月曜日に研究室の方々と河原で焼肉をする。酒も入る。こうなると暴走する方もいらっしゃる。
なぜかわしの寒いギャグが一部の人に受けまくる。酒の力ってすごい。一例を挙げると「酒飲んでスイッチオン」、「ふしぎネットワークにログイン」などわけの分からない言動であるが、すべて某氏のことである。
また別の某氏が発した「普段は妖精さんが見える」発言もかなりきわどいのだが、一応記録にとどめておく。だっておもしろいんだもん。
しかし現場にいた人以外には何のことだかさっぱりである。とここまで書いたところで「YAT安心!宇宙旅行」のこないだの分を録画したまま、まだ観ていないことを思い出す。カネアさまの母親、アンの生きるか死ぬかの瀬戸際である。こんなことになる前にもっとカネアさまとアンの仲良くしているところを描いて欲しかったと思う。カネアさまにせよアンにせよどうも出番が少なかった。悪役扱いだったからであろうが、この番組はその悪役が重要だったのに。
某後輩が2日連続で来なかった。来るって言ったから来たのに。ああ。昨日なんか大雨降ってたのに仕事終わってから来たってのに。いや、雨は関係ないんだけれども。さらに言うと後輩が来ようが来まいがわしは来なきゃいけないんだけれども。
「YAT安心!宇宙旅行」を観る。
なんと。クイーンマリーゴルド号の船内でカネアさまとダニエルが二人っきりに。きさまなんぞにカネアさまを渡すものかあああ(再)。はあはあ。
一方、天上院さんとゴローちゃんがくっつきつつあるのをヤマモト社長も認めざるを得ない状況。ああもう。なんてこった。
友人にそそのかされ(嘘)某キャラのラミカを作ることに。どうなるんだ、わしの本は。どうなるんだ、印刷代は。どうなるんだ、わしの旅行は。
就職課の方から電話が。で、就職とは全然関係ない話をする。先輩の電話番号とか、作家の先輩がどうやって食っているのかとか、あれこれを聞かれる。最後に就職どないすんねん、と聞かれたので「おもちゃ屋がいいです」と答えておいた。就職するんだったら好きな業種に入った方がいい。業種だけでなく職種も希望通り開発の方に行ければいいと思うけれども。
誤字はいい。「宝島」に載っている「VOW」というコーナーがある。街の中や出版物の中のへんなものを取り上げるコーナーである。随分前は「VOW」は面白かったのだが、最近は以前ほどの熱さはないよう思う。なぜなら世の中の出版物の誤字が減ってしまったからである。それでも海外の日本人観光客相手の看板などに活路を見出し、「VOW」は今日も誤字を載せ続ける。
昨日、非常に遠い国で誤字のオンパレードを見つけてしまい、涙にむせんでいる。とりあえず うさぎしゃん のページを参照のこと。おそらくこのコンテンツの作者は日本語の文字を読むことができないのであろう。日本から取り寄せたセーラームーンの印刷物の資料を見ては、不安な手付きでキーボードを叩いたに違いない。
このあたりが「VOW」に載っていそうな台湾あたりで作った健康器具の日本語の説明書を、日本語のわからない写植屋さんが作ったりするプロセスに似ているのだ。わしは「ツ」と「シ」、「ソ」と「ン」を間違える、などということを電子メディアで見るなどと思っていなかったので感動もひとしおである。出版物も原稿はワープロで書かれるようになり、誤字を雑誌で見つけることさえ難しくなり悲嘆にくれていたというのに。まさかハイテクのイメージの濃いネットワーク上で発見するとは。
しかし、この手のネタ(?)を全く面白がらない方々も数多くいらっしゃる。「VOW」の誤植ネタを見てわしが大笑いしているので、父親も「VOW」を読んでみたりする。しかしまゆ一つ動かさなかったりするのである。だから「シユープリーム・サソダー」なんて書いてあってもちっとも面白くない、という人がいても不思議はない。いや、それ以前に元ネタを知らなければどうしようもないのであるが。
ここがなくなる前に保存しておかねばとはやる気持ちを押さえきれないので、今日の日記はここまで。
