千田好夫の書評勝手

再び「自立」の意味を問う
−金井康治さん追悼−

9月18日の朝日の朝刊に、二つの象徴的な記事が載っている。

一つは、府中療育センターを視察した石原都知事の「人格がないように見える障害者を、施設をつくって生かしておくのは日本だけだ。西洋人ならすぐに『安楽死』で始末するところだ。ぼくはそう思ってはいないけれども」という趣旨の発言。安楽死を表面的には否定しているかのようだが、重度障害者と安楽死を並べて表現することによって、「場合によっては殺されてもしょうがない」という障害者に対するマイナスイメージをかきたて、暗に「福祉政策」の「見直し」を示唆したものだ。当然にも各方面から抗議がでた。

二つめは、金井康治さんの亡くなったことを伝える記事。金井さんは今月11日の早朝、吐血して亡くなった。30歳の若さで突然の死亡とはなんとも痛ましい。「2年前から介助者と共に自立生活を続けていた」にもかかわらず、突然の「病死」とはどういうことなのだろうか。割り切れなさが残る。

この二つの記事に共通しているのは、事実を伝えているだけで、何が問題なのかがぬけていることだ。まず、石原知事が言う「西洋事情」はナチス時代の障害者絶滅計画には当てはまっても、ノーマライゼーションの考え方のもとで巨大収容施設がなくなりつつあるという現在の欧米事情にはどうしても合わない。石原知事はそれを知らないのか、意図的にねじ曲げているのかである。いずれにせよ、石原知事の無知と偏見を露骨に示しているには違いなく、「新西洋事情」を説明していないこの記事は、無知と偏見のお先棒をかついでいるといわれても仕方がない。

もちろん、地域社会での自立生活を目指しても大きな困難が待ちかまえていることは、金井さんの死亡からも明らかだ。記事では山田真さんの「金井さんがあえて普通学校への道を開いた意義は大きかった」という言葉を載せている。全くその通りだが、脈絡を考えない引用の仕方は、おそらく山田さんの本意とは別の効果を生み出している。それは、金井さん自身にとっても「意義」はどうだったのか、という疑問である。

あの転校要求運動は、まさに全国の「共に生きる」運動の先頭となって、養護学校義務化に抗する流れを導いた。しかし、肝心の金井さんの生きる力を培ったのかどうか。人生の目標を模索しながら自分自身に力をつける生き方を彼に伝えることができたのか。その当然の努力を「能力主義批判」の名目でさぼってこなかったのか。真剣にそれが問い返されなければならない。とりわけ痛ましい若い死は、健康管理に問題があったことを示している。(26日の読売の記事では「深酒」のせいであることが示唆されている)しかも、金井さんは一人暮らしではなかった。介助に入った人たちとどのような関係を作っていたのか、地域社会とはどうだったのか。あの転校要求運動に係わった一人として、痛恨の思いにかられる。彼の死に対して、私たち一人ひとりに責任があるのだ。

現在の日本では地域社会での自立生活の流れは大きくなってきている。それに対する石原流の露骨な無知と偏見も大きくなってくるだろう。それにうち勝つには、何故何のために自立生活を求めるのかを再確認し、力をためていく以外にはないのである。若い挫折をそのままにしていてはいけないのだ。

追悼、金井康治さん!