水音。職場の天井から水滴がぽたぽたと降ってくる。この職場はもうなんでもアリだ。そしてこの建物もまた、あと半年でお別れである。
「不思議の国のアリス」を読み中。とてもお子たちが学校の図書館で借りてきて読むとは思えない文体。わたしの脳の中の字句解析機構は9歳児用なので読むのが辛い。翻訳が大人用だとはいえ、台詞ぐらいは違和感ない訳にしたいところ。
30分ほど読む。12時ごろに寝る。
今朝、職場に来てみたらいつの間にか天井の板が外されていて、天井裏の管が見える。管に防水のシートがぐるぐる巻かれていた。雨漏りではないらしい。
月曜から始まって、日に日に進行する。全身くまなく、少しずつ重たい液体がたまっていく感じ。腕にも、脚にも、耳の奥や脳の中にも。たかがこの程度のおしごとで。これで休日出勤な日々に突入するとなると、ちと恐いものが。多分に気合不足。
今日の帰り、本屋さんによったらば。でじこなアンソロジーが。……こらえろ、こらえるんだっ。はあはあ。クレヨン王国の本は相変わらず古いのを置いてない。で、ふらふらっと「クラウン仏和辞典」第4版なんぞを衝動買い。3,600円。
どうも、どどさんのEDOで168pinなDIMMは、わたしのプリンタでは使えないということが発覚する。ううう。プリンタをばらしてみたら挿すところは72pinなのであった。そういうわけで昨日はDIMMを受け取るてはずだったのだけど、予定を変更してどどさんと日本橋をうろうろしてみることにした。ゲーマーズの上のとらのあなへゴー。おお。広い。店の奥へ進むにつれて、大変な光景になっていく。
どどさんの「こんなのはどうですか」攻撃に反撃する余裕もないまま、耐えつづけていたところ背後にかをすさん登場。まなちゃのログからわたしとどどさんが会うことになっていたことを察知して、来てくれたらしい。
で、なんとなくうさぎとエプロンの本などを買ってしまう。「うさぎ月夜に星の海」せあら著。「うさぎ」と「エプロン」を標榜するとは、これまたどえらい引力である。これを買え、という宇宙の電波を受信してしまったらしい。買わずにはいられない。
どどさんはもともと「デ・ジ・キャラット」のDVDを探すことになっていたので、日本橋に詳しいどどさんのあとをついて三人でうろうろしてみる。これがまた。どどさんといっしょに歩いていると新しい発見がある。DVDを探しながらも、SunのSparcだの、DECのAlphaだのな古いマシンが積んである店に寄ってみる。
探せども探せどもDVDは見つからず。DVDを置いていそうな店はすべて回ってしまったので、えるぱれの6階に行ってみる。やはし、立ち読みできるのはいい。そんなわけでどれみさんな本を5冊買ってみる。そして、階段を降りる途中。3階の中古ゲーム屋に寄ってみる。ここでの最大の発見は「Vectrex」というらしい、ベクタースキャンなディスプレイを持ったゲーム機である。残念ながら動かないらしい。そしてもうひとつ残念なのはバンダイの「プレイディア」を置いていないことだ。セガの「メガCD」やエポック社の「カセットビジョン」があってもプレイディアはないという、なんという不条理。
さらにうわさの店「まるち」の場所を教えてもらいたく、その前まで行ってみる。べつに買うものはないので、店には入らず。そのそばで「メイドさんブギ」と「メイドさんパヤパヤ」を聴かせてもらう。
最後になんばグランド花月のそばのゲームセンターへ寄る。「ゴルゴ13」のゲームで、まったく手も足も出ず。そもそもなにをしたらいいのか分からぬまま。あと、セガのキーボードを使うゲームは衝撃的だった。「ぐったりした様子」だとか「赤信号」だとか、次から次へと出てくる語を、キーボードで打ち込むと敵のゾンビが倒れていくという、まことに妙なゲーム。うまい人が遊んでいるのをしばらく後ろでじっとながめてみる。
そんなこんなで白昼の密会はへろへろーっと終わったのであった。
またまた家の工事が始まるというので、部屋の掃除をする。二日がかりでおびただしい量の紙を捨てる。これでかなり部屋が広くなった。ここで、客間に居候していた計算機を自分の部屋に持ってこようというわけである。
重たいディスプレイと重たいプリンタをえんやこらと。父上と弟に運んでもらう。20kg以上もあるものをもって階段を上らないといけない。わたしが運ぶと腰を悪くしそうだ。で、とりあえず林檎さんを使えるようにする。さらにプリンタを林檎さんからネットワーク経由で使えるようにする。思っていたよりもものすごく簡単だった。
で、調子に乗ってあれこれ印刷してみる。600dpiだと、網点はAMスクリーニングなやつがだいたい100lpiと50lpi、FMでは誤差拡散なのが使えるらしい。網点の形があんまりきれいじゃなくていやんな感じ。もちっときれいな円形にしといてくれよう。あと、AMスクリーニングだとなぜか黒い塗りつぶしの周囲に網点がぷちぷち付いたような感じになってしまって、きれいに印刷してくれない。なーぜーだー。
週間少年ジャンプ17号に「ヒカルの碁」のキャラ人気投票の結果が載っているんである。
ふむ。佐為が1位なのはまあいいとして。ああ。なんで将棋部の部長が2位なんだよう。なんでだよう。それって「なかよし」のセーラームーンの人気投票でなるちゃんが2位になるぐらい変じゃないかー。で、和谷くんが3位か。ふむ。わしもちょっと好きかも。
で。なんで主人公のヒカルが4位ですかー。弟いわく「ヒカルの碁」の真の主人公は佐為で、ヒカルなぞ佐為の出番を邪魔する悪者らしい。そんなに美形がいいのかー。……いいですか。で、あたくし一押しのアキラくんは5位。もちょっと上だと思ってたんだけど。じめじめした子はだめですか。4位のヒカルの挿絵の横で、顔を赤らめて「碁で勝負しろっ」と叫んでいるのがかなりよい感じ。長くなりそうなのでここまで。
昨日は会社を早く抜け出して帰る。天井裏の掃除に取りかかる。計算機三台と、プリンタ二台と、スキャナと、ビデオデッキ二台と、ディスプレイ。以上が入っていた空き箱を処分。さて。枕と小学一年生の漢字を覚えるおもちゃをどうやって隠そうか。
80年前に、東京の住人が地震のどさくさにまぎれて朝鮮人を大量に殺したから、今度は必ず「三国人」が暴動を起こすらしい。石原慎太郎はそう言っている。
