千田好夫の書評勝手

我々の中のヒトラー

我々を驚かす、アメリカのスクールシューティング。ローティーンの少年が同級生や先生に向けて無差別に発砲する。アメリカらしく派手な事件だが、日本でも神戸の事件をはじめとして似たような事件がたびたび起きている。ただ似ているだけでなく、ヒトラーの「我が闘争」などのナチズムの影響が共通している。自らの生還を期さず、捕まっても責任を自覚しないことまでそっくりだ。ヒトラーの亡霊が歩き回っているのだ。その正体は一体なんだろうか。ヒトラーの何が子どもたちを惹きつけているのだろうか。

米英の一部の歴史研究では、ヒトラーやナチズムはドイツ史の必然的結果である。それに対して本書の立場では、ヒトラーという存在はドイツの伝統の外からやってきたものである。ドイツの歴史の中で、ビスマルクにしろルーデンドルフにしろ、個人の運命と国家・民族の運命を重ね合わせたりはしていない。しかし、ヒトラーにとっては自分の命令に従えない、世界征服戦争に勝てないドイツ国、ドイツ人は生存するに値しない。前線が至るところで崩壊し、客観的に敗北は免れないにもかかわらず、ユダヤ人抹殺に血道を上げる一方で、ドイツ国土の焦土作戦を実行した。戦後のドイツの復興など眼中になかった、というわけだ。

なるほど、ケルンで8ヵ国のサミットが開かれるが、そのケルンには大聖堂があり、実に650年もの歳月をかけて築かれたものという。ドイツいやヨーロッパ人の気の長さ、あるいは歴史感覚には感心する。だからヒトラーが異様に感じられるというのはうなずける。しかし、ヒトラーがドイツの歴史的伝統の帰結かどうかということよりも、日米の少年事件やオウムの事件をみれば、人間の心情の一つの現れと考えた方がいい。本書が指摘するように、ヒトラーの特徴は、個人と歴史、あるいは国家・民族との混同、自分自身が絶対的基準となっていることだとすると、それを歴史的感覚を欠落させた刹那主義であるとまとめれば、それほど特異なものではなくなる。ドイツが第一次大戦で降伏した時点では、国境内に一兵たりとも敵兵はいなかった。だが、客観的情勢はいかんともしがたく、その時点での降伏は理性的な判断だった。ところがドイツ人は負けた気がしなかったのに、敗者として様々な屈辱や経済的困窮を味わわせられた。だから、理性的な判断を恨み、機会があればリベンジする気は十分だった。そこにヒトラーの刹那主義がうまくマッチしたのだと考えられる。

オウムやスクールシューティングそのものは、刹那的な愚行そのものである。しかし、学校や社会の状況が刹那主義を招いているのだとすると、刹那主義を批判するのは当然としても、彼らを愚かだと断じればよいということにはならない。状況は常に順調ではないし、うまくいっていてもさらに上を望み飢餓感にさいなまれる。とはいえ、チャレンジ精神は必要だ。となると、いつ自分自身が刹那的にならないとも限らない。我々の中のヒトラーを撃たねばならない。