しかし、ダウンロードがかなり快適に進んでしまい、あっという間に終わってしまう。それにしても「.pt」とはどこなのであろう。今、この誤字を一つ一つていねいに読んでいるところである。全キャラの紹介で、1キャラあたり平均2文字もの誤字があり、かなりの読みごたえがある。一人で楽しむのももったいない気がするので、フロッピに入れて持って帰っておうちのまっくに入れて弟にも見せてやろうかと思ったが、面倒くさいので思いとどまる。
Sian♪さんとこの一万アクセス記念の絵の2枚目が届いた模様。わし以外の人の絵があるということでまことにめでたい。
わしの絵を見るためにSian♪さんのところからダウンロードしてきたりする。あげちゃってから自分のところには置いてないもので。だってあげちゃったらもうわしのものではないんだから。久しぶりにまじまじとわしの絵を見てみたらそのファイルは73Kbyteもあることを思い出してしまう。すまんです。見た方々。しかもサイズは500x373ピクセルというよく分からないお手ごろサイズ。こんなものもらった方が困るような気が。ちなみに作業中のファイルは千何百ピクセル四方なのでそれはそれで困るような気が。ああいかん。自分の絵を見てると恥ずかしくなってしまふ。
みんめさんのページを観てやってみた。今使っているかな漢字変換システムのATOK7が「もえるようなこい」を「萌えるような濃い」と変換することを発見。「萌える」も「濃い」も滅多に使わない表現なのに。なぜだ。なぜなんだ。
新番組の「夢のクレヨン王国」を観る。シルバー王女が「なかよし」に載っているまんがのイメージほどかわいくない。たくさんの欠点があっても、すべて許してしまうほどの破壊力のある笑顔を持っているはずなのに。でも次も観るつもり。
映画を観た。「スレイヤーズぐれえと」と「天地無用・真夏のイブ」の2本立て。ちきしょう。おもしろいじゃねえか。
「スレイヤーズ」の映画を去年、弟が観たのだが弟の評判はすこぶる悪かった。そんなわけで今回あまり期待していなかったのだが、観てみるとおもしろいじゃねえか、てやんでい。てなわけで今年は弟にも観に行かせる。弟も気に入っていたようでめでたしめでたし。「天地」の方もおもしろかったし。
ちなみにわしは「スレイヤーズ」も「天地無用」もテレビで観たことがないのだった。「プリティーサミー」は観たけれども。
「スレイヤーズ」と「天地無用」の映画を観てきた弟いわく、劇場には10人ぐらいしかいなかったとのこと。わしの時は5人ぐらいだった。これでは東映も商売が成り立たない。
「キューティーハニー」は結構こどもの客が入っていた。映画というものはおっきいおともだちだけが商売の相手ではないようだ。
昨日、両親が連れだって「フィフスエレメント」という映画を観に行った、とのこと。なんでも隣の映画館一部屋をまるまる待合い室にするほどの行列だったらしい。このときは監督の舞台挨拶があったそうな。商売が成り立っているようでなにより。
私信:ぽんさんの「帝都遠征記」を読んで。
わたしゃ恐かったのですよ。わたしは自己顕示欲が強力であるらしく、オフ会で「チャットとイメージと違う」と言われるかもしれない、ということが恐かったのですよ。あたしが想像上の生き物である「あずまさん」になりきるためにどうあるべきか、と考えてしまうですよ。同様に何人かの方々に接して同様のことを考えてしまうかもしれないことが恐かったとです。
だから服装とかしゃべり方なんかにも気を使ったりなんかして。おだんご頭はこの髪じゃ作れないな、とかちびうさTシャツの制作は間にあわないな、とか。後者は直前まで考えていたのですが、あきらめて「スヌーピー」の黄色い小動物(名前失念)の絵の入った赤いTシャツということで妥協(?)したりして。で、せめてちびうさちゃんの髪の色であるピンク色のものを身につけようとしてピンクのサングラスを2つも持って行ったとですよ。もしサングラスのことを聞かれたらその相手の顔に2つめのサングラスを掛けて差し上げて「これであなたもちびうさ道を歩まねばなりませぬ」なんて言ってみたり、というネタまで考えていたりして。