石原には見えない敵が見えるのだろう。無念の死を遂げた者の亡霊は、東京にだけいるのではない。石原は否定するが、南京からも無念の死をとげた亡霊が襲ってきて、毎晩闘っているに違いない。
統率の象徴。石の結束。5,000万円の恐喝程度では警察は動かない。父親の保険金まで取り崩して払ったってのに動じない。5,000億円なら国が払ってくれる。関係ないや。
悪人を育てるための愛知県警のなみなみならぬ努力が感じられる。中学生のころから悪人の素質をちゃんと伸ばしている。すばらしい。だからいまどきの警察組織は、たかが「女子高校生に淫行」ぐらいのことで警察官を処分している場合じゃないと思うのだ。いやホントに。冗談じゃなく。他にやるべきことがあるだろうってなもんである。
しかしまあ、その悪人どももどうせすぐに少年院から出てくるのであろう。そして、そのころには保護者たちが5,000万円を弁済してくれているだろう。さて、この悪人どもはオトナなのか子供なのか。この事件で測らずも見えてしまったのは、中学生がオトナ扱いされる場合と子供扱いされる場合があることだ。
被害者が報復を恐れて警察で証言しなかったら、ホントに捜査が止まってしまった。つまり、この被害者は分別あるオトナとして扱われている。自分の責任で病院にかつぎ込まれ、自分の責任で5,000万円を脅し取られる中学生のオトナとして扱われた。そして、加害者は名前が明かされることもなく、最近までろくに警察に取り調べられることもなかった。つまり、扱いは子供である。徒党を組んで悪行三昧に浸ろうとも子供である。イカした服を選び「風俗店」だとか「パチンコ店」に通いつめ、上部組織に上納金を渡しもする中学生の子供である。
さて、この奇妙きわまるオトナ子供判別システムは誰のためにあるのであろうか。警察のためなのか、悪人のためなのか。なんだか、ものすごく幻想的というか、魅惑的というか、ふしぎな世界なんである。オトナと子供の境界をはさんで、行ったり来たりできるのである。いつの間にかわたしの住む世界は大きく変わっていた。なんだか、うさぎの穴に落ちてしまってお茶会がすんだらふしぎ魔法ファンファンファーマシィーだ、ニャロメって感じである。この子はニボシと申しますのよ。にゃあ。あたしはぽぷりよ。はじめまして。このふしぎ世界では、既存の常識は役に立たない。善悪の区別すらあいまいである。
この、夢のようなオトナ子供判別システムがあれば、わたしも子供に戻れるかもしれない。たとえば、わたしが愛知県で小学生を誘拐したり、愛知県の上空で旅客機を乗っとったりすれば子供に戻してくれるかもしれない。犯行の動機を聞かれたら「みんな軽い気持ちで小学生と寝ているから」とか「コンビニで雑誌を立ち読みしていたらハイジャックの真似がしたくなった」とでも答えればいい。
「無敵の超戦士マシュランボー」の巻。ぎゃーっははは。このギャザさまが、おまえをぎったんぎったんにしてくれるわー。どうもギャザが「ドラゴンボール」のフリーザに見えてしまうのは気のせいである。ついでに、このふざけた性格が「どれみふぁどーなっつ」のれっしーを思い出させるのも気のせいである。
どうも戦闘が続くと話が面白くないので、マシュラとサーゴとクータルが融合して生成されたマシュランボーについて書いておく。かなりそれっぽい美形ちゃんに育ってしまったようで、動作にはサーゴの妖しい雰囲気が見られる。大男のクータルはどこに生かされているのだろう。うむむ。女声で演じるおとこの子キャラに弱いのだけど、おとなキャラでもわりと刺激的。あと、髪の色が赤紫色。惜しい。
……いや、そんなことを言っている場合ではなくて、サーゴとクータルはホントにカードになったままなんだろうか。石にされたヤクモは、味方二人と数え切れないほどの爬虫類のマトリクサーを犠牲にしてまで助けられることを望むだろうか。
来年会社に入るかもしれない人のための、研究所の見学会があった。わたしは技術者との懇談会ってのに出ることになる。対応するのが人事の人が一人と、あと技術の人が一人。若い人を使いたかったらしく、わたしがその技術の一人になってしまったんである。わたしが会社の技術者を代表してしまうのはいかがなものか。久しぶりにネクタイなんか締めてみる。
30分遅れて見学者の3人がやってきた。研究施設の見学で質問しまくっていたら遅れたらしい。ふむ。わたしもなにかと質問して長引かせるほうなので、この前途明るい3人の遅刻ぐらい許そうではないか。人事の人は怒っていたけど。話してみると、ちゃんと3人ともだまっていないで質問をする。話し方もまとも。しかし殺気も緊張も感じない。いい子ちゃんに育っているのだが若さってものをまるで感じない。わたしも若いけど。わたしは入社試験のときはずいぶん鼻息を荒くしたもんだ。
ただ、研究分野を聞かれて、いきなり共役高分子だとか自律制御だとか、難しい単語を並べてしまうのは人に意思を伝える姿勢としてどうかと思われる。TVアニメを観ない人に向かって、いきなり「先週のおジャ魔女どれみでマジョリリカが魔法ミントを探しに飛び立つ場面の演出」について真剣な顔で話したら相手は拷問のような苦痛を受ける、というのと同じ問題なんである。学会発表ではないのだから、太陽電池だとかロボットのような分かる単語から始めればよいものを。
……ああ。彼らにはこういうことも教えてあげるべきだったのか。仕事のことだけではなく。
赤ちゃん倶楽部の掲示板(正式名称「春菜のぼけつっこみ講座」)によると「Close 2U」の発売日は開発の遅れから4/8に延期されたらしいのだが、さらに5/26に延期されていた。不慣れな商取引にまつわる、なんらかの不手際が影響したもよう。5/26の発売は間違いないと思うのだけど、本当に店に置かれるのだろうか。
追記。6/16発売という情報もあり。
その2。「めいどいんばにー」は6/9発売。
「外国人が暴動を起こす」と分かりやすく言いなおしたらしい。その上で「誰に謝罪しろというの」とは恐れ入る。
