千田好夫の書評勝手

「柿のたね」異聞

今年の1月、札幌で妻が知人数人に頼み夫にヤキを入れて殺してしまうといった事件が起きた。夫が家庭内暴力を振るっていたという噂だが、ことの真相はともかくとしても、あまりに「筋書き通り」なので驚いてしまった。

なんの「筋書き」かというと、「猿かに合戦」である。

「早く芽を出せ 柿のたね 出さぬと おまえをちょんぎるぞ」

猿が言葉巧みにかにが拾ったおにぎりを柿のたねと交換してしまう。かにはけなげに柿のたねを育て、やがて柿の木となり、たわわに実がなる。ところが猿はかにを裏切り、熟した実を独り占めしたうえ、青柿をかににぶつけて怪我をさせてしまう。かにを気の毒に思った知人の蜂と栗と臼がかにの仇討ちをする。

おなじみの話だが、これが一体どういうことを意味しているのか子どもの頃から不思議だった。単なる仇討ち話にしては、かにと猿の立場がどうも微妙な気がする。同じく江戸時代にはやった「忠臣蔵」では、浅野匠守と吉良上野介とは家格は違うが同じ大名同士。身分の違うもの同士ではそもそも「仇討ち話」が成立しない。手打ちにされた町人の息子が大名に仇討ちするなど封建的倫理では認められるわけがない。これでは具合が悪いのか、かに族と猿族の争いとして滝沢馬琴が書き直した「燕石雑志」では、一族間の恩讐の話になっている。(槇佐知子「日本昔話と古代医術」【Amazon】)

では、どういう話か。猿は身軽に木に登れる。かにに比べれば力もあるが不実である。かには世話好きで実直だが、弱い存在である。そう、これは男と女、夫婦の話ではないのか。おにぎりといい、柿の実がたくさんなることといい、かには女性の象徴なのだと考えると、一気にわかるような気がする。猿は言葉巧みにかにと結婚するが、酒飲みでいつも顔を赤くしていて仕事をしない。かにがせっせと働いたわずかな稼ぎも酒に消える。たまらず、意見をしたかにに暴力を働く。かには8年の間耐えたが、たまりかねて知人に助けを求める……。(夫への妻の復讐では「四谷怪談」がある)

「猿かに合戦」は江戸時代に日本で成立した話だが、前半だけの話、後半だけの話が日本各地はもちろん、全世界に分布している(日本民話の会「ガイドブック日本の民話」【Amazon】、マレ「首をはねろ!」【bk1/Amazon】)。誰かが、日本でそれらをつなぎ合わせた。それが誰であるのか想像すると、胸の熱くなるものがあるではないか。

この話を96年交換プログラムで我が家に来ていたキャロルに話すと、とても興味を持ってくれた。

「えーと、かにって英語では?」

「クラブ」

「あ、そうだっけ」

「そのクラブとモンキーがね、人々、フォルクの願望を表しているんです」

 英語とドイツ語をごちゃごちゃにしてなんとか話が通じると、キャロルは

「それは女を元気づける話なんだろうか」ときいてくる。

「もちろん」

「それはグード!」

 そんなわけで、いまだにキャロルは私を「アマチュア・アンソポロジスト(文化人類学者)」と言っている。