千田好夫の書評勝手

社会規範としての偏見

幼い頃、横須賀の街角で「黒人」を見かけたことがある。おそらく非番の米兵だったのだろう。その肌は想像していたのよりも、きれいなチョコレート色であった。私はとても人の肌とは思えず、なんとも恐ろしかったのを覚えている。親しくつきあう機会があれば、そんな感覚もなくなるのだろうか。山田詠美の小説のように、どろどろとした兄弟関係のようなものができるのだろうか。

とはいえ、アメリカ南部の人種差別は、つきあいがないから差別があるのではないことを示している。アフリカの人たちは奴隷として連れてこられた。奴隷とは牛や馬と同じで、人間として扱われることはなかった。だから、奴隷問題はあったが、人間としての差別問題はなかった。奴隷が解放されて人間としてつきあわねばならなくなってから、差別が「生じ」た。それまで平気で奴隷の身体に手を触れていた人々が、「人間」になったとたん、「汚くて」握手なんかできるか! ということになった。もちろん、奴隷として見下していた歴史と文化が社会の規範としてあるからなのだ。

混血児への偏見の解明から出発した本書は、30年以上も前に出ているが、偏見が社会的規範として存在することを明らかにした古典である。偏見は、無自覚・無意識に個人の意識の中に内蔵されてしまっているのである。それを変えていくには、社会改革と個人の強い自我が確立されなければならない、と著者は言う。

それからすると、とにもかくにもアメリカ人は奴隷解放以来、最近でも公民権法、アファーマティブアクション、障害者に対してはADAと、右往左往しながら制度改革を一つの指標として差別に対する取り組みをしてきている。

一方日本人はどうかというと、「白い色は七難をかくす」といわれるように、日本人は白い肌を好み黒い色を疎んじてきた。もっとも、白い、黒いといっても日本人の中のバリエーションにすぎず、たかがしれていた。しかし、ペリーの船に白人の女性が2人乗っており、それを見かけた幕府の役人は「美人」であると感想をもらした。それに対して、福沢らの使節団が、アフリカの港に寄港した際に見かけたアフリカの人を、その色があまりに黒いので「悪鬼か猿の子孫であろう」と評した。この日本人の態度は開国以来一貫しており、日常生活のなかの感覚にしみこんでいる。それは、欧米コンプレックスと白人以外の民族への差別感とが表裏一体になったものだ。特に朝鮮の人々に対する差別は厳しいものがある。

これに対する取り組みが日本では、アメリカに比べればまるでないに等しい。本書の言い方を借りるならば、社会改革と強い自我の確立がなされていない。たとえば、過去の侵略を認めることは、決して過去にこだわったぼうず懺悔ではないはずだ。それは現在ただいまの差別、社会規範としての日本人の民族差別・マイノリティに対する偏見に手をかけていくこととほぼ同義なのである。このことは、差別と偏見の解消に関わる活動に携わる者としてもっと取り組むべき課題であると、本書を読んで考えさせられた。