例の小型冷蔵庫級計算機にログインする。弾かれる。ありゃ。ログインする。弾かれる。むむ。ホームディレクトリに入れないといって弾かれる。設定ファイルを書き間違えたかな。……って、ログインできないから確めようがない。ftpでも入れない。うーん。なぜだろう。管理者の人が休暇で火曜まで来ないので困る。
再起動なんかしてみる。30分経過。本当にホームディレクトリがないことが判明。コインロッカー級ハードディスクその3が警告を発している。ハードディスクを再起動。もう一回再起動。計算機も再起動。やっと生きかえる。
3時間経過。絵が出ない。ひょっとしたら、ひょっとするのかも。まずい。非常にまずい。いやあああ。
深夜残業はなにかとアレなのでやらない。10PMぎりぎりに帰ることにして、その代わり出社時間を早くして時間を作ることにする。今日は少しだけ早く来てみる。9:25AM出社。少しずつ早くしていくという目論見。
「高校生あいこは「走る少女」!?」の巻。
あー、なんともほのぼのといいますか。どことなくぎこちない、のぶちゃん(アクセントは「ぶ」に置くこと)の書いた「走る少女」というおはなし。
のぶちゃんにとってあいちゃんは、その前でだけはなにも演じなくてもいい、本当のともだちである。どうも最近はわたしの知らない間にその感情はもっと進行しているようなんである。冒頭の登校の場面の、のぶちゃんとあいちゃんが手をつないで歩くところが随分強調されている。
さて、問題の「走る少女」である。なんとぎこちない表現であろう。「走る少女」がというよりもむしろ、その伝え方がぎこちない。あいちゃんは一読して自分が主人公だと気付く。走る少女とは妹尾あいこ。高校生。ある朝。遅刻しそうになって走り出す彼女の横を、とんでもない速さで駆けぬけていく者がいた。縦川信彦。
あいちゃんに最初に読んでもらいたいのに、三人に邪魔をされる。あいちゃんが作品に没頭していると三人がその世界に入りこんで茶化してしまう。「走る少女」の中での縦川くんと妹尾さんの恋路は、読んだ人にしか分からない。三人が話をしっちゃかめっちゃかにしてしまったから、TVの前のおともだちには分からないのだ。
「走る少女」は未完のままだ。この続きはのぶちゃん自身が作っていくのだという、これまたこっ恥ずかしい示唆であろうか。なんといっても最後の台詞は「あいちゃん、だーい好きっ」なんである。ふりひらのドレスにかまうことなく、あいちゃんに飛びついて幕を閉じる。
ぎこちない。そしてなんとも不思議な話である。まりな×れいかとか、はづき×なおみ(奥山なおみ)の線がどっかに行ってしまったいま、のぶこ×あいこが突如出てきてお父さんびっくりである。冗談でなくここまではっきりと描かれるとは。
暇があったらプリンタで遊ぶ。そんなこんなで。IllustratorのデータをLBP-870で印刷する時に300dpiになってしまう問題について整理。[1]テキストエディタから文字を印刷すると問題なく600dpiで出力される。[2]Illustratorの出力はどういうわけか文字も図形も300dpi。[3]pdfデータを作成してAcrobat Readerから出力してもIllustrator同様に300dpiになる。[4]PhotoshopでIllustratorのデータを600dpiでラスタライズして、その画像を出力するとちゃんと600dpiで印刷される。[4]Photoshopで二値化してから印刷するという手もある。網点形状や網点数をいろいろ選べてうれしい。
で、以上はA4サイズの絵を印刷した場合。これをB4サイズにして、二値画像をプリンタに送ったらば。プリンタのメモリ不足で印刷が止まってしまう。設定によっては、メモリ不足の場合には解像度を300dpiに落っことして無理矢理印刷することも可能だが、いまの設定では600dpiで印刷できない場合は印刷が止まるはずなんである。そんなわけで、Illustratorから300dpiでしか印刷できない問題はメモリ不足のせいではないらしい。
で、えらい回り道ではあるが、こうして600dpiで出力してみるとかなりよい感じ。すでに持っているアルプス電気のカラープリンタも600dpiだけど、黒の濃さと切れが全然違う。言うなればマブい。メモリを足して1,200dpiにする必要があるのか、という気がしてくる。少なくともベクタな絵に関してはグレースケールの階調もそう必要ではないので、600dpiでもいい感じ。しかしまあ、自前でラスタライズまでせねばならぬとはなんともダサい。ああダサい。いまは面白いけどそのうちダサくなる。
他のツールでも確かめねば。
「コレクター・ユイ」の新シリーズが始まる。謎のコレクターの声は荒木の香恵ちゃんだったらしい。一大事である。声を聴いて三石さんかと思っていた。わしもまだまだよの。ついでにフリーズが化けて出ているんじゃないかとも思った。
どうもユイさんが変身のときに使う腕輪、コムコンをこっそり盗み出した犯人は、あのシルエットからすると二人考えられる。IRか、もしくは迷子になっていたおんなの子(推定4歳)が持っていたくまのぬいぐるみである。シンクロがぬいぐるみをIRと見違える場面があったことは、おそらくはこのぬいぐるみがIRと形状が似ているということをわざわざ示唆したものと思われる。そんなわけで、この刺激的なおんなの子は今後も登場するようである。
ところで。最初の歌で例の悪者三人組が登場する。フリーズがサングラスを取ってみたらば、意外にたれ目であった。
「脅威のチカラだ! ギャザ粉砕!」の巻。相変わらずものすごいサブタイトル。マシュランボーがギャザをなんとか倒す。で、突如として旅は続き、死んだはずのサーゴとクータルは戻っているんである。うむむむ。マシュランボーの身体から、サーゴとクータルの遺伝情報だけでなく実体ある肉体をどうやって分離するのだろう。なごやかに談笑している場合ではない。いったいマトリクサーたちの死生観はどないなっとんねんな(訳:どうなっているのか)
「はづきちゃん踊りを習う!?」の巻。
はづきママの過去に触れた話。はづきママは厳格な母に育てられた影響で、自分の娘には苦労を掛けまいとする。それが勢いあまって、欲しくもない服や習い事をはづきさんに押し付けてしまうのだった。
