千田好夫の書評勝手

幼き物語

なかなかの作品である。洗練された文章、著者の幼年時代についての抜群の記憶力による情こまやかな描写。でも2度読むのはつらい。しかし、これはある意味では著者の責任ではない。帯に「名作『神への告発』の著者の最新作」とあるのが、私の想像力を縛ってしまったのだ。

16年前『神への告発』が筑摩の「文芸展望」に出たとき、かなり評判になった。私も一気に読んだ。かなり重度の身体障害者である著者の半生が赤裸々に描かれ、その題名の通りにショッキングな内容だった。実母が死ぬ間際に「あの化物をどうしよう?」と言ったことを義兄から聞かされる著者は、いったいどんな罪を犯したというのだろう。義憤を通り越して、我が身をも振り返り、慄然としたものである。「全部本当のことです」と、著者は私に言ったことがある。それを聞かなくとも私にはわかる。全部本当のことだ。障害者が己れの半生を表したものは多いが、これほど見事に本当を叙述しているものは、少なくとも私は読んだことはない。恐らく今後もこれを越えるものはないだろう。

とはいえ、文芸作品としては本当のことを本当のこととして押し出すだけでいいのかという疑問が残る。言い換えれば、障害者が己れをさらけだすだけで、神に何を告発しようというのかということだ。神は我々の状況を、物理的にも精神的にも、とっくのとうにご存じなのだ。「だが…」と神はおっしゃる。「君の告発は一面的ではないのかね。なるほどわしは君を作り損ねたが、わしはわしなりに苦労したのだ。それが君にはわからんのか!」告発が告発であるかぎり、神のこの居直りを突破することはできない。それには、作り損ねの我々が亡ぶときが神の亡ぶときでもあることを、文芸の想像力で示すべきだ。著者の力量ならそれができる。

この新作は前作がなければ成り立たない。それどころか新作は神の居直りに著者が譲歩したことを示している。「『神への告発』は幼年期が薄いね。それに肉親に一方的すぎる。その辺を書いたらどうかね」一方的でいいのだ。何の遠慮がいるものか。しかし、私の言いたいのはそこではない。体験は、後から身につける教養と並んで作家の宝であるはずだ。ネタを出し切った作家は、しばらくダシをとるのに苦労するだろう、と余計な感想を持ってしまった。新作を前作とは全く別個の創作として練り上げることこそ、筆者の課題ではなかったのかと惜しまれる。