千田好夫の書評勝手

諸芸花多くして実少なし

前々回に「ヒトラーとは何か」をとりあげた。そこでは、ヒトラー主義を「歴史的感覚を欠落させた刹那主義であるとまとめれば、それほど特異なものではない」とした。何故、特異でないかは、わが日本を考えてみるとよい。とくに戦争の仕方である。

日本が戦争に負け、アメリカに占領されることになったとき、若い娘を持つ家では戦々恐々であったというのを聞いたことがある。自分が子どものころであったから、60年代のはじめ、つい15、6年前に戦争が終わったばかりのころである。「ところが、アメリカさんはそんなことはしなかった。実に紳士だった。てっきり日本軍が戦地でやったことは、アメリカさんもやると思っていた」というのである。話した人は、左翼でもなんでもなく、祝日には日の丸をあげる普通の人だった。

もちろん、アメリカ軍も不祥事は起こした。しかし、それは個人の犯罪であって、組織としての犯罪ではない。そこが日本軍との違いだ。日本軍は隊列を組んで略奪暴行に出かけ、暴虐の限りを尽くした。従軍記者として中国に渡った石川達三は深刻なショックを受け、伏せ字だらけだったけれどもそれを中央公論に書いて告発した。石川は起訴され、その文章は戦後になるまで人目に触れることはなかった。

日本軍の戦争の仕方は、勝つことが唯一の目標で、負けることは無意味であった。それは、死ぬことかあるいは生きながら抜け殻になることであった。日本人のメンタリティでは、そんなこと当たり前じゃないかと思える。しかし、負けることが許されない軍隊は、敵にもそれを適用した。負けて死ぬこともできない敵は、どうしようとかまわないのである。つまり、日本軍には占領政策というものがなかった。煮て食おうと焼いて食おうと俺たちの自由で、抜け殻の傀儡になる以外降伏した敵に生きる余地はないのである。

これは刹那主義以外の何ものでもない。どうしてそういうことになるかというと、信じられないかもしれないが、日本人にとって戦争も政治も一対一のチャンバラの延長だからである。チャンバラは、文字通り決闘であって生きるか死ぬかの闘いである。負けた相手は死ぬか家来になるかのどちらかしかないのであるから、チャンバラに勝った後はより強い相手との果てしない闘いがあるのみである。

まるで宮本武蔵みたいではないか。その通り、「五輪書」には次のように書かれている。「一人と一人の戦ひも、万と万とのたゝかいも同じ道なり」と、武蔵は自信のほどを述べている。若き日に吉岡一門や佐々木小次郎に勝ち、老いても島原の合戦に活躍した武蔵の言葉は説得力があった。そして、「国を治むる事にかち、民をやしなう事にかち、世の例法をおこなひかち、いずれの道におゐても、人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是兵法の道也」と言う。つまり、一体一の果たし合いが戦争と政治の基本であると主張するのだ。

そして、ようやく太平の世となり、武蔵以外の兵法家は道場を開いて、屋内武芸が武道の中心となりつつあった。武蔵はこれを激しく批判し、「諸芸花多くして実少なし。さやうの芸能は、肝要の時、役に立ちがたし」と言い切っている。儀礼や道具が華美になっても実戦には役に立たない、というのだ。なぜなら、一体一の果たし合いは勝たねばならぬのであって、わが兵法においては「太刀に奥口なし、構えに極まりなし」と、どんな手を使おうと勝てばいいと主張する。

そういえば、日本軍は、日清・日露そして対米開戦も不意打ちをもって始めている。緒戦の勝利を得ても、仁義なき戦い方によって敵国民を奮い立たせ、自ら墓穴を掘る結果となった。常識的には「戦争は政治の継続」なのであるが、日本軍には「戦争はケンカの継続」なのであった。

なお、武蔵の刹那主義による道場武芸批判は、日本においてスポーツのアマチュアリズムの成長を妨げたと考えられる。それが、障害者に対しても深刻な影響を与えていることは、すでに2月号の「100年目の開化」で見たとおりである。