千田好夫の書評勝手

戦争の恐怖と人間の誇り

  

前回は教育基本法改悪にからんで戦争の恐怖について考えた。恐怖といっても、日本は激しく爆撃されはしたが、沖縄以外では地上戦を経験していない。なおかつ、アメリカに徹底的に爆撃されたことによって、ぐうの音も出ないほど敗北を認めざるを得ず、アメリカの占領を「素直に」受け入れた。それは、当のアメリカ占領軍が拍子抜けするほどだった。また、アメリカの占領はビジネスライクで、一部の犯罪行為を除けば、日本軍が占領地でやっていたので多くの日本人が心配していたような、組織的強姦や略奪がなかった。つまり、沖縄以外の日本人は地上戦と占領のむごたらしさをほぼ経験しなかったのだ。同胞が経験していないことは、私も夢に見ることはできない。

それを知る手がかりが、教科書問題を調べていて出会った本書である。この本に収録されているのは、東南アジア各国の中学校、高校の歴史教科書に出ている、日本による侵略と占領の時期の部分である。

以下、内容を紹介するのはマレーシアの教科書だ。この本の組み方で、40頁にも及ぶ非常に詳細な記述で、内容も中学校二年生用としてはかなりの水準だ。

教科書は、まず日本がなぜ東南アジア諸国を占領するに至ったのかを分析する。満州国という傀儡政権をうち立てた以降、中国を攻めあぐねていた日本は徐々に消耗していったが、アメリカ、イギリス、フランスが中国を支援することによってますます窮地に追い込まれていた。

この日本を救ったのが、ナチスドイツによって勃発した第二次世界大戦だ。英仏とオランダがヨーロッパに釘付けになることによって、東南アジアは放置され日本の野望をかきたてた。

必要な石油の50%をアメリカに依存していたように、天然資源の貧弱な日本は、工業の発展と戦争遂行のために、天然資源の豊富な東南アジアを侵略したのだ。

日本の国内では、戦争に消極的な政治家たちが軍部によって一掃され、軍のヒトラー支持者たちが政権を握った。彼らのスローガンは大東亜共栄圏の樹立だったが、実際に日本が望んでいたのは経済的に日本が支配する帝国だった。

真珠湾を奇襲した日本軍は同じ日にマレー半島を攻撃し、70日間の戦闘でマレー半島とシンガポールを占領した。日本のスローガンを信じた住民の多くは、当初日本の占領に反対しなかった。しかし、日本軍政部の態度は激しく乱暴で、イギリスよりもずっとひどかった。日本はスパイ網と憲兵隊組織を使って、少しでも反日の疑いを持たれた住民を逮捕し、「自白」するまで爪をはがすなどの残酷な拷問をした。ビルマとタイを結ぶ「死の鉄路」建設には、多数のマレーシアの住民がトラックで運ばれ多くの人が死亡し帰還できなかった。

文化面では日本語、日本の生活習慣、君が代、時差を無視した日本時間を強制された。経済面では、重要な企業はすべて日本人が握り、流通や農業の生産も日本人が押さえた。重要な物資は日本が独占し、深刻な米不足が生じた。何の裏づけもない「軍票」が濫発され、3年半の占領期間中に物価が四千倍になった。

深刻だったのは、日本の態度が中国人、インド人、マラヤ人に対して違ったことだった。日本軍は占領すると、全ての中国人を反日と疑い、数万人の中国人を殺した。インド人に対してはインドのイギリス人を攻めるために、比較的友好的な態度をとった。しかし、ゴム園などで働いていたインド人は、日本が他の植物を植えたために職を失った。他方日本はマレー人には友好的な態度をとり、マレー人の警察官に中国人を取り締まりさせた。これらのことは後のマレーシアに良くない結果をもたらした。

しかし、日本の支配の残忍さ、必要物資や食糧の不足によって、中国人もインド人もマレー人も反日運動に参加していった。その中心は反日マラヤ国民軍だった。

だが、日本が敗北してイギリスが復帰するまでの三週間の間に、民族対立が起こり、国家は混乱状態に陥った。日本からマレーシアを守れなかったイギリスの権威は地に落ちて、国民の間にナショナリズムが昂揚し、十二年後に独立が達成された。

以上のように詳細で分析のしっかりした日本占領時代の歴史が中学校の教科書に出ていることは、大いに考えさせられる。

「反日教育」だと思う日本人がいるかもしれない。しかし、アメリカによる日本占領では反米組織を作って占領に抵抗した日本人が皆無だったことを考えれば、彼我の違いはあまりに大きいと言わざるを得ない。何が違うかと言えば、反日だとかそういうちっぽけなことではなく、「日本支配のもたらした災難は、人間の誇りは民族自決権をもつことから実現されることを深く実感させた」という教科書の記述の結びにこそ私たちは注目しなければならない。日本人は戦争の恐怖を体験したかもしれないが、それからいささかも学んではいないように思える。