一応、イメージとしては心斎橋(大阪のいわゆるミナミと呼ばれる界隈。あずまが古いレコードを捜しに行く場所)あたりにいる兄貴のイメージで服を考えてみました。カーキ色でだぼだぼのパンツなんかも用意したりして。「あずまさん」というひらがなの多い台詞を発する精神年齢8歳の大学院生というイメージを頑張って作ったとですよ。しゃべり方は普段の関西弁をややマイルドにした感じで。
チャットでのイメージをどうこう言おうとするならば、相手の性格の本質的なところを見抜かねばなりませんが、わたしにはそんな能力はないのですよ。わたしは「ゲームの好きな人だ」とか「語り口のやわらかい人だ」というような表面的な部分しかわかっちゃいません。だからわたしのようなものがオフ会なんぞへ行くと、会う人会う人がわたしの貧困なイメージと異なるのは当たり前なんです。だからわたしが忌み嫌っていたはずの「イメージと違う」という言葉を発してしまうのです。で、ぽんさんがあずまに関して「なんとなくイメージ通りだった」と書かれているのを読んで、居ても立ってもいられなくなってこれを書いているのです。あるいはわたしの日記にあった、ぽんさんに関して「イメージが違う」と書いてあるのに対して「ってことはなにかチャットでの私はいっつもハイテンションってことなのか?(^^;;;」という反応があったりということも見逃せない点でした。
ブラウン管の中の仮想の人物と実物とのイメージを同じにする、ということは芸人が普段からギャグを言い続けなければならない、という宿命を背負わされることと同じです。それを強いて勝手に苦労したり失礼なことを言ったりしているんです。頭ではわかっちゃいるけどイメージはどうにもならないもので。事の真相はそういうことです。次にお会いする事があれば(あるのか?)もうちょっとまともな反応ができるかと思います。ではまた。
情報処理学会全国大会の発表の練習を何人かに見て頂く。
しゃべりの間が悪いのはなんとかなりそう。しかしよいOHPを作る、というのはなんとかなるようなものではない。手描き風のイラストなんかは使えない雰囲気である。学会だから。多面体を球群で近似するというような図をクレヨン風の着色でやってのける人はいないのだろうか。いらっしゃったらお目にかかりたい。こうなると徹底的に無機質なデザインにしたくなる。飾り気を一切省いたような、あるいは貧相な。見た方々には不評であるが。貧相に見えないデザインというのは難しい。
こないだの「キューティーハニー」のテープを観てみたら「ドラマ・カリフォルニアドリーム」になっていた。「YAT安心!宇宙旅行」の後なのでつい、チャンネルを教育テレビにしてしまうのだ。
その数日後、「虹色定期便」を録るつもりで入れていたテープに、弟の予約していた「るろうに剣心」までいっしょに入ってしまった。そのためまだ観ていなかった「ひとりでできるもん・敬老の日スペシャル」の大部分が消えてしまった。
うさぎしゃんが放送していた頃は、これに関しては録画で教育テレビと間違えたり、ということはなかったのに。ああなんてこと。
今日、堀場制作所の会長さんの講演を観た。とても面白い話をなさる。
その1。ある経済アナリストによると、25年後の日本に関する3つのシナリオがある。1つめのシナリオでは日本は「めろめろ」に破滅する。
その2。自由主義経済は大量生産、大量廃棄というサイクルの中でしか発展できないという問題をはらんでいる。自由主義経済は「ばっちり」限界にきている。
わしにはこのような形容の用い方がとても新鮮であった。これからはわしも使わせて頂こうかと思う。堀場さんは最後にアラン・ケイに関するエピソードを引き合いに出した。ケイは20年も前に「コンピュータが誰でも持てる道具になる」と予言したものすごく先見をもっていた人、とされている。で、ある人がその先見性に注目してケイに今後の何かの予測をしてもらおうとしたそうな。ケイの返事は「アホなことをいうな」(注:堀場さんは京都の方である)「・・・予測なんか出きるわけがあらへん」というのである。ケイは「未来は自分で作るもんや」といったそうな。
