千田好夫の書評勝手

「する側」「される側」を越えるのは誰か?

著者の山本さんは、共生とはどういうことか、「障害を持たない者の側からの体験に基づいて具体的に描」こうとする。本書では、翔君、村田実さん、猪野さん、和夫君という印象的な4人が登場する。翔君と和夫君は知的障害、村田さんと猪野さんは重度の肢体不自由をもっている。

翔君は中学から養護学校に行くことになった。しかし校区の中学校へ行ったかつてのクラスメートがうらやましくて、友達の家に勝手にあがりこんでアルバムを見たり制服を着たりした。やがてそれにクレームがつくと、それまで悩みつつがんばってきたお母さんが翔君を「心中未遂」で殺してしまう。村田さんは34歳で小学校に入る要求を教育委員会に出している。それに対して教育委員会は、青年訪問学級提案以上には譲歩せず、村田さんもそれを突破できなかった。社会の受け入れ態勢がまだできていないのだ。

では、どうすればよいのか。翔君の場合は、お母さんの疲れを休めるために緊急避難的に施設に翔君を預けることができなかったのか、と山本さんは思う。一方では村田さんと猪野さんは、施設を抜け出し、介護者を24時間組織して自立生活を作り出している。山本さんは村田さんの介護に関わり、お風呂、トイレ、食事、外出など日常生活の様々な用事をこなし、性の悩みなどを聞いたりした。介護は、村田さんが不慮の事故で亡くなるまで18年の長きにわたった。しかし、と山本さんは思う。立場の違いを越えて「ともだち」にはついになれなかった。「よき理解者」にすぎなかった、と。

そういえば、翔君を預かってお母さんに返したときの身軽になった気分、村田さんの介護から帰宅するときの健常者の世界へ帰る不連続感、これは同じものではないか。村田さんにも山本さんにも日常生活の様々な用事以外の趣味や仕事、目的、悩みというものがある。それを対等に出し合える関係をどう構築するかが問われている。ところが、世間一般では健常者がそれを独占し、逆に介護や相談に局限されたところでは障害者が一方的に述べ(させられ)てしまう。

山本さんは職業柄、心理カウンセリングつまり相談から障害をもつ人たちとの出会いが始まった。そして70年前後から村田さんのように重度の身体障害をもつ人たちの地域社会での自立生活をめざす動きも始まった。そしてどこでも介護者が不足していた。この時期、山本さんと障害者の接点は、相談と介護だったことになる。

その転機となったのは、女性障害者である猪野さんとの出会いだった。猪野さんは、「ともだち」という言葉を自然に受け入れてくれた。猪野さんは厳格に異性介護を拒否している。だから山本さんとは介護という接点がない。また和夫君とは、おばあさんにときどきアドバイスをするくらいの「情の薄い」関係しかない。しかし、和夫君が施設から脱走し職を転々として「お先真っ暗」というときに訪ねていくと大喜びしてくれた。ただ会いに行くだけで何もしなくていい関係こそ「ともだち」ではないか。しかも逆に山本さん自身が助けられることになった。山本さんは子どもの頃に経験した福井大地震の悲惨な場面のフラッシュバックに悩まされていて、和夫君によってそれが和らげられたのだった。

ここから介護「する側」「される側」といった関係を「される側」から見直していくことだ、と山本さんはまとめている。支えるつもりでいて、実は支えられている、充たされている。この実感こそ「共生」を地でゆくものだ、と。今日では村田さんたちの闘いなどによって、自立生活運動の広がり、諸制度や交通アクセスの若干の改善がある。必ずしも介護だけが障害者と健常者の接点ではなくなり、しかも村田さんのような緊張関係があるとは限らなくなっている。もちろん、社会にもの申す障害者だけが自立生活を送れるのでなくなったのは前進だが、そのとき、「共生」を考えるのが健常者だけになってしまう可能性がないとは言えない。そういう意味で、私は緊張して本書を読んだのだった。