はづきさんは母親の買ってくるふりふりひらひらの服は苦手だというのだけど、はづきさんがハナちゃんのために作ったよだれかけもまた派手なのだ。この母娘は似たものどうしでありながら、いままではお互いの理解がなくすれ違っていた。はづきさんは、はづきママが幼い頃に大切にしていた人形を引っぱりだして、人形遊びでもってはづきママに本心を伝えようとする。この場面がまたイカす。泣かす。結局はづきさんは日本舞踊の練習を続けることになった。本当にそれでよかったのだろうかという疑問は残るが、深くは考えないことにする。
Expression 1.0.5Jで印刷してみたらどうなるかを確かめてみる。で、どういうわけかMac OS 9EではExpressionは起動しないので、Mac OS 8.6Jで使ってみる。Illustrtor 7のファイルを読みこませて印刷してみる。そしたらば。ちゃんと600dpiで出力されるんである。
Mac OS 9の問題かもしれないのでMac OS 8.6JでAcrobat Readerを使ってpdfファイルを印刷してみる。すると、Mac OS 9Eのとき同様に300dpiで出力される。ということは、Mac OSの問題ではないっぽい。
これはAdobeの陰謀かなにかだろうか。あとPainterだとかPageMakerだとかでも試しとかないと。
で、一連のごたごたのおかげで、ベクタの絵を自前でラスタライズするという荒業に手を出すに至ったのだけど、青と白の林檎さんの強力さには感心する。PowerMac 7200を使っていた頃なら、A4サイズのベクタのデータをPhotoshopを使って600dpiでラスタライズするだなんて考えつきもしなかった。ただ、こんな使い方をいままで想定していなかったので林檎さんの主記憶が256MBでは足りず、HDDががりごり言うのが難点である。
どうせならプリンタを1,200dpiで使うことも想定して、主記憶があと256MB欲しい。256MBのDIMMは30,000円しないらしいので、買ってもいいかなと。
小型冷蔵庫級計算機と仲間たちは壊れていなかった。使い方を間違っていたらしい。うむむ。同じところではまって、同じ間違いを何度も何度もやっていたらしい。何度も。
Mac用webブラウザiCabPre 2.0は、開発がJavaScriptとDHTMLの一部を実装というわき道にそれてしまっておおむね評判が悪い。わたしはJavaScriptもDHTMLもいらないのだけど、今のところ気に入って使っている。以前のバージョンだと、長く使っているとどういうわけか画面全体の文字表示が消えてしまってMac OSを再起動するしかなくなる、というものすごい不具合があったのだが、Pre 2.0ではいまのところその問題には遭遇していない。この不具合を訴えているのをわたし以外に見たことがないのが不思議。
株価がたかが10%下がっただけでは、この一年間育ったバブルはびくともしない。こうして過大評価される投資対象は、いつか必ず打ちのめされる。
……のだが、長期の投資対象の場合は下がったら下がったで面白い。春の陽気に誘われてふらふらと株式への投資額を月に2万円から4万円に増やしてみる。0.1%かそこらの金利で銀行に置いておくよりはよっぽどいい、はず。
昨夜。「クレヨン王国いちご村」を途中まで読む。「ブタ別荘」というものすごい題の章で思わず泣いてしまう。いちご村はクレヨン王国の中では初期の作品だけれども、人間と自然とのつきあい方においてはいままでずうっと同じ姿勢で書かれていると分かる。一冊の半分まで読んで寝る。
しかし、なぜいまごろになってDHTMLなのだろう。CSS1の実装を早いとこやってくださいよう。
おなかがすいたですう。
……ぜんぶ、ぜんぶ残業が悪いのよっ。わるいのよおおう。うわあああん。
ある少年の父親がアメリカのどこかで誘拐された。少年は日本にいる。どういういきさつでか、でっかいロボットがやってきた。父親を助けてくれるらしい。「地球内部を一直線に突き抜けたサイバトロンネットを通り抜けるから5分くらいで着く」という。本当に5分で着くのだろうかという問題。がんばれば5分ぐらい着くような気がする。
地球の内部を一直線に突きぬけたトンネルを通過するのに必要な時間を考えてみる。地球の中心を通る場合が最も距離が長く12,700kmである。アメリカまでだともう少し距離は短いが、とりあえず12,700kmで考えてみる。
で、最も単純な場合を考えてみる。穴にえいやっと入れば重力が働いて、地球の中心までぐんぐん加速する。3秒後には時速100kmに達する。アリスは落下中にジャムの瓶を拾ったりするのだがそんな余裕はない。空気の摩擦を無視すれば,地球の中心までの距離dに対して移動に要する時間tは、
t = (d / a)1/2.......[1]
となって、距離dを6,300[km]、加速度aを9.8[m/s2]として800秒。中心から向こう側に達するまでには逆に減速しながら進み、同じ時間がかかる。そんなわけで1,600秒。27分。うーん。5分では無理か。
逆に5分で到着するために必要な加速度aを求めてみる。加速減速時には地球の重力だけでは足りないので、そこいらへんの謎なハイテク機構を使うことになる。ところでサイバトロンってなんだろう。粒子の加速装置みたいなものか。
a = d / t2.......[2]
地球の中心まで2分半で着けばいいのでtは150[sec]として、加速度aは280[m/sec2]となる。
少年の身体は280[m/sec2]の加速度に耐えられるのか。重力加速度の29倍で5分間移動すると。……少年の身に起こる事態はあまりにも哀れである。ちょっとまずい。で、もう少し妥協して、重力加速度の10倍ならなんとか耐えられないだろうか。高校の物理の教科書に、宇宙ロケット打ち上げ時の加速度がそれぐらいだと書いてあったような気がする。少年には酷だが、全国の視聴者の前で顔を苦痛にゆがめてもらう。加速度aを98m/s2として[1]式でもう一度解いてみると500秒かかる。8分半程度。まだ遅すぎる。
