新聞雑誌 明治五年十月?日
牛肉の儀は人生の元気を裨補し、血力を強壮にするの養生物に候処、折角旧情を固守し、 自分の嗜まざるのみならず、活穢に属し相喫ひ候へば神前等可憚杯無謂儀を申触れ、 却て開化の妨碍をなすの輩不尠哉の趣、右は固陋因習の弊のみならず、方今の ご注意に戻り以の外の事に候、以来右様心得違の輩於有之は其町役人共の可 為越度候条、厚く可及説諭云々

東京日日新聞 明治十五年三月二十五日
府下の髪結床にては、刈込髭剃とも代価の区々(まちまち)なれば、自然営業上にも不都合ありとて、此ごろ 組合組合にて集会をなし、代価一定の事を相談したるが、遂に刈込八銭、髭剃四銭と決議したりという。

朝日新聞 明治二十年三月二十日
天保弘化時代には顔の長うて目の張がようて生下の毛が長うて背の高い女で無くては 美と云ず、女房を迎えるにも芸娼妓を抱るにも多く右の標準に依り、夫より降って明治の初年にありては 、顔は丸く眼は常体で小がらで無くては当世でないとて、所謂丸ポチャ顔の流行せしが、此頃 に至りては時好大に一変し、今にも一般に束髪洋服の世界にあらんとするの勢なれば、芸娼妓 を抱る親方は元より判人の如きも、束髪洋服の似合べき背の高い眼の 張りのよい鼻の高い女でさえあれば、紙は少々赤く縮んで居ても一向頓着なく、 其内ABC位の横文字を心得て居る女は猶更足の早きよし、時の勢と云はハテ妙なもの。

…など、他にも西南戦争の記事から両国相撲の入場者数、世論や流行、男女の心中事件や役者の ゴシップまで、様々な情報が文字となっていた。


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