千田好夫の書評勝手

障害者は悲惨か?(1)

厚い本だ。帯に「ガス室はまず障害者用に開発された」とある。「ガス室」という言葉からは、ナチスによるユダヤ人のジェノサイドが思い起こされる。600万人以上とされるその犠牲者を思うとき、差別の究極は存在そのものの抹殺であることがあまりにも鮮明で、身震いする。その先駆として、障害者があった…。もちろん、それは現代史上の事実であり、関係者にとっては、今もって血の出るような現実である。

でも、私はどうも違和感を感じてしまう。事実は知らされねばならないが、その一方で、必ず被差別者の解放とは何か、それは人類全体のあり方とどうかかわるのかを、わずかな示唆にとどめるのではなく、一章をさいてでも具体的にまとめておいてほしい。特に、ナチスを筆頭とする障害者の敵が、経済効率を全面に押し立て、「無駄飯食い」「価値のない生命」と障害者と人類全体の利害とを、故意に差別的に対立させてくる時に、この視点を絶対に欠いてはならない。バブルがはじけて、そのしわ寄せが誰に向けられるかがハッキリしている今、なおさらのことである。

1. 克明に明らかにされた事実

ナチスドイツにおいて、1939年から始まる第二次大戦の間に20万人以上の障害者が、「生きるに値しない生命」として、抹殺された。これは、ポーランド侵攻とほぼ時期を同じくして出された、ヒトラーの障害者安楽死命令による、T4計画である。本書は、類書に比べて、初めて克明にその全過程を明らかにしている点で、画期的といえる。

T4計画ではベルリンに本部があり(T4とはその住所の略)、全国6カ所の精神病院が指定され、そこにガス室と死体焼却炉が備えられた。本部から、全国の病院に登録用紙が配られ、回収された用紙を本部の鑑定医が、きわめてビジネスライクに「鑑定」し、抹殺されるべき患者、障害者が選定された。殺害の方法は、後頭部への銃撃、毒薬の注射、一酸化炭素による窒息死、子ども(※1)は眠り薬の注射や餓死などと、実に様々であったが、処理される人数が多くなるとガス殺が主流になった。これらの方法は、すべて後のユダヤ人などに対するホロコーストの先駆となった。犠牲者の金品、金歯などが略奪されたのも同じだった。実際、T4計画が公式に中止された後、その職員がアウシュビッツ等に転勤になっている。

本書では、豊富な資料を駆使して、障害者が悲惨な状況にあったことを暴き出した。それはそれで大切なことだ。しかし、「悲惨」が障害者に特有な状況であるかのような記述には、私はいつも反対してきた。なぜなら、このような記述は障害者には一種敗北主義的な境地を生みだし、健常者には「やはり障害者はいやだ」という観念をますます強固なものにするからである。

この欠点は、障害者「安楽死」計画を、当時のドイツの障害者の運命的状況からだけ論じていることから、もたらされている。ヒトラーは、世界征服とユダヤ人の絶滅を目指して、戦争していたのだ。それなりに国際関係への配慮とか、国民の戦争意欲をどう持続させるか考えているのであって、障害者のことは全体の一部でしかなかった。事実、教会や国民の強い抵抗にあって、表面的には撤回している。同時代史をひろく検討しないと、障害者の悲惨さのみを強調する結果に終わる。たとえば、36年のベルリンオリンピックや、モダンアートを徹底的に弾圧したナチスの俗悪芸術運動(※2)も視野に入れたい。

※1 T4計画とは別に「子ども計画」があり、T4計画と同様に展開した。

※2 芸術新潮(新潮社1992.9)「大特集・ナチスが捺した退廃芸術の烙印」

(本論は、インパクションNo.100に掲載した書評に若干の修正を加えたもの)

障害者は悲惨か?(2)へ続く