こんどは距離をもう少し正確に詰める。12,000kmだと地球の裏側のブラジルに着いてしまう。日本からアメリカのどこへ行けばいいのだろう。遠く見積もって東海岸を考える。東京から北極回りでニューヨークあたりまで地球の表面を最短経路でたどれば11,000kmである。この経路の真下にトンネルを掘ってみる。
東京-ニューヨーク間を、地球の表面を最短経路でたどった円弧を考える。これを延長して、地球と同じ直径12,000kmの円を用意する。で、この円の周上にぽちっと点を打って、東京と書いておく。そこから11,000kmたどったところにぽちっと点を打ち、ニューヨークと書いておく。これで東京とニューヨークを含む、地球の輪切りが完成する。この円の内部をざくっと通って、二点間を結ぶ直線を引いてみる。この直線の長さが東京-ニューヨーク間直通トンネルの距離になる。
この円弧が地球一周の長さの0.28倍であることに着目してトンネルの長さを解くと9,600kmになる。トンネルの中心までの距離4,800km、加速度は重力加速度の10倍として[1]式で所要時間を求めると、220秒になる。中心から向こう側も合わせて440秒。7分半。少年が宇宙ロケット並みの加速と減速に耐え、最高速度が秒速22kmという環境下でものすごい振動にも耐え、それでも2分半遅刻である。
この2分半を縮めるためには重力加速度の22倍の加速に耐えなければならない。やはり少年の身体は哀れなことになりそうだ。よって、がんばっても無理なものは無理。
実はちゃんと計算された設定があるような気がしていて、まともな加速度で進みながらぎりぎり5分で間に合うのではないかという先入観があった。反省。しかしながら、移動時間が目標の約5分に対して1桁も違って50分掛かったとなると看板に偽りありだが今回はそこまでの差はない。地面に穴を掘ってしまうようなふしぎな世界でのできごとである。7分半というのは、数分の違いがどうでもいいぐらいに、滅茶苦茶に速いんである。移動時間がプラスマイナス0.5桁程度に納まっていればいいじゃないか、とわたしは思うんである。1分40秒から15分までに納まっていれば、わたしは「だいたい5分で着く」というのはさほどの嘘はないと思うのだ。内部に人を乗せていたから少し遅れた、というのはありそうな話だ。
重力加速度の5倍の加速度で「のんびり」移動しても所要時間は10分半。まだまだ実用範囲であろう。父親のことは現地の警察になんとか時間をつないでもらうとして、5分半の遅れぐらいは許されないだろうか。少年が加速に耐えきれず、背骨でも折ったら余計にまずいのだ。ちなみに加速度を2倍にしても所要時間は3割しか減らないことに注目されたい。
実は誘拐の現場はアメリカの西海岸で距離が短いので間に合うかもしれない、とか、アラスカやハワイだってアメリカではないか、という逃げ道もある。だがしかし、ロボットを超高速で運転するための動作確認であるとか、長大なトンネルの安全確認であるとか、少年がちょっとトイレに行ったりするのに少なくとも数分を余分に要すると思われるので、細かいことをどうこう言うのはこのへんでやめておく。
会社の表計算ソフトでわたし自身の収支を計算してみる。……うむむ。こうして支出を追っかけてみると、お金は確かにいつの間にかなくなっていくのが分かる。使途不明金だらけなんである。そう毎月毎月大量の本だのレコードだのゲームだの買うわけではないのに。ちゃんとこと細かく支出を追っかけておけばお金をつかまえておけるのだろうか。
どうも日本橋は客の入る土曜のほうがメモリが安いような気がする。金曜だとさほど安くないのに土曜に急に安くなったりするような、気がする。気がするだけかもしれないけど。つうわけで、今日は買いに行きたいのをぐっとこらえて明日行ってみるか、と。256MBが23,000円以内で買えるといいなあ。
あと、プリンタ用の72pinで3.3VのDIMMを探さないと。72pinだけど、あれはSIMMの72pinじゃないよなあ。幅が7cmぐらいしかないちっさいやつ。ホントにこんなの売ってるのだろうか。こんな形のは見たことがない。あえて高価な純正品を買って敗北してみるほうが楽ではある。
「おっぱいがいっぱい」は、タンゴのリズムを生かしたほうがいいのか、子供っぽさを出したほうがいいのか。
ふらふらっと日本橋へレッツらゴー。ソフトアイランドにて256MB/PC100/CL2なDIMMが21,580円。安い。とても安い。買う。
で、プリンタに使う72pinのなんだかよくわからないメモリモジュールを探す旅に出る。すぐ挫折。I/Oデータとかメルコだとかのカタログを見てもそれらしいのが全く載っていない。72pinのDIMMで、幅7cmぐらいのちっさいのを見かけたら110番。ノートPC用のメモリモジュールあたりを詳細に調べれば、偶然会うものが見つかるかも知れないが、それはあまりに面倒くさく、かつ危険な賭けだ。かといって32MBの純正品はソフマップで26,000円ぐらいするので、なかなか買えない。256MBのDIMMを安く買ったその直後にこんなに高い純正品が買えるだろうか。いや買えまい。
ああ。キヤノンめ。トナーとメモリで儲けようとしているな。わたしは1,200dpiで印刷できるべらぼうに安いプリンタというところにひかれて買ったので、メモリが高いぐらいのことで後悔はしていない。キヤノン製以外では、いまのところ1,200dpiで印刷できるプリンタはどう考えても10万円かそこらでは買えない。1,200dpi「相当」というパチもんが多い。ホンマもんはたぶん50万円でも買えない。そう考えると、高いメモリを買わないと1,200dpiで印刷できないとはいえ、26,000円の出費ぐらい全然たいしたことはない……のだが後味が悪い。ちょっと他人には勧めたくない感じ。
あと、いまとなっては入手困難っぽいうさぎしゃんのCDを買う。中古で。セーラースターズの音楽集2枚。これはさして入手困難ではない。もう一枚、主題歌が4曲入っている派手なCDを買う。これはたぶんあんまり出回っていない。実物は今日はじめて見た。盤は12cmなのだがアルミ反射膜の部分は8cmしかなく、周辺部分はすけて見えるという変わったもの。レーベル面にはでっかい絵が印刷されていて、透明な部分に映える。買い逃したCDを集めるのにあと何年かかるだろう。