つまりケイは小型のコンピュータができることを予言したわけではなく、自分で開発することを予告しただけなのである。堀場さんはこの話を引き合いに出して、「自分はこれだけは必ず実行する」「これだけはやらない」という信念を持ち、自分でやりたいことをする、という気運が高くなれば日本に未来はあろう、とおっしゃる。そうでなければ日本は「めろめろ」になるのである。
発表まであと4日。生きて帰れますように。
キューティーハニーの放送がここのところしょっちゅうなくなる。そのたびに録画予約を消したりやり直したりするので、予約の間違いが多い。予約をやりなおした、と思ったらその週は放送がなかったりする。で、次の週は放送があるってんで予約をまた入れ直したら教育テレビと間違えて別の番組を録画してしまったり。こんなことの繰り返しなので、最近キューティーハニーを観ていない。
「YAT安心!宇宙旅行」が次回で終わる。いい番組だったのに。
情報科学部でオープンキャンパスなる催しがあり、その要員として出向く。日当約五千円なり。あんなものやこんなものが買えるではないか。ふふり。
明日から福岡県の某所に滞在。旅行だー。わーい。てなわけでわしの生まれて初めての学会発表におもむくのであった。発表は明後日なんだけれども前の発表も見ておきたい、ということで。
自分のOHPを見ながら考えこんでしまう。表紙の次に来る「はじめに」というOHPを「第壱話 泣き虫うさぎの華麗な変身」か何かに書き換えたくなる衝動に駆られる。「実験に使用した仮想都市」という題でシルバーミレニアムの写真を使ったり、LODの例としてちびうさちゃんのまったく同じ3枚の絵を入れてみたくなったり。もう寝ても覚めてもいたずらをしたくてしょうがない。そんなことをすると情報処理学会の敷居をもうまたげなくなってしまうのは目に見えている。駅で、電車がホームに入ってくるとともに線路に飛び込みたくなる衝動に駆られる、という人のように。やばいと分かっていることをつい、やりたくなることってある。
いたずら心てえのはここいら辺からくるのかも知れない。中学生が煙草に手を出したり、いい歳をした人が大麻に手を出したり、18歳未満の少年少女とあんなことに及んだり。きっとやばいことには引力があるのだ。
高校生の頃、「ひとりでできるもん!」やうさぎしゃんに手を出したのは、やばいにおいを感じたからではなかったか。ちびうさちゃんの魅力を「やばさ」である、と言ったことがある。約1年前、今は亡き「なんでもランキング」の最終日、そこの「対話」という名のチャットにて碧さんという人に「やばさ」について尋ねられた。その時もそう答えたのだが、やはり犯罪くさいというあたりにひかれるのだと思う。それならほたるちゃんでも充分犯罪くさいのであるが、ちびうさちゃんの性格のために、なおひかれたのだと思う。
あと1回発表の練習をして、帰るとしよう。
この中で情報処理学会の第55回全国大会に来てた人、手を上げてー。
てなわけで博多で講演して来たとですよ。4ADのセッションを見に来た人っていらっしゃいますかね。9番目の仮想都市のなんとかかんとかってのをしゃべったのがわしです。ってこれを読んでいる人で、見に来た人が本当にいるのかどうかは不安ですが。あと、わしの何件か前の虹CGシステムの発表は驚きましたね。まさか学会発表で「ときめきメモリアル」という単語を聞こうとはっ。
ワープロだのレイアウトソフトだのを使って作られ、プリンタで出力されたOHPが幅をきかす昨今、手書きのOHPを見ると感慨深いものがある。情報処理学会だけに全部手書き、ということはなくて何枚かだけが手書きという人を数人見ただけなのであるが。時間がなかったのであろうか。汚い字で書きなぐったような「まとめ」のOHPを見せられた時にはたまげたものだ。情報処理学会であるから、研究者は情報を処理するのである。よくわからないが、情報の分かりやすい可視化というものは共通の課題だと思う。研究者が手書きのOHPを出してきた場合、何か特別の意図があって汚い字を披露しているのではないか、と考えてしまう。前後の美麗なOHPにはさまれた手書きのOHPというものには心理的な効果がないわけではない。見る方は注目するし、緊張しさえする。
こんなのを見せられると、わしのいたずら心が顔を出そうとする。危険である。