元グロッサー四天王の一人、フリーズがまた出ている。わたしはこれがうれしくてうれしくて。フリーズの声が三石琴乃さんなので、わたしはフリーズを特別な視線で見てしまう。
横道にそれた見どころ1。海でフリーズは働いている。突如出てきた水の魔物を退治しようとして失敗する。そのいでたちからライフセーバーでもやっているのかと思ったのだけど、かき氷屋さんのアルバイトをしているらしい。うさぎしゃんのRに出てきた「あやかしの四姉妹」を思いだしてしまう。彼女たちは、ブラックムーンの幹部を辞めて人間に混じって化粧品を売る仕事についたのだ。わたしはたいてい、悪者に肩入れして観てしまうので、あの四人組がその後どうなったのか気になっていた。結局二度と登場することはなかったのだけど、「コレクター・ユイ」ではフリーズが、ちゃんと、出てきている。他の人はどうだか知らないが、わたしは、この点に感銘を受けてしまったということを記録しておかねばならない。
横道にそれた見どころ2。もう一点重要な点があるとすれば、コレクター・アイの声が荒木の香恵ちゃんなところだ。どういうわけか声がフリーズよりも低くて苦しそうだったり、どういうわけか最後の歌で出てくるキャストの一覧のところではアイさんは主人公クラスの場所に入れてもらえなくて2ページめに入っていたり、とか気になるところはあるのだけど、そんなことはどうでもいいのだ。あたしゃ、その2ページめの「荒木香恵」の直後に「三石琴乃」と入っているこの並びだけでも満足さね。もう泣きそう。
ふつーの見どころ。かき氷屋フリーズと、ウィルスに冒されて元グロッサー四天王ウォーウルフの姿に戻ってしまったシンクロとの偶然の再会は、かなり重要な場面のはずなのだけどまったくその変わりぶりについて指摘する描写がない。実にもったいない。で、相変わらずフリーズは看護婦のレスキューが苦手だったりする部分は変わっていない。わたしは、こんな悪者キャラの扱いが好きだ。
がー。またもマシュランボー録り逃し。愛の差か……と思ったら放送はなかったらしい。
いつもの店で髪を切る。
林檎さんの主記憶も増えたことなので、でかい処理をしてみる。1インチあたり600pixelの解像度を1cmあたり600pixelと間違えてしまってとんでもなくでかい画像ができてしまったわさ。Photoshopの一時ファイルが2GBになっちまったよ。あはは。姉さん、ぼくはもうだめだよ。あは。あははは。もうぼくにはわけわかんない世界だよー。とりあえず動いているからB4までは大丈夫だろう。うん。
土曜は久しぶりに「むしまるQゴールド」を観た。あの導入部分はいま観てもやはり刺激的だ。歌もまた。むしむしQ以降のシリーズをDVDで出せば、値段によっちゃあそこそこ売れると思うんだけど。CDはちゃんと続けて出ているわけだし。
同じネタを何回も使いまわしているところからして、ネタの数自体はそんなにないと思う。1ネタ2分で30個入れても60分。歌が10曲で30分。むしむしQからむしまるQゴールドまでのシリーズをDVD各1枚で充分収まるだろう。合計4枚。特番も入れてしまおう。出しましょうよう。NHKソフトウェアさあん。コロムビアさんってばあ。
まなちゃネタ投稿私見がそろそろ、というかついに、わたしの内部で危機に瀕している。文章がうまく書けないので小道具のインパクトに頼ってきた。最近は観ているTVアニメの数が減ったので、新しい小道具が入ってこなくなってきた。
与えられた情報と、それと関連の深い情報を探索して、それらのつながりだけを使って面白おかしい文章を書いてくれる「自動ボケツッコミ機械」というものがあれば、これこそ消費に頼らない理想の形だけど、わたしは機械になりきれるほど言葉を知らない。小道具ばかり使わないで、自分の体験として書かないとせっかく面白い投稿が来てもその面白さを伝えられないと思うのだけど。なかなかねえ。
私見書きが減って寂しくなってきたのを機に一から出なおそうにも、どこから始めればいいものか。
「健康診断でイエローカード!」の巻。
とくに際立った点はなさそう。ハナちゃんとおジャ魔女たちの成績は最悪なものだったが、危機に際してはハナちゃんにとっての的確な判断をしたおジャ魔女を見てちょっとだけ小児科医マジョハートさんが動揺した点に注目したい。マジョハートさんは人間には魔女の赤ちゃんを育てるのは無理だと主張するが、次の健康診断の時になにか影響するはず。
「クレヨン王国いちご村」を数日前に読み終わる。十二の短い話の集合なのだけど、ただ一つ冒頭の石の話の印象が強い。全体的に哀れな話で、かといってどうすることもできないというお話。最後にゴールデン14世国王の「うそつきぐせ」について触れている。いま何世だったかなあ……。
急性虫垂炎の手術を受けることがあったら、母親か祖母にクレヨンを買ってもらって、病室の枕元に置いておくとよい。するとあら不思議。深夜にクレヨン王国への通路が見えるのである。
シリーズ最新刊の「クレヨン王国しっぽ売りの妖精」を読み始める。「いちご村」が書かれてから経つこと十余年。続けて読むと一気にあか抜けた感じがする。「三日月のルンルン」を読んだときにも書いたけど、三木由記子さんの挿絵も、随分いま風な感じ。
アラエッサとストンストンは「花の旅」でシルバー王妃と旅をしている。ただし、二人には王妃とは知らせずシルバー王妃と似た若い役者と旅をした、ということになっている。「しっぽ売りの妖精」でまた再会するのだけど、あのときの役者と目の前の王妃が同一人物だということを、二人は知っているのだろうか。気になる。
現在の王さまがゴールデン何世国王なのかは、クレヨン王国の本を数冊をぱらぱらとめくっただけの調査においては不明。現在確認しているのは「新十二か月の旅」で触れられている「乱暴者」で有名な王さまが18世だということのみ。
午前半休を取って昼までごろごろ。あと銀行と郵便局に行ってさらに針の城方面行きの切符を取りに行く、という予定だったのだが、朝から家の内装工事が始まるので寝てはおれず。昼まで「しっぽ売りの妖精」を読む。で、読み終わる。
偶然出くわしてしまった悪魔を「しっぽ売りの妖精」の助けを得て退治するに至るまでの、長い二日間のお話。ずいぶん登場人物が多い。シルバー王妃、アラエッサにストンストン。十二の野菜たちも出てくる。TV版ではこれだけの登場人物を毎週動かしていたのか。しかし、誰かを立てると誰かが引っ込まなくてはならない。
シルバー王妃が主人公なのかと思ったら、途中で父親のミカエル公爵の看病に行ってしまう。悪魔に身体を吹き飛ばされ、死んだら父のところへ行くのだと覚悟したためなのか、実家へ飛ばされてしまうのだ。そしてそのまま悪魔退治から離れてしまう。
幻覚の恐怖におびえる父親の前に、シルバー王妃が突然現れるところは一つのみどころでありましょう。サンタクロースのじいさんに娘を連れて行かれてから十余年。少なくとも一回は「新十二か月の旅」で再会しているけれども。あのおてんばが突如木から降りてくる。自分の娘とはいえクレヨン王国の王妃が空から降ってくるというのはとんでもない非常事態だ。しかし父は驚かない。「ただいま。お父さま」とひとことだけ娘が言うところなんかかっこいいなと。
最後の最後で悪魔は殺されてしまうのだけど、なぜ悪者が登場するに至ったのか、ということへの反省が福永作品にしては少なかったように思う。あの残忍な殺し方を考えると、人間への自戒を込めてわざとそうしたのか。あと、アラエッサは養母のおとらさんに、ストンストンも同様にナレンナーさんに再会しているのが重要な点。うーむ。「月のたまご」全8巻をいつか読まねばならないのだなあ。
「君が代は国旗である」という法律と「卒業式で君が代を歌わなければいけない」ということは関係がない……のだけど、最近はこの法律に基づいて卒業式で「君が代」を歌うらしい。少なくとも広島県安浦町ではそうらしい。ホンマかいな。「君が代は国歌である」ということは間違いないが、ただ、それだけのことだ。安浦町の君が代はどうもいかがわしい。できればこんないかがわしいものから逃れて生きていきたい。法律で決まっているから歌えと教員が辞職まで迫られて、それを見た生徒は素直に歌ってしまうのだろうか。そうやって作られる生徒の質などたかが知れている。
しばらく私見のことを忘れて生活してみるのが、わたしにはよさそうな気がする。わたしみたいなのがでかい顔をしてるのをやめれば、より自由な発想で投稿や私見を書ける人もいるんじゃないだろうか。……とかいいつつ次の更新分を書きはじめてたりするけど。
残業手当63,927円。支給額230,401円。針の城方面へ行く乗り物の代金が往復44,600円。カードで払う。
うーん。最近ナウい事件がないなあ。看板に偽りあり。
面白い投稿がネタとも寝言ともつかない文字列に埋もれていくのを嘆く感情というのは、表面的には理解できる。日常的に投稿する人か、ちゃんとネタリストを読んでいる人の感情だろう。わたしはというと、偏った投稿ばかり取り上げるのを三年もやってきたせいで、興味のなさそうなものは無意識的に弾いて、脳の思考する部分まで届かないようになってしまった。面白くなるかもしれない投稿の芽を最初から摘んでいるのだから、そういう意味ではわたしの感覚が腐ってしまったと言える。
家屋の内側の工事は完了。計算機の引越しがまた大変。あと本棚を買わないと。
会社で久しぶりにCをいじることになったのでWindowsで動くMuleエディタ、正確にはMeadowというのだが、これの設定をいまごろになっていじる。ずいぶん前にがっこで使っていた設定ファイルはそのまま使えず。webでいろいろ探してきて流用してみる。ふむ。日本語も使えてまともな感じ。そんなわけで日記もmuleで書いている。仮名漢字変換はMS-IME 98でいいやと。あとはshellだなあ。
Ctrlキーが左Shiftキーの真下にあるというのはmuleを使うにあたってあまりよろしくない。muleならずともあんまりよろしくない。タッチタイピングができないもんで「Y」のキーを右手で打つべきか左手で打つべきか知らないのだけど、わたしはCtrl-Yを打つときに左小指でCtrlキーを押しつつ、さらに左人差し指でYキーを押してしまう。うっかりこれをやってしまうと小指の関節が外れそうになる。
Ctrl-Yなんて一日に何十回だか何百回だか使うわけで、このままではわたしの小指さんのためによろしくない。がっこにいた頃にAのキーのとなりにCtrlキーがあるキーボードを使っていたので、さほどの苦痛はなかったのだけど、現状では小指のきっき、きっき、危機である。このさい、Ctrl-YのためにHappy Hacking Keyboardあたりを買ってみるのもいいけど、自前じゃあちょっとなあ。
む。ふとキーの並びを見てみると右Shiftキーの下にもCtrlキーがあるではないか。左手の危機が訪れし日にはこれを使うのか。
ところがだ。おうちの林檎さんキーボードが、zとxのキーの下あたりにCommandキーがあるもんだから、親指をCommandキーの上に置きつつ、Command-Z(元に戻す)とかX(切り取り)とかC(コピー)とかV(貼りつけ)とかA(すべて選択)とかS(保存)とかQ(終了)とかW(閉じる)とか、他にもアプリケーションによるけどD(選択を解除)とかF(前面に貼りつけ)とかB(背面に貼りつけ)……などと左手だけでできるものはすべて左手だけでやってしまうという習慣がついてしまっている。右手に納まっているのはペンだったりマウスだったり。はたまたペンを持ったままキーボードの上に乗せてたり。そんなわけでどうも右側にCtrlキーがあってもを使う習慣がないのだった。
あ。さて。職場の先輩のイカした仕事っぷりにより、他力本願にもわたしの連休の危機は回避されたのでありまして。その裏で連休中も課長が出社してたりするのも構わず、この休日をありがたく拝領仕りましてありがたきしわよせ。なーむー。つうわけで、拝領奉りましたる連休中の目標を立てておきましょうかねと。
1.クレヨン王国の本をあと三冊読み終わらせる
2.20世紀のナウい言葉を発掘する
3.webデザインでできることを模索しておく
4.教育テレビから目を離さない
5.二値画像で遊ぶ
6.薬物に手を出さない
7.クマに気をつけて!
8.ゲームセンターなどに立ち寄らない
9.みやげ物の木刀を振り回さない
10.家に着くまでが修学旅行です
その前にタッチタイピングを覚えろってことですな。
今日はユイさんの録画予約もしてきたんで、会社帰りにクレヨン王国の本を仕入れに行くかな。いまのペースだと残りの30冊ほどを読み終わるのに、二年かかる。
つうわけで買ってくる。「クレヨン王国まほうの夏」「クレヨン王国水色の魔界」「クレヨン王国とんでもない虹」「クレヨン王国12妖怪の結婚式」「クレヨン王国茶色の学校Part 1-2」を2軒回って 買ってくる。古いのがなかなか見つからず困る。あと小林信彦「現代死語ノート」、岡本慶子「コレクター・ユイVer.2」1巻。
集英社文庫の「性同一性障害」にかなりひかれるも、こらえる。
「現代死語ノート」からイカした語を拾ってみる。
エッチ(1952)
は死語なんだろうか。最近「コレクター・ユイ」の主人公の台詞で聞いたような気がする。別の用法として「─する」という動詞形が生き残っているらしい。あと、
三悪(1957)
というのが気になった。汚職、暴力、貧困をひとまとめにして岸内閣がそう呼んだらしい。わたしには三悪といえばタイムボカンシリーズの悪者三人組のことだったのでかなり新鮮。あと、
わたし作る人、ぼく食べる人(1975)
について、著者は「私ってさァ、すぐにカッとなる人だから……」のような言い回しの原形ではないかと指摘している。確かにそんな表現はまだ生きている。「わたしって忙しい人だから、また明日ねー」という「おジャ魔女どれみ」の台詞の原形は1975年にあったのか。
「クレヨン王国のパトロール隊長」を読み終わる。これは重い。痛い。
これは「クレヨン王国」の第二作目なんである。前作「クレヨン王国の十二か月」の華やかさとは正反対に、この冒険は信雄少年にとって悲しみの涙を流すのも忘れるほどの痛みの連続であった。裏表紙の紹介文にある、
楽しい読み物に子供の主張をおりまぜた「クレヨン王国」シリーズ2作め。
という部分からは想像を絶する。これを本当に楽しい読み物と言っていいのだろうか。
あらすじ。信雄は不幸のデパートのような少年である。ある日、大きらいな学校の担任とけんかをして、それ以来家出をしてしまった。そしてたまたまクレヨン王国に迷い込んでしまう。この侵入者は、クレヨン王国の医学によって心がひび割れだらけだと診断される。少年はゴールデン国王のはからいで、治療のためにクレヨン王国でしばらく暮らすことになる。そして、ひび割れだらけでもどっこい生きてきた強い心を持つ少年は、クレヨン王国のパトロール隊という政府直属の組織の長に任命されてしまう。仕事は、クレヨン王国全土の見回りという気の遠くなるようなものであった。
少年はこの職に就いてからは空を飛ぶことができる。少年は平和なクレヨン王国を旅するうちに事件にぶつかっていく。それは自分の不幸を追体験するのと同じことだった。そして水の精の少女との出合いから、クレヨン王国全土を震わせる事件に巻き込まれていく。
感想文。どう書いてよいのか分からない。書けなかった。話は面白かったのだが、人の死生観と原罪意識と痛みだとかが交錯していて、感想がまとまらない。ただ全編を通してなんという残酷さ。わたしは彼らに軽々しく「生きろ」「死ぬな」と言ってやることはできない。
昨日。ふらふらっとサンリオなお店に行ってみる。うさぎさんの腕時計をなくしてから一年経った。もう次の時計を買ってもよかろう。いい感じのキティさんな時計が入荷していたので買ってみる。一年ぐらい前に欲しくなって結局買い逃した、あのメタリックな時計と同じような少し違うような。前に見つけた方はキティさんの顔の形に打ち抜かれた飾りがもっと分厚かったような気がするのだけど、逃した魚を大きく見ているだけかもしれない。キティさんの製品としてはプラスチックのもっと安っぽいものも捨てがたいのだけど、わたしの愛すべき機械は鉄でできていてほしい。4,000円。
店のおねいさんに「プレゼントですか」と聞かれて「いえ、違います」と答える。かような刺激は久しぶりである。
webページの中の画像の上をマウスポインタが通った時に、JavaScriptを使って別の画像に切り替えるってのがありますわな。アレをですな、マウスポインタが通った間だけ動画gifにできんかなと思って試しに作ってみる。林檎用もじら4.04と4.6とIE5で試したけど全滅。JavaScriptではオブジェクトが持つ画像は動画ではいけないのか。
うーむ。次回作は動かそうと思ってたんだけど。Flashとかを使うのもなんかやだなあ。